今日は、
子ども時代の最初に刺さった棘(とげ)
について書きました。

親子でしあわせを感じながら
生きるために、
お役立ていただけます。

目次
・適切な教育が大切
・棘の効果
・適切な教育とは
・「不幸」を必要としない生き方


■適切な教育が大切

アルフレッド・アドラー
次のように言っています。

子ども時代の最初に刺さった棘は、
もはや抜けることはなく、
その子が受けた冷たい行為は、
他者に近づくことを怖れさせ、
世界に愛などなく、
世界と結びつくことなどできないと
信じさせてしまうことになる。


子ども時代の最初とは
6歳以下のどこかの時期です。

その時期に
子どもの周囲の大人
(ほとんどの場合は親)は
適切な教育をすることで
子どもに棘が刺さった感覚を
味わうことをさせずに
成長を促すことができます。

でも、
適切な教育をしないとなると、
どこかで子どもの心に
棘を刺してしまうようなことに
なりかねないのです。

■棘の効果

子どもに棘が刺さった感覚を
与えてしまうのは、
周囲の大人(ほとんどが親)の
子どもへの接し方が
適切な教育ではなく
厳格な教育となっているからです。

厳格な教育とは
教育をする大人が
「子どもより自分優先」で
子どもに教育をすることです。

子どもの共同体感覚の発達より、
自分の満足を優先させてしまうことです。

例えば、
「勉強しろ」と言うだけだったり、
「そんなことも知らないのか」
と嘲笑したり、
子どもが思い通りにならないと
罰を与えたりすることです。

その結果、
子どもは冷たい行為を受けた、
と感じてしまうのです。

そうした支配的な接し方
大人への偏見を促すこととなります。

対等なかかわり方ではなく
支配/被支配関係を求められるので、
力の弱い子どもは
「支配されてあげる」という方法で
生き延びようとする他なくなります。

対人関係を
対等な関係と見なくなるため、
自分の話はどうせ聞いてもらえない
などと次第に否定的になり、
世界にあたたかい場所や感覚(愛)が
感じられず、さらには、
この世界に自分の居場所がないとまで
感じてしまうことになります。

一度このような関係になると、
この事実(棘)が消えることは
ありません。

関係をよくするためには
大人の側が自分自身の共同体感覚を
高め続けながら、
子どもに辛抱強くはたらきかけるか、
専門家の手を借りることくらいしか
有効な方法がない状況となるでしょう。

なお、共同体感覚とは、端的にいえば、
「自分の居場所がある感覚」です。

■適切な教育とは

アドラーの「適切な教育」とは、
対等な立場から
子どもの関心を
他者の関心事へと向くように
援助すること
です。

もちろん、
知識や技術を共有することも
教育に含むでしょうけど、
それは他者貢献の力を養うために
役立つことと思えば、
やはり教育の目的は子どもに
「他者の関心事に関心を向けること」
なのです。

他者貢献の手段を検討するときに
技術や知識があればあるほど
有効な選択肢が増えるのですから。


ずっと座って
「どうすれば他者貢献できるか」
ばかりを心の中でつぶやいていても
他者貢献はできません。

そのためには
行動を起こすことになります。

その行動の中に
技術や知識の習得があるわけです。

相手の役に立つと思うことを
まずは自分が体験してみる、
という選択だってあります。

そうして行動を起こすと
「何がよかったか」
「よりよくするには何ができるか」
という視点を持つことができます。

その視点から
さらに有力な技術や知識は何かが
より具体的に見えてきます。


他者の関心事に関心を向けて、
他者の役に立つことができると
やがて客観的な貢献感を得られます。

その客観的な貢献感は
子どもの共同体感覚を高めます。

それは、
子どもの感じるしあわせが増える
ということです。

そうして
子どもの感じるしあわせが増えた、
という事実を得られると、
それを援助した周囲の大人も
客観的な貢献感を得られます。

つまり、
子どもの共同体感覚を
適切に発達させることができると、
それをした大人の共同体感覚も
高まることが期待できるわけです。

共同体感覚が高まった大人は
感じるしあわせが増えますから、
子どもへのさらなる貢献を
することが簡単になります。

そうして
大人→子ども、
子ども→大人、
大人→子ども、という
すてきな相乗効果

乗ることができます。

■「不幸」を必要としない生き方

しあわせとは、
抽象的な概念です。

何がどうなったら
しあわせなのか、と考えると、
「特別な状況に遭遇したとき」
に感じる感覚です。

滅多にない状況、
つまり有難い状況、
「ありがとう」という状況です。

しかしこれは
相対的な概念であり、
そこに不幸がなければ
幸福と感じられないことになります。

何も起きず
ただただ「普通」であると
それは「よくある状況」なので
有難いと感じないのです。

だから、
しあわせは増やし続けないと
「しあわせを感じながら生きる」は
できないのです。

しかし、
不幸になって幸福になる、となれば、
不幸な時期が必要不可欠となります。

不幸を感じれば
その先に幸福がある、
とわかっていても
不幸な時期はつらいと感じてしまいます。

だからこのように考える”しあわせ”は
一時的なものなのです。

これを恒常的なものとするには
共同体感覚を高めることで
可能となります。

共同体感覚を高めると
「自分の居場所がある感覚」
も高まります。

自分の居場所があると、
安心ですし、嬉しいです。

感じるたびに
幸福感を感じられます。

かつては
少なかったこの感覚が
今はそのときより多い、
と感じるだけで幸福を感じられます。

しかも、これは、
共同体感覚を高め続けてさえいれば
ずっと続きますので、
一時的ではありません。

例えば、極端な例でいえば、
おいしいものを食べたら
そのときは「おいしい」との幸福感を
得られますが、
それを食べ終えたら終わる感覚です。

しかし、
相手とおいしいものを
おいしく食べられた、
という幸福感を感じられた経験をして、
その後もその相手とはまた
おいしいものをおいしく食べられる関係を
維持し続けることさえできれば、
その幸福感は積みあがっていきます。

そんな状況は
過去を見ると
すてきな事実に感謝が湧き、
未来を見ると
素敵な事実をつくれる希望が湧き、
現在の自分はその流れの中にいて
その流れを維持継続するように
行動することができる、という状況です。

この状況で生きることは、
しあわせを積み上げていく生き方であり、
「不幸」を必要としない生き方です。

そんな生き方は
共同体感覚を高めることで
実現できるのです。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。



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