アルフレッド・アドラーは
人は対等であると言っています。

それは「同じ」
ということではありません。

訓練を積んだ人の方が
未熟な人より上手なのは
自然なことです。

これは
上下関係ではなく、
同じ水平面上に生きていて
「前」を行く人がいて、
その人の「後」を行く人がいる
ということです。



対人関係において
上下関係となると
困難が生じるのは、
それが自然な状況では
ないからです。

「前・後」はあっても
「上・下」はありません。

親と子は
年齢が上、下と
分けてしまいがちですが、

生から死の間の
前を行くのが親で
後を行くのが子、
というだけで、
そこに存在の優劣は
ありません。

例えば
子に門限を課しておきながら
親に門限がなかったり、

門限を約しておきながら
親は無断で門限を過ぎても良い、と
していたら、
これは上下関係となり、
さらには差別的な扱いとなります。

対等な関係であれば
親が門限を過ぎるときは
家庭に連絡を入れて
家族の承認を受けるように
するでしょう。



また、例えば
会社勤務の対人関係でも
入社から退職までの
「前」を行く人と
「後」を行く人とが
いるだけです。

「前」を行く人を「上」として
「後」を行く人を「下」とすると
対等な関係が基礎なのに
上下関係となって
いろいろと困難が生じてきます。

私が会社勤務で新人の頃に
「上司の言うことは絶対だ」と
言われました。

業務上の指示であれば
そうだと思いましたが、
上司に
「今日は俺、金ないからメシおごれ」と
言われたときは無理だと思いました。

その上司は
やがて自然淘汰されて
消えていきましたけど。



人は「上進」して
下の人たちを
好きにできるように
なることはありません。

「前進」して
後から始める人の前を
行くだけです。

中には後から着手したけど
先に始めた人より
上手になることだってあります。

そのときは「前・後」の
関係は変わりますが、
「上・下」となるわけではありません。

存在としての優劣は
常に対等で、
何かがあるから変わる、
ということではありません。

責任範囲や
持つ情報や経験の違いが
「前・後」となるだけです。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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