上下関係で生きる人は
上と下、善と悪、
好評価と悪評価、
優秀と劣悪、
支配と被支配、
そんな二極の価値観で
生きています。

そんな人の心理には
特徴があり、
段階は5つに分けられる、と
アドラー心理学では言っています。

今回は、その1です。



当然、
上であったり
善であったり、
優位な方になるために
努力します。

そして、
下であったり
悪であったり、
劣位な方になることの
不安や怖れをいつも抱いています。

そんな不安や怖れは
優位になっていても感じます。

そのためいつも
そんな不安や怖れを紛らわすことが
目的になりやすく、
共同体感覚はなかなか高まりません。



そんな上下関係で生きる人は
まず「相手から好評価されること」に
力を注ぎます。

目的が
「自分の理想を実現すること」ではなく
「相手から好評価されること」です。

当然相手によって
評価は違いますから、
一度好評価を受けても
その後も好評価されるために
努力をし続けます。

幼い頃は親などに
「褒めてほしい」などと
要求することもありますが
成長してからは
要求することは恥ずかしいことと感じ
相手に直接要求することは
控えるようになります。

なので、見ていると
「自分の理想の実現」が
目的に見えるようであっても
その中身は
「自分の理想の実現を
しているように見せている」ことを
目的に行動していることもあります。

本人の目的と
他人から見える目的が違うため
苦しさが増えていくことになります。

言っていることと
やっていることが
違うような感じの苦労です。

好評価をされ続けることで
自分の属する共同体の中で
自分を特別な存在にしようと
するわけです。

特別な存在になると
注目も集まり、
生存可能性も増えると
感じるからです。



私の幼い頃、
私の父親は
よく「自分はすごい」と
話していました。

何が基準で
どのくらいすごいのか
全然わからなかったのですが
「すごい!」と喜ぶと
父親も喜ぶので
単純に「おとうさんすごい」と
言ってました。

自分はいいことしてる、と
信じてました。

今振り返ると
これは「好評価されようとする」行動と
わかります。

父親は
一生懸命やっても
認めてもらえない、という
信念を持っていて、
それを癒すために
家族を利用していました。

つまり、
自分を好評価させることで
上下関係の上であることを実感して
不安や怖れを紛らわせて
安心したかったのですね。



父親が上下関係ではなく
対等な関係で生きる人だったら
自分が一生懸命にやったことを
「すごい」と褒められることよりも
一生懸命やった結果、
家族など誰かの役に立ったかに
興味が湧いたでしょうに。

成長すると
父親が「自分はすごい」と
言ってきても
「何がすごいのか?」が
わからないので
その「何が」を訊きます。

それに対して
「自分が一生懸命やったこと」を
すごいと言ってくることが
多くありました。

でも、
一生懸命やることは
誰にでもできるので
父親がすごいとは思えません。

納得できないので「すごいね」と
言わずに
「そんなのすごくないじゃん、ふつうじゃん」
などと好評価をしないでいると
結局は「見捨てるぞ」と脅してきます。

そんなお決まりのシナリオなので
脅されるのを見越して
父親から「自分はすごい」と言われると
「そうなんですね」などと
話を合わせていました。

「相手より自分優先」なことでは
共同体感覚は高まらないことが
よくわかります。



その2へつづきます。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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