アドラーは
劣等について
3区分に分けてます。
それは
・劣等性
・劣等感
・劣等コンプレックス
です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/df/53/j/o0640042614904169808.jpg?caw=800)
劣等性とは
単なる事実のことです。
例えば
眼が悪い
足が遅い
体重が多い/少ない
筋力が弱い
持久力が少ない
覚えが悪い
などです。
計測して
標準とされる範囲から
外れるもの、という感じです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/d5/7b/j/o0640036014904170021.jpg?caw=800)
劣等感とは
劣等性を見て
「自分は他より劣っている」と
主観的判断を下すことです。
例えば
眼が悪くて
教室の一番後ろから
黒板の字が読めないとしても
何も問題ない、と捉える人は
劣等感を感じません。
逆に
見えてる人のように
自分は見えないから、
自分は劣っている、と捉える人は
劣等感を感じるわけです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/59/9c/j/o0640042714904170343.jpg?caw=800)
そして、
劣等コンプレックスとは
劣等感を「できない理由」に
利用することです。
例えば
眼が悪くて
教室の一番後ろから
黒板の字が読めない。
「だから」
私は勉強ができないのだ。
裏返せば、
眼さえ良ければ
自分は勉強できる、と
主張しているわけです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/de/4c/j/o0640042714904170767.jpg?caw=800)
劣等性は、悪ではありません。
ただの事実であり、
中立なものです。
劣等感も、悪ではありません。
ただの感情です。
しかし、
劣等コンプレックスに依存すると
いくらしあわせへの道があっても
進むことが困難になってしまいます。
理想に向けて
「今自分にできることは何か」と
創造性を使うのではなく、
「今自分の劣等感を感じてる
この劣等性を正当化する理由は何か」と
創造性を使うことになるからです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/3c/fd/j/o0640048014904171340.jpg?caw=800)
劣等感と理想は
常にセットで存在します。
その劣等感は
理想がどれだけ自分に大切かを
教えてくれます。
しかし、
理想を実現することではなく
「できない自分を正当化する」を
目的としてしまったら、
しあわせを増やすことは難しいですね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/38/8b/j/o0640042714904172113.jpg?caw=800)
あるセミナー講師の人がいました。
その人は
・喋るのは得意
・文章を書くのは苦手
という人でした。
これだけでは
何も問題はありませんよね。
でも、この人が
ことあるごとに言うことが
「本を書きたいけど、書けない」
でした。
文章が書ける人=優秀
文章が書けない人=劣悪
みたいな価値観を持っている
感じですよね。
そう思っても
本を本当に書きたいなら
書けない言い訳を
セミナー会場で話すことより
日々こつこつ書けばよいだけです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/1d/c3/j/o0640039514904172208.jpg?caw=800)
でも、
「本を書きたいけど、書けない」と
ことあるごとに言うので、
その目的は何なのか、
気になってました。
それは
劣等コンプレックスと考えると
しっくりきます。
いろんな劣等感を
この人は抱えている。
それらの中から
「本を書けない自分」を
正当化する理由を創作していた。
今の自分は劣悪に見えるかもだけど、
本当は優秀なんだよ、わかってよ、と。
なるほど...
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/ec/f4/j/o0640042614904173021.jpg?caw=800)
自分は昔から書くのが苦手
「だから、今本が書けてない」
書こうとして考えると筆が進まない
「だから、今本が書けてない」
夜、よく眠れない
「だから、今本が書けてない」
みんないろいろ問題起こす
「だから、今本が書けてない」
酒を飲んじゃう
「だから、今本が書けてない」
いろいろ誘われて時間がない
「だから、今本が書けてない」
「本当は自分は、優秀なんだ」と
懸命に言っているように
見えてしまう。
その裏で
「書けない自分」=劣悪な自分を
常に感じてもいそうです。
いくら優秀を見せても
本体は変わらないわけですから
いつまでも続くわけです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/e7/0e/j/o0640042614904173893.jpg?caw=800)
劣等感と
劣等コンプレックスは
混同してしまいそうですが
これを分けて見られると
理想を実現するために
本当に必要なことが
見えてきます。
劣等を感じたら
この3区分を
意識することで
しあわせへの道筋を見失わず、
ちゃんと見ていけますよね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/a1/68/j/o0640042714904175148.jpg?caw=800)
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ7年目、常楽でした。
《関連記事》
・敗北の存在を認めると流れが変わる~疾病利得
・自分を変えたい人が最初にすること
・アドラー5原則:目的論
・アドラー心理学:人生のタスク
・あなたのせい、より、あなたのおかげ、と言いたい
劣等について
3区分に分けてます。
それは
・劣等性
・劣等感
・劣等コンプレックス
です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/df/53/j/o0640042614904169808.jpg?caw=800)
劣等性とは
単なる事実のことです。
例えば
眼が悪い
足が遅い
体重が多い/少ない
筋力が弱い
持久力が少ない
覚えが悪い
などです。
計測して
標準とされる範囲から
外れるもの、という感じです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/d5/7b/j/o0640036014904170021.jpg?caw=800)
劣等感とは
劣等性を見て
「自分は他より劣っている」と
主観的判断を下すことです。
例えば
眼が悪くて
教室の一番後ろから
黒板の字が読めないとしても
何も問題ない、と捉える人は
劣等感を感じません。
逆に
見えてる人のように
自分は見えないから、
自分は劣っている、と捉える人は
劣等感を感じるわけです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/59/9c/j/o0640042714904170343.jpg?caw=800)
そして、
劣等コンプレックスとは
劣等感を「できない理由」に
利用することです。
例えば
眼が悪くて
教室の一番後ろから
黒板の字が読めない。
「だから」
私は勉強ができないのだ。
裏返せば、
眼さえ良ければ
自分は勉強できる、と
主張しているわけです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/de/4c/j/o0640042714904170767.jpg?caw=800)
劣等性は、悪ではありません。
ただの事実であり、
中立なものです。
劣等感も、悪ではありません。
ただの感情です。
しかし、
劣等コンプレックスに依存すると
いくらしあわせへの道があっても
進むことが困難になってしまいます。
理想に向けて
「今自分にできることは何か」と
創造性を使うのではなく、
「今自分の劣等感を感じてる
この劣等性を正当化する理由は何か」と
創造性を使うことになるからです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/3c/fd/j/o0640048014904171340.jpg?caw=800)
劣等感と理想は
常にセットで存在します。
その劣等感は
理想がどれだけ自分に大切かを
教えてくれます。
しかし、
理想を実現することではなく
「できない自分を正当化する」を
目的としてしまったら、
しあわせを増やすことは難しいですね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/38/8b/j/o0640042714904172113.jpg?caw=800)
あるセミナー講師の人がいました。
その人は
・喋るのは得意
・文章を書くのは苦手
という人でした。
これだけでは
何も問題はありませんよね。
でも、この人が
ことあるごとに言うことが
「本を書きたいけど、書けない」
でした。
文章が書ける人=優秀
文章が書けない人=劣悪
みたいな価値観を持っている
感じですよね。
そう思っても
本を本当に書きたいなら
書けない言い訳を
セミナー会場で話すことより
日々こつこつ書けばよいだけです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/1d/c3/j/o0640039514904172208.jpg?caw=800)
でも、
「本を書きたいけど、書けない」と
ことあるごとに言うので、
その目的は何なのか、
気になってました。
それは
劣等コンプレックスと考えると
しっくりきます。
いろんな劣等感を
この人は抱えている。
それらの中から
「本を書けない自分」を
正当化する理由を創作していた。
今の自分は劣悪に見えるかもだけど、
本当は優秀なんだよ、わかってよ、と。
なるほど...
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/ec/f4/j/o0640042614904173021.jpg?caw=800)
自分は昔から書くのが苦手
「だから、今本が書けてない」
書こうとして考えると筆が進まない
「だから、今本が書けてない」
夜、よく眠れない
「だから、今本が書けてない」
みんないろいろ問題起こす
「だから、今本が書けてない」
酒を飲んじゃう
「だから、今本が書けてない」
いろいろ誘われて時間がない
「だから、今本が書けてない」
「本当は自分は、優秀なんだ」と
懸命に言っているように
見えてしまう。
その裏で
「書けない自分」=劣悪な自分を
常に感じてもいそうです。
いくら優秀を見せても
本体は変わらないわけですから
いつまでも続くわけです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/e7/0e/j/o0640042614904173893.jpg?caw=800)
劣等感と
劣等コンプレックスは
混同してしまいそうですが
これを分けて見られると
理想を実現するために
本当に必要なことが
見えてきます。
劣等を感じたら
この3区分を
意識することで
しあわせへの道筋を見失わず、
ちゃんと見ていけますよね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210302/08/yurushino/a1/68/j/o0640042714904175148.jpg?caw=800)
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ7年目、常楽でした。
《関連記事》
・敗北の存在を認めると流れが変わる~疾病利得
・自分を変えたい人が最初にすること
・アドラー5原則:目的論
・アドラー心理学:人生のタスク
・あなたのせい、より、あなたのおかげ、と言いたい