久しぶりにこちらを開いたので、開いた記念に投稿。

このブログを読んていてくださった方も、私同様、もう、こちらを見ることもないんだろうと思いつつ足跡を残してみる。
アメブロへの写真投稿を初めてしてみた。

コロナ禍を経て息子は医師として4年目を迎えた。

研修医の2年間が過ぎてからは地元大学病院から各地の病院に派遣され、あちこちを飛び回っている。

自慢気に「命に関わるような症状を見つけ緊急搬送できた。」と話してくれたりする。

同時に専門医の資格を取るための論文作成もあり、余裕のない日々を送っている。

祖母が

「医者なんて仕事は大変だ。」と言えば

「大変じゃない仕事なんてないんだから。」

と答え、祖母が妙に感心する。

成績がいいからとか親が医者だからというような理由ではなく自分が好きで進んだ道だから、身体にだけは気をつけて一生懸命やってほしいと願う。

 

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年に一度のご報告。

コロナ禍で成績優秀者枠の海外研修が流れ、自宅(アパート)学習が続いた1年。

医療従事者の皆様のご苦労を思えばぜいたくは言えない日々であるが、せっかくの機会が奪われてしまったことは、本当に残念である。

 

息子、卒業試験、無事合格。

郷里の大学病院(入試時第一志望だった)での初期研修も決まる。

病院は、ナルコレプシーについても親身に受け止めてくれ、院内で薬を処方していただく約束までしてくださった。

残すところは、国試。

 

模試もベスト3以内を維持し順風満帆と思いきや、思わぬ試練が舞い降りた。

親は子供に苦労させたくないと願うが、どうしても神は試練を与え給う。

26歳になる息子に、もうしてやれることはない。

詳細は省くが、どちらを選んでもどちらも選ばなくても苦しい選択。

より安全な道を選ぶことが人として正しい道なのかも、母にはわからない。

それでも自身を守ることを忘れないように言えば

「自分の安全を確保することがレスキューの基本だということはよくわかっている。」

と応える息子。

賛成するわけでもなく反対するわけでもなく、母には彼の苦闘を見守るしかない。

 

何の苦悩もなく過ぎていける人生があるのだろうか。

息子も母がたどってきた道を歩もうとしているだけだ。

親に相談することなんかなかった。

誰もがそうやって独り立ちし、自分の人生を歩んでいくしかない。

明けましておめでとうございます。

またまた1年ぶりになってしまいましたが、当時交流していた皆様も休眠状態ですね。

 

息子は5年生。病棟実習に明け暮れる毎日。

試験はほぼトップを維持し、希望実習にも顔を出して先生方からかわいがっていただいている様子。

苦手だった人付き合いもサークルなどで場数を踏んで自信がついたようだ。

勉強が好きであまり社交的ではないので周りからは研究職が良いのではないかと言われるそうだが、本人は医者が人を診ずしてどうすると考えているとのこと。

臨床医を目指して努力している。

現場では人とどう接するかということがとても勉強になるという。

勉学に余裕があるので英会話を学び始めたそうだ。

海外にも短期留学してみたいという夢を持ち始めた。

病気ともうまく付き合っている。

25歳、「四捨五入したら30だ。」とからかえば、「それ禁句。本当に30近い友達もいるんだからね。」

なるほど~。今さらながら二浪なんて・・・と考えていた6年前があまりに世間知らずだったと笑い合う。

ろくな情報もない中で、いわば運まかせでここまで来たなあという感じ。

現役のセンター試験で発覚したナルコレプシーという生涯付き合う病。

どれほどひるみあきらめ道を変えようとしても2年間で一つの医学部以外受からなかった。

現在、点数的には国試合格ラインまで来ているので、病気で無駄にしたであろう時間の1年分は取り返したことになる。

地元国立医学部への夢はかなわなかったけれども、息子は親元を離れて本当にたくましくなった。

そして、この私立医学部が性に合い誇りをもって学び医学を愛し人に想いを馳せ、2020年さらに羽ばたこうとしている。

 

息子は体力もついて勉学や実習を人並み以上にこなしている。

車の運転も遠出の時はモディオダールを3錠にするだけで何の問題もない。

離れていることもあって、全てうまく回っているようなのでナルコレプシーであることを忘れがちになる。

息子の症状は軽い方かもしれない。

けれども、いまだに悩まされていることもあるというのを初めて聞いた。

悪夢である。

息子は、論理的に悪夢を避ける方法を考え、ベッドから見えるところに服をかけるなどしないようにしていると言った。

そういったものが半覚醒状態の時に奇妙なものに見え悪夢を誘発するのではないかと考えたそうだ。

しかし、最近医療に関する悪夢を色つきで見てしまうそうだ。

具体的な描写を聞いて心が痛んだ。

ごめんね、母は何もしてやれない。

医学の勉強を一生懸命やればやるほどイメージが脳に焼き付いて悪夢となるのだろう。

なぜ眠りが阻害されることが悪夢になるのだろう。

同じ夢を見るだけならよい夢だってあるはずなのに。

これはおそらくほとんど解明されていないことだろう。

きちんと眠れないということは不安感から悪いものをイメージしてしまうようになるのだろうか。

こんなに順風満帆であっても。

「私も何かある時は、よく遅刻するとか失敗する夢を見るよ。そういう時は、正夢だと思わず、夢で悪いことは済んだから現実では大丈夫と思うようにしているし、実際大丈夫だったからそう考えてみれば。イメージ的にはつらいと思うけどね。

そう助言するのが精いっぱいだった。

「主治医には話したけどね。悪夢が怖くて眠れないようなら薬を出すって言ってくれたけど、不眠にはなっていないから、がまんする。」

自分で抱え込んでいなければ、大丈夫かと思う。

それほど重度ではないにせよ、やはり生涯付き合っていかなければいけない病気なのだ。

息子の心が快晴になれる日が果たして来るのだろうか。

でも、人生ってそんなもんかなとも思う。

雲一つない日なんて誰も続いたりはしない。

彼は彼なりに自分の運命を受け止め、前に進んでいる。

母は遠くから見守るしかない。

 

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,医学部4年生の息子は、全国共用試験(CBT、OSCE)に学内トップクラスの成績で合格し、臨床実習に向けてはりきっている。

数学が苦手で受験では苦戦した息子だったが、医学部での専門試験には数学は関係ない。

丸暗記も苦手だが、得意な論理的思考力を生かして全てを関連付けて覚える学習法は、範囲が広ければ広いほど有利だった。

テスト前にサークルの集まりに顔を出して驚かれたという。

短期集中型ではないので、テスト前であろうとなかろうと関係ないとのことだ。

 

年末年始は、おそらく最後になるかもしれない、ゆっくりとした休みを過ごすことができた。

早期退職した私とこれまでにないくらいゆっくり話もした。

私にゆとりができたせいもあるだろうか。

医学の専門用語攻めで語り始めるときりがなく、本当に彼は医学が好きなんだと改めて思わされた。

進級できない人も多いようだ。息子は

「落ちる人は、頭がいいからとか家が開業医だから医学部に来ただけの人が多い。」

と語っていた。

浪人時代と同じくらいの勉強が6年間続くわけだ。

志もなく好きなことでもなかったらそれは本当に苦痛だろう。

息子は、家にいても気になる医学用語があると常にスマホで検索し学んでいた。

 

一人旅から帰って実家に戻ってきた息子は、一度所用で自分のアパートに戻った。

その間、家庭教師先にも行ったそうだ。

兄の高校入試で実績を挙げた息子は、弟も是非と言われ、忙しい学年だから都合のいい時に来てくれればいいと懇願されて続けていた。

何事もやるからには全力投球でやる。
事象を観察し論理的に解釈し最善の対応を考える。

医者に向いてると思う。

苦手だった数学は何のために必要なのか?

論理的思考力を見るためだろうが、数学的ひらめきと医学的な考察力はまた違うように思う。

「俺、数学だけはダメ。本当は文系かも。」と息子は言う。

理系の最高峰のように言われる医学部だが、医者として本当に必要な能力は別のところにあるかもしれない。

 

休み中は、息子の運転で家族皆で遠出したり、料理を作ってくれたり、息子との時間を満喫した。

一時期の、家に帰っても自分の部屋に籠ってしまうような感じはなくなった。

たくましく頼もしくなり、大人になったことを実感した。

近所の幼少から診ていただいている医院の先生宅へご挨拶にうかがったりもした。

すると、次の日先生自らプレゼントをもって訪ねてきてくださった。

それは「聴診器」だった。

「実習では使うでしょう。いくつもあるから。」とおっしゃった。

先生は、医大生だった息子さんを交通事故で亡くされている。

お心を思うとほろりとするものがあった。

 

1年以上ぶりにこちらを開き、昨日はアクセス数もかなりあったようで、ああそうかセンター試験だったからと思う。

メッセージをいただいていたことにも気づき、こんな休眠ブログに心動かされる方もいるのだなと、当時の必死さを思い出し、少し感慨にふけった。

流れてしまったメッセージもあるかもしれないと申し訳ない気持ちにもなった。

 

ここのところの最もアクセスが多い記事は、「センター試験で寝てしまった」。

息子のナルコレプシーに気づくきっかけになった時の事だ。

全国に同じような方が百何十人もいて、検索したのだろうか。

もしかしたらその中にナルコレプシーの方もいるのかもしれない。

もし、そういう方が病気に気づき受診するきっかけになったとしたら、このブログを書いた社会的意味もある。

いまだに、学校現場や社会では「居眠り」はだらしないこととみなされ、ナルコレプシーへの理解が進んでいるとは思えない。

ここ数年で、発達障害への理解はかなり進んできたのにも関わらず。

少数派であるゆえ、社会認知が進まないのだろう。

でも、全国にはどれほど多くの青少年が苦しんでいるだろう。

現に、私の近くにもそういう方がいらして、息子のことをお話ししたところ、受診され診断がついた。

覚醒を維持するオレキシンの不足という原因がはっきりし、周りへの理解を求めることができたことで精神的に楽になれたそうである。

けれども、薬の副作用を心配し環境を整えることで対応されている。

高校2年生のお嬢さんは、症状と折り合いをつけながら、アーティストになる夢を目指してがんばっている。

家の息子は、薬で眠気をコントロールしながら医学科入学の夢をかなえ、自分の持てる能力を全開させてがんばっている。

 

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またまた久しぶりにここを開けてみたら、デザインの使用終了という連絡が入っていた。

花開いたところを後ろから見ている水中花のデザインが気に入っていたのだが、仕方ない。

このデザインも古そうだが、色味も意味的にも好きだし、季節もあっているので採用することにした。

 

さて、話はまたまた現在形で。

息子の大学の保護者面談に行ってきた。

車で何時間もかけて。

 

「学年上位で、何の心配もないですね。」

と言われた。

「1回、再試になったようですが。」

「再試で通っていれば何の問題もありませんよ。」

確かに。息子の話では、今回のテストでも、学年の半分が不合格のものもあったという。

 

個人面談の前の総会では大学の国家試験に向けての対策についてお話があった。

国家試験向けの予備校もあってその協力も得ているのだそうだ。

(もちろん、高額な費用をかけて・・・保護者会から出ているとか・・・)

何となくは聞いていたし、どこの私立医学科もやっているそうだが、正直すごい世界だ。

 

合格率は低迷しているという。

が、これは全国的な傾向で、研修予算の関係で合格数の枠が定められ相対評価になったせいだという。

教授は、卒留を出して合格率を上げていないことを強調した。

息子は私立の受験校を決める時、定員と卒業者数まで調べ、その上で合格率が高いことを評価してこの大学を選んだ。

 

しかし、偏差値的にあまり高くないこの大学では、勉学についていけなくなる学生も多いようだ。

何しろ、ものすごい学習量だ。

浪人時代のような勉強が6年間続く。

やはり並外れた頭脳か努力かどちらか必要だ。

幸いにも息子は勉強が嫌いではない。

瞬発力はないけれど定着力は良い。

思考力を必要とし範囲の広いテストほど有利だという。

 

テスト前は夜中の12I時まで学校で勉強するそうだ。

さすがに体力が持たないので、栄養ドリンクは必須とのこと。

受験の時、あんなに味が嫌だとか言っていたのに。

あの時飲んでいれば地元国立も合格できたのではないか。

などと、息子のいないところでつぶやいてしまって夫にたしなめられた。

「あの子には、面倒見がよい〇〇大学があっているんだよ。

それに、上位にいられるからこそ自信をつけているんじゃないか。」

それは百も承知だ。

こうして親元を離れたからこそ、たくましくなったことも。

お金には代えられないし、大学の名前じゃなくてその子に合った場所だということが一番大事。

 

担任の先生も親身な雰囲気の方で、ナルコレプシーのことをお話しすると

「困ることがあったらいつでも相談に来るよう言ってください。」とおっしゃってくださった。

でも、今は寛解しているし、息子もできるだけ普通にやりたいだろうから

「見守っていただければ。」とお願いしておいた。

 

 

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息子は夏休み中、家にいてもほとんど手伝いもしなかった。

暇があればスマホでゲームとかしていた。

子どもの頃、ゲームを全くしなかったのでまあ仕方ないかなとも思う。

自分のやりたいことをやることにしたというようなことを言っている。

子どもの頃は親の期待に応えようという気持ちが強かったんだろう。

確かにずっと、いわゆるいい子だった。

共働きだったので、5歳の時からお風呂の掃除とお湯入れをしていた。

お手伝いを嫌がることは全くなかった。

勉強しろなどと世話を焼く必要もなかった。

息子がわがままを言ったという記憶がほとんどない。

無理をしていたのかもしれない。

そして、息子は車に乗れるようになったので、母を全く必要としなくなった。

買い物も一緒には行きたがらない。

母の趣味に付き合うこともしなくなった。

 

これで普通なんだろう。今どきの若者になったんだと思う。

でも、夏休み中に、母が忙しい時に1回だけお昼を作ってくれ、洗濯も1回はしていた。

お墓参りや母の実家にもきちんと同行し、最低限の義理は果たした。

気が向けば母と色々な話もした。

十分だ。

これ以上何を望もう。

やっぱり家を離れてよかったのだと思う。

 

学校で息子は明るくなったと言われると言った。

考え方を変えて開けっぴろげになったということらしい。

息子は、自分は自閉的傾向が強いのではないかといろいろ調べてみたと言った。

そしてコミュニケーションスキルを研究したと言う。

息子のやり方とは違うが、母もそうやって社会適応してきた人間なので、息子の気持ちはよくわかった。

 

「家にいると、ぼけてくるからそろそろ戻る。」

というところで、高校時代の二浪友達が帰省したという連絡が入って、遊びに行くことになった。

で、1日長くいることになって、正直母はうれしい。

 

いいかげん子離れしろよともう一人の自分が言う。

そういえば、「親孝行しろ」とは昔から言われているし、それにちなんだ昔話もよくある。

しかし、子どもを大切にしてご褒美をもらうというような話はない。

それだけ、子どもをかわいがることが自然なことなのだ。

(現代はそれが崩れて問題が起こっているが。)

自分を振り返ってもやはり、子どものことほど親を思うことはない。

仕方ないのだ。思いは下へ下へと流れていき、返ってくることはないのだ。

だからこそ、あえて「親孝行」と言われるんではないかと思い当たった。

親というものは意識しないと大切にできないものだ。

 

自分は親であり子でもある。

自分の親は自分の行く末でもある。

 

この夏、ずっと「いい子」だった息子が自然体になったことを喜ぼうと思った。

 

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びっくりするくらい久しぶりに、ブログを開いてみた。

色々と忙しい日が続き、気づけばもう1年近くもお留守にしていたことになる。

ともかく、年月が過ぎるのが早い。

 

第2テーマの「じいの介護」も途中であるが、第1テーマに戻って少し近況をご報告する。

息子は大学3年生になり、医学部は奇数学年は楽だということで、少しのんびりしている。

家庭教師のバイトも始めたということ。

かなり成績的には厳しい中学生のご兄弟を担当しているとのこと。

「二人で時間を分けて教えているんだよ。」

「並行して、一人教えて問題解いている間にもう一人教えれば時間を有効に使えるじゃない。」

「それは、だめだよ。問題解くところを見ていなくちゃ。どこを見ているのか、どこから書いているのか、どこで手が止まるのか、どこで間違えたのかよく見て対策を考えるんだよ。」

「おまえ、なかなかやるねぇ。」

いい医者になるかもしれないと思った。

 

夏休みには、部活の医体もあり、家庭教師のバイトは他の人に託すことができるとのこと。

お盆前には帰省してきて少しゆっくりできた。

いつものように初日は、近況を喋りまくる。

「友達はさ、休みになるとすぐ家に帰るんだよ。上げ膳据え膳で楽ちんだからって。」

というわけで、息子はお客様状態になり、ごろごろしてスマホをいじって過ごす。

 

余裕がない私大医学科は中高生より夏休みが少ない。

しかも、今回、息子は一科目再試になっていて早めに戻らなくてはならなかった。

試験自体は出るところが決まっているから1日やれば大丈夫と言い切っていた。

息子が言うには、授業をちゃんと受けていないとできない皆が落ちるような試験は得意なんだそうだ。

落としたのは過去問から出題されたもの。

疲れが出てきて一つだけやり残したところから出たとのことで、難しいものではないそうだった。

息子は要領は悪いが定着は良い方なので、勉強に関してはあまり心配していない。

病気も薬でコントロールでき、体力もついてきている。

でも、別のところに心配はあった。

 

息子は、これまで帰省してもほとんど友達と遊びに行くということがなかった。

「人づきあいも大事だよ。連絡とってみれば?」と母は何度も言った。

今回は、その母の忠告もきいたとのことで、なんといきなり幼なじみと飲みに行き、朝になっても帰ってこなかった。

「遅くなるよ。」のメールだけで、いつ帰ってくるのかと母は夜よく眠れなかった。

夫にも「もう子供じゃないんだから。」と言われ自分でもわかっているのだが、夜が明けてさすがに何の連絡もないので電話した。

案の定、息子は迷惑そうに電話に出た。

後で、

「近所の友達が集まってさ、おれ成人式行ってなかったから(二浪中でセンター試験直前だったから)ホント久しぶりで、飲み屋の近くの〇君ちの離れでみんなで夜通ししゃべってたんだ。」

と報告してくれた。

連絡しなかったのは悪かったとも言った。

まあ、確かに一人暮らししていればいつもこんななんだろうけど。

母にもなつかしい名前がいくつか出てきた。

 

心配はしたけれど、よかったと思った。

遊びに出かけて喜ぶというのも過保護な話である。

 

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これまで、じいとばあは、二階の部屋を寝室にしていた。
ケアマネさんも私も心配していたが、階段には手すりがついていてじいは自力で昇り降りすることができていた。
部屋を変えるとじいが混乱してしまうのではないという心配と、下の空き部屋は物置状態で使うことができないということもあった。

じいが入院した日の朝、じいは階段からずり落ちて、すねにけがをしていた。
もう階段を使うことは不可能だった。
早急に下の部屋を片付けなければならない。

客間のふすまを隔てた隣の空き部屋にカーペットを敷き、ベッドを置くことに決めた。
客間は、じいの道具類が並び、囲碁やハーモニカのお客さんが来る部屋である。
じいは下の始末が一人ではできなくなっていても、そういったお客さんの相手はできていた。
その隣の部屋なら、ふすまを開ければ使い慣れた部屋が見え、じいも安心して暮らせるだろうと思われた。

夫と春休みで帰省していた息子が片づけを手伝ってくれることになった。
片付け決行の日、実家へ行くと物置部屋の品物がかなり減っていた。
「え~?、ばあは一人で片付けちゃったの?疲れるのに。みんなでやればいいのに。」
と私は言った。
その後、別の部屋の押し入れから怪しげな健康食品類が山ほど出てきた。
ばあは、必死で言い訳をしていた。
これを隠したかったのかと思われた。
片付け始めると、じいが買った通信講座の教材も山ほど出てきた。
どれほどお金がかかっているのか。

生活費が足りないとせがまれ、かなりの仕送りをしてきた。
こんなものに費やしていたんだな。
昔からそういう人達だった。
私が中学生の頃、高額な健康布団を買って文句を言ったことがあった。
父母は「お試しだけだから。」と言った。
中学生でもそんなわけないでしょと思った。
その布団はずっと居座り続けた。
決して贅沢をするわけでないのだけれど、人が良くすぐ口車に乗せられ、つまらない浪費をする。
だから破産するとその後思ったし、そして破産しても変わらないんだなと、またしみじみ思った。

親は私にとって何十年も大きなお荷物であり、それでも愛すべき存在であった。


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