これまで、じいとばあは、二階の部屋を寝室にしていた。
ケアマネさんも私も心配していたが、階段には手すりがついていてじいは自力で昇り降りすることができていた。
部屋を変えるとじいが混乱してしまうのではないという心配と、下の空き部屋は物置状態で使うことができないということもあった。
じいが入院した日の朝、じいは階段からずり落ちて、すねにけがをしていた。
もう階段を使うことは不可能だった。
早急に下の部屋を片付けなければならない。
客間のふすまを隔てた隣の空き部屋にカーペットを敷き、ベッドを置くことに決めた。
客間は、じいの道具類が並び、囲碁やハーモニカのお客さんが来る部屋である。
じいは下の始末が一人ではできなくなっていても、そういったお客さんの相手はできていた。
その隣の部屋なら、ふすまを開ければ使い慣れた部屋が見え、じいも安心して暮らせるだろうと思われた。
夫と春休みで帰省していた息子が片づけを手伝ってくれることになった。
片付け決行の日、実家へ行くと物置部屋の品物がかなり減っていた。
「え~?、ばあは一人で片付けちゃったの?疲れるのに。みんなでやればいいのに。」
と私は言った。
その後、別の部屋の押し入れから怪しげな健康食品類が山ほど出てきた。
ばあは、必死で言い訳をしていた。
これを隠したかったのかと思われた。
片付け始めると、じいが買った通信講座の教材も山ほど出てきた。
どれほどお金がかかっているのか。
生活費が足りないとせがまれ、かなりの仕送りをしてきた。
こんなものに費やしていたんだな。
昔からそういう人達だった。
私が中学生の頃、高額な健康布団を買って文句を言ったことがあった。
父母は「お試しだけだから。」と言った。
中学生でもそんなわけないでしょと思った。
その布団はずっと居座り続けた。
決して贅沢をするわけでないのだけれど、人が良くすぐ口車に乗せられ、つまらない浪費をする。
だから破産するとその後思ったし、そして破産しても変わらないんだなと、またしみじみ思った。
親は私にとって何十年も大きなお荷物であり、それでも愛すべき存在であった。
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ケアマネさんも私も心配していたが、階段には手すりがついていてじいは自力で昇り降りすることができていた。
部屋を変えるとじいが混乱してしまうのではないという心配と、下の空き部屋は物置状態で使うことができないということもあった。
じいが入院した日の朝、じいは階段からずり落ちて、すねにけがをしていた。
もう階段を使うことは不可能だった。
早急に下の部屋を片付けなければならない。
客間のふすまを隔てた隣の空き部屋にカーペットを敷き、ベッドを置くことに決めた。
客間は、じいの道具類が並び、囲碁やハーモニカのお客さんが来る部屋である。
じいは下の始末が一人ではできなくなっていても、そういったお客さんの相手はできていた。
その隣の部屋なら、ふすまを開ければ使い慣れた部屋が見え、じいも安心して暮らせるだろうと思われた。
夫と春休みで帰省していた息子が片づけを手伝ってくれることになった。
片付け決行の日、実家へ行くと物置部屋の品物がかなり減っていた。
「え~?、ばあは一人で片付けちゃったの?疲れるのに。みんなでやればいいのに。」
と私は言った。
その後、別の部屋の押し入れから怪しげな健康食品類が山ほど出てきた。
ばあは、必死で言い訳をしていた。
これを隠したかったのかと思われた。
片付け始めると、じいが買った通信講座の教材も山ほど出てきた。
どれほどお金がかかっているのか。
生活費が足りないとせがまれ、かなりの仕送りをしてきた。
こんなものに費やしていたんだな。
昔からそういう人達だった。
私が中学生の頃、高額な健康布団を買って文句を言ったことがあった。
父母は「お試しだけだから。」と言った。
中学生でもそんなわけないでしょと思った。
その布団はずっと居座り続けた。
決して贅沢をするわけでないのだけれど、人が良くすぐ口車に乗せられ、つまらない浪費をする。
だから破産するとその後思ったし、そして破産しても変わらないんだなと、またしみじみ思った。
親は私にとって何十年も大きなお荷物であり、それでも愛すべき存在であった。
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