息子は夏休み中、家にいてもほとんど手伝いもしなかった。

暇があればスマホでゲームとかしていた。

子どもの頃、ゲームを全くしなかったのでまあ仕方ないかなとも思う。

自分のやりたいことをやることにしたというようなことを言っている。

子どもの頃は親の期待に応えようという気持ちが強かったんだろう。

確かにずっと、いわゆるいい子だった。

共働きだったので、5歳の時からお風呂の掃除とお湯入れをしていた。

お手伝いを嫌がることは全くなかった。

勉強しろなどと世話を焼く必要もなかった。

息子がわがままを言ったという記憶がほとんどない。

無理をしていたのかもしれない。

そして、息子は車に乗れるようになったので、母を全く必要としなくなった。

買い物も一緒には行きたがらない。

母の趣味に付き合うこともしなくなった。

 

これで普通なんだろう。今どきの若者になったんだと思う。

でも、夏休み中に、母が忙しい時に1回だけお昼を作ってくれ、洗濯も1回はしていた。

お墓参りや母の実家にもきちんと同行し、最低限の義理は果たした。

気が向けば母と色々な話もした。

十分だ。

これ以上何を望もう。

やっぱり家を離れてよかったのだと思う。

 

学校で息子は明るくなったと言われると言った。

考え方を変えて開けっぴろげになったということらしい。

息子は、自分は自閉的傾向が強いのではないかといろいろ調べてみたと言った。

そしてコミュニケーションスキルを研究したと言う。

息子のやり方とは違うが、母もそうやって社会適応してきた人間なので、息子の気持ちはよくわかった。

 

「家にいると、ぼけてくるからそろそろ戻る。」

というところで、高校時代の二浪友達が帰省したという連絡が入って、遊びに行くことになった。

で、1日長くいることになって、正直母はうれしい。

 

いいかげん子離れしろよともう一人の自分が言う。

そういえば、「親孝行しろ」とは昔から言われているし、それにちなんだ昔話もよくある。

しかし、子どもを大切にしてご褒美をもらうというような話はない。

それだけ、子どもをかわいがることが自然なことなのだ。

(現代はそれが崩れて問題が起こっているが。)

自分を振り返ってもやはり、子どものことほど親を思うことはない。

仕方ないのだ。思いは下へ下へと流れていき、返ってくることはないのだ。

だからこそ、あえて「親孝行」と言われるんではないかと思い当たった。

親というものは意識しないと大切にできないものだ。

 

自分は親であり子でもある。

自分の親は自分の行く末でもある。

 

この夏、ずっと「いい子」だった息子が自然体になったことを喜ぼうと思った。

 

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