日本最古の城 大野城/高橋紹運の岩屋城 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。

バスハイク🚌💨


四王寺県民の森

福岡県糟屋郡宇美町大字四王寺207


「宇美町」で「大野城」って事に戸惑っちゃう。

どうやらここは、大野城市と太宰府市と糟屋郡宇美町にまたがるんだそうな。

だけどさ、大野城っていうんだからいっそ全部を大野城市にしてしまって欲しい😣


大野城市の名前の由来となった大野城は、その名の通りお城なんだと。

そうなんだろうと思いながらも、どんなものか全く知らなかった🏯


天守閣のないお城で、なんと、日本最古のお城なんだって❗️

まぁ、どこまでを城と定義するかによって、吉野ヶ里を最古の城カウントしたりもするみたいだけども。

大野城は日本書紀に記録されているお城なので、正式に文献で確認出来る最古の城って事で差し支えないかと思われる。


古代史をやっているとよく耳にする「白村江の戦い」(日本・百済 連合軍vs新羅・唐 連合軍)。

古代の城は何かにつけて「白村江の戦いの後に築かれた説」があるけれど。

大野城こそがそうやって出来たお城なのね❗️

今更ながら、初めて知ったよ…。


ガイドさんの熱い説明を「へー!」っ聞きながらも、頻繁に飛んで来るツバメに気を取られる私。


巣作りの最中。


つがいなんだろう。時々2羽で鳴きあいながら、とまっては飛んで行きしていた。


あと、途中から「大野城」の下の方からトカゲがぴろぴろとくねりながら出て来たのでめちゃくちゃ気になった🦎


大野城跡はかなり広いので、全部回ろうとすると時間はかかるし、かなりハードな場所もある様子。

ガイドさんは歩かずにはいられない性分みたいで、ガイドさん自身はかなり頻繁に回ってるみたいだった。すごいわぁ。


私達はねもちろん、一部だけ行くよ!


増長天地区。


国外からの災いを払う為って事で建てられた「四王寺」。

毘沙門天・持国天・増長天・広目天のうち、南側の高所が増長天地区と呼ばれるんだと。


高床式倉庫が並んでいたらしい。

太宰府政庁の大切な食糧=米を保存していたと考えられている。


礎石が沢山並んでいる?


しばらく、10年位はずっとブルーシート敷いて見れない状態だったみたいだけど、2年前に綺麗に整備されたらしかった✨


高床倉庫跡の近くには、鏡ヶ池。

食糧と水!これが大事🙆‍♀️


「どんな渇水期でも水が絶えない」という言い伝えがあるらしいけど、実際にここを頻繁に通るガイドさんから言わせてみれば「しばらく雨のない日は干上がっていた」ってさ☀️


つい先日、神功皇后ゆかりの鏡ヶ池に行ったばかりだからそれを思い浮かべたけど、全く縁はなさそう。

てか、何で鏡ヶ池って呼ばれるのは分からないそうな。


ガイドさんが説明してくれている際、ここでは芋虫がうごうごしていて気になった🐛


多分ハクサンボク。


これは、ここであった岩屋城の戦いがあったことの碑。


書いてあるのをガイドさんが読んでくれたけど、分からない💦


裏は、高橋紹運の辞世の句。

高橋紹運!立花宗茂の実父だね。

福岡にいると、黒田と立花をよく見聞きするなぁって思う。知っとくと楽しい😊




山藤が良き。




こちらは、最初に見た増長天地区と違って整備されていない尾花地区。


けど、基本的には増長天地区と同じ、倉庫跡地。


黒くなった昔のお米が見つかったので「焼米ヶ原」という呼ぶらしい。




大野城は前述したように、外敵からの防御目的で作られたお城。

だけど段々と攻められる心配が薄れてきて、段々と使われなくなっていき、保存されていたお米も放置されるようになり…

山火事か何かで倉庫ごと燃えたんじゃないかという説もあるけど、燃えたりしなくてもそのまま土に埋もれて炭化したんじゃないかって説もあるみたい。


私は、焼けなくてもそんな風になるのか分からないので分からない。


どんどん歩くよ👟


天気も良いし、のどかな感じで大変良かった♪








さぁさぁ次は、城門礎石ですよ🏯


何度か作り変えられているらしい。


敵からの侵入を防ぐ目的ではなく、太宰府政庁が攻撃された際に逃げ込む用の場所だから、入りやすい構造なんだとか。








イメージ画。


次の場所へ向かう。

この橋、こんな人数大丈夫なのかとちょっとドキドキしたけど案外大丈夫だった🙆‍♀️


スミレかと思いきや違う。

おそらくキランソウって花。




ここだけ局地的に、すごく綺麗に整えてあった。


シャガ。


岩屋城趾

太宰府市観世音寺(しれっと市が変わっている💦)


見晴らしが良い場所。



話題には何度も出て来たけど行きはしなかった太宰府政庁跡も見えた👀


高橋紹運は、島津軍が何度も交渉に来たけれど応じず、全滅するまで戦ったらしい。

それを見事だと賞賛する意見もあれば、ほどほどのところで降参しておけばもっと助かる命もあっただろうにとする意見もある。




意地の張り合いをして、引くに引けなくなって破滅に向かうようなのは良くないと思うけど、

自分の気持ちに嘘をつきながら強いものに媚びへつらいながら生きる生き方も良いとは思わない。

悩ましいものだね。