筑紫神社
福岡県筑紫野市原田2550
祭神
筑紫の神 【ツクシノカミ】筑紫の国魂・筑紫の国号起源氏神様
坂上田村麿【サカノウエノタムラマロ】武家の神・必勝、戦いの神
玉依姫命 【タマヨリヒメノミコト】縁結び・子孫繁栄の神
坂上田村麿!
なんかすごく、学校の授業で聞いた覚えのある響き。
しかし、どういう人物なのか分かってない私である😅
玉依姫は、ここからそう遠くない宝満山竈門神社からの勧請。
ここの神職の方、太宰府天満宮と兼任らしかった。
境内には、稲荷大明神⛩
五所神社⛩
祭神
須佐之男命
櫛稲田姫
菅原道真公
伊耶那岐大神
少名彦名命
大正4年に原田・筑紫村内にあった五社を合体させたものらしい。
祭神被りがあって三柱の神様だったんだけど、昭和4年に更にプラス一社とニ柱合体し、祭神は五柱
筑紫の紫の字が独特だ!
色が一部黄色っぽくなった狛犬。
素材が違うのかなぁ。
手水舎がオシャレ。
遥かな古代、筑前・筑後を合わせて「筑紫の国」て名づけ九州を「筑紫の島」とさえ称した
ああ、かくも大いなる筑紫
ここはその発祥の地であり中心地である
だそうなんだけど、
筑紫神社
由緒
祭神を筑紫の神といい、筑紫の国魂である。
奈良時代の「筑後国風土記」の神話によると、『筑前と筑後の境となる山に荒ぶる神がいて、峠を往きかう人を多く取り殺していた。その神は人の命尽(イノチツクス)の神と呼ばれた。後にこの神を祀って筑紫の神と呼ぶようになった』 とされ、奈良時代以前から当社は在ったと推測される。
筑紫の語源は、当社の神号から起こった。
「筑紫」と、「筑前」「筑後」という言葉がいつ出来たのかが気になるところ。
上記を読むと、「筑前」「筑後」が先にあって、後から、その間にある狭い範囲を「筑紫」って呼ぶ事になっているような…。
今の「筑紫」野市は実際、大体そんな感じよね。
筑紫の神が白日別神(しらひわけのかみ)・五十猛命(いそたけるのみこと)という説もあるが断定はできていない。
って、神社の由緒に書いてあった。
白日別神は古事記見たらそうだねって思うけど、五十猛説の根拠が分からない。
例のごとく、御朱印帳を忘れた。
(でも、紙1枚の方が写真撮り易くはある。)
ナンジャモンジャの木!
岡湊神社にも木はあったけど、満開の時期に見てないから。花が見れて嬉しい。
招霊(おがたま)の木。
神社で使う鈴はこの実をモチーフにしてるとか。
神社で珍しくない木だけど、これだけ大きなのは珍しいから御神木ってしてるんだって。
ちょうどいらした神職さんに、みんなで質問ぜめしてた(笑)
以前はここに立派な松があり、それが御神体だったんだけど折れたかなにかで、碑のみ残して今はない。
筑紫氏の家紋。
昔は筑紫氏がここを管理してたけど、今は違うって。
対応してくれた神職さん、質問の受け答えがめちゃスムーズですごいなーって思った。慣れてらっしゃる。
日本に1家族しかないという珍しい苗字をしてらした。
息子が2人いるらしいから、そこから増えていくと良いねーって、そんな話してた。
松大路