筑紫の神を祀る筑紫神社 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。


筑紫神社

福岡県筑紫野市原田2550


祭神

筑紫の神 【ツクシノカミ】筑紫の国魂・筑紫の国号起源氏神様 

坂上田村麿【サカノウエノタムラマロ】武家の神・必勝、戦いの神 

玉依姫命 【タマヨリヒメノミコト】縁結び・子孫繁栄の神


坂上田村麿!

なんかすごく、学校の授業で聞いた覚えのある響き。

しかし、どういう人物なのか分かってない私である😅


玉依姫は、ここからそう遠くない宝満山竈門神社からの勧請。


ここの神職の方、太宰府天満宮と兼任らしかった。


境内には、稲荷大明神⛩


五所神社⛩


祭神

須佐之男命

櫛稲田姫

菅原道真公

伊耶那岐大神

少名彦名命

大正4年に原田・筑紫村内にあった五社を合体させたものらしい。

祭神被りがあって三柱の神様だったんだけど、昭和4年に更にプラス一社とニ柱合体し、祭神は五柱




筑紫の紫の字が独特だ!



色が一部黄色っぽくなった狛犬。


素材が違うのかなぁ。


手水舎がオシャレ。



遥かな古代、筑前・筑後を合わせて「筑紫の国」て名づけ九州を「筑紫の島」とさえ称した

ああ、かくも大いなる筑紫

ここはその発祥の地であり中心地である

だそうなんだけど、


筑紫神社

由緒

祭神を筑紫の神といい、筑紫の国魂である。

奈良時代の「筑後国風土記」の神話によると、『筑前と筑後の境となる山に荒ぶる神がいて、峠を往きかう人を多く取り殺していた。その神は人の命尽(イノチツクス)の神と呼ばれた。後にこの神を祀って筑紫の神と呼ぶようになった』 とされ、奈良時代以前から当社は在ったと推測される。

筑紫の語源は、当社の神号から起こった。



「筑紫」と、「筑前」「筑後」という言葉がいつ出来たのかが気になるところ。

上記を読むと、「筑前」「筑後」が先にあって、後から、その間にある狭い範囲を「筑紫」って呼ぶ事になっているような…。

今の「筑紫」野市は実際、大体そんな感じよね。


古事記では、イザナギ・イザナミは最初に淡路島産んで、四国産んで、3番目に九州を産むんだけど、名前は「筑紫嶋」ってなってるんだよねー。

そして、筑紫嶋には顔が4つありそれぞれに名前がある。筑紫国は白日別という名前なんだって書いてある。
だから、九州は「筑紫嶋」と呼ぶし、それを4つにわけたうちの1つが「筑紫国」。
福岡県と福岡市の関係の、ひとまわり大きいverみたいな。




筑紫の神が白日別神(しらひわけのかみ)・五十猛命(いそたけるのみこと)という説もあるが断定はできていない。


って、神社の由緒に書いてあった。

白日別神は古事記見たらそうだねって思うけど、五十猛説の根拠が分からない。






例のごとく、御朱印帳を忘れた。

(でも、紙1枚の方が写真撮り易くはある。)


ナンジャモンジャの木!


岡湊神社にも木はあったけど、満開の時期に見てないから。花が見れて嬉しい。


招霊(おがたま)の木。

神社で使う鈴はこの実をモチーフにしてるとか。

神社で珍しくない木だけど、これだけ大きなのは珍しいから御神木ってしてるんだって。

ちょうどいらした神職さんに、みんなで質問ぜめしてた(笑)


以前はここに立派な松があり、それが御神体だったんだけど折れたかなにかで、碑のみ残して今はない。


筑紫氏の家紋。


昔は筑紫氏がここを管理してたけど、今は違うって。


対応してくれた神職さん、質問の受け答えがめちゃスムーズですごいなーって思った。慣れてらっしゃる。

日本に1家族しかないという珍しい苗字をしてらした。

息子が2人いるらしいから、そこから増えていくと良いねーって、そんな話してた。










松大路