和気清麻呂を祀る山 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。


最後に行ったのは、上宮のある小椋山(亀山)とはまた違う山、大尾山のエリア。


表参道大鳥居を潜って左を見ると、早くも、御皇神社と大尾神社の看板がある。


結構距離がある。

途中を右に曲がったところが頓宮。


ずーっとまっすぐまっすぐ行くと、ちょっとした太鼓橋?があり、狛犬の特にでか灯籠。



ちなみに、小椋山も大尾山もそんなに高くない。


…とはいえ、若杉山(1020m)や宝満山(829m)、あるいは金毘羅山(468m)、稲荷山(233m)なんかをしれっと登ってきた私から見てなので、あてにしないで欲しい。


これ位の階段はあるから、ちょっと気合い入れて登る必要はある。


階段登り切った先にはドドンと「和気公之碑」。


和気公之碑

神護景雲三(七六九)年の宇佐八幡宮神託事件で、万世一系の皇統を護持し奉った和気清麻呂公を顕彰するため、戦争日本海海戦の連合艦隊司令長官であった東郷平八郎元帥が揮毫し、大正四 (一九一五)年に建てられた記念碑です。


宇佐八幡宮神託事件は、奈良時代の神護景雲3年(769年)、宇佐八幡宮より称徳天皇(孝謙天皇の重祚)に対して「道鏡が皇位に就くべし」との託宣を受けて、弓削道鏡が天皇位を得ようとしたとされ、紛糾が起こった事件。


私この事件、うっすらとしか知らないながらに、「道鏡が皇位を狙った」って認識だった。

でもなんか、どっちかというと当時の天皇が道鏡に継いで欲しかったっぽいね?


48代称徳天皇は、46代孝謙天皇と同一人物の女性天皇。

この時代、天皇となるべき男性がなかなか定まらず大変な時代だったみたい。

沢山の皇族が死んでいる。

そんな身内争いのど真ん中にいた天皇が、自分が病気した際に看病してくれ、それ以降自分を支えてくれる男性に政治を任せてしまいたいって思うのは、自然な事のように思う。


だから私個人的には、道鏡を悪人とは言いきれない😅

(神功皇后辺りでも、一旦途切れてるんじゃないかって私は密かに思っているし、なんなら武内宿禰の子が天皇になってるかもよとか思ってたりもする。)


でも、当時としても現代の一般的な日本人の感覚としても、天皇の血を引いてない人物が天皇になるなんてありえない。 


で、改めて和気清麻呂が宇佐神宮に行き「わが国は開闢このかた、君臣のこと定まれり。臣をもて君とする、いまだこれあらず。天つ日嗣は、必ず皇緒を立てよ。無道の人はよろしく早く掃除すべし」という神託を貰って大和に持ち帰った。

和気清麻呂は怒った称徳天皇に左遷されたりしたんだけど、称徳天皇が亡くなった後、忠臣として讃えられて今日に至る。


猪型の石、比較的最近奉納されたらしい🐗


猪だ😆😆😆



さてさてこちらは、大尾神社。


扉には「ご自由に開けてお入り下さい」って書いてあった。


すぐ近くの小椋山に大きく祀ってあるんだからこっちには必要ない気がするんだけどね。

なんかどうも、本殿にあったときじゃなくて一時的にここに鎮座してた時に和気清麻呂は例の信託を受けたらしい?

ふーむ。


宇佐神宮周辺のこの、政治の思惑の渦巻き具合よ。


それはそうとして、空気は清くて良いところ。


描き忘れてたけど、こことあとは、菱形池の空気感が良かったよ。


落ち葉の具合が好きで、秋に来れた幸せを感じたよ。


というとけろで、宇佐神宮編終了。