宇佐神宮に行って来ました!
本当は、大分県立歴史博物館であっているという「特別展 宇佐神宮」を見る為に、開催期間中に宇佐に行こうってしたのだけれど、
電車とバスの本数が少ないのと、
宇佐神宮から博物館まで行く公共交通機関がなくて30分以上歩くかタクシー使うかって選択肢になるのと、
宇佐神宮だけでも情報量多くていっぱいいっぱいになったのとで、
宇佐神宮に行ったのみで宇佐を去りました🚃💨
思った以上に楽しくてテンション上がったのが宝物殿!
(中は撮影禁止だったので、宝物殿の外で、宝物殿で買った冊子をパシャリ📸)
1番「これは…っ」てなったのは、なんといっても八幡宇佐宮御託宣集📚
ひと巻(冊子じゃなくて巻物)が、最初の方だけ見える形で展示してあった。
私がその事に気付く前、男性が「すごい…っ!」って、小声ながらにめちゃくちゃ気持ちのこもった独り言を呟いてたのを「何をそんなに」って思ったら、室町時代に書かれたというそれだった😆
私も、心の中で「すごい…っ!」って言っちゃったよね。
(宝物殿のチラシの写真。現地で見たのは上記とは別の部分。)
崩し文字とかでもなく、とても綺麗な字だから読み易い!
完全に意味が分かるわけじゃないんだけれども、私が見た部分、景行天皇、ヤマトタケル、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇の名前が書いてあってときめいた✨
あ、そんなガッツリ書かれてるんだ⁉︎って。
私はてっきり、宇佐に顕現してからの事ばっかりしか書かれてなくて、応神天皇のことは「現れた神様は私は応神天皇だって名乗りました」程度で、生前の、応神天皇としての事なんてほとんど書かれてないんじゃないかと思ってすらいたけれど、まさか景行天皇の事から書いてあるなんて。
景行天皇から応神天皇までが好きな私としては、なんかもう、なんか、嬉しかった😆😆😆
と言っても、見れたのはほんの一部なので、実際に、全体からしたらほんのわずかしか書かれていない可能性は十分あるわけだけど。
でもそれはそれで、神功皇后とかの方にこそ興味がある私向けに貴重な部分を見せてくれたって感じがして良い。
八幡宇佐宮御託宣集、印刷されたりとかして誰でも読める状態にとかはなってないのかなぁって、宇佐に来る前々からずっと思ってはいるのだけれど、どうなんだろうか。
全十六巻あるらしいから読むのも一苦労だろうから、あってもおいそれとは読めないけどね〜。
そして私はどちらかというと、死んで神になった後ではなくて生きて活躍している、神功皇后についてを研究したいのよ。
(宝物の出入口にスタンプがあったので押した。)
それともう1つ「おお!」ってなったのは、江戸時代に書かれたという、仲哀天皇が沢山(◯万)の塵輪(新羅からやって来た鬼)と戦う様子が描かれた絵!
仲哀天皇はこの戦いで亡くなる事になったし、亡くなる前に、神功皇后に新羅出兵の意思を託したと伝わるらしい。
…んだけど、塵輪が来たっていうのは作り話だってな風に説明されてて、何でよ⁉️ってなった😡
いやでももしかしたら、新羅から兵がやって来た事が嘘なんじゃなくて、鬼って事が嘘って事だったのか、沢山ってのが嘘って意味だったのかもしれない?
展示物の写真が撮れなくて、私の記憶だけじゃ曖昧💦
まあとにかく。
宇佐神宮も、仲哀天皇が新羅兵と戦ってたし仲哀天皇が海を渡りたいと思っていたけど志半ばで死んだという話を残していると知れたので、私的には嬉しい☺️
何故宇佐に八幡神が顕現したのか、何故それが応神天皇なのか。
宇佐神宮で見た色々なものから改めて私は考えた。
きっと、違う考えを排除するのではなく、取り込もむことを選んだ結果なんだろう。
一神教ではあり得ないおおらかな宗教観。
これについては、もっとちゃんと、色々な資料を用いながら、筋道立てて書いてみたい話題。
さて、次回からは宇佐神宮を細かく区切りながら書いていくつもりだけど、宇佐神宮に行くまでの部分もちょっと楽しかったから、今日はそこまで書く✏️
宇佐をローマ字で書くとUSAってのをネタに、アメリカの国旗みたいなデザインかつ、あくまでも宇佐神宮な駅のマーク🇺🇸
お昼はジョイフルで食べたんだけど、その向こうに見える山⛰
イカしたUSAの看板😆
神輿推し。
神輿発祥の地宇佐!
神仏習合発祥の地でもあるってさ。
駅の前の道沿いにあったお人形達。
「ようこそヒーリングスポット宇佐へ」
いやwww何😆😆😆
笑わせてもくれた宇佐でした☀️
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