◇人生こそ無始無終の行、、
二千日回峰を満行した、酒井阿闍梨は今、深い感慨の中で、
「天台宗に偶然拾われて出家し、行というものにめぐり逢えたからこそ、わしのような『落ちこぼれ人間』もここまでこれたんや」
と仏縁に感謝し、「人生こそ無始無終の行」という。
「行には、始めもなければ終わりもない。死ぬまで行をやるだけだ。回峰行は人生の旅と同じで、谷もあれば山もある。雪や雨の日もあれば、爽やかな日もある。人生と同じや。そのときそのとき精一杯生きていれば、その人の人生にとってマイナスなんて何もない。どんな些細なことでも後になって役立つのよ。人間は積み重ねや。まず第一歩を踏み出さなければ何も生まれん。わしは千日回峰をやってそれを知った。わしのようか落ちこぼれでも、仏によって救われた。人間、ほんとは落ちこぼれなんてないんだ。それは学校の先生やまわりがいうことであってね。これが問題や。みんなそれぞれ違うんだから、それぞれ違った生き方があっても不思議ではない。そこが原点やね。本然(ほんぜん)に返れというのが仏教です。原点に返ることが、全ての基本にならないといけないわけね」
酒井忠雄は「歩く」ことに自分の生き甲斐を見出して、昭和の「生き仏」となった。人間は誰でも何か一つはとりえがある。そして「こころ」があるかぎり、どんな修羅の過去をもとうとも、その『とりえ』を生かして自分の人生を、発見し、たゆまず努力するかぎり、この世に『落ちこぼれ』という人間は存在しないことを、酒井雄哉大阿闍梨は自らの生きざまを通して教えてくれる。
酒井阿闍梨が、家出同然で飛び出して、比叡山の小林隆彰師のもとを訪ねて、住み込みさせてもらった三十八のとき、帰る際に、小林師からもらった『一枚の宿題』を大切に持っている。
紙の真ん中に「日」、四方に「東」「西」「南」「北」と書いてある。
「宿題として、この意味を考えなさい。ヒントは聖徳太子さんが昔、言った言葉だ。というんだ。それからその紙をずっと持っていて、考え続けた。聖徳太子さんが言ったのは、「日出ずる国」。ここは太陽が昇る国。この国にお前はやってきた。何しに来たんだ。何のために生まれてきたんだ。それを問え、ということだろうかと。
比叡山に行った。それは何のためかと。自分の心にそう問うと、お経をさぼったり、写経をごまかさそうとするなんて、なんと恥ずかしいことをしたもんだなあと、思ったんだ。じゃあ、自分は何をしたらいいのか、何をすべきか、、、。何をやるにしても「何のために、何をもって」と考える。これが意外に奥が深くて、何でも通用する。「一隅を照らす」とはそのことなんだよ。「温故知新」も、故を温ねて、新しきを知る。これからどう生きるか、、、というのが温故知新のほんとうの意味だからね。
「東西南北」の宿題を小林師からもらってから十年あまり。その間に叡山学院へ行って、百日回峰行をやって、いろんな細かい行を終わって、昭和四十九年四月一日に、無動寺谷宝珠院の住職を拝命した。その際、辞令を天台座主に渡す役をしたのが、だれあろう、わしに「東西南北」の宿題を出した小林師その人だった。わしは「そういえば、あの時に宿題をもろうて、答えを出していない。答えを出さずに住職になるわけにはいかない。義理が立たない」と思った。
「先生」と、お守りみたいに持っていた先生にもらった紙を出して見せて「これ先生に宿題をもろうたものです」って言ったら、先生、忘れちゃっているんだよ。
「うん?」と首をかしげながら紙を見て、「おお、これはおれの若い頃の字だよ」なんて言ってる。
「あの時、ぼくがずるした一字抜けの般若心経で、今までお前を信用していたものがゼロになっちゃった。ここへ何しに来たのか?と言うために『東西南北』というものを書いたんじゃないですか。お前は住職になった。さあ、お前は何をしていくかってことを、仏さんの前で示していけと」
というようなことを夢中で言った。「先生、合っていますか」と。そしたら「おう、そうか」と、それについて良いとも悪いともいわず、そのままスーッて行っちゃたんだ。
最近になって、小林師と二人になった時にまた聞いてみた。「先生、ぼくが住職になった時に、東西南北の答えを言ったら、先生『おう、そうか』って黙って行っちゃいましたけど、あれどないなりましたか」って。
「そんなことはどうでもいい」って言うの。「答えを出したらお前それおしまいにしちゃうだろう。永久に考えてろ」って。
自分なりに腑に落ちると、人はついそこで考えるのをやめにしちゃう。でも、答えが分からないといつまでも考えるだろう。肝心なのは答えを得ることじゃなく、考え続けることなんだな。(一日一生 天台宗大阿闍梨・酒井雄哉)
❖95歳になられた、小林隆彰大僧正・滋賀院門跡は、果たして酒井雄哉大阿闍梨に何をみたのか、その答えが何なのか、興味は尽きませんが、おそらく、「永久に考えてろ」と仰るような気がいたします。
ただ、小林師は若僧の時、全国を托鉢に行脚し北陸に滞在し一晩の宿を頼んだ際に、その家の老主人から一枚の古びた紙を見せられ、その意味を問われたことがあります。その紙には、
日東西南北と書かれており、小林師は、老主人に対し「お前たちはここに何をしにきたのか」とご下問ですか、と答えたことがあったことを自著で述べておられます。(夢一乗)
「阿闍梨に魅せられて 酒井雄哉大阿闍梨」62回にわたり、酒井雄哉大阿闍梨の二千日回峰行の足跡を辿りました。次稿からは、「二千日回峰行」と「十二年籠山行」を終り、山を下りることを許された酒井阿闍梨が、日本各地、世界各地に行脚して廻る姿を、書籍の中の阿闍梨の言葉とともにご紹介させて頂きたいと思います。
☆酒井雄哉大阿闍梨の正式名の「哉」の文字の「戈」は「弋」でありますが、「哉」で統一させて頂きました。
第一部 完
次回、阿闍梨に魅せられて 歩き続ける酒井雄哉 『東(あずま)下り』
参考文献
生き仏になった落ちこぼれ 酒井雄哉大阿闍梨二千日回峰行
長尾三郎 著 講談社文庫
一日一生 天台宗大阿闍梨 酒井雄哉
酒井雄哉 著 朝日新聞出版