気ままに吐露トロ -10ページ目

気ままに吐露トロ

あれこれ好きなことを、覚え書き。

『トキヤなら、まず、褒めに弱いだろ?』
『うん』
どこまでもストイックなトキヤは、およそ己のことに関して、向上心を満足させることはない。
その実力に正比例してプライドも高く、お世辞や裏のある賞賛は鼻にもかけないくせに、真面目すぎるきらいがあるから、正面から真っ直ぐに褒められるとどうしていいのか分からなくなってしまうのだ。
褒められて当然と、その自負はあるはずなのだが、素直な賛辞をてらいもなく受け入れることに慣れていないようで。
持って生まれた容貌はともかく、健康管理から体型維持まで常に気をつけている容姿はもちろん、歌唱力もダンスも勉学も料理も、とにかく努力している事柄全てに関して、トキヤは自信を持って控えめだ。
頑張ってはいる、それなりの自信もある、けれど、それをひけらかしたりはしない。
しない上に、気軽に話しかけられない硬質で低温の気配をいつも身に纏っているから、他の気安い友人たちのように『素晴らしかったよ』なんて肩を叩いて声をかけることなんて出来ない。
だから、トキヤが褒められてないのは、自業自得、なのだけれど。
『まずは、イッキがイッチーの好きなところを、伝えてみ?』
瞳でも声でも容姿でも、なんだったらその存在そのものでも。
『いつも、言ってるんだよ、上手いねとか美味しいねとか。でも、”そうですか”で終わりなんだ』
音也の言葉にも態度にも裏や嘘などないと、トキヤだってきっと分かっているのだろうけれど、今さらトキヤにだって自分を変えられないのかも知れない。
『ならさ』
戯れつきながらじゃなく、無理に押さえつけてでもきちんと正面から見つめて、
『どこが好きなのか、なんで好きなのか、音也の言葉で伝えるんだ』
それも
『なるべく、綺麗なものに例えて、ね』
朝露を弾く深緑の瑞々しさとか、夜空の天鵞絨にちりばめられた星屑とか、ビスクドールのような完璧に整った容姿とか、天国へ誘う天使の囁きのような声とか。
『要は作詞と同じだ、思うことを思いつく限りの言葉で表現すればいいのさ』
そういわれても、やはり音也は作詞は苦手で、春歌の曲があればこそ、気持ちをそのメロディに乗せることが出来るけれど、そうでなければ気のきいた台詞なんて浮かんでこないのに。
けれど、そのレンの例えは、いつも彼の言う『子羊ちゃん』たちに向けているものとはなんだか少し違ったような気がしたので、
『そうやってマサを口説いてんの?』
うっかり、訊いてしまったのだ。

あの狼狽えぶりは、なかなか見られるものじゃなかったなと、トキヤのことを考えているのと同時にどこか頭の隅で思って、音也はふふと笑いを漏らした。
びきっと固まって、それでもほんの瞬き1回くらいの長さだったのは、さすがはレンということか。
でも、そのあと少しだけ、なんで聖川を、とか、いやその前に俺は子羊ちゃんしか口説かないし、とか、音也に聞かせるわけでもなくブツブツと呟いて、それは多分、呼吸3回分くらいだっただろうか。
『俺のことはいい、今はイッキのことを話してんだよ』
あっさりそう戻ってきたのは、まだ翔が那月をうるさがっていつもの攻防戦を繰り広げている頃だった。
ぎゅーってして、それだけでいいのかと訊かれたら、もちろんそれでいいと思うのも音也の本心だけれど。
でもやっぱり、ぎゅーってするその自分の腕の中でトキヤがふうわりとほぐれてくれるといいなと思うし、出来れば偶然を装ってではなくちゃんとトキヤの、髪や頬や首筋やそれ以外のあちこちにも触りたいし。
欲を言っていいのなら、トキヤにもぎゅーって抱きしめ返してもらいたい。
でも本当にそんなことを、伝えてもいいのだろうか。
伝えて、トキヤに嫌がられたりしたら、同じ部屋にいるなんて拷問に近い、と音也は思うのだけれど。
あまり他の生徒は知らないっぽいけど、トキヤはとても優しくて、少しさみしがりやで、甘え下手な血統書付きの猫のようだから、もしかしたら。
…ぎゅーって抱きしめるよりも、ほんわりと抱え込んであげた方が、いいのかなあ?

未だ成長期真っ直中、見るものが見れば、その骨格から音也はもっとガタイがよくなるだろうことは容易に想像出来る。
反してトキヤは、決して(翔のように)小さいわけではないが、完璧なカロリーコントロールの賜物か肉付きが薄く、もともとの造りもほっそりしているので、背に比してその体格は華奢な感じがある。
あまり骨張っていると、抱き心地はよろしくないのだが…というレンの個人的な意見はともかく、邪心はないにせよ、音也がトキヤを抱きしめるというかスキンシップをしたがっているということは、とりあえず明白となった。
「ぎゅー、はいいけどさ?」
レンはまた、幾分声をひそめ、テーブルと懇ろになりたがる額をあげて、がんばった。
「ぎゅーって出来たら、それだけでいいの?」
「へ?」
レンの言いたい、というか続けたいその先の内容が分からないらしい音也は、きょとんと瞳を見開いた。
そういう表情をすると、純朴さも相まって、年齢よりも幼く見えてしまう。
トキヤも好き、カレーも好き、トキヤは大事、ギターも大事、そんな、好きや大事に区別があるなんて知らないような。
「ぎゅーって」
ふと、レンは声を落とした。
「抱きしめて」
『身体中、指と手で触って、キスして、舐めて、』
耳元に落とされるレンの声は、まるで媚薬だ。
『音也をぶち込んで、奥まで突いて、ぐちゃぐちゃに掻き混ぜて、トキヤん中で蕩けたくない?』
吐息のような囁きは、耳をそばだてている翔にも聞こえなかったはずだ。
その時には、その言葉は音としては聞こえていたものの、ちゃんと意味を持ったものではなかった。
「ま、お子さまにはちょーっと早かったかな?」
なんて人差し指と中指を揃えてこめかみの辺りでふっと振り、ウインクまで付けて、レンは立ち去っていったけれど、音也はしばらく、動けなかった。
翔が慌てて、数瞬だけ音也を気にするように見てから、でもやはりレンが何を言ったのかが心配で後を追い、那月はもちろん、翔のいるところへ一緒に移動して。
ひとり残された音也は、例えばいきなりパンクロックで叫ばれたような、何を言われたのか分からなくて戸惑うような感覚の中、脳裏の中にトキヤを探してさ迷っていた。
トキヤなら、歌唱力はもちろん学力でも群を抜いて成績のいいトキヤなら、きっと今レンが何を言ったのか、理解出来るだろう。
理解して、噛み砕いた言葉で音也に教えてくれるだろう。
なのに、なぜかトキヤにそれを訊いてはいけないと思えてしまうのは、きっと言われた言葉の対象がトキヤだからだ。
ぎゅーって、して。
して、それから。
それから?
ふと、周りのざわめきが気になり、だからちゃんと考えられないんだと音也は思い、寮の部屋に戻ることにした。
そして。
トキヤを部屋で待っている間中、何度も何度も、音也の耳に落とされたレンの言葉がトキヤの頭の中で繰り返されていた。

「宿題は、もう済ませたのですか?」
凛としていながら、どこか穏やかに丸みを帯びたトキヤの声が、音也は好きだ。
バイトのあとは、おそらく本人は隠しているつもりだろうが、けれどそこには近しいものだけが分かる程度に疲れが滲み、少しだけ、そう、固定されたピアノのキーでは表せないがギターでならば出せるような、フラットになるほんの少し前くらいほどに音程が下がり、そして湿度も低くなるため、僅かにハスキー気味になる。
学園内ではどこか角張っていて、容易に触れさせない雰囲気を纏っているが、寮のこの部屋の中だけでは、トキヤは少しだけ、トキヤになる。
話しかけられたり触れられたりしないように幾重にも張り巡らされた鎧も、作られた能面のような表情も、硬く他人を拒絶するような声音も、全てとは言わないまでも、音也しかいないこの空間でだけは、薄くなる。
そんな些細なことが、嬉しいと思うようになったのが、いつからなのか音也自身にも分からない。
邪険にされても、迷惑そうに柳眉をひそめられても、それでもトキヤの近くにいたかったから、時なしに戯れついた。
もしかしたら、音也のその気持ちを一番に分かってくれるのは那月かも知れないな、なんて頭の隅で思ったほどだ。
本当にダメな時には、トキヤはきちんとそう言ってくれる。
だから、そうでない時は、迷惑そうなふりをしつつもちゃんと受け入れてくれるワケで、本音の本音ではきっとちょっとくらいは面倒だなあと思ってはいるのだろうけれど、邪険に扱うふりの下にあるトキヤの許容に、音也は甘えきっていた。
「今日は、そんなに難しくなかったから」
出される宿題は、音楽関係だけではない。
アイドル・作曲家の養成専門学校だから、授業内容も課題や宿題も、おそらく他の学校に比べれば音楽関係である割合は多いが、それでもだからといって他の科目を蔑ろにしているわけではない。
国語をはじめ、古典や漢文はその言葉の奥深さを、数学や化学は音階を理解するのに必要なロジックを、歴史は音楽が生まれてから今なお必要とされ愛されている理由を、それぞれきちんと学ぶことが出来る。
それらは知らなくてもそれなりに過ごしていけるが、知らないよりは知っている方がいいというのは当然で、歌うにしても作曲するにしても、知識は決して邪魔にはならないというのが根底にある。
特に、アイドルコースを目指すものにとっては、歌詞の裏に込められた意味を汲んで歌うことだけではなく、トーク番組はもちろんドラマに出演することになれば演技力等も要求されるし、そのためには『その場に応じた受け答え』が出来る方が望ましいに決まっている。
総じて、だから、出される宿題は多岐に渡り、勉学に関しては落第点すれすれの音也にとって、宿題は少なければ少ないほどいいという部類に入る。
それでも今日は、皆無とはいかないまでも、出されたものはそれほど難しいものではなく、だから、いつもはバイトに行くと消灯ギリギリかむしろ深夜に戻ってくることがほとんどであるトキヤが、音也がまだ起きている時間、しかも、明日の準備まで万端に整えられた時に帰って来たことは、幸だったのか不幸だったのか。
「ねえ、トキヤ」
おそらくは音也の睡眠を妨げることがないよう、机に向かうより先に浴室を使ったトキヤを、音也は捕まえた。
「俺、トキヤを、欲しがっても、いい?」
椅子の背もたれ越しに抱きしめるだけではなく。
ちゃんと視線を交わせる位置から。
「欲しいって、言っても、いい?」

「それで、何を吹き込まれて来たんです?」
珍しくも音也の就寝時間前にバイトから戻ってきたトキヤの背中を、音也は壁に押し付けた。
風呂から上がったばかりだというのに、きっちりとパジャマのボタンは一番上まで留められている。
とはいえ、制服などのシャツに比べれば、首周りに余裕があり、鎖骨の真ん中のくぼみも見えているのだが、留められたボタンと覗くその肌の差に、
『こういうの、煽られるって言うのかなあ』
音也は暢気に考えていた。

「イッキはさ、ぶっちゃけ、イッチーとどうしたいワケ?」
春歌と友千香という、ある意味ストッパーが退席した直後、レンは音也に訊いた。
異性の目がなければどこまでも下品いやむしろ無品になるのは、芸能界を目指す者たちとて同じだ。
むしろ、恋愛禁止と堂々と校則に載っているがために、オープンに出来ない分、底が深くなってしまうのかも知れない。
そのあたりのギリギリラインをじょうずに渡り歩いているのの、意図的代表がレンであり、無意識代表が那月であるのだが。
「どうしたいって、よくわかんないんだけどさ」
んー、と少しの間視線を宙にさまよわせてから、音也は続けた。
「例えば、ぎゅーってしたり、ぎゅーってしたり、ぎゅーってしたり、そうしても嫌がられたり不機嫌な顔されたり、そういうのがないといいなーって思う」
…わんこだ。
わんこがいる。
あまりにも自分の期待した答えからかけ離れていたおかげで、レンはむしろ冷静になってしまった。
というか、レンとしては、最終的なことまではしていなくとも、せめてキスくらいは済ませているだろうと、踏んでいたのだ。
例えそれが軽いバードであれディープなフレンチであれ、いっそ『アクシデント的に触れちゃいました』みたいなことでもいいからあってほしいと願っていたのかも知れない。
それなのに。
ぎゅー、ですか。
子羊ちゃんたちが見惚れる綺麗な指先で額を抑える仕草さえ様になってしまう、神宮寺レンである。
彼らを取り巻く数多のテーブルから、さざめくようにレンへの憧憬が広がるのに気付いたのは、悲しいかな、那月からの鬱陶しいほどの愛情を躱そうとしていた翔だけではあったのだが。
「あのね、一十木音也くん」
指先を額から離さず、視線もテーブルにロックオンしたまま、それでもレンは続けた。
「ラッキーなことに、イッチーがイッキの『ぎゅー』を、嫌がったり不機嫌な顔をしたりしないで受け入れてくれたとしよう」
「え、ほんと!?」
「いやだから、例えばだから」
「例えば…ああ、うん、そうだね」
喜色満面になったかと思えば、がっくりと落ち込む。
わんこは喜怒哀楽が素直だ。
素直というか、でかいわんこほどそれは激しいというか。
無関係の立場を決め込んでしまえば、結構な娯楽にはなるんだけどなと、すでに傍観者を決め込んでいる翔は、レンと音也の会話を聞いているのかいないのか分からない那月に戯れつかれ、これからがおもしろいんだから黙ってろと、無言で示した。
ちなみに、どこまでもマイペースで翔をぶん回しているというイメージが那月にはあるが、実はここぞという時には翔のひと睨みが那月をおとなしくさせているという事実を知っている者は、おそらく五指に満たないだろう。
ともあれ、那月を黙らせ、翔はレンとトキヤの会話に集中した。
「で、だ。ぎゅーってするだけで、イッキは満足なのかな?」
それは、『今日のランチは美味しかったかな』っていうのと同じくらいの軽さで、でもだから、どこまでも素直な音也は裏の意味すら考えずに答えたのだろう。
「満足だよ」
その瞬間、レンの額がそれを支えていた指先からずり落ち、がっつんとテーブルに激突してしまったのは、仕方がないことだったと、後から考えても翔は思う。
そんなレンに気付かないのか、音也は嬉しそうに続けた。
「だってさ、トキヤっていっつもしかめっ面だし、話しかけても5回に1回くらいしか答えてくれないし、もともとバイトが忙しいみたいでほとんど部屋にいないし、だから、全然話せてないっていうかさあ」
そのあたりでほんの少し視線が足元に向いたものの。
「でも、だからさ、ほんのちょっとでも笑ってくれると、ドキドキするくらいに嬉しいんだよね」
にっこりと笑いながら言われてしまえば、そうですかと納得するしかなくなってしまう。
カロリー計算までして体型を維持するトキヤだから、料理だって結構出来るのだろう。
日向先生には『ハートがない』という理由で低い点数をつけられてはいたが、リズム感も音程もスバ抜けて優れているから、例えそれが鼻歌であっても上手いのだろう。
けれど、どこまでも自分に厳しいトキヤにとっては、それは当然というよりも未熟とすら思っている可能性もあり、でもだからこそ、裏のない音也の賛辞に『そんなはずはない』と己を律しながらも喜んでいる自分が許せないのかも知れない。
素直な称賛を受けて無自覚のうちに頬がほころび、それに気付いて不必要なほどにキツい態度を取るトキヤと、直前に見たトキヤの微笑に目も心も奪われ、嬉しくて仕方がなくてトキヤに戯れつく音也。
あまりにも容易にその場面が思い浮かんでしまい、期せずしてレンと翔は同時に肩を落とした。
 

「ならさ、イッキ」
もっとその先のトキヤを、知りたくねぇ?
『悪魔の囁きだ』
ぼそりと音也の耳元で囁かれたレンの台詞を、うっかり聞き取ってしまった友千香は、そう思った。
もともとレンは、女性を喜ばす言葉を、それはもう大判振る舞いで口にするが、けれどそこに内実が伴っていないことは、本人はもちろん群がる『子羊ちゃん』たちもちゃんと認識している。
だからこその軽口だと暗黙の了解もあり、恋愛禁止な学園内でも大目に見てもらえているのだろう。
けれど。
純真素朴な音也と、真面目が服を着ているようなトキヤとで、そう唆してもいいものなのか。
端から見ていても、『トキヤ大好き!』と見えない尻尾をブンブン振っている音也だけれど、それは友人としてであり、恋愛感情などはない、はずなのだ。
「その先って?」
「そりゃもう、めくるめく甘~い愛の世界」
興味津々に訊ねる音也と唇の端を気障ったらしくあげてほくそ笑むレンの、ぼそぼそと続けられる会話に友千香はこめかみが痛くなる気がした。
何よりそもそも同性だろう!?と、そこに問題を抱かないヤツらは、やっぱり常識が欠落しているんだと思う。
「何のお話をされているんですか?」
次第に音量が大きくなるふたりの会話に、春歌が気付いたらしく、小首をかしげて会話に加わる。
「お子さまなイッキに、大人なレンさまからの、恋愛指南」
だからぺらっと言うなそんなこと!
という友千香の心の叫びは届かず、
「イッキが大好きなイッチーと、素敵な時間を過ごすための計画を練っているところなのさ」
きれいにウィンクをキメたレンに、音也が尊敬の眼差しを向ける。
真剣かどうかはともかく、恋愛の達人であるレンのアドバイスは、音也にとっては至高のものになるのだろう。
けれど、真面目であるが故に真っ直ぐな気持ちには逆らえないトキヤに対し、音也にだけアドバイスを授けるというのは、あまりにもアンフェアなのではないかとちょっと心配になる。
そうは思いつつ、それでも隣で『それは素敵なプランですね』なんて大きな瞳をキラキラさせている春歌を見てしまえば、結果がどうなろうと春歌の望む結末を望んでしまうのが、友千香の弱みでもあるのだが。
「あんまり春歌を、泣かすなよ?」
学業的にも心理的にも聡いレンは、友千香のそれだけの言葉で全てを理解したらしい。
「ちゃんと幸せに、するさ」
誰を、とは言わない。
でも出来れば、みんながなるといい。
大人な会話が深くなる前に、だから友千香は春歌を促して席を立ったのだった。

「きれいだよ」
耳元で、低く囁く声と。
「漆黒の海のような瞳の中に、夜光虫が見える」
なんだか意味不明な形容。
「…音也」
「なに?」
「吹き込んだのは、レンですね?」
確信を持ってトキヤは囁き返した。


「トキヤってさあ、なーんか、かわいいよねえ?」
誰に言うでもなくぽつりと呟いた音也に、その場にいたいつもの面々はビシリと固まった。
この中で一番常識人は、絶対に自分だと友千香は思う。
春歌は純粋培養されて常識はともかく世間を知らなさすぎるし、御曹司ふたりはやはりというか世俗から遠く離れた感覚を持っており、那月は翔への態度や特に料理に関しては論外である。
トキヤは辛うじてまともか、とも思えなくもないが、Aクラスに来てからも、歌っているとき以外は相変わらず能面のような表情は生きている人間のものとは思えないことが多い。
翔はまあ、普通だと言えるけれど、平素からステージ以上かと見紛うものを着ているのはいかがかと思う。
入学してすぐの作詞・作曲の試験で春歌とペアを組んだ一十木音也はというと、実は友千香はよく分からないのである。
春歌が敬愛してやまないHAYATOとその明るさや無邪気さは似ていると思うし、誰にでも懐いてかわいがられる大型のわんこのようなイメージではあるが、どことは説明できないものの、つくりものめいて見えるのだ。
それはともかく。
「かわいい、というよりはきれいとかの方が合うんじゃね?」
比較的早く立ち直った翔が訂正すれば、
「う~ん、確かにタイプ分けするなら美人さん系ですもんねえ」
翔ちゃんは絶対かわいい系ですよねっ、と那月が余分なコメントを入れて翔に殴られつつ相槌をうつ。
作曲家を目指すものはともかく、アイドルコースを選択したものは、当然のことながら、それなりに見てくれの良いものが多い。
その中でも飛び抜けて注目を集めているのが、Sクラスの神宮寺レン、一ノ瀬トキヤ、来栖翔、そしてAクラスの四ノ宮那月、聖川真斗、一十木音也の6人である。
それぞれSクラスとAクラスのペアで寮の同室であり、幼馴染みという関係もあり、料理だのサッカーだのと趣味や思考が似ていることもあり、なんだかんだで、いつでも6人一緒にいられるわけでもないからその時々によってメンバー数に多少はあるが、けれどいつの間にかまとめてワンセットと見られてしまっている。
そこに、Aクラスのアイドルコースである渋谷友千香と、彼女の同室者である作曲家コースの七海春歌が混じることも、少なくはない。
というかむしろ、6人それぞれが春歌に抱いている『(恋愛感情未満の)特別な想い』の真意を持ち前の勘のよさで知り、友千香が牽制している、という感じかも知れないが。
ともあれ、個々がひとりでいる時はともかく、たいていこのメンバーの誰某が集まっているところに、他の生徒が入ってくることはない。
が。
もともと直情型で、思ったことはそのまま口から飛び出してくると思われている音也のこの発言に、さすがに余人がいなくてよかったと同じテーブルについていたもの全員がほっとしたことに、当人だけが気付いていなかった。
「ああ、うん、きれいで美人さんなのはもちろんなんだけどさ?」
本人が細心の注意を払って維持している肌や体型のコンディションはもちろん、何よりのもともとの造作が整っていることは、おそらくは学園内の誰も否定出来ないことだろう。
整いすぎてまるで造りものめいて見える容貌、いつも冷静で感情の起伏がほとんどないことがそれに拍車をかけ、決して狂わない音程とリズム感が、彼をアンドロイドめいたものに見せているということに、当人は気付いているのか否か。
むしろ、誰からも好かれる能天気なほどに明るくて、人懐っこく、けれども歌も上手いという双子の兄である『HAYATO』との差がありすぎて、だからこそ、楽譜通りに歌うことはトキヤの方が優れているのかも知れないが、あまりにも喜怒哀楽その他の感情を表すことが些少で、取っ付きにくい印象を与えてしまう。
というかおそらくトキヤは、不特定多数の人から注目を浴びるアイドルを目指しているにも関わらず、誰からも放っておかれる方を望んでいるようにさえ見えるのだ。
ともあれ、真面目で品行方正で、才能があるにも関わらず努力家で、彼のことを褒める言葉の枚挙に遑がないが、その中に『かわいい』というものが入っていたとは、近しい面々でも知らなかった。
本来の才能に加え、努力を惜しむことはなく、ストイックなほどに己を律している一ノ瀬トキヤ。
公の場ではにこりとさえ笑うことなく、それで本当に『アイドル』になれるのかを心配されるほどの存在なのだ。
なのに。
「でもさ、」
そのときこの場にいたのは、音也、翔、那月、友千香、春歌、そしてレンである。
「作ってくれたものに美味いーって言った時とか、部屋で課題の確認してる時の歌がすごくいいなーってほめた時とか、ああそうそう、寝起きのちょっとぼんやりしてる時も風呂上がりでリラックスしてる時とかも!」
にこにこと。
それはもう、お散歩に連れていってもらえると理解したわんこが思いっきり尻尾を振ってその気持ちを表すが如くに。
「トキヤがさあ、ほんのちょーっとだけ、照れるんだよねえ」
この時の音也からは、嬉しい楽しい大好き!オーラがダダ漏れしていた。

とてもとてもきれいで。
誰より何より大切にしたかったから。


『私の歌には、ハートがないそうです』
トキヤのその言葉の意味を理解するまでに、音也はしばらく時間がかかってしまった。
『へ?』
理解しても、なぜそんなことをトキヤが言うのか分からなくて、結局間抜けた返事しか出来なかった。
早乙女学園に入学してすぐの、レコーディングテストと称した最初の作詞・作曲及び歌唱試験以来ずっと、トキヤは日向先生にそう言われ続けていたのだと。
なぜ突然トキヤがAクラスへ変更になったのかを問うた時、そう言った。
それも、音也には納得出来なかった。
『だって、トキヤ、上手いのに』
授業中や他の場所では知らないけれど、それでも、寮では同室で。
だから、音の確認をするためか口ずさむ程度のひそやかな音量での課題曲の練習とか、本当に本当に歌が好きなのだろう、おそらく本人は無意識のうちの、料理をしている時や風呂に入っている時に漏れ聞こえる小さな鼻歌とか、音也はずっと聞いていた。
いや、『聴いて』いた。
誰よりも素のトキヤに近いところにいたのは、他の誰でもない、音也だ。
その自負が、音也にはある。
言葉としては上手いとかすごいとかしか言えない自分に腹は立つが、それは楽譜通りに歌えるとか声が伸びやかに出ているとかそんな技術面だけではなく、ちゃんとトキヤの歌は音也の心に届く歌なのだ。
なのに、レコーディング中のトキヤの歌は、なぜかちっとも音也の心に響かない。
まるでゲームの中のキャラクターのように、コンピュータが譜面通りに音を出しているような。
おそらくはそれが『ハートがない』ことなのかも知れないが、けれど、トキヤの本当を知っている音也には、それが納得いかないのだ。
『ちゃんと、歌えるのに』

『ねえ、トキヤ』
出された課題曲を小さく歌っているトキヤに、音也は声をかけた。
同じクラスなのだ、当然音也にも同じ課題曲があるのだが、トキヤの歌を聞いてしまうとそれ以上に上手く歌うことなんて出来なくて、歯痒くなる。
『なんですか』
そんな葛藤を知らないのか、知っていてもきっと態度は変わらないだろうけど、歌だけではなくハートがないトキヤの声に、音也は少しだけ、さみしくなった。
『終わりに、出来ないの?』
確信はなかった。
でも、同じ顔、同じ声、不定期な上にハードスケジュールなバイト、生番組の時には絶対に園内にいないトキヤ。
『HAYATOを、やめることって、出来ないの?』
それは、音也にとっては賭けだった。
双子の兄弟であると説明され、はじめはそれで音也も納得していた。
正反対の性格であるからこそ、特に真面目なトキヤは兄の軽く見える言動が気に入らないのだと。
HAYATOの話題になると、とにかく否定的なことしか言わないトキヤに、HAYATOに近い印象の自分まで否定されているようで、音也は悲しかったということもある。
でも。
符号が合ってしまえば、すべてがすとんと心の中に落ちてくる。
『HAYATO』は、トキヤだと。
そして、そう聞いた途端に固まってしまった、ある意味とても素直なトキヤの反応が、音也の確信を裏付けることになってしまった。

「この間ね、同じ傘、見たんだ」
雨の日の、けれど人波が滞ることのない舗道で、偶然に。
衣装は『HAYATO』のまま、けれど、その表情や雰囲気は紛れもなく『トキヤ』で。
そう、きっとトキヤ本人ですら気付かないうちに、でも絶対に心は『演技しなくてもいい自分』を探していたはずなのだ。
あの日、ズブ濡れになりながらも、立ち止まることなく歩みを進めていたトキヤは、きっと雨が降っていたこととか、すぐ後ろに音也がいたことなんて、気付いてはいなかったのだろう。
それでも。
『もう、"HAYATO"はいません』
なるべく不自然にならないほどの時間をあけて寮の部屋に戻った音也に、言い切ったトキヤは、なにかを吹っ切った笑顔を向けてくれていた。
その影に、七海の存在があったことは明白だけれど。
それでも、トキヤにとってはかなりキツい終わりだったと、それくらいは音也にも分かる。
『HAYATO』を、愛していなかったはずはないのだ。
望む理想の姿ではなくても、それでも老若男女広範囲に渡り人気のあったキャラクターなのだ。
デビューするのがその当人であっても、対外的には双子の兄弟であり、兄の七光りを狙っているのかと当たりがキツくなることさえも、当然のことと受け入れて。
「トキヤが”HAYATO”だった時に、使ってたのと同じやつ」
トキヤの傘は、どこにでもありそうな、濃い色の無地のもの。
けれど、TVの中の生中継で、HAYATOが使っていたものは、明るい彼に似合うポップな色と模様のもの。
「なんかさ、嬉しかったよ」
大好きなのはトキヤだけれど、でも『HAYATO』はそのトキヤの紛れもなく一部分であり。
だから、ほんの欠片でも失くしてしまうのはもったいなくて、もしかしたらその傘の持ち主はHAYATOのファンで、きっと今でも好きでいてくれるんじゃないかなと思えて、だから嬉しくなったのだ。
トキヤにとっては、作り上げられた自分ではない誰かが一人歩きし、もう自身を見てくれる人はいないのではないかと、そんな明日さえ来ないのではないかと思うような、辛い日々の中にいたのだろうけれど。
それでも朝はちゃんと夜明けを、飽きもせずに連れてきた。
トキヤをトキヤだと認め、トキヤの歌を好きだと言ってくれる人はいた。
「どこにでもあるものですよ」
そんなふうに素っ気なく言うトキヤが、けれど照れているだけだと分かるから。
だから、一瞬一秒、すべてがスタートなのだと背中を押してあげられることが出来て、音也は幸せだったのだ。

「Sky 雨さえあがれば 街も人も みんなリズム変えて そう 新しい気持ちで歩く 何か探してる」
ふと思い浮かんだ歌詞を、ギターに乗せて口ずさむ。
いまだに作詞の仕方なんて分からないし、作曲なんてもってのほかだけれど、それでも音也の歌は、いつでも大好きな人のためのものだ。
「100年あとの愛まであげられたと思うから 眠れぬ君の夜には 支えにして それでいいのさ」
今はもういない、『もうひとり』のトキヤ。
はじめはファンとして、そしてトキヤの一部として、今もずっとちゃんと愛しているから、『トキヤ』が不安になる時には、愛されているという自信を持ってほしくて、音也は言葉を紡ぐ。
「Feel 動いてる 心の音が聞こえる も一度 誰かを愛せるさ」
今度は、トキヤとして。
「If 偶然にどこかで君に会えたら 恥じない 恋だけしていたいね」
…いつでも。
見つめた視線が、トキヤのそれに絡まる。
音也のギターに合わせ、トキヤが引き継いだ。
「Feel 溢れてる記憶が胸にあるなら それだけ 優しくなれるのさ」
思い出さえも大事にして抱きしめてくれる人がいるから、強く、真っ直ぐに未来を見つめることが出来る。
そうしてもいいのだと、さしのべられた手を、迷いなく掴んで。
「Love 想い出はたたんだ傘とおんなじ Rainy days 時々ひらけばいい」
…これから。
ひらいた傘の下に、太陽のような笑顔があるから、きっと、大丈夫。


とてもとてもきれいで。
誰より何より大切にしたかったから。
雨の日には傘を差し翳し、一緒に太陽を待とう。