気ままに吐露トロ -9ページ目

気ままに吐露トロ

あれこれ好きなことを、覚え書き。

実習を終え、待っていたF3にジフとジャンディが合流したのはすでに夕食時だった。
お腹空いたー、と高校の頃と変わらない笑顔で言うジャンディに、隣に立つジフが『じゃあ頑張ったご褒美にガッツリ系でお疲れさま会をしようか』と慣れた風に携帯で店の予約を入れる。
「いくらF4が揃ったからって、高いとこは絶対ダメですよ?」
とジャンディが上目遣いに抗議するところを見るに、ふたりはしょっちゅうこんなやり取りをしているのだろう。
当然、その近さにジュンピョが不機嫌になるのは仕方がないにせよ、とりあえずまずはケンカではなく話し合いをしなければと、イジョンもウビンもハラハラしていた。
「大丈夫、BBQにした」
ふわりと、携帯の画面に残る大衆向けではあるけれどそれなりに質も良く、また個室が確保出来る店を示しながら、ソヒョンに対して見せていたものよりももっと穏やかに笑んだジフに、
「あ、そこなら私でも払える!ありがと」
と無邪気にジャンディが喜ぶ。
「なに、お前らいつもワリカンなわけ?」
「ジャンディの分くらい、遠慮しなくたっていつでも俺たちが払うのに」
女性は奢ってもらうことを当然のようにねだるものという思い込みがあって驚くF2の言葉に、
「ご両親の店も軌道に乗って、バイト代を手元に残せるようになったからって、滅多に奢らせてもらえないよ」
けれどそういうけじめのあるジャンディが誇らしいのだと視線で言うジフの、友人としては甘過ぎな、けれど恋人としては物足りない雰囲気に、ジュンピョが距離を測れなくて戸惑うのも仕方がないと分かってしまう。
同じ感覚であるはずのジャンディの親友カウルと親しく付き合う仲になったイジョンではあるが、カウルも最低一度は自分でと言うが払わせたことはない。
そのあたりの差は、男性側にあるのか女性側のせいか。
ウビンとしては、彼氏彼女の仲か、彼氏の親友と親友の彼女という立場の違いだろうと察してはいるが。
「じゃ、移動しようか」
緊迫感さえ漂うジュンピョの雰囲気をものともせず、さっくり言うのはきっとマイペースなジフならではの技だろう。
飲むこと前提でイジョンもウビンも車を返してしまっていたから、当然とばかりにジュンピョが手配したリムジンで店に行く。
「…で、なんでリムジンなの?」
拒否する間もなく乗せられてから、突然ヘリで現れるようなのを常識だと思ってる人のことだから仕方ないけどさ、と唇をアヒルのように尖らせてジャンディが抗議するのに、ウビンが苦笑しながら答えた。
「基本、タクシーを含めて普通の車は定員5人、運転手も含めて、だろ」
うん、とジャンディが頷くのを見て、続ける。
「で、俺ら4人とクム・ジャンディでもう5人、ってことはこの中の誰かが運転しなくちゃいけなくなる」
理詰めで話すウビンは結構教師に向いているかも、と思ったのは、F3にとって新発見だった。
「でもこれからちょっと飲みに行くワケだし、飲酒運転は法律上禁じられているし」
「だから?」
ウビンをわずかに睨み上げているジャンディはやっぱり分からないらしく、脳内でぐるぐるしているのが目に見えるようでジフはバレないようにふ、と笑いをこぼした。
「定員以上に飲酒した人を乗せられるのは、大勢乗れるリムジンが最適だろ?」
はーっと大きく息を吐いたジャンディは、ウビンを睨みつけた。
「あのね先輩、そういうときには普通、公共交通機関を使うの。お坊ちゃんたちは知らないかもだけど、5人以上乗れるワゴン車ってのもあるんだし。リムジンなんて、庶民としてはどう頑張ったって、プロムか結婚の時にしか使えないものなんだよ?」



「確か、俺がこいつと交際宣言した時も、反対してくれたよな」
着いた店の奥の個室に案内され、とりあえずはと頼んだ飲み物が配られてすぐ、まずジュンピョがからんだのは、当然のようにジフだった。
記憶にあるよりもずっと、あまりにも自然に一緒にいる親友と彼女を見てしまったのだから、それは仕方のないことだろう。
「そうだね」
ジュンピョのきつい眼光に怯まないのは、F4、否、ジフならばこそ。
「何が不満だ」
「べつに」
言葉を選ばないジュンピョに、短く返すジフ。
F2の心配など取るに足らぬというように、さっくりとふたりだけで言葉を交わす。
「ただ」
「何だ」
ふいに、ジフが真っ直ぐに視線をジュンピョに合わせて言った。
「どれだけジャンディが泣いたと思ってる」
「ああ?」
「ジフ先輩?」
その言葉にはジャンディまでもが驚いて目を見開いた。
「あんたに振り回され、カン会長から嫌がらせを受けるたび、どれほどジャンディが傷ついたと思ってる?」
「ユン・ジフ…」
「赤札のいじめだって常軌を逸していると思ってたけど、それ以上に、泳ぐことを諦め、両親の営む店を潰され、始めたささやかな仕事も妨害され、やっと見つけた住むところさえも奪われて」
「…」
ジュンピョはもちろん、親友もF3も、そして学校さえも。
そこには、両親のジャンディに対する期待も含まれていたはず。
いつも、いつでも、カン会長が絡むようになってから、誰よりも辛い選択ばかりを強いられてきた。
「あんたは逃げてばっかりだったけど」
「なっ…」
「ジフ!」
さすがの一言に、ジュンピョだけではなくF2も語気を強めた。
「違うと、言い切れる?」
けれど、F3の眼光の強さもジフには通じない。
「あの結婚式の時だって、腕を折れとか一時凌ぎのことしかしなかった」
正々堂々、正面切って家を捨てて拒否するでも、かといって全てを潔く受け入れるでもなく。
ジャンディがその態度に対し、逃げるだけで卑怯だと言い放ったのは、正鵠を射ていた。
なのに、それに対してさえジュンピョは、ジャンディに『ならば、やめろと、行くなと言え』と頼んだのだ。
横柄なまでに、どこまでも気持ちがいいほどに自侭で俺様なF4の『ク・ジュンピョ』は、そこにはいなかった。
さらには、婚約者のおかげで結婚が取りやめになり、お膳立てされた逢瀬を無邪気に喜び、その後に起こりうるだろうことさえ考えていなかった。
ジフには、『ジャンディを手放せない、苦しめるばかりの俺よりお前に託す方がマシだと思ったこともある、もしそうしなければならないのならジフ以外にはいないと思った、でも無理だ』と、ふたりの時には言い切ったのに。
それでは大切なおもちゃを取り上げられて泣きわめいた子どもの頃と同じだ。
結果、ジュンピョの破談のために神話グループの事業が悪化し、カン会長は迷わずジャンディの所為だと責め立てた。
居合わせたジフの祖父ソギョンが『孫ジフの嫁になる子だ』とジャンディを救い出してその場を治め、荷物ぐるみでジフと暮らす自宅に連れてきはしたが、それがさらに元大統領まで誑し込んだと思い込んだカン会長の怒りを煽ってしまった。
「おじいさんの財団だけじゃない、親友の親も含めた周りの人間にまで被害が及んで、ジャンディは全てを手放す決心をした」
自分への攻撃ならば正面から立ち向かえる強さがあるくせに、いつでも他人のことをまず気にするジャンディにとって、これは余りにも有効で卑怯な手段だった。
「そういうこと、知ってた?」
ウビンやイジョンでさえ、カウルの父親やジフの祖父の財団の危機を知り、カン会長がジャンディひとりを徹底的に排除するために手段を選ばないつもりでいることを察知していた。
「それしか、あんたを含め、彼女の周りの人を救えないって決断して」
そのときジュンピョは、何をしていた?
ジャンディには手を出さないと約束させられたことで満足し、監禁生活を強いられていた中で、突然デートしよう~とジャンディが現れ、元に戻れたと無邪気に喜んでいただけではなかったか?
「だから、一人で全部、背負い込んだよ。ジャンディらしく、ね」

夜行バスでひとり、姿を消したジャンディ。
そのときジュンピョは、ただ自分が神話グループの後継者であるから捨てられたのだとしか思っていなかった。
ジャンディが乗ったバスの行き先さえも、確かめることをせず。
そして間もなく、昏睡状態ではありながらもいまだ生きている父親さえも仕事のために死んだと公表する母親の非道さを知り、わずかに残っていた親への感情もなくし、同時に、そんな母親とただただジャンディを手元に置きたがった自分の間に挟まれて、どれほどジャンディがつらい思いをしてきたのか、初めて分かったのだ。
だから、ジフがTVで偶然見つけたと、ジャンディが家族と漁村にいると分かった時も、会いに行くことを躊躇した。
会いに行って、連れ戻せたとしても、母親がいる限りは堂々巡りでしかないことに、ようやくジュンピョも気付いたのだ。
それでも一目だけでも見たくてジフを追いかけるように行って、目の当たりにしたのはジフがジャンディを抱きしめる姿。
遠目だったから、ジュンピョには、ジフがプロポーズに近いことを言って断られたことまでは分からなかったけれど、それでもやはり自分よりはジフに任せた方がジャンディは幸せなのかもと、気持ちが揺れた。
そもそも、同じF4でありながら、ジフはその生い立ちからかなりの自由が許されており、何よりも和解した保護者である祖父もジャンディを気に入り、歓迎している。
ジャンディにとってどちらが居心地がいいかなど、比べることさえ不要なほどだ。
さらにその後、事故により記憶をなくし、ただ苛つくからというだけでは許されないほど、余りにもひどい言葉ばかりをジャンディに対して投げ放った。
ジュンピョにとって家族やF4以外の人は全て見下すべき存在でしかなく、そうではないのだと教えてくれたジャンディを忘れてしまったために、言動も以前の暴君に戻ってしまったのだ。
だから、マカオからこっち、頑張っても頑張っても空回りになってしまうジャンディが、疲れ切ってしまっても仕方がなかった。
ジュンピョとしては、気になるからこそ苛立つという気持ちを、自分ですら説明できない状況であったため、逆に今まで通り、ことさら辛くジャンディに対して酷い態度を取ってしまっただけだったのだけれど。
「だからジュンピョ、あんたが神話の跡継ぎで、あの母親がいる限り、ジャンディは幸せにはなれない」
「ババァはもう許してる、親父のことも感謝してる」
昏睡状態だったジュンピョの父親を、そうと知らずに懇意に話かけ、その純粋なあたたかさで意識を取り戻す手助けをしてくれたのだとチョン室長から聞いたのは、快復しつつあった父親が『優しい温もりに呼ばれたのだ』と話したときだったか。
「そうじゃない。必要なのはあの人の許可でも感謝でもない。ジャンディに対してしてきたことへの謝罪と、解放だ」
だが、それを遮るようにジフはぴしりと言い放った。
「ジフ先輩、それは…」
言いかけるジャンディを、ジフはいつもの笑みで遮った。
「あの結婚式前にも言ったよ?あんたが幸せで、泣かないで、笑ってくれていれば良いと」
その言葉にジャンディは少しだけ苦笑し、
「私も言ったでしょ、あの時も、おじいさんの診療所でも。先輩が見ててくれるから、力が湧いてくるんです。だから、笑えるんですよって」
「泣きながら、ね」
ふたりにしか分からない内容と、思い出すのもいやなことを持ち出され、ジュンピョがキレないワケがなく。
「何の話だ!」
強引に割って入る。
「どれだけジュンピョがジャンディに対してひどいことをしてきたかって話だろ?」
冷静なジフの言葉に、ジュンピョが怯む。
「俺は、何度も何度も、あんたの所為で声を殺して泣くジャンディを見てきた」
その中には、ジュンピョ自身からの依頼もあった。
ジャンディと一緒にいることを目撃され、ジュンピョがカン会長に無理矢理連れ去られる時には、いつでもジフにジャンディの迎えを頼んでいたから。
空腹も寒さも我慢出来るけれど、愛する人たちが自分のためにつらい目に遭うことだけは耐えられないと言ったジャンディ。
それは、どこまでも我が儘なまでに自分の想いを優先するジュンピョと相反する思いだ。
「あんたがジャンディのことを忘れたときも、あの女の所為だけじゃなく、あんたの仕打ちに、泣いてた」
過去がなくても、最初からまたやり直せると信じていたジャンディを、その存在を否定してまで、どん底に突き落とした。
あのサプライズ・プール・パーティで、ジャンディは自らプールという名の海に身を投げ、泡になってしまったのだ。
人魚姫を救うために王子さまは記憶を取り戻したけれど、その代わりに泡になった愛は二度とその手に入れることが出来なくなった。
「全て、自業自得だ」
気持ちが届かなくて泡となった消えた人魚の恋は、もう、どれほど王子が悔やんでも戻らないのだ。
「…愛を成就できない人魚姫はダメだって、言ったのに」
呟いたジフの声に、ジャンディだけが切なそうに目を細めた。

考えてみればジフは、F3やソヒョンに対してでさえ、あからさまな感情を表したことがなかった。
ソヒョンには恋愛感情らしきものを持っていたようだが、ジャンディに後押しされてフランスまで追って行きはしたものの、みんなが思っていたよりも早く戻ってきてからはソヒョンの婚約だのなんだのとの情報に落ち込んだりはしつつも、その感情の振り幅は幼馴染みとして知る範囲内で、それほど大きくなかった。
むしろ、ジュンピョが強引にみんなを連れて行ったニューカレドニアで、ジフとジャンディが夜、ふたりきりで会っていたと分かった時のジュンピョが、普段の傲岸不遜さが信じられないほどに滅入っていたのが不思議なくらいで。
おかげで交際宣言までしたジャンディとの関係がややこしくなり、一時はF4の決裂も辞さない雰囲気にはなったものの、ジュンピョの姉ジュニの計らいでなんとか3ゲームで決着を付けることとなり、結局はうやむやにはなったがそれなりに落ち着いて。
もともと出会った幼少の頃からずっと、ジュンピョは何かにつけジフをライバル視し意識していたけれど、当のジフは飄々と自分のペースを崩さず、それが却ってジュンピョを苛立たせることになる、という図式が出来ていた。
だからこそ、ジフがジャンディに好意を寄せはじめていることは分かっていたけれど、それでもジフ本人がむしろジュンピョとジャンディのふたりの仲を取り持つようにしていたから、ジュンピョを優先する態度をジフが示すことで、それなりに収まるとウビンもイジョンも思っていた。

それが、ジュンピョの母親、カン会長が絡んできて、面倒なことが起きるようになった。
というより、ジュンピョとジャンディのふたりだけならそれなりに騒がしくも端から見れば微笑ましいほどだったのに、カン会長がふたりの仲を認可しなかったために、ジャンディがしなくていい苦労を強いられるようになった、と言うべきか。
もともと、神話グループとは無関係だったはずのジャンディが転入してきたのも、F4のいじめにより自殺しようとした生徒を助けたことにより、神話グループを批判する声が大きくなったのを緩和するためだったという。
『エリートで有名な神話グループの学校で起きてた壮絶ないじめを苦にして自殺を図った生徒、それを救ったワンダーガール』
当時、世論を騒がせたのはジャンディで、それを逆手にとって神話高に転入させたくせに、そのワンダーガールがジュンピョに関係したと分かるやいなや、手のひらを返したように排除する動きを見せ、ジュンピョやジャンディだけではなく、F3はもちろん、ジャンディの親友カウルも憤慨したものだ。
当然、ジフはそんなジャンディを支えるように、すでにその想いを隠すことなくそばにいるようになった。

他社と提携することでグループを立て直し、マカオから戻り神話大へと通うようになったジュンピョは、あれほどまでにひどい態度でジャンディを傷つけ、また、婚約者をお膳立てられたにも関わらずそれでもジャンディを諦め切れず、さらにその婚約者とジャンディがジュンピョ抜きで知り合っていたこともあり、事態はさらにややこしくなっていって。
とはいえ、それをカン会長が黙って見過ごすはずもなく、世界に名立たるグループと一介の個人商店では権力の差は歴然としており、ジャンディの両親が営むクリーニング店を潰され、クム家は地道に稼ぐ手立てさえも邪魔され、そのために親子が離れて暮らす羽目にもなった。
さらに、良くも悪くも直情的で裏を見ることのないジュンピョが事態の深刻さを理解せず、ようやくジャンディが見つけた弟と暮らす部屋の隣に居座り、結果、カン会長がジャンディに最終通牒ともいうべき言葉を吐いた。
その場に立ち会ったジフ、イジョン、ウビンのF3は、これまでの苦労を物語るようなジャンディのやり切れないというため息を、ただかける言葉もなく聞くしかなかった。
だからこそ、なんとかジャンディ姉弟を励まそうと、ジャンディの親友カウルも誘って引っ越し祝いだと、内装を一新したのは、その翌日のことだ。
予想外だったのは、その夜、お祝いの延長でみんなで夕食を摂っていた時に、ジュンピョと婚約者が乱入してきたことで。
前日、ジフはジュンピョがSPに連れ戻される姿を見ており、おそらく軟禁されているだろうと予測していたから、まさかこんな早く現れるとは思っていなかった。
それでもその時は雰囲気的に拒否するわけにもいかず、カウル提案の『真実ゲーム』は続けられ、イジョンからスタートすることになって。
ジフへの、『ソヒョン以外の人を愛せるか』という問いに、一瞬ジャンディに真っ直ぐな視線を投げたジフは、けれど明確な答えを拒み、わざと黙秘権を使用してキスをすることを選んだ。
質問をしたイジョンとしては、そんな回答になるとは想像しておらず、しかも罰ゲームとはいえ同性からのキスにかなり戸惑ってはいたようではあったけれど、冗談ですませられる関係だからこその罰ゲームでもあるわけで。
普段から、何を考えているか分からないと言われているジフであるし、どこか中性的な容貌もあって親友へのキスも不自然ではないと、なぜかその場にいた全員が納得したのは、本人だけが知らなかったことだろう。
ただ、もしかしたら、『久しぶりにやりたくなった』というジフの言葉は、黙秘権という名の嫌がらせのキスではなく、『ソヒョン以外を愛すること』だったのかも知れないと気付いたのは、キスをされたイジョン当人と、隣に座っていた他人の思いに機敏なウビンだけだったかも知れない。
そしてジフから、多分に本気を含んだジュンピョへの質問は、
『愛する人が、お前の所為で苦しんでいたら、手放してやれるか?』
だった。
それはおそらく、ジュンピョの婚約者であるジェギョン以外、真意の在り処は明確だっただろう。

ジャンディは、不本意ながらも、半ば脅しのように好きな水泳を楯に神話へ編入させられ、ようやく得た友人からも裏切られ、そのために赤札を貼られ、ボロボロになった。
それでも、その原因のジュンピョに真っ向から立ち向かい、回し飛び蹴りをくらわせ、金と権力に溺れた連中には屈しないとF4を驚かせた。
以来、F4の中でもおそらく一番普通の感覚からかけ離れてはいても、ジュンピョなりの方法でジャンディに対する想いの強さを見せてきたと思っていたのに、中国へ行ってからも連絡ひとつ寄越さず、極めつけにマカオでのジュンピョの言動はあまりにもひどくて。
なのに、婚約者を伴って現れたジュンピョは今更ながら、潔すぎるほどにあっさりと否定し、『放さず、幸せにしてやる』と豪語した。
そのことでむしろジュンピョ自身もカン会長に振り回されているのだと明白になったわけだが、その都度被害を受けるのはジャンディであり、たまったものではないだろう。
だから、ジュンピョの『道路でした約束の有無』がジャンディによって『なかったもの』にされてしまったことで、その約束がどんなものなのかはふたりにしか分からないものではあったけれど、その場にいたジェギョンを除く全員がこれまでの二人を見てきていたから、おおよその内容は想像出来ていたはずだ。
神話グループのトップに立つジュンピョと、町医者を目指すジャンディの未来は、交わることがないと、この時すでにジャンディは知っていたに違いなく。



「変わったんだよ、見事にな」
ウビンが穏やかに告げた。
「嫌々強制されて神話高に来て、さらにその原因であるカン会長に嫌がらせされて、それでも負けなかった強さは、確かにあるけどさ」
けれど、内包する弱さや脆さを知っている人物は、限られていて。
残念なことに、その中に、ジュンピョは入っていない。
それを知ってか、ふっとイジョンが笑って、
「はじめはお前の強引さに引っ張られてた感、ありありだったし?」
そう続けた。
それでも本当にいやだったらジャンディはきっぱりと断っていただろう。
だから、ちゃんとジュンピョに好意を持っていたジャンディは、存在していたけれど。
「それがさ、マカオから戻ってきてから、誰の言葉にも左右されない、己の意志を貫く”ワンダーガール”に戻ったんだよ」
「吹っ切れた、って感じだったな」
それでもたまに寂しそうな目をする時はあったが、そんな時には必ずジフがそばにいた。
ウビンとイジョンが微苦笑をする。
「ジュンピョにとっては、あんまり、っつーか全然よくないだろうけど」
「けどさ、ジャンディにとっては、水泳以外にもやりたいことが見つかって、前向きになれてよかったんじゃねえの?」
喜んでやれよと、ふたりから両方の肩をどつかれたジュンピョは、それでも表情は晴れなかった。

あの時のお粥屋の露店販売の成功は、飛行機のチケットを買うためにバイト代を前借りしたいと言うジャンディに、ただお金を渡すだけでは後々返済がどうとか言い出しかねないと知っているマスターの『お金がほしければノルマをこなせ』という好意に加え、そういう庶民的なものに縁のない、偶然ジャンディを迎えに来て居合わせたF3(というよりもむしろイジョンとウビンのふたり)が貴重な体験をしたいというよりも楽しむことにはどこまでも積極的な遊び半分の手伝いの賜物だった。
想像以上の臨時収入を受け取り、F3の当初の予定だった水泳選手としての引退式を行い、マカオへと旅立つジャンディを送り出した。
予想外だったのは、ジャンディを見送った直後、ジフがキャンセル待ちをしてでも追いかけようとしたことだった。
『泣いてる気がする』
理由を訊いても、そうとしか言わなかったジフに、イジョンとウビンは顔を見合わせて首をかしげた。
『出会えてよかった』
以前、ソヒョンを追ってフランスへ旅立つ際、ジフはジャンディにそう言った。
本当に好きで、そしてその人が離れてゆく意思を止められないのなら見送るのではなく追いかけていけばいい、そのためにはプライドなんて必要ないのだとジャンディに教えてもらったんだと、そう言ったジフは、もしかしたら出会ってから初めてF3が見たジフの曇りのない笑顔だったかも知れない。
それをそっくりそのままジャンディがジフへ言い置いていったことで、フランスへ追いかけていってようやく己の本当の想いの意味に気付き、急ぎ戻っては来たもののタイミングがわずかに遅くてジャンディとの仲がすれ違ってしまった経験が原因なのか、なぜかそれきり二度と会えなくなってしまうような不安がよぎり、ジフはじっとしていられなかったらしい。
意気揚々と旅立って行ったジャンディが泣いているなんて、イジョンとウビンには俄には信じられなかったけれど、それでもある意味誰よりも洞察力も先を見通すことも優れているジフがそう言うのならばと、その時は常に冷静であるジフがめずらしくもただジャンディのことを思って何も手につかない様子で、だから代わってチケットを用意し、一緒にマカオに飛んだ。

世界的に有名な神話グループの次期総帥であるジュンピョの居所など、F3の力を使わずともすぐに分かる。
だからまず、一般観光客のひとりであるジャンディの行方を追った。
こういう時に発揮されるのが、本人は毛嫌いしてはいるもののいまだ裏社会にも浸透しているウビンの権力で、何万人も訪れる観光客の中から何の特徴もない女の子を一人探し出すという不可能をあっさりと成し遂げ、予想通り質の悪い奴らのカモにされかけていたジャンディを間一髪、助けることが出来た。
『こうやって…泣いてる気がして』
蹲るジャンディが、それでも気丈にF3が現れた理由を問い、それに微苦笑で答えて頬にこぼれる涙をすくうジフの指先を受け入れる姿はあまりにも自然で、もう何度もこんなふうにふたりで過ごしてきたのだろうと、ウビンとイジョンは納得さえするほどだった。

その後、F3としてチョン室長に連絡を取り、本人は会う気がないと意思表示をしたらしいものの、それでも内密にジュンピョと会う算段をしてもらった。
でもどこまでが本気か、実際に会ってさえ、ジュンピョは『神話グループ総帥』という立場を優先し、ジャンディとのことは蔑むように『そんなもの』と言い放った。
思えばジフはこのころからジュンピョに対し、すでにイジョンやウビンが知らない何かを見ていたのだろう、何かにつけ『本心か』という訊ね方をしていた。
だからこそ、純粋にジャンディとジュンピョを会わせようとしていたイジョンがめずらしくも感情を露にしたのに対し、ジャンディがすでにジュンピョと決定的な何かがあったのだろうと見当というよりは確信していたジフは、終始言葉少なで冷静だった。
後から思えば、イジョンはジャンディの親友カウルと自分のことを重ねていたのかも知れない。
本人の自覚はなかったかも知れないが、少しずつカウルに惹かれはじめていた頃だったから、ジュンピョ同様バックグラウンドと家族がネックになることは明らかであり、ジュンピョとジャンディの関係はそのままイジョンとカウルの未来に重なる可能性が高かった。
結局、ジュンピョからは確たる約束も引き出せずに退散するしかなかった。
けれど、待ち合わせていたジャンディは、それすらをも分かっていたようだった。
ストレスとか忙しいとか、そんなものが言い訳でしかないという事実を。
ジュンピョはおかしくなっちまったとストレートなイジョンの言葉を、無難にすませようとフォローするウビンに、ジャンディはそれが当然とでもいうかのようににっこりと笑ってみせたのだ。
ジュンピョからの言葉を正面から受け止める覚悟があると強がって笑ってみせたジャンディを、拙くフォローするイジョンやウビンと違い、やはりジフはただ静かに見つめていた。
ジャンディの覚悟も、思いの深さも、そして…諦めさえも受け止めるように。

そんなジャンディの脆い強さを助けようと、ウビンは『かくれんぼ』を提案した。
せめて一時でも気を紛らわせることが出来ればと、わざとはしゃげるように子どもじみたゲームで。
誤算だったのは、屋外の大型スクリーン。
すっかり神話グループのトップとしての貫禄がついたジュンピョの姿が映し出された時、ウビンもイジョンも、そんなものが見える場所を待ち合わせに選んだことを悔やんだほどだった。
だが逆にジフは、それがどれほど辛い決断かと分かっていてなお、ジャンディにありのままの現状を伝え、そしてそれでも自分は変わらず側にいると伝えられたことに、わずかながらも満足したらしく。
だからこそ、翌朝早く、ジュンピョとジャンディが会えるようにジフが段取りしたことまでは、ウビンもイジョンも知っていた。
そしてそこで、ジュンピョが辛辣な態度と言葉をジャンディに放ったことも。
ただ一言、何があっても信じていてくれとジュンピョが言えば、ジャンディはきっと待ってくれていたはずなのに。
思えばこの頃からジフは、ジャンディへの想いをF2に対して隠さなくなっていた。
F2もそれをいつしか分かっていて、ジュンピョ、ジフ、ジャンディの3人の関係の落ち着く先を模索していた。
というよりもむしろ、奢りたかぶっていたF4を変えてくれたジャンディが、一番幸せになる道を、と言った方がいいかも知れない。
だから、その後のことはジフに任せるべきと、わざとイジョンとウビンは用があるからと見え透いた嘘をついて先に帰国した。
そして、それから詳細はよく分からないが何か、決定的な何かがあったのだろう。
帰国してからもしばらくは抜け殻のようだったジャンディが元気を取り戻した頃、ジフも伸びっぱなしだった髪を切り、昼寝と楽器演奏のみの生活から抜け出した。
それは、どんなにボロボロにされてもきちんと修復して着ていたジャンディの制服のような、彼なりの戦闘服としてのけじめだったのだろう。

「異議あり」
4年前の約束通り、ではなく少々遅れはしたものの、それでもちゃんとジュンピョはジャンディを迎えに来た。
相変わらずの俺様っぷりで予告もなく突然やって来、上空のヘリから横柄に、断られることを微塵も疑いもせず、ジャンディを呼び出した。
呆れているように憮然とした態度で、でも表情は晴れやかにその場へ歩いてゆくジャンディの後ろ姿を見ながらジフが携帯で呼び出したのは、F2。
神話グループの動向は、F3として調べればすぐに分かるから、そろそろだろうという予測もあり、二人ともすぐに駆け付けてくれた。
そして、さも当然のように、ロマンチックな場面のはずのプロポーズの邪魔をした。
「異議あり」
とジフが言えば、
「異議追加」
とイジョンが続け、
「俺たちの許可なしに簡単にいくと思うなよ」
とウビンが締めくくる。
跪いて指輪を差し出した姿勢のままそんな3人に苦笑を返したジュンピョの目の前にあったのは、嬉しさとか喜びだとかではなく、どこか困ったような表情のジャンディだった。
それが、F3の登場で一気に笑顔になったことが、何よりもジュンピョの気持ちを波立たせた。
F3全員ではなく、その中の特定の誰か。
それが推測出来てしまうから余計に、ジュンピョの心が泡立つ。
しかも、予想外にも、ジャンディからも『異議』が申し立てられた。
「何より私の『許可』がないと成立しないよね?」
立ち上がったジュンピョを、顎を引いてちょっと斜めに見上げるジャンディの変わらないクセはそのままに、けれど何かが違ってしまったのだと認めたくなかったのは、ジュンピョだけではなかったはずだ。

ジャンディの神話高卒業式の日、血縁の犠牲や政略結婚に頼らず神話を建て直すため渡米する、そこには失敗する可能性も多分にあり、だからこそ、再生だろうが崩壊だろうが、その結果を受け入れるためには活力の源である彼女と共にいたいからと、ジュンピョは『アメリカに一緒に行ってほしい』とプロポーズした。
けれどジャンディは、
『行って来なよ』
そんな言葉を返した。
ここで叶えたい夢があると、やりたいことがあると、そう言って。
ジュンピョにとってジャンディはなくてはならない存在であり、彼女が全ての力になる。
けれど、ジャンディはそのことを知っていてなお、着いて行くことなく、新たな夢を叶えるために残った。
その代わりに『ホントにカッコいい男になって帰ってきたらそのときまた考えてみる』と約束したのだ。
その時にはまだ、『放っておいたら後悔するぞ』とお互いに笑って言った、それがそのまま事実になるとも知らないで。
「どうやらホントにかっこよくなってるみたいだから、考えてはみてあげるけどね」
差し出された指輪を受け取ることもなく、両手を白衣のポケットに突っ込んで、ジャンディはそう答えたのだった。



とりあえず今はボランティア研修の最中だからと、ジフとジャンディは大学の仲間の元へと戻り、ヘリを帰したジュンピョはイジョン、ウビンと一緒にいつもの溜まり場でふたりを待つことにした。
「どう、なってんの」
イジョンが横目でジュンピョを見ながら訊く。
「どうもこうもあるか!約束をした!だから迎えに来た!分かんねーのはあいつの方だろ!」
苛々とソファや椅子を蹴飛ばし、当たり散らす変わらない姿のジュンピョに、ウビンは苦笑して肩を竦めた。
「心変わりしてるとか、疑わないんだ?」
「ウビン、てめぇ!」
殴り掛かるジュンピョを軽く躱し、ウビンはふっと笑ってみせた。
「ジュンピョはともかく」
それをイジョンが受け、ジュンピョの肩に手を置く。
「ジャンディは、変わったよ。いや、元に戻ったっていうべきかな」
「何?」
「心変わりとかじゃなくても。あの頃…お前の親父さんが倒れて、強制的に中国に連行された後」
マカオでの新事業開発と、JKグループとの提携のために奔走して、何が大切なのかを見失っていた頃。
「ジャンディは、肩の故障のせいで泳げなくなって、毎日泣いていた」
それを支えていたのがジフだということは、多分、言わなくても分かっていることだろう。
「ジュンピョが言ったからって、だからおとなしく待ってるんだって、それでも俺らには笑ってみせてさ」
正直、泣いてくれてた方がマシだと思うほどに、その笑顔が痛々しかった。
けれどおそらく、ジャンディが涙を見せるのは恋人のジュンピョではなく友だち以上恋人未満のジフで、そんな微妙な関係はいつかどこかで破綻すると分かっていた。
だから。
「それでも、なんか吹っ切れることがあったんだろうな。突然お前に会いに行くって前向きになって、やっとジャンディらしさが戻ったなってうれしくて、俺たちも協力して送り出したんだ」
それは、本当に好きなら追いかけろと、ジフに発破をかけたジャンディらしい決断だったから。

きれいなきれいなトキヤを、そのままずっと大事にしたいと思う音也の気持ちの裏側で、降り積もった白銀の雪を踏みにじるのに似た感情があることを、レンは知っていたのかもしれない。

「きれいだよ」
部屋の中には、音也とトキヤだけ。
同室のふたりだから、どこか別の場所に戻らなくてもいいし、扉を施錠してしまえば、邪魔な友人たちも入っては来られない。
だから、無邪気なふりも、まとったあどけなさも全部かなぐり捨てて、音也はトキヤを腕の中に捕らえ込んだ。
「漆黒の海のような瞳の中に」
どこが好きなのか、
「夜光虫が見える」
なるべく思いつくきれいなものに例えて。
吸い込まれてしまいそうなほど深い、けれど決して闇にならないトキヤの瞳にひそむ、きれいなきれいな、そしてひそやかな光。
瞬きするたびにさざ波のようにざわめき、音もなくきらめく。
と、一生懸命音也は考え、試験の時よりもうんとずっと真剣な態度で告げたのに。
あろうことか、トキヤは音也の耳元で、くすくすと笑い出したのだ。
「と、トキヤ?」
唇の端をほんの少しあげた苦笑や自嘲気味の皮肉な笑みばかりで、普段はにこりともしないトキヤが、音也以外に誰もいないとはいえ、こんなふうに笑うのは本当にめずらしい。
というか、初めてかもしれない。
「…音也」
わずかにうつむいたトキヤの、音也に倣って音量を抑えているがために少しだけかすれ気味の声が、あたたかい風となって音也の首筋に落ちてくる。
「なに?」
期待は、熱となって体内に灯る。
「吹き込んだのは、レンですね?」
なぜか確信を持って囁き返されたトキヤの言葉に、音也はそれまでの緊張が一気に抜けていくのを実感した。

「それで、何を吹き込まれて来たんです?」
脱力して、しゃがみ込みそうになる身体を叱り飛ばし、音也はなんとか体勢を保っていた。
トキヤもおそらくその微妙、ではないかもしれない変化を感じたのだろうが、それでも音也に壁に押し付けられたままの姿勢でいてくれる。
「ええっと」
真っ直ぐなトキヤの視線は、彷徨いたがる音也のそれを、強力な磁場のように惹き付けて、離さない。
けれど、視界の端の方には、トキヤの首元があるのだ。
きっちりと一番上まで留められているパジャマのボタンは、けれどそのデザイン上、喉元までしっかりと隠される制服のシャツに比べれば、首周りはかなりゆるく、ゆえに、鎖骨の真ん中のくぼみも見えている。
トキヤは濃い色のものを身につけることが多く、それはパジャマも例外ではなく、今も濃紺のさらりとわずかに光沢のあるものを着ている。
その色と、もともと色白な上に日焼けをしないように細心の注意を払っているために透けそうな肌色とのコントラストが、風呂上がりのほのかな石けんの香りと相まって、舐めたくなった。
『身体中、指と手で触って、キスして、舐めて、』
ふと、レンの言葉が脳裏でよみがえる。
そしてようやく音也は、
『こういうの、煽られるって言うのかなあ』
などと、レンの言葉の意味を理解したのだった。
が。
「音也?」
もちろん、こんな風な態度を取った音也へ、トキヤの追及の手がなくなるわけではなくて。
「…呆れたり、しない?」
もともと、親しくなった人から距離を置かれるのが苦手な音也は、それが大好きな人だったりすればなおのこと。
だから一応、お伺いを立ててみた。
「今さらでしょう?」
返って来た返答は、トキヤらしい言い方で、でもその口調は普段よりもまるくて、音也はうれしくなった。
だからつい、言ってしまったのだ。
「俺、トキヤが欲しい」

沈黙が、まるで形のあるもののように音也の肩にのしかかる。
わずかもブレないトキヤの瞳が、音也の深意を探っているようで、痛くなる。
でも、トキヤを抱えたままの音也の腕は振り払われたりしないから、どうしていいのか分からないのだ。
「あ、呆れた、よね、やっぱ」
はは、と笑ってみせても、トキヤは動かない。
まいったな、と、頭を掻こうとして、でもそうするためにはトキヤから手を放さなくてはいけないことに気付いて、音也はさらに困ってしまった。
「トキヤ?」
どんな反応でも、あった方がマシだ。
例えそれが強烈な拒絶であったとしても、それでもこんなふうに無言のままでいられるよりは、ずっといいと音也は思う。
時間にすれば、おそらく、十数秒。
それでも、音也にとっては何時間にも匹敵する時間だった。
だから、
「音也」
そう、トキヤの唇が動き、音を発したことに、反応が遅れてしまったのは仕方のないことだろう。
「音也、順番が、違いますよ」
「じゅんばん」
「そう、なぜ、私が欲しいのか」
トキヤの声は、さらさらとしていて、音也の耳に優しく染み込んでゆく。
「そもそも、欲しいの意味も分かりませんし」
こんな声で、切ないバラードを歌われたら、きっと泣いてしまう人はたくさんいるに違いない。
「それよりもまず、言わなくてはいけないことが、あるでしょう?」
ワガママを、そうと気付かず、聞いてもらえないことが理不尽だと地団駄を踏む子どもを、諭すように。
伝えたいことが滅裂になる音也の縺れて絡まった糸を、トキヤの声が、ひとつずつほぐしてゆく。
「言わなくちゃ、いけないこと…?」