気ままに吐露トロ -11ページ目

気ままに吐露トロ

あれこれ好きなことを、覚え書き。

あんた以外は何もいらないんだ
だから、俺の心をあんたの愛で満たしてよ



約束の4年が近付くにつれ、つくしの横顔が曇りがちなことに、類は気付いていた。
「ま~きの」
だから類は、いつものように、非常階段でつくしに声をかける。
手摺に凭れてぼんやりと空を見上げていたつくしは、類の声に振り向き、ふんわりと笑った。

1年目は、というよりも司がNYへ発って数ヶ月は、こちらの時間も都合も問わずで頻繁に連絡を入れていたらしいが、いつの頃からか徐々にその回数が減り、今ではほとんどなく、最後に話したのは何ヶ月前だっけとつくしが落胆の色さえ見せずに訊いた類に答えたのが、数日前。
「悩みごと?」
隣に立ち、顔を覗き込むように訊く。
「や、やだな、なんで?ってか、か、顔、近いから!」
相変わらず隠し事が出来ないつくしは、それでもなんとか誤摩化そうとした結果、瞬きしたりキョロキョロしたり両手をバタバタさせたりと結局挙動不審になり、類の笑いを生むことになってしまった。
類はひとしきり笑い、ぷくっとふくれたつくしの頬を人差し指でちょんと突いて、
「ここに書いてある」
一言そう告げる。
つくしのどこか憂いを含んだ表情が、この頃やけにきれいにみえることに、早くなる鼓動を隠して類はポーカーフェイスを装った。


高校卒業と同時に司はNYへ行き、F3はそのまま大学へと進んだ。
3年生になったつくしには卒業後の進路の選択が迫り、悩んだ末に授業料を含む全ての学費が免除される特待生として英徳の大学部へ進むことに決めた。
家庭の事情から卒業後は就職希望だったつくしの、けれど本心では大学進学を望んでいたことを知っていた類が薦めたのだ。
もちろんそれは司も望んでいたことで、どうやら勝手に学費を振り込んだのだがつくしの猛反対にあい、それでも英徳大に通うのならと費用の負担は渋々諦めたらしい。
ともあれ、卒業まで上位の成績を維持すれば奨学金は返済不要というセレブらしい太っ腹な制度はつくしのやる気を喚起したようで、もともとバイトで忙しい時でさえそれなりの成績をおさめていた上に、とにかく受験まではとバイトを最低限に減らして勉強に充てたこともあり、無事特待生枠で合格したのだ。
類はその間ずっと、当然のように高校の非常階段へ通い、放課後は当たり前のようにつくしを邸へ連れて行き、受験勉強を臨時の講師として手伝った。
何度も『忙しいのに』と遠慮するつくしを、高校同様にほとんど講義に顔を出さず、また花沢への時間もまだ少なかったこともあり、ただ一緒にいるための口実を捻出するのに苦労していた類にとっては、『牧野のためではなく自分が好きでやっているのだから』と言い包めることは容易かった。
大学に入れば入ったで、F4ほどではなくとも大企業の子息が多い英徳は学力レベルも当然高いから、授業についていくだけでは上位の成績は維持出来ないだろうと言いながら、同様につくしの勉強に付き合って。
結局、司がいない日々、つくしの隣にはずっと類が寄り添っていた。
つくしがそれを望んでいたのかどうかは不明でも、ただ類がそうしたかったのだ。
たとえ自分に想いを向けてくれなくても、司との将来が叶った時でも、男女の仲とは違った立ち位置でもいいから隣に立つことを許してほしくて。


けれど最近、それだけでは説明できない何かが、確かにふたりの間にはあって。
司からの連絡が滞り始めた頃のつくしは、さみしそうで、けれど空元気で笑ってみせていた。
その笑顔の質が最近、変わってきたように類には思えるのだ。
司を憂えるものであることは間違いないはずなのに、そこに含まれる意味がいつの間にかゆっくりと角度を変えたような。
もともと勘が鋭く先見の明にも優れた類は、けれどその生い立ちから己に関係のあることですら、可能な限り無関心でやり過ごす。
それなのに、と類は軽く息を吐いた。
「俺には、言えない?」
うろうろと落ち着かないつくしの視界に無理なく入るように顔をさらに近付ける。
「や、ちょっ、と…」
反動であごを引くような体勢になったつくしの背中に手を添えて支え、同時にそれ以上離れないように囲い込む。
「司のこと?」
親友の名前を出すたびに痛むどこかには気付かないふりをして、類はつくしの黒目がちな瞳を覗き込んだ。
「え、と、道明寺?」
そこには、なぜその名前が今出て来るのかが分からないという、あまりにも素直な色が類を映していて、心配が杞憂であることに安堵する。
「違うの?じゃあ、何?」
嘘や誤摩化しがヘタクソなつくしだけれど、わざわざそうさせて困らせるのは類の本意ではないから、考える暇を与えずに畳み掛ける。
「何って、なんでも…」
「ないことないよね?」
否定の言葉をわざと遮り、さらに顔を近付ける。
「は、はなざ」
「俺が分からないと思ってる?」
にっこりと笑ってみせれば、途端につくしの顔が朱に染まるから、からかいを装って近づくことを類は止められないのだ。

「道明寺とね、友だちになったの」
ギブアップしたつくしが階段の一番上に腰を降ろし、類は壁にもたれ、つくしの体を長い両脚で抱え込むように座り込む。
そのまましばらくは冷たい風だけが時間を流れていたけれど、ふ、とひとつ息を吐いてつくしが音にした言葉は、類を驚かせるものだった。
「…いつ…?」
司からの連絡が途絶えてからもう何ヶ月も経つと聞いたばかりである。
その意味を、つい期待してしまうのを類は自覚していた。
「ん、と、1年半くらい前、かな?」
少しだけ類を振り向いてえへへと笑い、またつくしの視線は階段へと戻る。
そんなにも前に、と驚きで声を出せない類をどう思ったのか、つくしは慌てたように言葉を並べた。
曰く、司はNYへ行って2年も経つと、仕事がおもしろくて夢中になってきたこと、また4年では帰国の目処が立たないこと、かといってほとんど仕事で家に戻らず、世界各国を飛び回る司を待つだけのためにつくしをNYに呼び寄せることは出来ないこと、特待生とはいえいまだ学生で司の補佐につくことが出来ないつくしを楓は認めていないこと…。
「だから、ごめんね、いっぱい心配かけちゃったのに、言い出せなくて」
バツが悪そうに言うつくしを、類はじっと眺めた。
1年半前と言えば、確かに道明寺が僅かずつその業績を取り戻し、伸ばし始めた頃だ。
同時に、問いかけなければ、つくしから司の名前をまったくと言っていいほど聞かなくなった頃。
そして。
つくしの笑顔が、なにかを吹っ切ったかのように、曇りのないものになった頃。
あんなにもお互いに想いあっていたのに、遠距離で心が離れたにしても、きれいに笑えたその理由はなぜ?
そして、ならば今更また憂いをその心に住まわせているのはどうして?
言葉にならず、類の中でぐるぐると回る。
「あ、あの、花沢類…」
無意識のうちに類はつくしの小さくまるい後頭部と華奢で細い腰を引き寄せてしまっていて、素直に身を任せることも押しのけることも出来ないつくしが戸惑ったように名前を呼ぶ。
「それだけ?」
つくしの耳元に落とされた類の声は、囁きほどに低く、掠れる寸前のように乾いていた。
「じゃあ、何悩んでるの?」

**********

「何、ってまあ、そろそろ卒業後のこととか、かな?」
類の両腕は、力は緩くなりはしたもののつくしを放す気配は全くなく、仕方なくつくしはそのまま上半身だけを類の方へ僅かに向け、僅かに首を傾げた。
「かな、なの?」
つくしの角度と同じだけ類も沿うように首を傾げ、どこか斜め上を見つめるつくしの瞳の視線を追う。
「就職先とか、いろいろあるしさ」
奨学金の特待生、それが普通の大学でのことならば、雇う企業側としても十分に選考の価値あり、とみなすだろう。
だが、それが英徳となれば、事情が変わってくる。
何よりも強力なバックである道明寺を無視するわけにはいかず、しかも後継者である子息と関係浅からずの人物となれば、どこも二の足を踏もうというものだ。
もちろん、雇い入れることによって次期社長の心証を良くし、今後の関係を良好なものに出来れば儲け物ではあるが、現社長である道明寺楓との関係は公にはなっていないものの子息の配偶者にも厳しい目を向けるであろうことは想像に難くなく、となれば、類にさえ今まで告げなかった司との別れが公になっているはずはなく、おそらく『4年後の約束』を覚えているお偉方は多いはず。
であれば、現社長の機嫌を取るか、次期社長に期待するか、迷って無関係を決め込むのが得策という結論が出るのは、ジュニアであれば想像することすら不必要なほどに明白だ。
かといって、一般企業であっても、道明寺とまったく無関係であるところなど皆無と言っていい。
そして、中小企業であればあるほど、大企業の機嫌を損ねないよう細心の注意を払うものだ。
結果、つくしの就職活動は暗礁に乗り上げていたことになる。
もちろん、今までバイトをしていた団子屋や両親が一時身を寄せていた漁村など、社会的に見て末端に位置するところではそれほどの影響はないだろうけれど、生涯それに従事するという覚悟でもない限り、一社会人としての就職先としては心許ないこと甚だしい。
そういうことを、つくしは類に話さない。
類に限らず、誰にも頼ろうとはしない。
それを水臭いと思うのと同時に、誇り高いその矜持を大切にしたいとも、思うのだ。

ほとんどが親の事業を継いだり政略結婚をしたりすることが多い英徳の学生たちだが、つくしほどではなくとも一般家庭の生徒もいないわけではなく、就職活動をするものもそれなりにいる。
それでもやはりコネがもっとも有力であるため、他の学生たちよりも早い時期に試験らしいものもなく決まってしまうことがほとんどだ。
その中でようやく、つくしの場合は事情が異なるものの、それでも3年時を終了した春休みにはすでに内定をもらうことができ、社長以下ほとんど重要な職を女性が占めている新進の外資系事務所へ勤める予定になっていた。
確かに資本が国内でなければ、いくら国際的に大規模に事業を展開している道明寺でもそう簡単に手出しは出来ないし、国内の企業のように道明寺の名前を恐れない。
すでに別れたとはいえ、道明寺の跡取り息子の相手として公共の電波を使って宣言したことを忘れていないお偉いさんたちは少なくないはずで、だからこのつくしの選択はある意味正しい。
だが、いまだになあなあですませる国内企業とは違い、ノルマもきつい上に相手が海外ということで終業時間も不規則で、その大変さから常時人手不足だということをつくしを心配して調べて知ったF3は執拗に離職をすすめたものの、やり甲斐と、能力次第では高みを目指せるという環境がうれしかったのだろう、つくしは頑として首を縦には振らなかった。
もともと家計のためとはいえ働くことを厭わず、頑固なまでに自分の意思を貫く強さも持ち合わせているつくしなら、頑張った分がきちんと頑張ったと目に見えて分かり認められれば、少々のきつさなど何でもないことに違いない。

単位は充分以上、就職先も決まり、F4の取り巻く輩からの嫌がらせもなりをひそめている昨今、それなのにまだ何か憂えることがあるのかと、類は内心で首を傾げた。
「就職先は、良さそうなところなんでしょ」
「ああ、うん、それはもちろん」
何でもないふりで問えば、どこか慌てたように取り繕った笑みを作るつくしに、形のないどこかがちくりと痛んだ気がした。
「俺にも、言えない?」
つくしがその表情に弱いと知っていてわざと、類は哀しそうな顔をしてみせる。
春休みで他の学生の姿はほとんどなく、常でさえ静かな非常階段は今、いまだ冷たさをはらむ風が通り抜ける音だけしかない。
他に行く場所がないわけではないのに、それでもなぜか類とつくしはお互いの時間の合う時には非常階段に来てしまっていた。
「えっと」
ほんの少しあごを引いて、自然上目遣いになるつくしの、黒目がちな瞳がわずかにぶれているのに気付いた類は、細い身体を囲う腕の拘束を強くする。
「花沢類、もう…ここには来ないでしょ」
司がNYへと渡ったあとも、大学生になった類はつくしを訪ねて類は高校の非常階段に通っていた。
つくしが大学に入ってきてからは、場所こそ大学の建物に移動したものの、同じように類が見つけておいた居心地のいい場所で同じ時間を過ごした。
一緒にいる時間が長くなり、ふたりでいることが当たり前になり。
けれど、学生というある意味保護された空間であればこそ赦されたそれは、社会に出ることにより雲散霧消してしまう夢のようなものなのだと、類らの卒業で初めてつくしは気付いたのだ。
そして、どれほど彼らに、類に、甘やかされていたのか、ということも。
目立たぬようにと息を潜めて過ごしていたころには待ち遠しかったその瞬間は、いつの間にか少しでも遅くと願うことさえ忘れるほどに日常になり、けれど現実は突然投げ込まれぽっかりと夢から覚めてみれば、以前のようにひとりきりの時間が待っていた。
「社会人だもんね、っていうか、Jr.だもんね、さすがに仕事サボってお昼寝ばっかりは出来ないでしょ」
あはは、とつくしが笑ってみせても、類の瞳はじっと揺らがない。
「ねえ、それって」
つくしの無邪気な笑顔は、いつでも類の感情を根底から揺るがす。
恋と愛の違いさえ分からなかった類の、唯一、両親や使用人らはもちろん、司も総二郎でもあきらや静でさえも、おそらくは諦めていただろうその部分。
惜しみなく与えられることが当たり前で、けれど愛情という名に隠された世俗欲というそれは時に類にとっては過剰で、けれどそれらを受け入れられないことが負担になり、心さえも閉ざした、あの頃。
思い出すことさえ、呼吸困難に陥るほどの、その記憶だけれど。
「俺、思い上がっても、いいの?」
類は今、違う理由で呼吸困難になりそうで。
「俺が卒業して、ここに来なくなる、それを牧野がさみしいって思ってくれてるって、そう、解釈してもいいんだよね?」

太陽やひまわりに例えられるつくしの笑顔は、類にとってはつくしの心情を測るバロメータとなる。
心の底から笑っているか、取り繕うように作っているか。
幼少の頃から、感情があることさえ疑問視されるほど表情の変化に乏しかった類は、けれど、心がないという訳ではない。
むしろ誰よりも繊細で、その固い殻は自身を護るためには必要不可欠のものだったのだ。
F3はその殻を柔らかくし、静は薄くしてくれた。
だからこそ類は、最低限、人としてなんとか生き存えることが出来たのだ。
それでも取り払えなかったそれを、まるで何もなかったかのようにあっさりと通過し、萎縮し渇いていた類自身さえ気付かなかった何かを潤し、当たり前のことを当たり前なのだと教えてくれたのがつくしだった。
喜怒哀楽、そんなたった4つに区分されてしまうような簡単ではない感情を惜しみなく注ぎ、与えられるだけではなく求めていいのだと教えてくれた。
地位、名誉、由緒、そういう今まで重視すべきだった条件を何も持たず、そもそも損得を考えることさえしないつくしに、当然と受け入れていた世界を覆され、良くも悪くも救われたのはおそらくF4だけではないだろう。
類が知る限りでも、F4以外でも桜子や滋をはじめ、モデル男や司のコピー、キアーイのおじさんなど、つくしに感化された人たちは驚くほど相手の素性から場所まで多岐に渡る。
そしてこれからもそういう人が増えるだろうことは、想像に難くない。
それでも。
「俺、これからも牧野と一緒にいたいって、そう言っても、いい?」

**********

あれから、類とつくしの距離は急速に縮まった。
その急すぎる変化は、類の幼馴染みである総二郎やあきらはもちろん、つくしの親友である優紀でさえも驚きを隠せないほどだった。
それぞれが、つくし曰くのジェットコースター並みの恋愛を間近で見守ってきており、長年付き合ってきて初めて見せる司の人間的な言動に喜ぶ総二郎やあきらはもちろん、幼少の頃から責任感が強いつくしが甘えることが出来るのであればと優紀も応援しようと思っていた。
が、切欠は司がつくしに関する記憶だけをなくしてしまったことによるが、つくしの痛みや辛さを我がごとのように感じて寄り添う類に、もともと己の一部だとさえ豪語していた傷ついたつくしが、プライドを含めてあらゆることを取っ払った時に頼れる人など、他にはいなくて。
「でも、幸せそうだから」
そう言って微笑んだのは、つくしの幼馴染みだ。
いつでも自分より他の人を思いやり、そのために自分が傷つくことも厭わないことを、話を聞く以外に手助け出来ないと憂いていたから、その言葉は貴重だ。
「初恋でね、白馬の王子様なんだって」
くすくすと笑う、その姿は親友の幸せを何よりも喜んでおり、同様な関係であるはずのF4の感情をも揺さぶったとは夢にも思っていないに違いない。

「なんだかね、街が浮かれているみたい」
あいかわらず、学生の時分は英才教育を受けていたために余裕があったからとの言い逃れも出来ようが、社会人となり良くも悪くもJr.として注目を集めているというのに、やっぱり類はつくしに会いに来ていた。
高校時代のF4とつくしを知る者は、司がNYに行ってからというよりも出会ってからのふたりを知っているがために今まで通りに見えるが、F3が大学部へ異動してから英徳に来た生徒にとってそれは、おおよそは噂として聞きかじってはいても、世界的にも有名なF4のひとりが頻繁と言えるほどに母校を訪れるなど、特異なものであったに違いない。
けれど類にとっては他の誰がなんと思おうが構わない、というスタンスは不動だ。
心に抱えるそれが恋だと思い込み、つくしに背中を押されてフランスまで静を追ったものの、環境が変わったことも理由のひとつだろう、かなり早いうちに自分の思いが何であるかを知ることが出来た。
だからこそ、静に相手がいるというゴシップを理由に帰国し、気付いた気持ちを伝えようとしたのに、相手はすでに立つ位置を親友の隣と決められてしまっていた。
諦められずに足掻こうとして司の逆鱗に触れ、確かにつくしとの関係を繋ぐことは出来たものの、それ以下にはならないもののそれ以上にはなり得なかった。
それが、今。
「わくわくして、ドキドキして、息も出来なくなりそう」
欲目が多分に混入しているという自覚はあるものの、親友に見せていたそれよりもさらに明るく爛漫な笑顔を見せ、発せられる一言ごとに心が乱れることを、分かってくれているのだろうか。
記憶にないほど幼い頃はともかく、覚えている限りにおいて、類の中にあるのは諦めと、傍観。
病んだ心を救い上げてくれた静も、友だちとして隔てなく接してくれたF3も、大切で失くしたくないものであることは確かだけれど。
それでも、例えば静が己の道を進んでいくことを止められなかったように、離れてゆくのであれば仕方がないと、ある意味諦め、手放してしまえるものでしかなかった。
類にとって、周りからは大切だと思われている存在ですら、本人にはそんな程度の価値でしかなかったのだ。
その頃の類ならばきっと、F3ですら、同様だっただろう。
それが、いつからか、手放せなくなっていた。
軽い男だと装い、もしかしたら本人もそう信じているかもしれず、けれど誰よりも真っ直ぐな心を持つ、総二郎。
女系家族の所為か、中立だの調停だの、そんな立場を強いられることが多い故に、本人が望まざるを得ずとも調停役を強いられ、けれど彼の存在故にF4がF4であり得るという安心感をくれる、あきら。
どこまでも俺様で何よりも自分を優先する言動は嘘がつけない真っ直ぐさ故であり、欲しいものは諦めない素直さも、もしかしたら一番真逆でありながら、誰よりも類に近い存在であったかもしれない、司。
そして、献身的に、けれど女王然として、惜しみなく家族愛というものをを教えてくれた、静。
彼らが彼らであるが故に類が類としていられたのだと、気付かせてくれた人に惹かれずにいられるはずがない。
「ね?花沢類」
煌めく陽光よりも輝く笑顔で振り向かれれば、類の心臓は超過勤務を強いられる。
もうずっと以前に、平静ではいられないと告げたにもかかわらず、毎度毎度類の心臓を酷使させるつくしに恨みさえ生じるほどで。
何気ないつくしの一言一言、ただそれがつくしが言うからというだけで心が乱されると気付いたのは、もうずいぶん前になる。
そんなことは類にとっては初めてのことで、両親はもちろん、静もF3も、教えてはくれなかった。
切ないという、曖昧で説明できない形容詞を、今、類は体ごとで実感していた。
思い、思い出し、その存在を夢の中にすら追い求め、もともと放棄しがちな日常生活がさらに緩慢になる。
鼓動のひとつひとつが彼女が欲しいと脈打つ度に主張し、それはまるで、昔テレビで見てあり得ないことだと分かっていたからこそ憧れた映画のように、心と体がひとつにつながらなくて。
無意識のうちに築き上げていた自分というものが、脆くも崩れ去る音を、類は聞いたような気がしていた。

『花沢類』
夢の中でも現の間でも、いつだってその声は類を呼び起こす。
目覚めたその場所が非常階段で、黒目がちの大きな瞳が笑いを含みながら見つめているのを見つけると、幸せになる。
心地よいまどろみの終わりが自室のベッドの上で、その声が幻聴でしかなかったと気付くと、以前は何よりも大切に思っていたその時間さえ幸せを邪魔されたように感じてしまう。
「こんなに近くにいるのに」
意図せずに漏れたのは、夢の刹那に滑らせたため息。
もともと牧野家は、中流階級に手足をひっかけているくらいの、とりあえずは贅沢をしなければさほどの苦労はない生活をしていたらしい。
けれど、何をトチ狂ったか、両親がこぞってつくしを英徳に入れることに躍起になり、その学費の高さ故に他の出費を抑えるためにかなりの節約生活に切り替わったのだという。
だけならばともかく、うっかりF4の赤札に対抗したために司の関心を買い、それに伴って道明寺家の迫害を受け、公私心身共に一女学生が堪え得る限界をはるかに超した圧力は、自身よりも家族や友だちを大切にするつくしをボロボロにした。
類から、幼馴染みで親友であるという贔屓目をなしに客観的に見ても、自侭で暴力し放題だった司がつくしのために慣れない我慢もし、実の母親でありながら誰よりも遠く畏怖する存在だった魔女を相手によく頑張ったと思う。
けれど結局、司は『道明寺』という名前から離れることが出来ず、一度は家を出ることさえ決心したのに、二者択一を迫られてつくしを手放した。
それを責めるつもりは毛頭ないけれど、いずれは支配することになるのだろうが、今はまだそれに振り回され、奔走させられている。
そんな司を見る度に、そして無邪気に笑顔を見せるつくしを想う度に、類の中に葛藤が生まれるのだ。
司とのことは吹っ切ったといって間違いはないだろうほどに、つくしの言動は明るい。
けれど、だからといって類との距離を縮めようとする訳ではなく、むしろ僅かずつではあるが離れている気がしないでもない。
類としては何でもないこと、むしろ捨てても構わないとさえ思っているその名前は、けれど魔女から圧迫を受け続けたつくしにとっては忌避すべきものであるらしく。
『次はね、家柄とかそういう面倒なもの、考えなくていい人がいいなあ』
そんな風に言うつくしに、類は一線を引かれたように感じ、どうしたら想いを受け取ってくれるだろうと悩ませられるのだ。
「それだけじゃ、まだものたりないっていうの?」
些細なことですら根底から感情を揺り動かし、僅かな表情の変化さえも焦りを呼び起こし、全てを面倒の一言で片付けていた類を全力疾走させるなど、脅威以外の何ものでもないとため息が出る。
それなのに本人はいたって暢気に日溜まりでまどろみはじめるから、次は大切な講義だと言っていたことを思い出して目覚めを促す。
「…ん、は…ざ…るぃ…?」
陽光に透けた金茶色の髪が眩しかったのかつくしは数度ゆっくりと瞬きをし、のんびりと名前を呼ぶ声が掠れる。
眠そうに開いたそのつくしの眼差しがとろけるように甘い色を含んで、類は動けなくなる。
「動かすだけじゃなくて、止めるのも得意なんだ?」
身体も心臓も、持ち主の意を無視して忙しなく動いたと思えば、突然止まってしまう。
そしてようやく類は、諦めに似た境地で気付いたのだ。
理由などないのだと。
飛べそうなくらい上の空になるのは、このまま時を止めたくなるのは、愛なのだと。
まるで昔、現実にはあり得ないわねと静が苦笑していた小説みたいに、ある日突然、類の上に訪れたのだと。

**********

「こりゃ、類の粘り勝ち、だな」
司のように、馬鹿なほどに真っ直ぐ好きなものを好きだと公言し、愚直なまでに障害にも正面から体当たりをするのは、おそらく何よりも正しい態度なのだろう。
自分にも、相手に対しても。
けれど、立場や周囲が、というよりも母親がそれを許さず、自分の息子に反意を示すだけでなく、まだ高校生である相手のつくしにすら卑怯なまでに汚い大人のやり方を駆使して排除しようとした。
それは、いくらF4と呼ばれ特別視されていても、所詮ジュニアはいまだジュニアでしかなく、どれだけ本気を出してもシニアの出すゲーム紛いの手にすら勝てないのだと思い知らされた苦みを伴う経験でもあった。
それなりの教育を受けて来たF4ですらそうなのだから、一介の学生であるつくしにとって、その壁はどれほど厚く、高かったことだろう。
類はだから、とにかく司とつくしが続けられなかった原因が自分にも当てはまる可能性を考え、さらにはそのためにつくしが踏み出せなくなっていることも承知の上で、きっちりと外堀から固めたのだ。
もともと、幼少の頃に心を病んだ事実がある類の両親はむしろ、F3や静ですら成し得なかった『類の心からの笑顔』を引き出したつくしに対し、はじめから好意的であったことも一因だろう。
花沢の後継者としてはもちろん、一般的な家庭の両親が愛息に望むことさえも断たれていたことを、つくしは意図せずに変えようとしているのだ。
「執着心、半端ねぇからなあ」
欲しいものはどれほどの障害があっても必ず手に入れる、その強さは司と類に共通することではあるが、欲しいと思ったら手に入るまで横柄に我が儘に主張する司と違い、類は欲しいと思っていることさえ周囲に気付かせることなく静観し、黙って状況を見つめ、寸分の狂いもなく確実に落とす。
そもそもがあらゆる欲というものが欠落しているように思われていた類だから、幼少の頃からあったその傾向もあまり重要視されてはいなかったが、もしかしたら今ならば、本気を出した類には魔女との異名も高い道明寺の母・楓さえも敵わないのではないかと思われるほどで。
そうしなかったのはただ、恋い想う相手がそれを望まなかっただけであるからということは、同じだけの時間を過ごした総二郎とあきらにはいやというほど分かっていた。

半ばポロポーズのような言葉をつくしに受け入れてもらってからの類は、この場に司がいないのがせめてもの救いだと思われるほどに激変した。
もともと感情の起伏を表すことはなく、F3はもちろん、静相手にですら、考えていることを悟らせるようなことはなかった。
…はずなのだが。
チェスをはじめ、先を読むことには長けていて負け知らずである類が、鈍感の代名詞であるといっても過言ではないほどのつくし相手に、遺憾なくその能力を駆使している。
先回りし、あらゆることを想定し、その時々で何が一番適切なのかを考え、行動する。
それは世話を焼くというにはあまりにも過保護で、ある意味、普通ならば引いてしまうほどの束縛でもあって。
少々勘の鋭い者ならば容易に気付くだろうそれは、けれど良くも悪くも鈍感さでは最強であるつくしには気付いてもらえず、むしろいろいろ迷惑をかけていると恐縮しているほどだ。
「類く~ん、能力を思いっきり発揮出来るようになってよかったねえ?」
ニヤニヤと薄気味悪い笑みにも、
「相手が鈍感牧野じゃなかったら絶対無理だっただろうな」
諦めたようなため息も。
どちらも幼少の頃の類を知っているからこそ、からかいに隠しながらも類の幸せを喜んでくれているのだと分かる。
何よりもその相手が、嫌いになった訳ではなく、けれどその生まれ持ったしがらみと性格から仕方なく別れを余儀なくされ、同様である立場の類とそっくり同じことが起きないとは決して言えない事情と状況であったからだ。
だからこそ、周到に、綿密に、誰も異を唱えることが出来ないようにするため、類は動いた。
今でこそ母とも姉とも慕う静ではあるが、いまだその気持ちが恋心であると信じ切っていたころであっても、類は不動だった。
静が自分の夢を叶えるためにフランスへ行き、ただ捨てられたのだと嘆くだけだった類に『好きなら追いかけろ』と発破をかけてくれたつくしがいてくれたからこそ、守られているという安心をくれた静と、護りたいと思うつくしと、初めてその思いの差異に気付けたのだ。

「こんなつもりじゃなかったはずなんだけど」
ふと漏れたのは、けれど、いい意味での『裏切り』に対するクレーム。
「ん…な、に?」
わずかに掠れた声が、類に夢と現の間を彷徨っていることを教えてくれる。
たったそれだけのことで、心の中が裸にされているみたいに思えるのは、そしてそれを嫌ではないと思えるのは、きっとこれからもたったひとりだけ。
「好きだよ」
だから、剥き出しの気持ちを、曝け出す。
曝け出しても、ちゃんと受けとめてもらえると分かるから、出来る。
言えばきっと照れるだけならともかく、それを隠すために力技を発揮しかねないことが分かっているから、わざわざ言葉にはしないけれど。
それでも、司と付き合っていた時には届きそうな手も出せなかった親友の彼女でしかなかったのに、今はもう、ただそれだけの存在ではないから。
出会う以前の、ただ自分を護ることだけが大切で、全てをまず拒否することから始めていた自分に、初めて自主的に何かをしたいと思い、望めるのであれば、その結果を好意的に受けとめてもらいたいと、今ならばそのときからそう思っていたと分かるから。
類は自分でも、こんなにも全てを奪われてしまうほどに愛することが出来るのが信じられないと、けれどその驚きは決していやなものではないと思い、ふんわりと笑うつくしの唇に自分のそれをそっと落とした。
ここしばらくの、つくしの憂鬱そうにも見える表情が、類の想像するようなものではなく、むしろ想像することさえ親友を裏切ると自ら蓋をしてきた恋心と同じものだったと知り、自分でも歯止めが利かなくなっているなと苦笑する。
それでも、つくしが司と付き合っていたころでさえも、つくしのためにならばどんなことでも出来たが、想いを受けとめ、そして返してくれる今、ただの寝太郎をうっちゃり、どんな時でもつくしが望めばスーパーマンの如く駆け付けられるつくしだけの王子様にでさえなれると思うのだ。
「約束するよ」
これから先、どんなことが起ころうとも、誰よりもそばにいて、力になれることを。
類はつくしを己の長い腕の中に閉じ込め、改めて誓った。
諦めることも、譲ることも、もう二度としないと。
ずっと守りたいと思っていたつくしの笑顔を、その原因と理由になるのは自分であるということを。

幸運は、寝て待っているだけでは手に入らない。
もたらす女神の笑顔も、遠慮などしていては見られない。
「初恋が実らないなんて、もう信じない」
そう言って笑うつくしの笑顔には、もう憂いはない。
「本当の幸せってさ、きっと小さすぎて、みんな見逃しちゃってるんだよね」
一緒にいられること、同じ景色を見られること、ごはんを分けあって、まどろみを共有すること。
小さな手を広げ、細い指を一本一本折っては数え上げる。
それは、司に宣言したように、一方的に『幸せにしてあげる』のではなくて。
「牧野」
「ん~、なぁに?」
類の専売特許であった、『どこでもごろ寝』をいつの間にか取得したつくしの耳元に、囁く。

『一緒に、幸せになろう?』