未だ成長期真っ直中、見るものが見れば、その骨格から音也はもっとガタイがよくなるだろうことは容易に想像出来る。
反してトキヤは、決して(翔のように)小さいわけではないが、完璧なカロリーコントロールの賜物か肉付きが薄く、もともとの造りもほっそりしているので、背に比してその体格は華奢な感じがある。
あまり骨張っていると、抱き心地はよろしくないのだが…というレンの個人的な意見はともかく、邪心はないにせよ、音也がトキヤを抱きしめるというかスキンシップをしたがっているということは、とりあえず明白となった。
「ぎゅー、はいいけどさ?」
レンはまた、幾分声をひそめ、テーブルと懇ろになりたがる額をあげて、がんばった。
「ぎゅーって出来たら、それだけでいいの?」
「へ?」
レンの言いたい、というか続けたいその先の内容が分からないらしい音也は、きょとんと瞳を見開いた。
そういう表情をすると、純朴さも相まって、年齢よりも幼く見えてしまう。
トキヤも好き、カレーも好き、トキヤは大事、ギターも大事、そんな、好きや大事に区別があるなんて知らないような。
「ぎゅーって」
ふと、レンは声を落とした。
「抱きしめて」
『身体中、指と手で触って、キスして、舐めて、』
耳元に落とされるレンの声は、まるで媚薬だ。
『音也をぶち込んで、奥まで突いて、ぐちゃぐちゃに掻き混ぜて、トキヤん中で蕩けたくない?』
吐息のような囁きは、耳をそばだてている翔にも聞こえなかったはずだ。
その時には、その言葉は音としては聞こえていたものの、ちゃんと意味を持ったものではなかった。
「ま、お子さまにはちょーっと早かったかな?」
なんて人差し指と中指を揃えてこめかみの辺りでふっと振り、ウインクまで付けて、レンは立ち去っていったけれど、音也はしばらく、動けなかった。
翔が慌てて、数瞬だけ音也を気にするように見てから、でもやはりレンが何を言ったのかが心配で後を追い、那月はもちろん、翔のいるところへ一緒に移動して。
ひとり残された音也は、例えばいきなりパンクロックで叫ばれたような、何を言われたのか分からなくて戸惑うような感覚の中、脳裏の中にトキヤを探してさ迷っていた。
トキヤなら、歌唱力はもちろん学力でも群を抜いて成績のいいトキヤなら、きっと今レンが何を言ったのか、理解出来るだろう。
理解して、噛み砕いた言葉で音也に教えてくれるだろう。
なのに、なぜかトキヤにそれを訊いてはいけないと思えてしまうのは、きっと言われた言葉の対象がトキヤだからだ。
ぎゅーって、して。
して、それから。
それから?
ふと、周りのざわめきが気になり、だからちゃんと考えられないんだと音也は思い、寮の部屋に戻ることにした。
そして。
トキヤを部屋で待っている間中、何度も何度も、音也の耳に落とされたレンの言葉がトキヤの頭の中で繰り返されていた。
「宿題は、もう済ませたのですか?」
凛としていながら、どこか穏やかに丸みを帯びたトキヤの声が、音也は好きだ。
バイトのあとは、おそらく本人は隠しているつもりだろうが、けれどそこには近しいものだけが分かる程度に疲れが滲み、少しだけ、そう、固定されたピアノのキーでは表せないがギターでならば出せるような、フラットになるほんの少し前くらいほどに音程が下がり、そして湿度も低くなるため、僅かにハスキー気味になる。
学園内ではどこか角張っていて、容易に触れさせない雰囲気を纏っているが、寮のこの部屋の中だけでは、トキヤは少しだけ、トキヤになる。
話しかけられたり触れられたりしないように幾重にも張り巡らされた鎧も、作られた能面のような表情も、硬く他人を拒絶するような声音も、全てとは言わないまでも、音也しかいないこの空間でだけは、薄くなる。
そんな些細なことが、嬉しいと思うようになったのが、いつからなのか音也自身にも分からない。
邪険にされても、迷惑そうに柳眉をひそめられても、それでもトキヤの近くにいたかったから、時なしに戯れついた。
もしかしたら、音也のその気持ちを一番に分かってくれるのは那月かも知れないな、なんて頭の隅で思ったほどだ。
本当にダメな時には、トキヤはきちんとそう言ってくれる。
だから、そうでない時は、迷惑そうなふりをしつつもちゃんと受け入れてくれるワケで、本音の本音ではきっとちょっとくらいは面倒だなあと思ってはいるのだろうけれど、邪険に扱うふりの下にあるトキヤの許容に、音也は甘えきっていた。
「今日は、そんなに難しくなかったから」
出される宿題は、音楽関係だけではない。
アイドル・作曲家の養成専門学校だから、授業内容も課題や宿題も、おそらく他の学校に比べれば音楽関係である割合は多いが、それでもだからといって他の科目を蔑ろにしているわけではない。
国語をはじめ、古典や漢文はその言葉の奥深さを、数学や化学は音階を理解するのに必要なロジックを、歴史は音楽が生まれてから今なお必要とされ愛されている理由を、それぞれきちんと学ぶことが出来る。
それらは知らなくてもそれなりに過ごしていけるが、知らないよりは知っている方がいいというのは当然で、歌うにしても作曲するにしても、知識は決して邪魔にはならないというのが根底にある。
特に、アイドルコースを目指すものにとっては、歌詞の裏に込められた意味を汲んで歌うことだけではなく、トーク番組はもちろんドラマに出演することになれば演技力等も要求されるし、そのためには『その場に応じた受け答え』が出来る方が望ましいに決まっている。
総じて、だから、出される宿題は多岐に渡り、勉学に関しては落第点すれすれの音也にとって、宿題は少なければ少ないほどいいという部類に入る。
それでも今日は、皆無とはいかないまでも、出されたものはそれほど難しいものではなく、だから、いつもはバイトに行くと消灯ギリギリかむしろ深夜に戻ってくることがほとんどであるトキヤが、音也がまだ起きている時間、しかも、明日の準備まで万端に整えられた時に帰って来たことは、幸だったのか不幸だったのか。
「ねえ、トキヤ」
おそらくは音也の睡眠を妨げることがないよう、机に向かうより先に浴室を使ったトキヤを、音也は捕まえた。
「俺、トキヤを、欲しがっても、いい?」
椅子の背もたれ越しに抱きしめるだけではなく。
ちゃんと視線を交わせる位置から。
「欲しいって、言っても、いい?」