本シリーズ第(39)回で取り上げた、国境なき医師団 日本の事務局長である村田慎二郎氏が、〔よく参考にしていたのは、『武士道』(新渡戸稲造著)と、『国民の歴史』(西尾幹二著)という2冊の本。まさかイラクのあのような場面で役立つとは、夢にも思っていなかった。〕と書いていました。

  ご参考:〔国境なき医師団がイラクで驚愕…「シーア派最高権威」が日本人に言った「衝撃の言葉」 『武士道』の本に助けられる〕

https://gendai.media/articles/-/117895?page=5

 そこで今回は、村田氏が掲げられていた西尾幹二著『国民の歴史**』(平成11(*1999)年、産経新聞社刊)を少し紐解いてみたいと存じます。西尾幹二先生のご略歴は、同書**によれば、〔昭和10(*1935)年、東京生まれ。昭和33(*1958)年、東京大学文学部独文学科を卒業。昭和36(*1961)年、同大学大学院修士。昭和54(*1979)年、同大学文学博士。(*同書発刊当時)電気通信大学教授(*現在同大学名誉教授)。〕となっています。(*裕鴻註記)

 元々ニーチェやショーペンハウアーなど、ドイツ哲学・思想の専門家である文学博士の西尾幹二先生は、戦後日本の歴史学会や教職員組合、そしてマスコミの多数の記者が、マルクス・レーニン主義史観(歴史の「科学的」発展段階説を含む)に大きく影響を受けてきたことを指摘し、本来のあるべき公正な史観から逸脱して、共産主義的な思想性・政治性を帯びた歴史教育に、偏向してきたことを憂い、より公正な歴史教科書をつくる運動にも参与されてきました。しかしある時点で同運動とは袂を分かち、それ以降は西尾先生独自の視点や立場から一貫した主張を世に問われてきた方です。西尾先生は、決して世に言う右翼などではなく、もちろん左翼でもなく、本来のあるべき公正な歴史を希求されているもの、とわたくしは理解しています。

   この西尾幹二博士が書かれた『国民の歴史**』は、この意味でも一読すべき本であると思います。因みに、全774頁の大作である同書**の目次は、次の通りです。これで構成の概要はわかります。

1… 一文明圏としての日本列島

2… 時代区分について

3… 世界最古の縄文土器文明

4… 稲作文化を担ったのは弥生人ではない

5… 日本語確立への苦闘

6… 神話と歴史

7… 魏志倭人伝は歴史資料に値しない

8… 王権の根拠 ― 日本の天皇と中国の皇帝

9… 漢の時代におこっていた明治維新

10… 奈良の都は長安に似ていなかった

11… 平安京の落日と中世ヨーロッパ

12… 中国から離れるタイミングのよさ―遣唐使廃止

13… 縄文式火焔土器、運慶、葛飾北斎

14… 「世界史」はモンゴル帝国から始まった

15… 西欧の野望・地球分割計画

16… 秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか

17… G O Dを「神」と訳した間違い

18… 鎖国は本当にあったのか

19… 優越していた東アジアとアヘン戦争

20… トルデシリャス条約、万国公法、国際連盟、ニュルンベルク裁判

21… 西洋の革命より革命的だった明治維新

22… 教育立国の背景

23… 朝鮮はなぜ眠りつづけたのか

24… アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その一)

25… アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その二)

26… 日本の戦争の孤独さ

27… 終戦の日

28… 日本が敗れたのは「戦後の戦争」である

29… 大正教養主義と戦後進歩主義

30… 冷戦の推移におどらされた自民党政治

31… 現代日本における学問の危機

32… 私はいま日韓問題をどう考えているか

33… ホロコーストと戦争犯罪

34… 人は自由に耐えられるか

 

   各章ごとの解説や論考には、各論的に様々な賛否の意見もあるかも知れません。私自身も同上書**と100%一致した見解ではありませんが、仮に部分肯定・部分否定の論は各々あったとしても、根本的な立場として、旧来の教条的な「科学的」と称する史的唯物論に基づいた、断定的かつ硬直的な歴史の発展段階説を主軸とする、「マルクス史観」のみに隷属する日本史観から、より客観的で自由な「様々な観点による史観」が生まれることは、基本的にとてもいいことです。

   この意味では、「史的唯物論」は唯一の正解でもなんでもなく、もっと大きく相対的に捉えれば、様々な立場が存在する思想的な価値体系のうちの、マルクス・レーニン主義に基づいた「ある一つの思想的立場の史観にすぎない」という客観的事実を、まずは冷静に受け止め、受け容れることが肝心です。これを金科玉条で絶対的な「科学的」真理だと強弁するような立場は、真に科学的姿勢とは言えない、一種の「信仰」に他ならず、むしろマルクス主義が毛嫌いして弾圧している、宗教的な教条主義的体系であると言えます。

   もとより、西尾先生のこの本を読んだ上で、批判するも賛同するも自由民主主義政体であるわが国では「自由」ですが、読まないで勝手に「色付け」をして批判するのは、知識人としてのあるべき真摯な姿勢ではないと存じます。まずは紐解くことが肝心です。

 その意味で、ここからは西尾先生のお考えをもう少し深く知るためにも、西尾先生には平にご容赦をお願いしつつ、同書**第21章「西洋の革命より革命的であった明治維新」から、一部を抜粋して少し読んでみたいと思います。尚、同書**内の原著引用部は〔 〕内に表記します。また筆者が適宜改行箇所などを加えています。

・・・明治維新とフランス革命は根本的に違うのか

 たまたま眼に触れた一例だが、立命館大学教授七人が共同執筆した『天皇制と民衆』(東京大学出版会・昭和五十一年)という本がある。

 〔明治天皇制国家は、その具体的な国家機構や政策が十九世紀後半期という世界史の段階に規定されて外見上は近代的な様相をもったとしても、十五、六世紀にイギリスやフランスで封建的危機のただ中からその克服=再編の権力として生まれ出たいわゆる古典主義的絶対王制と、その本質を同じくする前近代的国家権力であったのである。〕

 難しい書き方をしているが、ひと口で言えば、明治維新以降の天皇制度とフランス革命以前のブルボン王朝とを同一なものに見立てようという試みである。日本はまだ市民革命を経験していない。明治維新は革命ではない、とまず言いたいのである。

 それにしても、私のような(*歴史学の)素人の常識は、ギロチンで首を斬られたルイ十六世と明治天皇を一緒にしなくたってよいだろうと思う。不完全とはいえ日本では議会(*第一回帝国議会は明治23(1890)年開会)も一応開かれていたし(しかもアジアで最初にして唯一の議会開設は決定的に新しい出来事であった)、旧大名は解体されてフランスの宮廷貴族のような強力な実権を有していなかったし、権力の座についた薩長武士(*しかも主体は下級武士出身)は世襲の貴族ではなかったし、学歴や留学による人材登用の近代的システムもヨーロッパ以上に有効に働きだしていたではないか。それに明治になって、三菱、安田、大倉、渋沢などの新しい産業ブルジョワジーも活躍しはじめていたではないか。

   明治時代をフランス革命前のアンシャン・レジームになぞらえるよりは、皇帝ナポレオン三世を戴く第二帝政と比較するほうがまだしも実際に近いのではないか、と私などはまあ柔軟に考えたくなる。それよりもなによりも、フランス革命と明治維新とをこのように優劣の尺度で比較すること自体が、なにか下心あってのことならいざ知らず、まったくナンセンスな不必要事と私(*西尾先生)には思えるのである。

 そして事実、下心はあったのだ。

 先に引用した『天皇制と民衆』は昭和五十一年(一九七六年)刊行である。そして維新以降の天皇制度を、フランス革命前の絶対主義と同一であると規定したのは、一九三二(*昭和7)年のコミンテルン(*国際共産党、本部モスクワ)から日本共産党に与えられた運動方針の一つであった。これ以降、日本の歴史学会は、講座派理論と大塚史学(*大塚久雄氏)に代表されるように、右の規定をいっそう精密な理論で裏打ちするためのありとあらゆる努力を、孜々としてつづけ、ソ連の崩壊(*1991年)までその呪縛はずっと解けないままであったのである。否、今でも(*1999年当時)解けないままでなんとかごまかして生きたいために妄言を重ねている人も少なくない。

 本書をたまたま読んで、将来歴史学を学ぼうとする若い人がいたとしたら、ぜひ日本の(*歴史)学会が半世紀以上にもわたって、なお今日に至るまで、信じられない迷信に縛られたまま無知と盲目に閉ざされていた経緯(いきさつ)にどうかしっかりと眼を開いてもらいたい。諸君が生きていく時代には、ほとんど信じることのできない知的停滞が、さながらクモの巣にからめとられた小さな羽虫のように日本の知識階級をからめとり、呪縛し、身動きできない状態にしていたのだということを、勉強を始める前にしかと思い起こしてほしい。

 なぜ、フランス革命がこれほどまでモデルとされたかという先の問いに答えておく。彼らマルクス主義者たちが、フランス革命を最も典型的なブルジョア革命として完成品扱いしたがったのは、次の段階としてプロレタリア革命を予想し、というより確信し、歴史が必然の法則にしたがって動いていくことを理論化したいがためであった。明治天皇制度をフランス革命以前のブルボン王朝と同じだと規定する必要は、この順序を乱さないためにすぎない。すなわちプロレタリア革命に先行して、まずブルジョア革命が起きていなければ、歴史が必然の法則にしたがって動いていかないことになり、理論にそぐわない、と考えられたからであろう。なんというばかばかしいイドラ(偶像)が日本の学問を支配していたことであろう。・・・(**前掲書481~483頁)

 西尾先生のご指摘通り、ソ連は1991年に崩壊し、ベトナムのドイモイ政策や中国の改革開放路線による市場経済(つまり資本主義経済)の導入が起こり、元を辿れば、フランス革命で進歩的に、歴史の発展段階を真っ先に駆け昇ったはずのフランスは、その後一度も共産圏に加入したことはありません。そして帝政ドイツよりもさらに後進的と見られていた帝政ロシアで、世界初の共産革命が起き、共産党一党独裁体制のソ連が成立したこと自体が、そもそも発展段階説の「必然的歴史法則」からは逸脱した歴史事象だったという事実は、どのように糊塗し捻じ曲げて説明しても、おかしいことはおかしいのです。

   そしてその共産党の本家本元であったはずのソ連が崩壊し、それを機に、結局はソ連軍の軍事力と共産党の恐怖の政治支配で共産圏に組み入れられていた東欧諸国は、東ドイツのベルリンの壁崩壊とともに、次々と資本主義経済体制に移行しました。よしんばその後の資本主義経済が順調に発展していない面があるとしても、であるからと言って、元の共産党支配体制に戻ろうとする国はありません。この客観的かつ歴史的事実の推移を、知識人たるものは正確に理解し、受け止めて把握するべきです。それを未だに「マルクス主義の夢」から醒めやらず、幻想的な共産主義政権を求めるのは、果たして正しいと言えるのでしょうか。もちろん、現実的な社会福祉や労働問題の改善には、資本主義経済体制下であっても、政府は懸命に注力・努力しなければなりません。しかし、それとこれとは別の問題です。日本を北朝鮮のような共産主義国家にすることが、真に貧窮している日本国民のためになる、というような政治的主張がもしあるのであれば、ぜひその理由や根拠をご説明願いたいものです。

   少なくとも日本国民よりは北朝鮮の一般国民の方が、より一層の苦難と不幸に見舞われているように思われます。日本を北朝鮮化することが、真に日本国と日本国民にとって「幸せ」を希求するために必要だ、とおっしゃるなら、その理由をぜひお聞かせ願いたいものです。そして、この議論は、実に歴史学の世界にも連動しており、未だに史的唯物論の発展段階説によって、自称「科学的」に、資本主義社会は社会主義社会へ、そしてその先の共産主義社会へと必然的に発展してゆくのだ、という主張に基づいた「歴史観」でのみ、日本や世界各国の歴史事象を捉えて説明する根拠は、一体どこにどれほどの正当性がある議論なのか、をご教示願いたいと存じます。歴史学者の皆さんも、そしてこのような史観に共感されているマスコミ関係者の方々も、ぜひ根本的に考え直して戴きたいと切に願っています。

 本ブログ記事では、今までこの問題について、様々な角度やテーマの中で取り扱ってきました。そのうちのいくつかを下記にご紹介したいと存じます。まだお読みでない記事があれば、ぜひご一読をお願い申し上げます。

(ご参考)

「戦後日本型・左傾思想パターン」からの脱却の肝要性

https://ameblo.jp/yukohwa/entry-12755375085.html

今までに一億人の人民を虐殺してきた共産主義圏の「成績」

https://ameblo.jp/yukohwa/entry-12721515476.html

目覚めよ!左派知識人(14)共産党の甘言は「二段階革命論」からやって来る

https://ameblo.jp/yukohwa/entry-12777967210.html

目覚めよ!左派知識人(20)共産党の遺伝子は羊なのかオオカミか

https://ameblo.jp/yukohwa/entry-12780724752.html?frm=theme

意味への意志(prologue)「人間観」の基礎と「史観」における価値判断

https://ameblo.jp/yukohwa/entry-12742244975.html

日韓関係の歴史戦に関する考察(13)韓国と日本の革命論の相似性

https://ameblo.jp/yukohwa/entry-12656849710.html

日韓関係の歴史戦に関する考察(14)マルクス主義史観の法則理論

https://ameblo.jp/yukohwa/entry-12657024274.html

 

 わたくしは、決して西尾先生の「国民の歴史**」をそっくりそのまま国史とするべきだと言っているわけではなく、やはりいろいろな視点や視座から、様々な思想的・政治的立場をも踏まえた上で、現代の日本国と日本国民が概ね共感できる内容で、近現代史を含む日本国史を紡ぐ責務が、戦後日本にはあるものと存じます。それは一方的に右翼的視点でも左翼的視点でもなく、ある問題については両論併記でもよいとは思いますが、あくまでも確認できる限りの正確な史実を基にして、少なくとも大筋として概ね正しく、わが国の歴史の流れを総覧する日本史書が、書かれなければならないと思います。

   そしてそれは、わが国の歴史に関する基本的な立場であり、それを以って諸外国の人々にもきちんと説明できる内容であるべきであり、その中で堂々と主張すべきは主張し、反省すべきは反省するという、国際的にも信頼されるものでなければならないはずです。それは決して、安易に中道・中立を意味するものではありません。なんでもかんでも単純平均して、無思慮に真ん中の値を採るのが正論ではないのです。

   ただ、一方的にわが国の過去の政策(外交・戦争を含む)を全肯定する内容を主張し続ければよい、というわけではないと思います。やはり、先の戦争をどう捉えるか、に集約される問題があるわけですから、本当のところ、何がどうなってどうしたのか、何はやむを得なかったが、何は失敗したり読み違えたりしたのか、根本的には誰のどのような考え方が、現代の眼で見てもより正しかったのか、或いは正しくなかったのか、などの諸点を冷静に考究し、未来の日本国民には、正しく本当のことを伝えてゆかねばなりません。

   また戦争被害を与えたり、交戦相手であった諸外国の国民に対しても、きちんと主張すべきは主張し、反省すべきは反省する真摯な姿勢が肝心だと思うのです。

   この意味と文脈(context)に於いて、「全てが間違っていた」という全否定の説も、「全てが正しかった」という全肯定の説も、両方ともに極論であり、そもそも人間・個人にも、国家・政府・国軍にも、全く誤りのない無謬であることなど、現実にはあり得ないのではないでしょうか。当事者のミスや思い違いも含め、その根本的なものの見方や考え方にも、何らかの誤りがあったのではないか、そのような真摯な反省は、人としても国としても、やらねばならないことであろうと存じます。少なくともあの戦争に敗北した、という歴史的事実は厳として存在します。戦争のやり方が間違ったから敗戦したのだ、という立論をされる立場もあるでしょうが、戦い方を云々する前に、そもそもなぜ、あのような大戦争を開戦するに至ったのか、という真の原因を、きちんと調べ把握すべきであろうと思います。

 このわが国自身による、先の戦争に対する見解、評価と批判が、きちんと自国民に納得できる内容を伴って纏められていないことが、いつまでも戦後日本が、あの戦争を含む日本の近現代史を確定できないことに、つながっていると存じます。そして当然に、近隣諸国の反日的言論攻勢に対しても、しっかりと対峙して、説明の努力を重ねるための根拠としての、正当な国史が必要とされているのです。

 このように書くと大袈裟に聞こえるかも知れませんが、もしもあなたが、外国人に日本の近現代史、特に先の大戦のことを聞かれたら、一体あなたはどのように説明されるでしょうか。これは本記事の冒頭と前回に取り上げた、国境なき医師団 日本の事務局長である村田慎二郎氏のケースのみならず、官民を問わず、今の日本人が外国人と接した際に、必ず備えておかねばならない必須対策項目の一つなのです。

 実際に数年前、わたくしが乗船していた外航船舶の船内でも、他の外国人クルーたちに日本の歴史を説明する機会があり、私は私の思うところを英語で説明したのですが、そうした機会は、これから国際交流が益々盛んになるボーダーレス化の時代において確実に増えるのですから、若い世代の方々もいずれ直面することなのです。

 そこで、わたくしがもし外国人と日本の歴史について話をするとすれば、特に諸外国との外交や戦争に重点を置いて、幕末維新以降の近現代史をどのように説明するであろうか、その要点を次回以降に書き出してみたいと存じます。当然これは私個人の史観であって、もとよりこれを国史とすべきだなどと主張するものではありません。ただ、いずれにせよこうした歴史的各項目とその流れに関する説明を、日本国としても国内外にしなければならないのは、避けられないことなのです。(次回に続く)