これから新シリーズ「意味への意志」を始めることに致しました。海軍史を研究しながら常々考えてきたことがあります。それは、いわゆる「史観」というものをどのように捉え、どう判断してゆくかという問題です。

   「~史観」という個別具体的な史観、例えば「マルクス史観」や「皇國史観」というような立場が、明瞭に示しているように、それは純粋に客観的でもなく完全に中立的でもない、明らかに特定の「価値観」に根ざした「ものの見方・考え方・捉え方」です。

   本ブログではここのところ、ヴィクトール・エミル・フランクル博士(Dr. Viktor Emil Frankl、1905~1994)の「次元的存在論」や「実存分析:ExistenzanalyseとLogotherapie (「意味への意志」による治療技法)」を取り上げてきましたが、読者のなかには、歴史と精神医学理論に一体どのような関係性があるのかという疑問を抱かれる方もいらっしゃると思います。今回は、これに先立つ問題を整理・検討しつつ、わたくしが一体何をやろうとしているかについて、お話ししたいと存じます。

 戦前日本の昭和初期においては「皇國史観」が、そして戦後日本においては「マルクス史観」が一世を風靡しました。そこで、特に戦後日本社会が抱えてきた、この「史観偏向問題」を取り上げたいと思います。そのため、以前の本ブログ記事の内容から、以下に少しおさらいをしておきたいと存じます。

   まずは、「マルクス史観」に関連する林健太郎先生(元東大総長、歴史学者)の「歴史からの警告 戦後五十年の日本と世界***」(1999年中公文庫)の、次の記述を読んでみましょう。(*裕鴻註記、尚漢数字・記号などは適宜修正)

・・・このマルクス主義というのは昭和七(*1932)年頃岩波書店から刊行されはじめた『日本資本主義発達史講座』というものに由来するいわゆる「講座派マルクス主義」です。これはそれまで有力だった「労農派マルクス主義」に対立して日本の資本主義の封建的性格を強調するものですが、この理論は、一九三二(*昭和7)年のコミンテルン(国際共産党)の日本に関するテーゼ(*活動綱領)が「天皇制」の打倒を第一任務に掲げ、来たるべき革命はまず天皇制という封建制を倒すブルジョア革命、ついでそれを社会主義に転化させる革命という二段階でなくてはならない、と説いたことに対応したものでした。

 この来るべき革命の段階論などというものは、今から考えれば随分現実離れした無意味なものだったのですが、この講座派理論が当時の日本を「軍事的半封建的資本主義」と規定したことは、軍国主義的傾向が強くなっていた当時においてはその風潮に批判的だったインテリ(*知識人層)に大いにアピールするものを持っていました。

   他方戦前の(*旧制)大学の歴史学科では明治以降の近現代史というものは研究されていませんでした。それは歴史という学問はあくまで実証主義であって、外交文書などの史料類が公開されるまでは研究対象になりえないという理由によるものでした。そこで戦後この近現代史の論議が急に盛んになると、そこには専門の歴史家が育っておらず、時代の風潮として共産主義がきわめて盛んだったこともあって、歴史叙述がこの「講座派マルクス主義」一色に塗りつぶされることになったのです。

 この歴史観は戦前の歴史をすべておくれたもの、低いもの、悪いものと解しますから、明治維新がフランス革命のような「下からの」革命でなく「王政復古」の形をとったことが大変よくないということになります。そしてこういう「封建制」を残したから、明治維新で成立した天皇制はヨーロッパの十七、八世紀に見られたような「絶対王制」であり、それがそのまま昭和時代の軍国主義につながっていると見るわけです。

 こういう見方がいかに偏っていて事実に合致しないかは、今では一般にみとめられていると思います。明治維新は後進国の近代化として他に例のないような成功例で、その成功が、文化的伝統との断絶ではなくその継承の上に行われたことによるものだというのも、今ではすでに国際的な認識と言ってよいでしょう。(*ロバート・N・ベラー著/堀一郎・池田昭訳「日本近代化と宗教倫理」1962年未來社刊等)

 明治二十二(*1889)年の欽定憲法はプロイセン憲法を模したものでしたが、日本にはプロイセンのような「ユンカー」(大地主・農業経営貴族)はいなかったので、広く中産階級からエリートを養成して近代国家をつくりました。そして天皇は伝統的に君臨すれど統治はされなかったから、おのずと英国のような立憲君主制となり、昭和の初期にはほぼ、政党による議会政治も実現していたのです。

 私はさきに歴史家の責任と言いましたが、歴史家が全部左傾していたわけではありません。しかし戦後の日本では教育界で「日教組」というものの勢力がはなはだ強く、ここで詳しく述べる余裕はありませんが、それが中学の歴史教科書などに強い影響を及ぼしていました。たとえば日露戦争のような日本の独立のための防衛の戦いでも、独占金融資本に転化した日本資本主義による侵略戦争だというようなことを言う。だから日露戦争といえば教科書に出てくるのは必ず与謝野晶子の「君死にたまふこと勿れ」であり、内村鑑三の反戦論であり、いかにも日本が悪いことをしたかのような書き方でした。

 ことほどさように日本の近現代史の捉え方は偏っていた。つまりそういう現実があったものだから、どうしてもそれに反発する勢力が生まれ、こちらはこちらで「大東亜戦争は悪くなかった」と、これまた反対の方向に偏る結果となっていってしまったわけです。(*「大東亜戦争の全面的肯定史観」)

・・・(***前掲書256~259頁)

 次に、同じく林健太郎先生の著書「史学概論(新版)**」(有斐閣1953年刊行1970年新版発行)の「付論 戦後歴史学の課題」(1970(昭和45)年新版にのみ所収)から「歴史理論」や「歴史法則」に関する記述を以下に拾遺します。

   <*歴史における法則性と個人の役割>

・・・それら知られた歴史の本質を知りその意味を考えることが歴史学の究極の任務であることはいうまでもない。それらの間に法則を発見することも、又それらの事実を価値観点から個性的に理解することも、皆同一の要求から出たことであった。この法則性の認識と個別的認識とは歴史に対する二つの、しばしば相反的な方法として別個に提出されてきた。しかしこの両者を関連せしめることなくしては、歴史の問題は解かれることがない。(*中略) しかし法則的観点にしても、価値観点にしても、それが認識者の主観に依存するものであるが故にその客観的妥当性を証明することは極めて困難なことである。・・・(**前掲書218~219頁) 

   <*歴史の進歩について>

・・・歴史学は文学や哲学と共に、進歩の観念の適用を許さない面を持っていることを忘れてはならないが、しかも歴史解釈の内容そのものはやはり全体として一つの進歩の過程として認められるのである。それは決して時間的継起において後に出たものが前のものよりも必ずすぐれているということを意味しないし、又ここにいう理論とは歴史の全般に対する体系的な理論のみを意味しているのではない。もちろん歴史の全体的解釈も、巨視的に見れば一つの進歩の過程の中にあるということが出来る。しかし歴史のある部分についての新しい理論が生じた時にそれ以前のより大きな理論が修正され乃至は豊富ならしめられるという場合もやはり一つの進歩である。一つの法則の独占的支配が破壊されそれが他の法則によって補充されなければならなくなった時、それも又理論の一つの進歩である。

 私(*林健太郎先生)がさきに一元的な歴史法則の支配を排したのは歴史学の進歩の必然の要請によるものであった。歴史の全部を説明する唯一的な理論が失われても、歴史の事物がよりよく説明されるようになればそれは歴史学の大きな進歩なのである。・・・(**前掲書219頁)

   <*歴史理論の更新について>

・・・従来における歴史学の発展は、常に過去の歴史理論への批判、古き歴史像の破壊としてのみあり得たのであった。歴史の世界は常に無限に向って開かれた世界である。この無限の世界に棹さして歴史の真理を探る喜びはただ歴史家が歴史家としての実践を果すことによってのみ得られる。・・・(**前掲書221~223頁)

   <以下は「付論 戦後歴史学の課題」より。1970(昭和45)年新版**に所収>

・・・かつての「法則史学」の致命的な欠陥は、それが歴史の全体、人間生活の全部門を包摂する一つの法則体系を誇称したことにあった。それは右に見たような、彼等の実体的法則観に照応する。何となれば、「法則」というものを現実の歴史の事実を支配する実体的な力と解するならば、それはすべての事実を説明し尽すものでなければ「法則」の名に価しないものとなるからである。しかしそのような実体的な歴史法則は存在すべくもないから、彼等の法則史観は破産したのである。・・・(**前掲書244頁)

・・・もちろん未来の科学的予測ということは何等まちがったことではない。それは今日のプラグマティズムが目指しているところであって、マルクスはむしろその先駆者と看做すべきなのである。「世界を解釈することではなく変革することが大事なのだ」というマルクスの言葉はそのような彼のプラグマティズムを表している。しかしこれは不幸なことにマルクスを道に迷わせた。何故ならば「科学が未来を予測できるならば未来は予定(*決定)されているというもっともらしい論拠が、彼を厳重に科学的な方法は厳格な決定論に基づかなければならないという誤った信念にかじりつかせる破目になった」からである。

 しかし今日では「いかなる種類の決定論も、自然界の整一性の原理として述べられようが普遍的因果性の法則として述べられようが、もはや科学の方法の必然的な想定と看做されることは出来ない。というのは、すべての科学の中でも最も進歩した科学でもある物理学は、そういった想定なしでやって行けることを示したばかりでなく、物理学はそういった想定とはある程度矛盾することをも示して来た(*量子物理学など)。決定論は予測をすることが出来る科学が欠くことのできない必須条件ではない。……あらゆる科学の中で社会科学だけが、未来のわれわれのために持ち合わせているものの種あかしをするという、世にも古い夢を実現する能力があるとわれわれが信じなければならない理由はない」(『開かれた社会とその敵』*Sir Karl Raimund Popper著)

 ポッパー(*Karl Raimund Popper)によれば、この「歴史主義(ヒストリシズムHistoricism)」の根本的な誤りはその「本質主義(essentialism)」と「全体主義(holism)」にある。「本質主義」とはスコラ哲学の「実念論(realism)」を言い変えたものであって、個物に先立って普遍というものが存在しこの普遍こそが実在であるという考え方である。個々の歴史的事実を「現象形態」と呼び、その背後に存在する「法則」こそが歴史の「本質」であると主張するマルクス主義がそのような「本質主義」であることは言うまでもないであろう。そしてそのような「本質主義」の上に立つ法則観が「全体論」の形をとることは理の必然である。

 しかし、科学的論理が「全体性」を目指すことは当然であるとしても、それは「現実の事物の中においてそれを一つの組織された構造と見えさせるような特定の性質を見出しそれを追究すること」に外ならないのであって、それは決して「事物のあらゆる性質もしくは様態の総体、そして特に事物を構成する諸部分の間に成り立つ関係の総体」を意味するものではない。なぜならば「われわれがある事物を研究しようとするならば、われわれは必ずその事物のある様態を選びとらざるを得ない。われわれにはまるごとの世界あるいはまるごとの自然というものを観察したり叙述したりすることは可能でない」からである(以上『歴史主義の貧困』*Sir Karl Raimund Popper著)。このようなものは単に一ポッパーの意見ではなく、およそ科学的というものに対する今日の認識段階の表現である。・・・(**前掲書260~262頁)

・・・一般人が歴史家に対して投げかける最も重要な、そして最も普遍的な問いは、外ならぬ「世界史とは何か」ということであり、それはまた「明日はどうなるか」という問いを内包するものである。この問いに対して「歴史家は予言せず」という言葉をもって答えることは、もちろん文字通りの意味では正しいがしかも本質的な答えを回避することにもなる。「いかなる哲学的歴史意識も未来意識なくしては存在し得ない」(ヤスパース:*Karl Theodor Jaspers)ということは、とりもなおさず人々の歴史への問いには本来的に未来への問いが含まれているということなのである。

 マルクス主義が今日(*1970年当時)の世界において演じている役割は大いにそれに関係することである。マルクス主義史観が現在学問的には支持し得ぬ多くの主張をその中に含んでいるにもかかわらず、なお「大衆」の中に少なからぬ信奉者を持っているのは、全くそれが一つの明確な世界史像と未来像とを提供していたことによるものである。しかし最近に至ってその世界史像は大きく崩壊してしまった。その世界史像の根底にあった資本主義より社会主義への推移の必然性という命題が、その社会主義というものを少なくとも今日(*1970年当時)のマルクス主義者が絶対に認容しないような形に変改しない限り、いかにしてもわれわれの経験的事実に合致しなくなったからである。スターリン主義という酷烈な暗黒政治が何故に「社会主義」社会に出現し得るのか、ソ連と中共という共に「社会主義国」であるはずの二つの国が何故にはげしく対立するのか、「社会主義から共産主義に進化しつつある」といわれたソ連において何故に「資本主義への裏切り」である「修正主義」が生まれなければならなかったのか(*その後ベトナムの「ドイモイ」政策導入や、中国も鄧小平が主導した市場経済導入など、ここで言う「裏切り」が行われた)、これらの疑問を理論的に解明し得ない限り、これまでのマルクス主義の世界史像は自己を維持することが出来ない。このことが痛切に意識されているからこそ、今日の日本ではこれまでマルクス主義の世界史像に安住していた人々の間に、一方では異常な空白感が、他方ではすべての思想を時々の政治的必要に従属させる強度の便宜主義が支配している。・・・(**前掲書265~267頁)

・・・ポッパー(*Sir Karl Raimund Popper) (*が批判するマルクス主義史観)のいわゆる「全体論」的な「歴史法則」は今日学問的には全く問題にならない。しかしポッパーも認めるように人間の歴史の全体の過程に何等かの「傾向」を見出すことは可能であるしまた必要である。この「傾向」は個別的な歴史事象に「一般化」的な考察を加えることによってのみ見出されるが、その「一般化」はもちろんそれが可能な範囲内において、そして現在の認識規準による科学的方法によってなされねばならぬ。

 「技術的・工業的時代」の開幕期に現われ、人間社会の発展をあくまでも「自然史的過程として」物理学者のごとき態度で分析しようとしたマルクス(*Karl Marx、1818~1883)(『資本論』第一巻初版序文)が、その「自然史的過程」を経済の領域に求めたのは当然であり、またそれによって彼は歴史認識の上に大きな貢献をした。何となれば、人間生活の中で最も一般化的考察が適用され得るのは、「計量化」が最も可能である経済の領域でなければならないからである。しかしマルクスは不幸にして、但し当然の(*十九世紀的)時代的制約からして、この対象を科学的(今日の意味における)に扱う代りに「哲学的」に扱った。彼は「生産力」をもってすべての歴史現象の規定的要因と見なしたが、この「生産力」なるものは彼にあってはあくまで観念的構想物に止まった。しかし今やわれわれはこの「生産力」をまさに科学的に認識することが出来るのである。生産技術の実態、そしてその効力の実現可能性の範囲、それを具体的に明らかにすることにより、この「生産力」は今日の認識段階においてまさに「生産性」として把握されることになる。経済的段階論は今やこの生産性を基礎として立てられなければならぬ。

 今日われわれが経験的事実に基き、論証可能な範囲内において、人間社会を通ずる経済発展の必然的傾向を求めるとすれば、それは採取経済から牧畜ないし農耕経済へ、そして農業社会から工業社会へという以上のものを確定することは困難である。(*但し現代では「情報(IT)社会」という次の段階とも捉えうるが…) そして一見素朴に見えるこのような段階論が、かえってマルクス主義の段階論によっては解けなかった現代世界(*1970年当時)の問題―いわゆる「南北問題」、中ソの対立、ソ連の(*経済)自由化等―を解く鍵を提供する。この事は虚心に事実を観察するものにとってはもはや疑い得ぬところであろう。

 この「工業化」論、すなわちいわゆる「近代化論」は、等しく経済という要因を指標としながら、マルクス主義の「唯物史観」とは全く異なった性質を持っている。第一にそれはマルクス主義のような「必然論」ではない。それは最初から「経済が歴史を決定する究極の要因である」というような前提に立ってはいないのである。人間の権力闘争や文化的創造は、経済的要因によって影響を受けることはあっても決してそれによって内容を「規定」されているのではない。そして「工業化」という必然的傾向といえども、その必然性の実現には経済以外の要因の助けを必要とするのである。工業化が今日の世界の一般的趨勢であると言っても、その工業化が成功するか否かはその地域の政治担当者の政策の適否、またその住民の生活慣習や精神構造によって決定されるのであって、決してこの工業化が「鉄の必然」としてどこでも同じような形で行なわれるのではない。そしてここにはさきに触れた「近代化と伝統」の問題*が横たわっているのである。(*この意味ではアマゾンの原住民も歴とした現代人。)

 「工業化論」が唯物史観のような意味における「必然論」でないということは、同時にそれが一元的な決定論でないということでもある。経済上の傾向は必ずそれに対応する一定の政治的傾向を生み出すわけではない。この工業化は(*マックス・)ウェーバー(*Max Weber)の言うような(*「西欧近代的」文脈における)「合理化」の表われではあるが、それが政治上の民主主義を促進する場合もあるし、また逆に政治上の独裁制を生み出す場合もある。そのことは工業化の過程を見出す先行条件によって決定されるのであって、ただ工業化という経済過程を見ることから直ちにその政治過程を推論することは出来ないのである。・・・(**前掲書278~281頁)

 

 林健太郎先生の言わんとすることの、おおよその流れは掴んで戴いたものと存じます。「歴史をどのように捉えるか」という「史観問題」は、今もなお現代日本が直面している近隣の中国や韓国、そして先の大戦におけるかつての旧敵国であった連合国側諸国(米・英・蘭など)との間の、「大東亜戦争観」や「戦前日本観」に関する「歴史認識問題」とも深く連関しています。それが現今も話題となる「国際連合における旧敵国条項」にも連なっているのです。

   こうした大東亜戦争で戦った相手国や、明治以降植民地的支配をしてきた相手国との、歴史上の緊張関係を、どのように理解し、自国の歴史の中で位置付けて、次代の国民(つまりは子供たち)に説明してゆけばよいのか、という私たち自身の「価値判断」とそれをもたらす「価値観」が、そこでは問われているのです。

 これには、いわゆる歴史研究における「方法論的問題」と、その「史観の前提としている価値観問題」が重なり合っているのです。前者の方法論としての「マルクス史観」の「歴史の発展段階説」なる「科学的歴史法則」は、上記の林健太郎先生の論述の通り、もはや今日では通用しない「十九世紀的決定論哲学」に基づいていることから否定できます。しかし、もう一方の「歴史認識における価値基盤をどこに置くか」という意味における「価値観問題」については、各自が依って立つところの「思想・信条・哲学」として何を選択するのかという問題であって、「各思想同士の争い」のいわば「代理戦争」を「史観戦争」に受け持たせるのは、学術的にも正当なやり方とは言えないと思います。

 そこで必要かつ重要となるのは、長年に亙りマックス・ウェーバー(Max Weber、1864~1920)の研究をされた安藤英治先生の、「ヴェルトフライハイト(Wertfreiheit)」を「没価値」ではなく「価値自由」と解する考え方なのです。つまり、歴史研究を含む「社会科学」的分野における「客観性」の問題については、論者の思想的立場や基盤を離れての、厳密な意味での「客観性」は、社会科学においては成立せず、むしろ「論者が自らの思想的立場を事前に表明した上で論ずること」により、「読者は『論者の思想的立場』を踏まえた上でその主張を読むことにより、読者自身による、より『客観的』な理解が可能となり、結果として『客観性』が担保される」という考え方*です。

   *これについては、『「客観性」と「価値」の関係性に「令和日本」はどう向き合うべきか』(裕鴻のブログ2022-05-05付)をご参照ください。

https://ameblo.jp/yukohwa/entry-12741027040.html

 ウェーバーの「価値自由(Wertfreiheit)」の精神に則って、本稿における読者の「客観性」を担保すべく、一応以下にわたくしの思想・信条を申し述べておきたいと存じます。

 わたくし自身は「自由民主主義思想に基づく普通選挙によって、国民から選出される複数政党の国会議員による議会制民主主義制度」を是とする「価値観」、並びに日本人が古来より自然に抱いて畏敬してきた、天皇陛下とご皇室への崇敬の念に基づく、伝統的な価値を重んずるという意味と文脈(context)において、英国流ガバナンスに近い立憲君主制とみるべき「象徴天皇制」を支持する立場です。そして戦前日本においても、こうした考えは海軍良識派提督などによって支持されてきたものに極めて近いと考えています。

   その意味では、戦前日本の全否定でもなく、また全肯定でもありませんが一部肯定の考え方です。そしてやはり、先の大戦突入を推進した旧陸軍中枢のナチスドイツ式全体主義に連なる国家統制主義(いわゆる当時の「ファッショ的」という意味での)には反対する立場です。

   あくまでも自由民主主義を堅持した上での、正当で必要な「自衛権の行使」が可能である現代の米・英・仏・独などの西側諸国と同様かつ同程度の「軍事力の保持」や、自国の直接的防衛と世界の平和維持活動への参加・貢献は、憲法以下のわが国法制度にきちんと定めた軍事力によってなされるべきであると考えますし、その実現・実行に際し、憲法を含む法制度の不備や不具合があるならば、これを改正・整備してゆくことは当然なすべきことであると考えております。

   もとより何をどこまで改めるべきかという詳細については、専門的な法的議論や見解もあるでしょうから、充分に法制の専門家や政治家の皆さんの議論・検討は必要であると考えますが、しかしいずれにせよ、自衛隊を本来の「国際法上の正規の軍事力を担う組織」として、矛盾なく定義できる「わが国の法制上の存在」としておくことは、極めて重要であると思います。まして「自衛隊は違憲」とする憲法学者が七割近く存在するような状態を放置しておくことは許されないと思います。

   その理由は、万が一にも、日本の領土・領海(但し排他的経済水域を含む)・領空や国民の生命・財産の防衛のために外国軍隊と戦わざるを得なくなった場合に、相手国(中国・ロシア・北朝鮮なども想定に含めうる)から、自衛隊を「国際法上の軍隊ではない」と強弁される余地を、論理上完璧に排除する「法制の整備」が絶対に必要不可欠であると考えるからです。なぜならそれは、日本国民でもある自衛隊員の国際法上の人権を守るためです。

   もしもわが国に軍事侵略してきた某国の軍隊から、我が国の自衛隊が「国際法上の軍隊ではない」と恣意的に断定された場合に、国内法上は正規の自衛権に基づく正規の防衛出動によって自衛隊員が交戦に従事したにもかかわらず、例えば戦傷によってある自衛隊員が人事不省となっている間に捕虜にされたような場合に、相手国軍では、その我が国自衛隊員を「軍人ではない」と判定し、武器を持って相手国正規軍人を殺傷した「テロリスト」あるいは「殺人犯」として、即刻戦場における軍法会議にかけて「有罪」と宣告し、直ちに銃殺刑に処すなどの「非道な措置」を生む「論理的可能性」を排除できないからです。

   つまり「国際法上の軍人」には認められている「権利」が、「軍人ではない」と判定されることによって認められず、アルカイダやI Sのような「武器を持ったテロリスト」あるいは「殺人犯」として「処罰」される恐れがあるからです。もとより西側先進国をはじめとする各国は、我が国の自衛隊を「軍隊に準じるもの」として認定し、取り扱ってくれていますが、そうした友好的諸国ではなく、非友好的な敵対的諸国が日本に軍事侵攻してきたり、または国連などの平和維持活動に従事しているわが国自衛隊との交戦が生じたような場合に、こうした敵対的国家の軍隊が、わが国の法制上の不備を突いて、それを論拠として「自衛隊は国際法上の軍隊ではなく、従って自衛隊員は軍人ではない」と強弁した場合、その恣意的な勝手な断定により、不運にも戦争捕虜となった自衛隊員を、戦場で上記のような即席軍法会議による「テロリスト・殺人犯」として処刑するというようなことも、論理的には生じ得るのです。

   これは現在約22万7千名とされる自衛隊員(陸上:14万名、海上:4万3千名、航空:4万3千名)の「国際法上の軍人としての人権と生命」を守るためには、絶対に「完璧な国内法制上の措置」を講じておかなければならないとわたくしは思います。自衛隊員も間違いなく日本国民なのですから、日本国民としての人権は、それこそ日本国憲法によって守られなければならないことであって、そこに如何なる論理的な矛盾や破綻、あるいは非友好国から付け入られるような如何なる不備もスキも、決してあってはならないのです。

   まさにこの意味と文脈(context)において、自衛隊は「国際法上の軍隊」でなければならず、自衛隊員は「国際法上の軍人」でなければならないのです。さもなければ「いざ鎌倉!」となった場合に、わが国は自衛隊員たる「22万7千人の日本国民」の国際法上の人権を守ることができない恐れがあるのです。これは看過すべき規模の「人権問題」ではありません。このことはいくら「平時」の国内の議論では「問題ない」とされたとしても、問題が発生するのは「有事」の、しかも敵対的な侵攻国の軍隊による判定が問題となるのです。本件は、同じ日本国民として、自衛隊員のことをもっと真摯に憂慮しなければならない、とわたくしは考えているのです。

   さて、そもそも「非武装中立」というような観念論的な平和主義は、極めて残念なことに昨今のロシア軍によるウクライナ侵略戦争によって、あり得ない幻想であることが「実証」されました。そのほかにも毎日のように核兵器搭載可能の弾道ミサイルの発射実験を繰り返す近隣国とか、民主化運動を弾圧する香港政府の宗主国とか、東シナ海や南シナ海で島嶼部などにおいて近隣国の主権主張を無視して軍事基地を設営したりする軍事大国の動きを見るにつけ、わが国周辺も他所ごとではない軍事上の危機が存在しています。

   わが国では戦後、上記の林健太郎先生のご説明にもあった通り「マルクス史観」が一世を風靡し、まるで「知識人」であることの「存在証明や存在理由(raison d'être)」が恰も「左傾していること」であるかのような風潮に長年さらされてきたのではないか、とわたくしは思います。当時の「進歩的文化人」と持て囃された人々や、朝日新聞をはじめとするマスコミ・言論界、学者先生の多数が、そうした「左傾トレンド」に沿って発言してきました。

   そこで一時期盛んに主張された「非武装中立論」は、ホンモノの「理想論・平和論」という真意からではなく、実はレーニン流の政治戦略に基づいた、「反保守・反米」と「親ソ連・親中共」のための「左翼政治運動・左翼革命運動」の「隠れ蓑」であったのではないか、という疑念を晴らすことができません。これは「ベトナム反戦運動」が「平和運動」というよりは「反西側・反米運動」の「隠れ蓑」であったのではないか、という疑念とも相似性を持つものです。

   また「反核兵器運動」が主に「反米運動」に傾斜したものであり、同じく原水爆を開発し実戦配備していたソ連や中国に対する「反核兵器運動」が、なぜか盛り上がらなかったことにも通底するものです。これは近年の北朝鮮の核兵器開発・実験に対する「反対運動」があまり見られないことによっても「実証」されるのではないでしょうか。

   要するに「親共産圏・親元共産圏」であることが透けて見えるのです。わが国の平和運動は、米軍や自衛隊に対する批判は激しくても、中国の人民解放軍や北朝鮮の朝鮮人民軍に対する批判はあまり聞いたことがありません。こうした平和運動自体の「偏向性」が、そもそもこうした運動主体の「思想性」自体を暗示しています。

   これについては、本ブログ別シリーズ『なぜ日本はアメリカと戦争したのか(75) レーニンの政治謀略教程に見る戦略戦術』(裕鴻のブログ2019-05-23付)をご参照ください。

https://ameblo.jp/yukohwa/entry-12463216400.html?frm=theme

 

 「歴史」という「過去」の「事実」を叙述する学術的領域において、本来はこうした政治的・思想的「偏向性」はもとより好ましいものではありません。上記のウェーバー流の「価値自由」の精神は、あくまで読者の「客観性」を担保する方法としての「論者の価値観表明」を行うことが本旨であり、その意味と文脈において研究や著論の「客観性」を重要視するスタンスそのものは、全く変わっていないのです。問題なのは「詐称性・欺瞞性」というレーニン流の「政治謀略的性格」にあるのです。

   こうした歴史叙述の「客観性問題」を、一貫した論理的整合性をもって適正・適切に取り扱うためにも、「人間と社会」における「価値観」の問題を無視して通り抜けるわけにはゆかないのです。

 そこで本新シリーズ「意味への意志」では、「人間と社会と歴史」を研究する「方法論的基礎」として、主にヴィクトール・エミル・フランクル博士(Dr. Viktor Emil Frankl、1905~1994)の「次元的存在論」や「実存分析:ExistenzanalyseとLogotherapie (「意味への意志」による治療技法)」を紐解きつつ、「人間観」の基礎と「史観」における価値判断の問題について、順次次回以降、考究して参りたいと存じます。