まず始めに、前回取り上げたヴィクトール・エミル・フランクル博士(Dr. Viktor Emil Frankl、1905~1994)の「それでも人生にイエスと言う―強制収容所における一心理学者の体験」(原題の意味、その邦訳書名が「夜と霧」)という書物について、読者の皆さんにどうしてもお伝えしておきたいことがあります。

 このフランクル博士の「夜と霧」という名著の邦訳版には、みすず書房から旧版(1956年刊)と新版(2002年刊)が出されていますが、もしも霜山徳爾先生訳の旧版(私個人は旧版を強くお薦めしますが…)をお読みになる際には、どうしても守って戴きたい「読み方」があるのです。

   それは、必ず次の「手順」で読んで戴き度いのです。まずは、絶対に前段の「解説」と、特に末尾の「写真」は一切見ずに、まずフランクル博士の「本文」だけを最初に読んでください。「本文」を完全に読み終わってから、次に心して「解説」を読み、それから末尾の「写真」を見て、最後に必ずもう一度「本文」をじっくり読み直してください。そうすれば、この本の意味をより深く味読し、かなり正確に理解することができます。

   もともと昔、卒業論文制作にあたり、ヴィクトール・エミル・フランクル博士の「実存分析:ExistenzanalyseとLogotherapie (「意味への意志」による治療技法)」を研究するきっかけとなったのが、今から五十年前に読んだみすず書房の「夜と霧」(旧版、1956年刊)という本でした。霜山徳爾先生(1942年東大心理学科卒、上智大名誉教授)の難解ながらも高尚な翻訳による「死と愛」など一連のフランクル博士の著作集がみすず書房から出ており、「夜と霧」はその中では比較的に読みやすい体験記なのですが、一方である意味ではこの本は大変「危険なもの」でもありました。

   フランクル博士自身が記述している「体験記の本文」は、まさに「人間の悲惨と残虐」のみならず「人間の尊厳と栄光」を静かに描いている大変素晴らしいものなのですが、問題はこの「本文」の「前・後」についている編集部による「解説」と「写真」の部分なのです。この本には、まず冒頭部分に当時の「みすず書房の編集部」が付けた「強制収容所の実態」を「解説」した長文の告発調の記述があり、その次にフランクル博士の「本文」があり、最後にやはり編集部が付けた強制収容所の記録「写真」集が掲載されているのです。いわば「三部構成」で成り立っており、通常ならば何も知らない読者は、この順番に読み進めることになります。

   わたしがこの本を読んだのは15歳の春でした。ナチスドイツやその歴史に関して、何の予備知識も免疫もなかったわたしは、まずその編集部解説を読んで打ちのめされ、次に思わず末尾の記録写真を見てしまい、さらに深刻な衝撃を受け、そのあとようやくフランクル博士が書いた本文を読んだのですが、前・後の「解説」と「写真」があまりに強烈すぎて、正直に言ってこの「本文」の内容はその時はほとんど印象にも残らず、その意味もよくわかりませんでした。むしろその解説と写真により、ナチスどころか「人間そのもの」に深く不信を抱いて酷く絶望してしまい、それから三ヶ月ほどは勉強も何も全く手につきませんでした。今でも私のこの本の頁には、当時解説文を読みながらこぼした涙の跡が残っています。

   何より深刻な衝撃だったのは、強制収容したユダヤ人や反ナチスの人間たちのうち「労働に適さない」と分類された人々を、いかに短時間に大量殺戮し、膨大な数の遺体をいかに効率的に焼却処理するかという目的のために、極めて高度な近代的合理性と科学的知性が、その強制収容所のガス室や死体焼却炉という大規模施設の建設と運用に用いられていたことです。肉食獣のような野獣性や、理性を失った一時的な暴力性で大量殺戮を行ったのではなく、極めて冷徹かつ冷静に計算された知的計画性に基づいて、アウシュビッツ等の強制収容所が建設され運営されていた「事実」が、そこで行われた行為とともに、少年の心を穿ちその胸に圧倒的に迫ったのです。

   つまりは人間しか持ち得ない高度な「知性」により、この大量殺戮システムは「知的に」設計・建造・運用されていたという事実が、15歳の少年を打ちのめしたのです。そしてその7年後、1979年の夏の終わりか秋頃だったと思いますが、私の研究を知っていたある友人が教えてくれた新聞(多分「毎日新聞」夕刊)の投書欄で、わたしだけではなく、この「夜と霧」(旧版)を読んだある女子大生が、かつての私と全く同様に、この「解説」と「写真」に打ちのめされてしまい、人間とこの世界に絶望して、生きる気力を失ったと書いているのを読みました。しかしそれでは、本来フランクルがこの本で書いている「人間の悲惨を超える尊厳とその静かな栄光」について、全く学ぶことができないばかりか、完全に「逆効果」になっていることを改めて思い知ったのです。

   その頃のわたしは、卒業研究でフランクル著作集など関連書籍を読み込み、相当にフランクルのいわんとすることを理解しつつありましたので、彼女が読むことを願いつつその新聞に投書して、フランクルの本来の趣旨について書き、それが掲載されたことを覚えています。果たしてそれがその人の胸に届いたかどうかはわかりませんが、今(2022年)からもう43年も前のことです。ですから、この本(旧版)はこの意味で、大変「危険な本」でもあるのです。

   巷間には「強制収容所など実際にはなかったのだ」と言う人がありますが、実際に今も残るアウシュビッツ収容所跡に行ってみるまでもなく、フランクル博士のこの書物の本文を読めば、その真実性を十分に感得できるはずです。その意味で単なるフィクションにはやはり限界があるとわたしは思っています。

   因みにこの本の新版(2002年刊)では、こうしたセンセーショナルな解説や写真は除かれ、フランクル博士の本文が主体となっています。それはこの書の本来の姿であり、ようやくにして、決して「告発の書」というような浅薄なものではない、人間として生きてゆくことの意味を見出させてくれる書の形態となりました。しかしそれでも尚、わたしは旧版の存在意義からは離れられないのです。フランクルの思想と理論を深く理解されている霜山徳爾先生による正確な内容の訳文とともに、単なる「思想や理論」というようなレベルのことではなく、その内容が旧版の解説と写真が示すような、壮絶な情況と体験のなかで観察され、確認されて深みを増したものであるからこそ、人間という存在の本質に迫るものとなっていることが深く諒解できるからなのです。その意味では、「危険を伴う」この旧版の「解説と写真資料」にも「存在する意味」があるのです。もしも読み方さえ誤らなければ、ですが…。

   ですから繰り返しとなりますが、もし読者がこの「夜と霧」(旧版)を読まれる際には、必ず次の手順で読んでください。絶対に前段の「解説」は読まず、特に末尾の「写真」を見ずに、まずフランクル博士の「本文」だけを最初に読んでください。次に心して「解説」を読み、それからようやく「写真」を見て、最後にもう一度「本文」をじっくり読み直してください。そうすれば、この本の真の意味を、より深く味読し理解することができるのです。

   このことは以前、「大東亜戦争と日本(36)海軍軍令部戦史部の史料」(裕鴻のブログ2020-12-19付記事)でも書いたことですが、念のため再録しておきます。

https://ameblo.jp/yukohwa/entry-12644851740.html

 

   もう一つ、フランクルの思想においては、人間が持つ「良心」というものの機能や、「愛の心」というものも、「人間の精神次元」にとっての極めて重要な存在として取り扱われているのですが、その文脈(context)における、本来の「愛」という概念は、おそらくカトリックでいうところの「アガペー(αγα’πη)」の愛というものが、最もよく表現していると思われます。

   有名なコリント人への手紙(1-13)によれば…

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。愛は、礼儀を失わず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。愛は、不正を喜ばず、真実を喜ぶ。

愛は、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びることはない ……という内容です。

   この愛の心は、「憎しみや憎悪を超える愛」であり、例えば持てる者への「憎しみを煽る」ことをその「革命的階級闘争」の原動力とする共産主義者にとっては、まことに「不都合な愛」なのです。であるからこそ「宗教は阿片だ」などと批判することになるのです。そもそも共産主義の核心は「妬みと憎しみの心」にあるのです。「階級闘争」によって「プロレタリア階級の敵」である資本家やブルジョワ階級、王政・天皇制を打倒し、皆殺しにするか強制収容所に送って監禁・虐待・虐殺(粛清*)するということを「よし」とする思想なのです。

   であるからこそ、軍事力も財力もお持ちでないダライ・ラマをあれほど嫌い、弾圧するのです。それは仏教の「慈悲の心」やカトリックの「アガペーの愛」の心に対する敵愾心と恐怖心があるからです。つまり「憎しみを超える愛と慈悲の心」こそ、共産主義の「憎悪を煽る思想」にとってはもっとも厄介で恐るべき対手であるからなのです。また「ユダヤ人への憎悪」を煽り、それを勢力拡大の原動力としていた「ナチスの人種差別政策」にとっても同様に、このアガペーの愛の心は、厄介な存在であったことでしょう。これは前回記事の、ユダヤ人ではなかったコルベ神父が収容され餓死刑で殺されたことにも連関しているのです。

 

 さて、例によって前置きが長くなってしまいましたが、今回はもう少し「客観性」や「中立性」の問題を考究したいと存じます。それは、戦後の日本社会では、主に「社会科学」と称してきた「人間と社会と歴史」に関する学問の諸分野や、旧来の新聞・雑誌・そして一部のテレビを中心とする言論界・報道機関・マスコミの世界において、その研究・言論・報道の主張・内容の「客観性」や「中立性」が「標榜」されてきた経緯と真相を、「令和時代」を迎えた現代日本社会は、今一度再考し、再点検しなければならない時が来ているのではなかろうか、という問題意識に起因しています。

   それはまさにヴィヴィッド(vivid)な問題としての「憲法改正問題」や「九条問題」、そして「自衛隊が違憲かどうか」の問題、北朝鮮や中国、ロシアという近隣の核兵器保有国の軍事的脅威に対して、具体的にどのようにして今後、日本の領土・(排他的経済水域を含む)領海・領空と、国民の生命と財産の安全を守ってゆくのか、という「現実的な防衛の問題」について、今般のロシアによるウクライナ侵略戦争や、香港の政治弾圧問題、台湾や尖閣諸島への軍事侵攻の脅威などに関連して、あらためて「戦後日本の歩み」自体が問い直されているからなのです。

 端的に言えば、戦後日本社会では長年に亙り、その「人間と社会と歴史」に関する研究・言論・報道に関する「客観性」や「中立性」を、ある意味では「偽装」してきたのではないかという疑念があります。つまりは「科学的」なる「客観性」や「中立性」を標榜し外装しつつ、その内実は、ある一定の「価値観」や「思想」に根差した「方向性・志向性」を持つ内容の「研究・言論・報道」を為してきたのではないか、という「客観性偽装問題」や「中立性偽装問題」があるのではないか、という「根本的な疑念」なのです。

 さらに言えば、戦前のコミンテルンによる日本共産党に対する指示・指導に始まり、あたかも第一次大戦直後の帝政ロシアにおける共産革命のように、終戦後の日本の「敗戦革命」を目指したゼネストなどの騒乱や「反米反安保闘争」の学生運動、そして第二次大戦終戦直前に「日ソ中立条約」を破って始まった、ソ連軍による満洲・北朝鮮・南樺太・千島列島・北方四島への侵攻や、中国大陸における中華民国政府(現・台湾)に対する共産党人民解放軍による内戦、ベトナムにおける共産党軍及びベトミン・ベトコンによる独立戦争やベトナム戦争、ラオスやカンボジアにおける社会主義・共産党政権の樹立やポル・ポト政権による人民大虐殺、朝鮮半島における韓国と北朝鮮による朝鮮戦争など、東アジア・東南アジアにおいて、一挙に共産化・共産圏拡大の動きが爆発的に進行します。これらは大戦後の東欧におけるソ連衛星国の拡大とも呼応しています。

   つまりは、マルクス主義の史的唯物論に基づく「歴史の科学的発展段階法則」なるものに合致した、「社会主義革命」「共産主義革命」を全世界に拡大しようとする「革命思想と革命運動」の路線に沿って、「科学的」な社会変化を引き起こそうとする勢力に、自覚的または非自覚的に加勢する思潮に、戦後日本社会は大きく巻き込まれ、その深刻な影響を受けてきたのではなかったか、ということなのです。

 問題は、そうしたマルクス・レーニン主義者、共産主義者あるいはそのシンパの人々が、明らかにその内実は左翼的思想が根本となっているにも関わらず、「学問・言論・報道」における自己の主張の「客観性」や「中立性」を標榜し、それに依拠して、社会全般に「自分たちの思想の実現」を訴求し続けてきたのではないか、その意味で、厳密には「客観的」あるいは「中立的」ではない主張をも、その「客観性を偽装」しまたは「中立性を偽装」して、社会全般に敷衍しようとしてきたのではないだろうか、という疑念なのです。

   そしてその「前衛・尖兵」となったのが、当時いわゆる「進歩的文化人」として持て囃された人々ではなかったか、ということです。今にして思えば、その「進歩的」の意味は、マルクス史観における「歴史の科学的発展段階法則説における次の社会主義段階へと進歩する」という「進歩」だったのです。

   もとよりマスコミ、新聞・テレビの報道陣が、政府や与党などのいわゆる「政権側」に対して、批判的な眼を向け、その偽りや汚職や失政が隠されてはいないかという、自由民主主義的な「チェック機能」を果たすこと自体は、健全な行為です。

   しかし問題は、それを常に、「自分たちは客観的・中立的である」というあたかも「神様の代理」のような「錦の御旗」を立て、それが「公正中立な絶対正義」の立論・立場であるように標榜しつつ、その隠された本心では左翼的社会変革を推進しようとしてきたのだとすれば、「それは本当に、客観的に見た公正で中立な姿勢であったのか?」という疑念を生むことにつながります。

   この意味と文脈(context)においても、「人間と社会と歴史」に関して、本当に「純粋に客観的」とか「完全に中立的」な立場というものが、果たして厳密な意味で存在しうるのか、という根底的な疑念があることを、前回記事でも検討しました。

   近代科学的な意味での物理学や化学における科学的実証実験などにおいて、「客観的」な、また結果に関する予断を排した「中立的」な実験方法による研究ということはあり得るとしても、そもそも一人一人が異なる思想や価値観、志向や嗜好を有する人間の集合体としての社会全般について、「価値判断」を一切廃絶した「客観性」や「中立性」が成り立つでしょうか。また、そのような「神様の眼」・「天の代理」の役割を、「必ずしも完全とはいえない人間たち」が務めることが、そもそも本当にできるのでしょうか。……はなはだ疑問です。

 「社会科学」における「客観性」の問題については、長年に亙りマックス・ウェーバー(Max Weber、1864〜1920)の研究をされた安藤英治先生の、「ヴェルトフライハイト(Wertfreiheit)」を「没価値」ではなく「価値自由」と解する考え方に、私は同感しています。(安藤英治著「マックス・ウェーバー研究―エートス問題としての方法論研究」未来社刊ご参照) 

   つまり、論者の思想的立場や基盤を離れての、厳密な意味での「客観性」は、社会科学においては成立せず、むしろ「論者が自らの思想的立場を事前に表明した上で論ずること」により、「読者は『論者の思想的立場』を踏まえた上でその主張を読むことにより、読者自身による、より『客観的』な理解が可能となり、結果として『客観性』が担保される」という考え方です。

   例えばマルクス・レーニン主義者が、その自己の思想的立場を明瞭にして、その上で「マルクス史観」により歴史を論ずるのならば、読者もそれを踏まえて読んだり理解することにより、あとは、読者自身の思想と判断で、その著論を「より客観的に」捉えることができます。

   しかし問題となるのは、その思想性を隠し、「科学的」と称する偽装をして、あたかも「客観的事実・真実」であるかのように、歴史を論じ著述することの「欺瞞性」にあるのです。このことは、科学哲学者のカール・ポパーもその著「歴史主義の貧困―社会科学の方法と実践」(中央公論社刊)において、かつて主張していることでもあります。

 しかし「ヴェルトフライハイト(Wertfreiheit)」をもし「没価値」と訳すと意味が違ってきてしまいます。つまり客観性を維持するには、極力自分の思想・信条を意図的に「消去・滅却」して、「科学的・思想的・政治的」に「完璧に中立な立場」で思考し、議論しなければならないということになります。

   ところが熱狂的な、マルクス・レーニン主義の信奉者の人々や、ナチスのような国家社会主義の信奉者の人々が、「自分としては極力『没価値』で中立・公正に主張した」としても、それが「真に公平・公正・中立なる客観的議論だ」というのは、やっぱり信じられないのではないでしょうか。

   その意味でも「言論・報道機関の公平・公正・中立」という主張も、「本当に公平・中立なのか?」、「実はその記者の胸奥には、ある特定の政治思想による偏向性が隠されているのではないか?」という疑問が晴れないのと同様の論理構造になるのです。その意味では、安藤英治先生の「価値自由」という解釈は、極めて論理的であり、かつ近代科学的センスからしても理解可能なものなのです。

   歴史の分野でいえば、「マルクス史観」とか「皇国史観」という、事前にある一定方向の価値観とか哲学が所与のものとして定まっているものは、その価値判断の方向性に沿った「歴史の描写」や「歴史の解釈」がなされるので、ある意味では論理的な一貫性としての「わかりやすさ」があるとも言えます。別の言い方をすれば、ある方向性に偏向しているとも、「ある色(*赤色)のフィルターがかかっている」とも表現できるのです。

   むしろ厄介なのは「中立性」「客観性」「科学性」「無色性」を自ら標榜している場合であり、「自分たちは偏ってはいない」「自分たちのものの見方・考え方こそが、無色透明な客観的・科学的な真実である」と主張する場合です。本当にそうなのか、どうなのかを確認するためには、様々な証拠、資料にあたって、批判的な検証を重ねてゆかねばなりませんし、その証拠資料の取捨選択の仕方や、組み合わせの仕方によっても、異なるイメージを描くことは充分に可能なのです。

   そこで肝心なのは、「客観的・中立的に見えるかどうか」を争うよりも、それぞれが依って立つその「立場・視点・立脚点」が、一体どのような「価値判断」「価値基準」に基づいているのかという点にあります。つまりは「あるべき世界像」として、当該論者がどのような「価値観」すなわち一体どのような「世界観」や「哲学」を抱いているかということこそが、最も重要な本質的問題なのです。

 歴史的「事実」といえども、例えて言えば、人間の頭部のような複雑な形状の立体像を、右から見たシルエットと、左から見たシルエット、さらには真ん中から見たシルエットで、姿の描写は当然異なります。自然科学においてさえ、ニュートン的宇宙像とアインシュタイン的宇宙像、さらには量子論的宇宙像では、物理的世界の描写が異なるのですから、ましてや国家・社会の歴史的描写・描像においては、その立脚する思想的立場を離れた、完全純粋な客観的史観は成立しないと思われるのです。

 こうした文脈(context)において、マックス・ウェーバーがいう「客観性」という社会科学的方法論上の研究態度は、その鍵となる概念たる「ヴェルトフライハイト:Wertfreiheit」の解釈にかかっており、これを「没価値」と訳すか、「価値自由」と訳すかによって、全く異なったものとなるのです。詳しくはぜひ安藤英治著「マックス・ウェーバー研究」(1965年未来社刊)の第一章「マックス・ウェーバーにおける『主体』の問題」(同書87~114頁)及び第二章「マックス・ウェーバーにおける『客観性』の意味」(同書115~154頁)を、ぜひご参照戴きたいと存じます。

   安藤英治先生は慶應義塾大学経済学部出身、戦争中は学徒出陣で帝國海軍に従軍され、戦後マックス・ウェーバー研究所客員教授としてドイツ留学をされた後、長年成蹊大学経済学部教授を務められ、退任後は同大名誉教授として1998年に亡くなられるまで生涯をマックス・ウェーバー研究に捧げられた方です。

 わたくしの理解した限りでは、「ヴェルトフライハイト:Wertfreiheit」を、「没価値」と解すると、完璧に実施可能かどうかは別として、上述の通り「自己の価値観」を意図的に「消去・没却・滅却」して「客観性」を追求する立場となります。しかし、いくら自分は自分の価値判断を一切排除・滅却して、「客観的」に研究・分析・叙述したのだと主張したとしても、本当にそれが純粋に「客観的」なのかどうかはわかりません。

   前回のフランクルによる「次元的存在論」の三次元空間における各種立体の、二次元平面への投影像の例えではありませんが、どちらの角度から光を当てて、対象のどの面の影の形状を取り上げて眺めるかによって、当然に異なる形状の描像が映るのです。

   もとよりどのような「テーマ」であっても、誠実に学問的に研究すること自体は、誠に大切な尊重すべきことですが、もしその研究が、意図的に「科学性や客観性」を偽装して、ある特定の「思想や価値観」のために偏向して行われるならば、それはもはや「自由で公正な学問的姿勢」ではなく、やはり政治思想的な「プロパガンダ的」性格を帯びた、偏向したものになってしまいます。

 こうした「偽装的偏向性」に対して、安藤英治先生がいわれる「価値自由」の立場と姿勢では、平たく言えば、始めに自己のよって立つ思想・哲学に基づく「価値観」を明示することからスタートします。例えば、自分は「共産主義者」だとか、「日本主義者」だとか、はたまた「自由民主主義者」であると、きちんと読者に対して宣明するのです。

   その上で、その自分の「価値観」 「価値基盤」を説明し、それに立脚して学問的良識に従った誠実な学術的研究・分析・批判・評価を行い、それをきちんとした学術論文や著作・記事として発表します。

   そうすると、読者の方では、「ああこの人は~主義者としてこの研究・著述をしたのだな」と理解・了解した上で、その「著作物」を読むことができるわけですから、その人の思想的「価値基盤」から来るであろう「偏向性」をも考慮に入れた上で、その「著作物」を理解・解釈することができるわけです。そうすることで、読む側が「客観的な眼」を持って読むことにより、その「著作物の偏向性」を自分なりに脳内で修正しつつ内容を理解することによって、結果的に読者自身によって「客観性」が担保されることになるのです。

 これは学問的世界のみならず、ジャーナリズムの世界でも同様の構造であり、「ナントカ新聞」が「われわれは公正・中立な客観的報道を行います」といくら主張・標榜していたとしても、その編集方針や記事の方向性によっては、「実態的には、ある特定の政治思想や価値観に基づいた『偏向性』を伴った取材や報道を行っている」こともあり得るわけです。実は創作的虚偽であった「慰安婦強制連行説」などの新聞記事は、その具体例とも言えましょう。

 しかし読者の側もそんなに愚かではないので、そのようなことが続けられていると、だんだんと気づくことになります。「どうも中立だの客観的だのと言っているが、少し怪しいのでは…」と思うようになるのです。それでも尚、自分たちは「真実を追及する公正中立な客観的報道機関である」という「錦の御旗」を掲げ続けるのが、「本当に誠実な姿なのか」という疑問にも繋がります。

   むしろ産経新聞とか、逆にしんぶん赤旗の方が、その立場が鮮明であるがゆえに、読む側さえしっかり判断力を持っていれば、客観的な解読・解釈が可能だとさえいえるのです。中国共産党機関紙や北朝鮮の報道発表を解析・分析して、その真意を探るのと同様のことです。

   真に警戒しなければならないのは、「私たちは公正・中立・客観的です」と標榜している報道機関なのです。果たしてそれは本当なのか、それをどうやって検証すれば良いのか、ごく普通の一般大衆や、わたしのような「愚かな民」は、「エリートの文化的知識人」である「選ばれたジャーナリスト」の皆さんによる解説や意見をそのまま信じろということなのか、という疑念の構図になるからです。

   しかも「ウソも百回言えばホントになる」ではありませんが、繰り返し繰り返し、ある方向性の言論のみを読み続け、聴かされ続ければ、一種の「洗脳的効果」が生まれることもあり得るのです。やはり、まずわたしたちが心がけなければならないのは、「自分の価値観」をしっかりと自覚的に確立することなのだろうと思います。

 一方で、もう一つの大きな課題としては、そもそも遺されている「歴史史料」や「基礎文献」が僅少である中世や古代の歴史では、量的に史料が限られているために逆に研究上は問題が少ないのですが、近現代史において、特に現代では、むしろ過剰でかつ膨大な「史料・資料の情報量」に歴史研究者が圧倒されるという問題を抱えています。先行研究どころか、関連各国の史料も含めれば、およそ一人の研究者がその全てを総覧することさえ、物理的に不可能に近い膨大な史料・資料や情報が存在します。

 その全ての情報量を、一人の人間が生きて働く期間に全て読了・読破することは、もはや不可能な域に達しつつあります。真面目な学術的研究者であればあるほど、この「情報物量問題」は悩ましく、その結果、学術的良心に従えば、おのずとその「研究領域や分野」を絞り込んでゆくしかなくなります。つまり各自の専門分野が限定・局限され、より特化し狭小化してゆくわけです。

   あたかも今日の現代医学の発展により、医師がどんどん「専門医化」しているのに似ています。しかし一方で、いくら専門的な「局所部分に特化」するにせよ、ある程度の「全体観」は絶対に必要です。むしろお医者さんで言えば、昔の町の開業医のように「なんでも屋さんのお医者さん」的な機能や存在も必要なのです。何科の領域かはよくわからないけれど、取り敢えず診察し、恐らくこれは、脳神経科だとか眼科にも関係するかもとか、場合によっては心療内科も関係するかもしれないというような、大掴みの全体的なガイダンスがやはり必要なのです。

 さもないと結局は一分野だけの専門家としては「何も言えない」ことが多くなってしまう恐れもあるのです。のみならず「自分の狭い専門分野以外のことはよく知らない専門家」ばかりが増殖してしまう、という構造的な問題も今後ますます抱えてゆくことになります。従って、「より細かい専門分野に分化していくこと」の一方で、「統合的に全体像を把握すること」の必要性と重要性もより一層増しているのです。以前本ブログ記事でも書いたように、あたかも地図・マップを調べるときに、大縮尺と小縮尺の両方の地図が必要なのと同じです。

 この辺りのことは学術的良心を持つ「歴史学研究者」なら大いに悩むところですが、その一方で、ある特定の政治思想を信奉し、もっぱらその政治戦略に基づいたプロパガンダとしての「歴史戦」を担当する人々にとっては、「学術的良心」などは無縁かむしろ邪魔なものに過ぎず、如何に効果的かつセンセーショナルに大衆受けするか、という宣伝技術的な観点からのみ「歴史戦」「情報戦」「思想戦」に従事・邁進することになります。

   そして、それが共産主義や全体主義、ファシズムなどの政治的思想に基づいている場合は、なおさら「確信犯的」に自分たちの思想・信条・信仰を絶対視して、「自分たちは正しい。だからこうして偽装・欺瞞・欺騙することも正しいのだ。」という信念に基づいて、一定の方向性・偏向性を持った「歴史観」で彩られ歪曲された「歴史像」を堂々と打ち出し、世界に向けて、そして特に「歴史戦攻撃対象」に向けて、強硬に主張・発信することになります。

   もとより純然たる学問的には、如何なる思想・哲学を持とうが自由ですが、問題は、それを「科学的」だとか「学術的」だと「偽装」し、異なる思想・信条・政治的立場の人びとに、その受容を「強制」することです。

   それは、例えば日本を未だに「戦犯国」扱いし、靖国神社参拝という慰霊目的の宗教的・信仰的行為にさえ、その「政治思想」を強制して当て嵌めて批難するなど、それこそ中国共産党政府の言う「内政干渉」を、自国のことはさて置いて、日本に対して行なってくるのと論理的には同じことであり、実はこうした「政治戦略的な歴史戦構造」を内包しているからに他なりません。

   もちろん日本人でも共産主義を信奉することは、日本国憲法が保証する「思想信条の自由」ですから、そのこと自体は結構ですが、しかしそうでない自由民主主義思想の持ち主や、ごく一般の日本人として、自然の古来からの宗教心をもって、自己の思想・信条・信仰に従って戦死者の宗教的慰霊行為をする自由までも、外国から強制的に干渉され侵害される理由は、わが国の国内には存在しません。もし思想・信条が異なるならば、平和的かつ理性的に話し合うことは否みませんが、他国から強圧的に宗教的慰霊行為の禁止まで「強制される」のは御免被りたいと存じます。

   どのような「統合的視点」のもとに、ある時代の歴史の流れを捉えるかという所謂「ナントカ史観」の問題というのは、常に主観と客観が対峙しつつせめぎ合うか、乃至は主観と客観が相互に補完しあうものとなります。

   同じ登場人物や舞台を描いても、芥川龍之介の短編小説「藪の中」のように、多角的・多面的に見ると様々な側面やストーリーが見えてきて、一体何が真相なのかを捉えること自体が困難に思える場合があります。

   また、同じひとりの人物の顔でも、真正面から見るとあまり強さを感じさせない端正な顔立ちであっても、横顔を見ると大変意志の強そうなしっかりとした顎を持った風貌をしている場合もあり、「どんな顔の人か」と問われても簡単・単純には描写できないことがあるのです。

 歴史でいえば、「マルクス史観」とか「皇国史観」という、事前にある一定方向の価値観とか哲学が所与のものとして定まっているものは、その価値判断の方向性に沿った「歴史の描写」や「歴史の解釈」がなされるので、ある意味では論理的な一貫性としての「わかりやすさ」があるとも言えます。上述した通り、別の言い方をすれば、ある方向性に偏向しているとも、「ある色の偏光フィルターがかかっている」とも表現できるのです。

   従って、上記の顔の風貌の例でいえば、あるグループは真正面から顔を見て、「この人は端正だけれども押しは弱そうな人物だ」と主張し、他のグループは同じ人の横顔に注目して「この人は意外に意志が強く根性のありそうな人物だ」と主張するのと同様に、そもそも立憲君主制を是とする思想的立場からは、わが国の「天皇と皇室」の存在と役割を肯定的に評価する方向性で歴史を描写するのに対し、例えば共産主義者であれば、そもそも如何なる「君主制」も認めないはずですから、極めて否定的・批判的に描写することになります。

   ちなみに社会学や文化人類学などで使われる「専門用語」は、一般的な日本語の言葉を国語的な語感だけで読み取るのではなく、分析のための「覗き窓」という、ツール(*道具)としての専門的「概念」であり、その定義や説明を確定した意味で共通に使用する「約束」が大切です。その意味で、専門的な入門書や社会学辞典などによる説明を、まずは虚心坦懐に謙虚な姿勢で、よく読んで理解することが、とても大切な前提作業です。

   また一般的な世間では、「社会学」は「社会主義」だというような初歩的誤解をさえ受けることがありますが、「アメリカ流・社会学」や「アメリカ流・文化人類学」は、決してそのように左傾した学問であるわけではなく、あくまで分析・研究のために共通する土台や道具を共有するためのものであって、その上で、各個別研究者自身がどのような思想や価値観に基づいて研究するかは、分けて考えねばなりません。

   例えて言えば、共産主義者で物理学や数学を研究している学者もあれば、自由民主主義者で物理学や数学を研究している学者がいるのと同じことです。但し、社会学や文化人類学や歴史学の研究をしているということは、当然「人間や社会や歴史」について、一般の人々よりは強く興味と関心を抱いていることは確かです。しかしだからと言って、社会学を研究している者はみんな共産主義者や社会主義者だというのは、基本的に大きな誤解なのです。

   ただ日本のアカデミズムの世界では、戦前はドイツの文化・教養主義の影響が強かった関係で、「社会学」もドイツ観念論哲学の系譜の中から生まれたドイツ流のマルクス主義的唯物史観に基づくものや、一部にその唯物史観を批判してこれを越える「合理化」という過程を、実証的かつ「価値自由」の観点から、客観的に捉えようとする社会学を提唱したマックス・ウエーバーが、鋭意研究されてきたという歴史的な経緯はあります。

   マルクス主義社会学とウェーバー社会学の関係ついては、カール・レヴィット著「ウェーバーとマルクス**」(柴田治三郎・脇圭平・安藤英治訳、1966年未来社刊)という名著がありますので、ご興味のある方はぜひお読みください。レヴィット(1897~1973年)は、ドイツの哲学者でしたがユダヤ系であったためにナチス政権から大学での講義と出版を禁じられたためドイツを離れ、一時期は日本の東北帝国大学で教鞭をとっていました(1936~1941年)。しかしその日本もまた日独伊三国同盟を締結したため、渡米しハートフォード大学、コネチカット大学、ニューヨークのニュースクール大学などで教えたのち、戦後1952年にハイデルベルク大学教授としてドイツに戻りました。因みに同上書**では、「唯物史観にたいするウェーバーの批判」として、次のように記述されています。

  「一方に想定上の社会哲学的《唯心論者》あるいはまた《唯物論者》を、他方に《健全なる常識》をそなえた社会学的《経験主義者》(じつはウェーバー)を配して風刺的な対話を展開し」、(*中略)「ウェーバーの科学的自己解釈と、それにもとづくマルクス批判を原理的に表明するものとして、次のものを取りだすことができる。すなわち政治的経済的事象を含めて、人間の歴史は、《究極的なところ》ほかならぬ宗教的闘争として反映し、したがって人間の歴史は宗教的闘争によって統一的かつ一義的に説明せらるべきであって、複雑に交錯した因果系列から構成されるのではないとする唯心論的テーゼは、ウェーバーによれば、人間の歴史を《究極的》に決定する動因は経済的闘争であるとする唯物論的テーゼ――内容だけでは前者と正反対であるが、方法的にはそっくりそのままの唯物論的テーゼ――とおなじく経験科学的に、あるいは《経験的》に、正確に立証することもできなければ、また反駁することもできないというのである。この両者にたいして、社会学的経験主義者ウェーバーはつぎのように主張する。すなわち宗教的なるもの一般の社会生活一般にたいする因果的意義については、およそ科学的になんら決定的なことはいえない。このような独断的な問題提起は、せいぜい《発見的手段として》有用であるにすぎず、それが《事実上》どこまで正しいかは、歴史的研究によって、歴史的な《個々の場合》についてのみ決定される。もちろん、この個別的現象を越えても歴史的事象の普遍的規則に達することならできよう。(*中略) 科学的な意味で可能な総体的見解なるものは、個々の成分や一つの個別的要因を独断的に拡大して、《独断論者》のみがかじりついている一つの《世界図式》の全体にまでつくりあげることではない。いかなる科学的観察方法も、対象をそれぞれ一面的に限定する特定の観点から行われるため、どうしても一面的たるを免れないが、科学的意味で可能な総体的見解なるものは、この一面性から進んで、考察様式の多面性に向っていくことなのである。そうでないとすれば、なぜ社会生活を究極的に《頭蓋係数*とか、太陽の黒点の影響とか、あるいは胃腸障害から推論し》ようとしてはいけないのか、という問題を解くことができない。」(**同上書118~120頁より部分抜粋)と述べています。(*因みに上記の「頭蓋係数」とは、ナチスのアーリア人種至上主義による人種差別政策批判を意味しています。親衛隊では頭蓋骨の形状・比率等からアーリア人種かどうかを判定していました。)

   そして次のようにも指摘しています。「ウェーバー自身は、彼の方法とマルクス主義の方法の差異を、《経験的》方法と《独断的》方法という区別によってあらわしている。世界図式の独断的一義性に対立して、専門科学的考察の《一面性》から専門科学的な《多面性》へと必然的に進んでいくことに彼の《経験的》方法の本来の意味があるように思われるのは、外見だけにすぎない。ウェーバーの方法の真の意義は、むしろ彼が《全面的人間性》と包括的な《世界図式》を断念することによって、いずれかの特定の所与に定着し、それとともにまた、特定の所与を幻想的な《全体者》にまで拡大しようとする、ありうべき態度を否定せんとした点にある。彼が事実上攻撃したものは、存在と考察の総体性ではなくして、特殊性を全体性にまで硬ばらすという起りうべき態度であり、したがって特定種類の、見せかけの、総体性である。しかし彼自身が実践した実際に可能な総体性とは、ありとあらゆる一面性を総括していわゆる多面性をつくりあげることではなく、すべての面への活動の自由という否定的総体性 (die negative Totalität) であり、あらゆる《殻》、あらゆる実践的理論的な施設、秩序、安全を――彼にとって真に人間的なるものと考えられていた《個人主義》の残存を、科学のなかにも保存するために――打破することであった。『経済と社会』のなかで試みられた概念規定の膨大な決疑論も、現実を定義的にとらえ、これを固定するという意味だけでなく、同時に、またとりわけ、現実をもろもろの《可能性》の開かれたる体系たらしめんとする逆の意味をもっている。(*後略)」(**同上書123~124頁) 

   こうしたウェーバーの考え方は、その後のアメリカ流社会学(*タルコット・パーソンズなど)にも受け継がれています。ここでは詳細にまでは触れませんが、ウェーバーにご興味のある方は上述の「マックス・ウェーバー研究――エートス問題としての方法論研究――」(安藤英治著、1965年未來社刊)と、「ウェーバー歴史社会学の出立――歴史認識と価値意識――」(安藤英治著、1992年未來社刊)、そして「マックス・ウェーバー」(安藤英治著、講談社学術文庫2003年版、初刊1979年) をお薦めしますので、ぜひお読みください。

 以上の論述からも、マルクス主義に則った《独断的・一面的》な「固定」的な《世界図式》から、ウェーバーのいう《経験的・多面的》な《可能性》の「開かれたる体系」へと、わたくしたちの「立脚点」たる「価値観」を進め、安藤英治先生の解するウェーバーの「価値自由(Wertfreiheit)」に則った「方法態度」によって、「人間と社会と歴史」に関する研究も、また外交・安全保障などに関する時事問題・政治問題に関する言論・報道も、なされるべきではないか、というのが「令和日本」の執るべき態度と姿勢だとわたくしは考えているのです。

 尚、今回本稿で書いた内容は、本ブログの様々な記事でも以前触れた内容に一部重なりますが、今回のテーマである…「客観性」と「価値」の関係性に「令和日本」はどう向き合うべきか…という課題には、必要かつ重要な論点であることから、敢えて再録したものです。本件に関し、少しでも読者の皆様のご参考になれば、真に幸甚に存じます。