2024年4月8日。この日はユッコこと岡田有希子さんがいなくなってから、38年目の命日でした。

そしてわたしは初めて、当日の四谷四丁目交差点に向かいました。

 

 

 

ここに毎年、ファンの方々が集い彼女を偲んでいることは知っていました。だけどわたしはこれまで、命日に訪れたことはありませんでした。

 

三十数年遅れで彼女のファンになったわたしが、長年ユッコさんを思い続ける皆さんと共にそこにいるのは、出過ぎたことに思えたからです。

正直、こんな気持ちもありました…そこにはもう、ユッコさんはいない。だから行ったってしかたがない。

 

だけど最近同世代の知人を失い、そんな考えが変わりました。

限りある人生、遠慮している場合じゃない。しなかった事を後悔するのは止めよう。それに、ユッコさんがいなくても、そこにはユッコさんを思う皆んなの気持ちが集まっているんだから。

 

 

ちいさな花束とともに、新宿御苑横の道を歩きます。

道端に並ぶ桜は咲き切って、はらはらと花びらが舞い散っていました。

大木戸ビルの前に着いたのは午前10時半頃、すでに数人のユッコファンと思しき方が歩道に佇んでいます。彼女がなくなってから作られた植え込みに、花束を手向けました。

 

 

名札を下げた方がひとり、歩道に増え続けるファンと通行人の間に立って交通誘導に奮闘していました。弓指寛治さん。

〝この場所は皆さんにとっても、自分にとっても大切な場所。でもここで事故が起きたら、こうして集まることができなくなってしまいます〟

〝ここは墓地ではありません、歩道です。もう一歩下がって道を空けてください、ご協力お願いします〟

曇り空の下。額に汗した彼は、声を枯らして歩道の人々に呼びかけ続けました。

 

 

月曜日だから訪れる人も少ないかも…と思っていましたが、気が付けば花束は花壇を埋め尽くしていて。若い方も、外国人の方もいました。周囲の話によると、ここ数年集まる人の数が増え続けているようです…わたしもそのひとり。

大勢の人がその時を待つなか、こんな会話が耳に入りました。

〝この集まりって、いつまで続くのかな〟

〝みんなの心の中から、ユッコがいなくなるまでだよ〟

 

 

12時15分。

歩道の端から花壇の周りに集まって、ユッコさんに1分間の黙祷を捧げます。

〝皆さんのご協力のおかげで、今年も事故もなく黙祷を終えられました。来年もよろしくお願いします〟

毎年交通誘導をしてくださっている弓指さんの挨拶に、労わりの拍手が起きました。

ユッコさんを思う皆の気持ちがひとつになったのは、彼の労苦があってこそでした。ありがとうございました。

 

そして皆が持ち寄ったたくさんの花束は、有志の方の手でユッコさんが眠る愛知のお墓へ運ばれるそうです。わたしの花がわたしに代わって、成満寺まで行ってくれる…本当にありがたいです。

 

この場を離れるのが名残惜しくて立ち止まっていたわたしは、一回り年上と思われる方に声をかけられました。「なにかあったんですか」

「今日は岡田有希子さんの命日なんです」と伝えると、「ああ、そうだったのですね」その方はすぐに納得したようでした。

 

 

photo by yukikostarlight