以前のブログ記事の続きです(汗
箇条書きにまとめると次のような感じです。
・小学校三年の時に離婚した父から「先祖の墓参りをしてほしいと」と突然の電話。小学校三年以来、父方の先祖参りをすることに・・・。
・ド田舎にある父の生まれ故郷へ墓参りをしたところ、うちの先祖や同じ苗字の一族に大名が独占して使用したとされている家紋が・・・。
・論文などを調べてみると、世界へ影響を及ぼすほどの活躍をし、死後嗣子が全員切腹した歴史上の人物特有の家紋であることが判明。父が突然の電話をしてきたのが、歴史上の人物の丁度数百回忌のほぼ命日あたり・・・。
・郷土史の研究家が総本家と推定している家を訪問。歴史に詳しい人を紹介してもらい、歴史上の人物と父の先祖一族が深い関係にあったこと、漢字違いの同じ名字だった一族に名字を与えたことが判明。家紋はおそらくその時に与えられたのだろうということに・・・。
父の生まれ故郷は、同じ名字の歴史上の人物が新田開発をさせた可能性が十分あること。二百年前の江戸時代後期に書かれた書物に父の生まれた集落の隣に御殿の建物跡があったことが判明。何やら歴史の謎が隠されている様子・・・。
実績の割に評価がされていないので、気の毒に思い。本でも書こうかと歴史上の人物の出身地の奈良を訪問・・・。
同じ名字の歴史上の人物は、一族のルーツが邪馬台国の遺跡といわれる奈良県桜井市の纏向遺跡のすぐ近くにあります。さらに、歴史上の人物と邪馬台国の謎を解くカギが同じこともあって、邪馬台国の資料を集めたところ、自分の専門分野に関わることで大きな発見・・・、さらに古代史に関する非常に大きな発見をしてしまい、土日も資料とにらめっこしたり、執筆したり・・・。
で、何が驚きの話かというと、小学校三年の時に離婚した父と母が一緒に暮らすことになったのです・・・。
母の家に本やらいろいろ荷物を置いていた私は、週末は母の住む実家で大忙し・・・。引越しの手伝いと自分の置いておいた物を荷造りして車で運ぶ羽目に・・・。
父が何を考えて一緒に暮らすことを言い出したのか不明ですが、自分が父に先祖のこととかいろいろ聞いたのも一因かなあと想像。めでたしめでたしとなればいいのですが・・・。
やっぱり先祖は大切にしないといけないと痛感させられました。