昨日の午後同様、今日の午後も蟄居・安静に。今日は、ボウリングを休む。

令和8年5月11日〔月〕【第3390号〔本年第115号〕】

     昨日の朝は、とりあえず、コレ↑(シュアイショウ、甩手)を20分間ほどやってから→大仙公園。で、午前だけで、ウロウロせず、直帰。午後は、家でジッとしていた。なぜなら、股関節痛が残っていたから。(寄る年波には抗えません。)

  今月初めから、左足ふくらはぎの腫れ、というのか、引きつりはあった。今朝、万代池周回時にも出現していた。。

  たぶん、ソレを庇っているうちに、というのと、土曜日のラウンドワン堺でのお隣(25番レーン)のあのニイちゃん(酔っぱらったまま、ボウリング、するんじゃない!!バカモン!・・・)のイレギュラーな動きに、ついつい無意識のうちに反応してしまって、股関節(特に左側)に余計な負担を掛けてしまっていた可能性は充分、、ある。まっ、極めて中途半端な「懇親会」をやってる連中に文句を言ってもしゃあ 無い!

 

  なので、今日だけは自重。

 

  昨日、大仙公園で歩いている時にも、お腹の奥、やっぱり、ひきつりみたいなのがあったけど、まぁまぁ、要するに、年寄になると、恢復が遅くなるので、自身に、「気をつけろ!」と 喝!! そもそも、痛みは移ろうし。。。(昔、膝痛を庇っていて、腰痛がきつくなったコトもあった。)

 

      ココで、前号の補足を先にしておこう! バラバラと、、一つづつ。

 

  教授の研究対象になる人は、たぶん、西梅田公園に集っている推手愛好者なのだろう。金曜日の私が、七人目か八人目みたいなコトをおっしゃっていた。この先、教授の研究が順利(shunli)であるコトを祈る次第。

 

  金曜日の夜、ニワ師がお元気で、、良かった!!一月にお会いした時には、けっこうヘロヘロな感じだったので、前より若々しくみえた、活気があった。

 

  土曜日の夕食、ご一緒した旭区のKMTさんは、Y雄さんより、ちょうど一歳上。KMTさんも一時期よりお元気だ。子供たちの面倒(工作指導)もちょくちょくみておられるからだろうか!やっぱり、歳、いっても、外に出て動く人が元気。

 

  昨日、大仙公園に来られた若手のIKDさん、えらく文学的な表現をしていた。

 

  (私を押しても)「幻影のように消える!」と。彼が経験した各種格闘技と、太極拳とは随分違う、というコトを言っておられた。太極拳をきちんと続けてくれるのだろうか。そう言えば、彼も一度だけ、西梅田公園に行ったコトがあるとか。

 

  やはり、昨日、SZさん・・・「何年振りかしら!」と 登場!!確かに確かに、大仙公園では、ホント、お久しぶり・・・・でも、まだ、眼帯装着のまま。お大事に!!

 

   昨日、道場ラインで、またまたまたまた、Mr.M  vs  ドラゴン君が。しょうがない、、Mr.Мが「道場ライン」を私用しているから。

 

   昨日の場合も、私的には、ドラゴン君に軍配や ねぇぇぇ!

 

   Mr.Мは、①魏樹人の聞きかじり程度の、とか、②魏樹人本の中身はともかく、云々、そんなコト、言えるほど、彼、勉強しているのかなぁぁぁ?!

 

   私的には、関連して、北京で馬長勲先生から教わったコトを思い出すきっかけにはなったけど。要するに、「内勁自身用」なんだし、そして、「三点(両脚&接触点)支撑」だし、また、①套路(動)、②推手(用)、③站功(静功) なんだし。そもそも、「内功」という用語、馬先生、使っておられなかったなぁぁぁ!どっぷり、「内功」のお話だからそうなっているだけ、、なので、ドラゴン君が実技もよくやっているだろうから、机上学習に励んでいるMr.Мよりは、ましなコト、言うてたなぁぁぁ!Mr.Мの「道場ライン」私用は、ほぼ病や なぁぁぁ!!

 

  今朝の万代池公園の栴檀=我々のつかっているベンチのすぐ後ろ。

 

 

 

 

  納屋で、旧い、懐かしい写真をみつけた。

 

 

  「1975年11月9日」、日付が書いてある。キャラバンシューズを履いて、ジャンプ一発!! 写真を写してくれたのは、たぶん、岩下さん(プロカメラマン)、左は誰だかわからないが、右の白シャツは、その後、オーストラリアに移住した張世潮さん。。張世潮さんとは、豊中とか、泉北でも卓球をやったコトがある。お元気にされているだろうか?身長は私より10cm以上高かった、スラッとしていた。私の26歳の時、、場所は、・・・・たぶん、若草山!!

 

  もう一枚・・・・コチラは、1980年8月、たぶん、8/13  、上海体育館の前。

 

【追記、2026/5/11  21:40】今朝、ふれあい温泉矢田からの復路、道場主は、(自分の齢は棚に上げて、私に)「先生も、齢なんやから、フロからあがる時、気、つけなアカンで!体温、落としてから、出なアカン!」と 宣わった。

 要するに、血圧の急激な変化に耐えられないような身体になってしまっている、と言いたかった のだろう。ホント、だけど、昔は、【スーパー銭湯、三時間】、なんてコトをやったなぁぁぁ!と、車中の話 だった。ふれあい温泉矢田、入り口のトコロの「足湯」、やっと復活させたんですねぇぇぇ!足湯、だけに来る人もいるんやぁぁ!

【追記2、2026/5/12  6:40】 道場ラインでの二人(Mr.M  vs  ドラゴン君)のやりとりを看て、またまた追記=私的に、「北京合宿・思い出」。

 

  2014/3/27、この日(私的に二回目の、北京合宿中)に、太極拳=悟性拳、と教わった。要するに、套路を練って、知覚を高めていって、そして、推手で、目覚める・・・「覚悟を得る」と表現されていたけれど、、六日間の合宿は、午前に套路、午後は推手、毎日、五~六時間、、12年前、楽しいひと時だった。太極拳は、「知覚運動」、「運動知覚」の語は、古典の中にゴロゴロあるけれども、太極拳=悟性拳、は、その時、初耳 だった。私的に一回目の合宿で、「立如平准」について、古代の水平儀のコトと教わって、自身の翻訳も、ソコは訂正した。ソレまでは、所謂、「天秤」という誰もがしている解釈をしていた。二人(Mr.M  vs  ドラゴン君)のやりとりで、復習できた。今日は、午前→北深井道場、午後、まず、天田神社の森にちょびっと入って、その後は、例のリハビリ室。Y雄さんは、教授面談、一時間(4/29)だった、と言うてはったなぁぁぁ!!

 

  

本通信、本来、日記ならば、日々更新をしないといけないトコロだが・・・他愛なく、取り留めなく。。

令和8年5月10日〔日〕【第3389号〔本年第114号〕】

    金曜日午後の教授面談ーーーJR福島駅の北側の「こめだ珈琲」にて。話に夢中だったので、我々のオーダーがまったく通っていなかった(50分間、気づかず・・・)。アッハッハ!!

  14時~17時? もうちょい長かった? !  面談アフターは、→西梅田公園、推手。。

 

  17:30  、西梅田公園で別れた後、私は、阿倍野警察署向いの「立ち飲みヒロ」、滞

在は、たぶん、18:15 頃から20分間ほど。

 

   ↑、2024/4月の写真・・・・ 一昨日は、めちゃ混んでいた。

 

  金曜日の平岡憲人先生の講義をザックリ括ってしまうと、白村江の戦いに拠って、百済帰化人が大量に生まれた為に、国語学会がいまだに後生大事にしている、「八母音説」に繋がっていった(ちょっと省略し過ぎだけれど・・・)、とそういうお話。

 

   何せ、平岡先生作成資料、40頁を超えているので、その資料の多さで、中には、却ってお話が観えなくなった方もいたかも。私的には、50年前に、「国語学」、「音韻学」といった授業も受けたコトがあったコトを思い出したし、ワークショップ的な展開が楽しかった。が、しかししかし、『白村江敗戦と上代特殊仮名遣い』(藤井遊惟著、リフレ出版)を読まないと、理解は、皆目、進まないだろう、ともうちょい気長に、のんびり、と そんな感じ。

 

   アフターは、いつもの、焼き鳥・つむぎ。先生を入れて八人。

 

  三年前の(写真)つむぎ・・・

 

 

   一昨日、夜の つむぎ・・・

 

 

   つむぎは、いつものとおり、23時を過ぎる。JR天王寺、23:22の日根野往き快速に乗車、、ようけ、乗っていた。

 

  昨日、土曜日の朝は、大原簿記専前、8:37  の8系統→大阪駅往きに乗車。

 

  午前、朝カル・推手アフターは、七人で、→遊々。

 

  食後は、みなさんと別れて→なんば。

 

  マッサージをしてもらって、というのか実際、爆睡。

  大原簿記専横の ↓

 

   ココ ↑、三年前に閉業。その後、ノリちゃんが教えてくれたトコロが上。

 

  あと、高島屋で靴を買った。①鹿革、(軽い!)とか、そして、②ソールの良さを、勧められて、サッサと買ってしまったなあぁ。 徳田さんとかいうお姉さん、、商売上手!!

 

  ともかく・・・なので、昨日は、大原簿記専前(8系統)→大阪駅往きに、結果、二度乗車。     フェスタワーの13階のテーブルでまたまた寝てて、あやうく、15:15開始に遅れそうになった。

 

   楊式太極拳アフターは、六人で→フェスティバール&ビアホール。

言われたなあぁぁ、、、「パスタをお箸で食べるのは、ムードが無い!」と。ムード、壊して、ごめんね。

 

 

 

  昨夜は、さっさと帰って来るべきだったかも、と 今頃、言うてもアカン!

 

19:40  から二時間半、投げたけれど、、身体的には、たぶん、今一 だった、かなぁぁぁ?

 

  昨夜、ボウリング、スタート前の写真を。隣(左レーン)には、

  みちこ君とドレミファドン君。。彼らも、ボウリングマナー、いまいちではあった

が、とってもやりやすかった。

  ボウリングも太極拳と同じで、「シンクロ」現象、起きますねぇぇ!

  「スプリットメイド」が続いたのには、驚いた。

 

    右レーン(25番)に入ってきた、中年男女は、どうしようもなかった。特にあの人、あのニイちゃん、、ねぇぇ? アプローチで、セットしたままフリーズしているかと思ったら、今度は、女の子が投げる時にはしゃしゃり出てきて、女の子の足元で、

何やらゴニョゴニョゴニョ ?!?!

  ケツ、蹴っ飛ばしたろうか!と 思わなくもなかった。ボウリング場、ただの酔っぱらいは、ホンマ、迷惑千万だ。

 

  今朝は、チョロッと大仙公園に入ったけれど、午後は完全に安息。やっぱり、金曜日の帰宅=土曜日の午前零時、が響いたのだろう。寄る年波に抗ってはいけません。

 

  そうそう、想い出した。今朝、大仙公園にやって来てた、IKDさん、まだ、若手。彼の場合、いくつかの、格闘技経験がある模様で、太極拳は「これから」だろうが、抜群にセンスがいい。最初ッから「太極拳だけ」という人には、太極拳の良さがいまいち、観えない。と、コレ、一昨日の平岡先生の授業に繋がる話。

 

  帰化外国人だからこそ、日本語の音を聞き分けて(聞き分け過ぎて)、漢字変換した、という話、に 私の中では繋がる。

  ともかく、ボウリング、ちょいやり過ぎ、かも。先月は、188ゲーム消化、今月は、昨日までで、54ゲーム。いやいや、やり
過ぎ、ではなく、自身の体勢管理が要る。体を大事に!!

人差指と薬指にまつわる話・・・とっても奇妙だ?!

令和8年5月8日〔金〕【第3388号〔本年第113号〕】

  一昨日・6日(振替休日)は、松本善之助先生の『ホツマツタエ発見物語』(「古事記」の原書)を読み直したり(と言っても相変わらず、ちっとも理解していないが・・・)、桂樹佑さんの『大和言葉は古代シュメール語で解読できる!』を、(コチラは、またまた、中断)読んでみたりしてて、そして、夜は、ユーチューブ動画で、以下の先生方のお話を聴いて・・・で、すごく特別なコト、と思ってたのに、何と何と!?!?昨夜、OCAT四階の講堂での、「楊式太極拳」の時間では、ホンマ、びっくら こいた。。。

 

  まず、上の 「以下の先生方」というのは・・・・・

 

 瀬戸内寂聴さん(1922/5~2021/11)、樹木希林さん(1943/1~2018/9)、美輪明宏さん(1935/5~)、保江邦夫先生 等々。(保江邦夫先生以外は、おそらく、ご本人のお声では?と思われる感じ。)

 

    で、

 

  先生方のお話の共通部分を拾うと、

 

  薬指が人差指より長い人は、特別な人・・・滅多にいない。

 

  が、昨夜、びっくらこいたのは、我が「楊式太極拳」の美人三人・・・三人とも、揃って、薬指が人差指より長い!! じゃあ、みんな 特別、て 一体どういうコト?!

 

 

  私も、勿論、薬指が人差指より長い・・・1cm ほども長い。私の場合、中指がちんちくりん過ぎるのかなぁぁぁ?! 右手(片手)で自撮り、一発!!

 

 

   (今日の午後、福島駅で関学教授に会うが、、この話もしてみようか?)

 

   先生方の お話に 戻る。

 

  以下、箇条書きする。 (元のユーチューブ動画の話をギュギュギュッと圧縮する・・・)薬指が人差指より長い人は、

 

①人を引き付ける、引き寄せる、「場」を変える、「場」をまわし、「場」を和らげる、「流れ」を繋ぐ、②(優柔不断にみえて、実は)決断力がはやい、直感力が鋭い、感受性が豊か、③チャレンジ精神が旺盛、人からモノを頼まれやすい、④空間認識能力が高い、数字に強い、⑤「金運」もあるが、しかししかし、人の為に尽くし過ぎる傾向があり、自己犠牲的。⑥クリエイティブな才能がある、アーティストだったり、文才がある、音楽的センスもある、⑦睡眠パターンが通常の人(=人差指が薬指よりも長い人)とは違う、

 

  「保江邦夫先生は、かくかくしかじかおっしゃっている」というお話を展開されていた方は、シューマン共振、とか、エンパス体質等々のお話もなさっていたようだが・・・また、「薬師如来」のお話も出てたり・・・生前の、というのか、母親の胎内にいてる時に、テストステロンホルモンが多かった、云々、のお話も。

 

    何せ、

 

   薬指が人差指より長い人は、滅多にいない、十人に一人もいないようなお話だったのに、なんで?! 昨夜、「楊式太極拳」の・・・・・私のクラス、まったく真逆じゃないの?! 新人のYMYさん一人だけ、人差指が薬指より長い、、、外の人、私を含めて、十人は、薬指が人差指より長い。

 

  と、いうコトは、

 

  そもそも、太極拳に嵌った人は、みなさん、そういう「例外の人たち」なの?太極拳をする人、みな、変人?! それとも、太極拳をやっているうちに、もしかして、薬指がぐんぐん 伸びたの?! という話が展開できる。一体、どういうコト?! ホント、奇妙過ぎる。。。

 

  ウチのカミさまも実は、薬指が人差指より長い。カミさまは、「人差指が薬指より長い、そんな人がおるか?!」と昨夜、言うとった、😵 

 

   先生方のうち、どなたか、おっしゃっていた。「自分を大切になさい!」と。というのは、人の為に尽くし過ぎる傾向があるので、本来、光り輝く人なので、与えるだけでは、ご自身が枯れてしまうから、気をつけなさい、と。

【追記、2026/5/8  7:55】今朝、五時、「道場ライン」にドラゴン君から、左手の写真が入電。ドラゴン君も、また、薬指が人差指より長い!!

  今朝、(アップロードの際)、書き漏らしていたけれど、TQ君も(昨夜もいつも通り、五階の中華・旺宴で一緒した・・・)、同じく、薬指が人差指より長い。我が業界、「太極拳」は、やはり、変人の集まり?! と、益々、疑念が深まった。まじ、今日の午後、教授に「研究テーマ」をあげるコトにしてみようか?と 自問中。※「エンパス」は、AIに拠ると、「他人の感情、身体的な感覚、或いは場の空気を自分のことのように深く感じ取ってしまう、非常に共感力の高い人」を指す、とある模様。

   

 

  

 

   

 

  

 

 

 

令和8年5月6日〔水・振替休日〕【第3387号〔本年第112号〕】リブログ3度目。道場生のシンちゃん用。 

  昨日の朝、北深井道場で、沙国政・何福生のお二人のお名前が、脳内、スッと出なかった、お昼ご飯時に、やっと思い出した。「何福生太極拳」でググッたら ↓ ヒット した。 1980年、日本武道館に観にいった? たぶん。。。由美かおるさんが、正面に坐っていたような薄い記憶が。。

 

 

 「李徳印対練」でググッたら ↓ コレ。

 

 

  ↑、検証しないまま、とりあえず アップした。

 

重複するけど、

 

 

   ↑ 間違えた !! 確認していない、存じ上げない・・・・・私の出てるのは 「炎林陳」、、コレ、サカモトさんがあげてくれたモノ ↓

 

 

 

 

  ところで、明後日、教授面談用メモ・・・・昨夜、アップしたけど、あの程度で間に合うか、どうか?? 

 

  シンちゃん、頑張ってや!! マッちゃん(元消防士)も ! 頼みますよ!!

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

三日後=5月8日 午後に教授面談あり、その為のメモ。

※本通信内の「プロフィール」と内容、重複する箇所有り。

 

令和8年5月5日〔火・こどもの日〕【第3386号〔本年第111号〕】

     太極拳の文献に初めて接したのは、おそらく、1972年の秋頃に、上八の大阪外大・中国語研究室で。 『太極拳運動』(人民体育出版社 1962年刊)に。

 

 初めて、生の太極拳に接したのは、1975年6月末、、三浦先生、上原先生の講話&中野春美さんによる実技、在、梅新の尼信ビル。 西天満公園でも?【参加者の名簿を作らされた・・・】

 

 『新体育』雑誌に連載された、「簡化太極拳」を転載・翻訳して、テキストを造った。

 

 1976年1月から、北は、土曜日に南森町(西天満)で、南は、水曜日に南田辺・阿倍野青少年センターで定例練習を始めた。

 

  初めて中国人太極拳講師に接したのは、1977年11月。お二人の先生=顧留馨先生&周元龍先生。【福昌堂発行の季刊誌・『武術』第六号(1984年8月発行)に寄稿した。題して「推手の効用を探る」、、前年、1983年9月に福昌堂の東口敏郎氏と懇意になって、係る展開になった。】

 

  大阪府日中友協と上海市対外友好協会との関係の中で、上海太極拳友好代表団の第1回来阪・講習は、、1979年10月18日~1979年12月30日・・・・

   講師は周元龍先生、王菊蓉先生、、通訳は肖強先生(上海交通大学教授?) 

 【周元龍先生との交流については、『武芸』(1998年夏号)に追悼文を寄稿した。】

 

  私的には、二回目の訪中だったが、1979年1月(1/14~1/25)、「太極拳友好の翼」で、上海ほか三都市を訪れた。三浦先生団長、一行、120名ほどで、大阪からは24名が参加した。後に、東京の方で揉め事になったけれども、ココではソレに触れない。

 

  1980年8月7日~8月14日、三回目の訪中では、周元龍先生から「楊式太極拳」の特訓を受けた。

 

  第二次上海太極拳友好代表団(1981年5月9日~7月7日来阪)は、講師は紀光宇先生&馮如龍先生で、通訳は金泰克先生。

 教授の欲しい情報は、「太極拳歴&太極推手歴」(個人史)のようだが・・・私は、この時、「推手も教えてください」と代表団にお願いした記憶がある。泉佐野の大阪府立勤労青少年センターで合宿研修を受けたように憶えている。なお、代表団を来賓として、大阪太極拳同好会→大阪太極拳協会創立した・・・45年が過ぎた。

 

  第三次上海太極拳友好代表団(1982年6月7日~7月20日来阪)は、邵善康先生&陳俊彦先生。通訳=許建国さん。

 

 邵善康先生から教わっている様子は、『武術』第六号(1984年8月発行)に写真有り。

 

 1982年に来日した武術代表団のパンフレット原稿も、徹夜しながら書いた。(四都市か五都市で公演した。)

 

 因みに、私の「楊式太極拳」のベースは、周元龍先生と邵善康先生から教わったモノ。、周元龍先生とは、お手紙のやりとりだったけれど、邵善康先生は、その後も何度か、拙宅と職場にもお電話をいただいた。2015年1月、80歳でご逝去された。因みに、「酔拳」の本家は、ジャッキーチェンではなく、邵善康先生であるコトを世間の人は知らないだろう。(=教授面談には不要な情報?)

 

 第四次上海太極拳友好代表団(1983年5月14日~7月16日)で来られた何炳泉先生にも、推手ではボロボロにされた。もう、時効になるけれど・・・何炳泉先生は、陳式太極拳は得意だったけれど、簡化太極拳は知らなかったので、来阪前に、弟子である尹金陵さんから教わった、そうだ、確かに確かに。当時、何炳泉先生は、簡化太極拳に限っては、実技は私にやらせていたから。     一旦、ココまで。