お金を借りるのは当然の権利……
韓国に蔓延する「우리 (uli,ウリ,Us)意識」の底にあるものとは
https://bunshun.jp/articles/-/37347
シンシアリー  2020/05/13

 

ウリ(우리,uli,Us)がお金を借りるのは当然の権利2

 

 

 

タムワースタンバリンがお金借りるだけの
2019/08/27
https://www.youtube.com/watch?v=npA2FBPJgps

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日本社会では「약속(yagsog,約束)」

韓国社会では「구속(gusog,拘束)」が物を言う

 

 皆さんは、「약속 (yagsog,約束)」と「구속 (gusog,拘束)」の差をどう思われますか。

漠然とした書き方ですが、約束は何か良いイメージがあるし、拘束は悪いイメージがあります。

「約束をちゃんと守る人」といえば社会的に大変良いイメージがありますが、拘束はそうではありません。

たまにテレビニュースに出てくる、人を部屋に拘束する凶悪犯罪のイメージもあり、とても気軽に口にする言葉ではありません。

でも、実は約束が拘束になってしまうことだってありますし、その逆もまた然り、です。

 

 友だちと指切りげんまん(Cross my heart and hope to die)! した約束ならそれは普通に約束でいいでしょうし、犯人が被害者を物理的に拘束したならそれは犯罪で間違いありませんが、そこまで明確でない場合は、約束と拘束の境界はどうなるのでしょうか。

 

約束でも、気にしすぎると拘束になってしまうことはないのでしょうか。

逆に、拘束されているのに、その状況を「約束を守っているだけ」と勘違いしている人は、いないのでしょうか。

 

 そもそも、社会に存在する約束は実に様々な形で存在し、

人と人が約束を交わす「一対一」の物だけではありません。

「一対多(個人と大勢の人の間)」の物も無数に存在します。

 

でも、妙なことに、少なくとも現状、すなわち、今の社会風潮を見てみると、

日本社会では「약속 (yagsog,約束)」が、

韓国社会では「구속 (gusog,拘束)」が物を言います(効果や効力を発揮する)

 

 韓国は、教育をはじめ、全ての分野において日本の法律をほぼそのまま真似してスタートした国であり、日本をロールモデルにして成長しました。

「約束は守らないといけない」「法律を守ろう」などの教育も、ちゃんとあります。

しかし、『その結果は、日韓とでまったく別のものになります。』

 

韓国では恥は「かかされるもの」と考える

 

 両国の社会風潮の「一見同じに見えるけど、実は結構違う」を論ずるため、あえてよく使う慣用表現を一つ用いるなら、

「세간 를 걱정하다 (segan leul geogjeonghada)

世間様を気にする(to worry about how people would see person)」をある種の約束事として考えた場合はどうでしょうか。

 

 世間を気にしすぎるのはよくないという話も聞きますが、それはあくまで「気にしすぎた」場合のこと。

日本で住むようになってから、さらに強く感じるようになりましたが、世間様を気にする(to worry about how people would see person)のはとても良いことです。

 

韓国にも

「마을 의 창피하다 (ma-eul ui changpihada)(町の恥)

동네 로 창피하다 (dongne lo )ドンネローチャンピハダ、町中で恥ずかしい)」

といって、何か社会通念上ありえないことをやった場合、世間の笑いものにされることを大いに恐れる表現があります。

 

 

 

 ただ、もともと「恥 (disgrace) 치욕 (chiyog)」という概念が、

韓国では「かかされる」、

日本では「かく」ものであるため、

その意味合いは日本と韓国では似て非なるものです。』

 

日本で言う「世間 (Public)」という言葉は、

「相手」に気を遣う日本の「建前 (Tatemae = public stance)」の表れです。

 

韓国で言う「동네 (近所の町,dongne,town)」は、

自分で「자신 (jasin) 自分 (Myself)」に気を遣う

체면(chemyeon,チェミョン、韓国人特有のプライド意識)

体面(oneself of public appearance)」の表れです。

 

自分が自分にかかせる「恥」


韓国女子スピードスケート選手キム・ボルムが会場で土下座 パシュート ...

 

 韓国社会の「(町の恥という表現の)동네 (dongne, 近所 (Neighborhood)) 町 (town)」という考えを、本書のテーマ「なぜ韓国人は借りたお金を返さないのか」と繫げてみると、こうなります。

 

 お金を借りたことで、人(貸してくれた人)に対して「悪いことをした」や「恩を受けた」と考えるならば、視野を広くするとそれは恥の概念になります。

 

常識的に考えて、お金を借りるのは愉快なことではありません。

「急に必要だったから、なんとかなってよかった」と思うことはあっても、所詮は借金です。

人生設計またはビジネスのために銀行から借りたものならそうでもありませんが、私的な、例えば友だちから借りたものなら、良かったよりは「悪いな」と先に思うでしょう。

 

 ある意味では、それは自分自身による自分自身への恥であり、それをちゃんと返すことで、その恥を取り除く、いわば浄化することができます。

浅い知識の日本語で恐縮ですが、

「払う (pay,지불 (jibul)), 返す (Return, 반환(banhwan))」ことで

「祓う(Harau, Shinto purification ritual) 살풀이(salpul-i)), 恥を取り除く」を得る、とも言えるでしょう。

 

借りたのは当然だから、返すのは損

 


판결] “고용촉진 지원금 부정수급… 3배 반환하라”

 

 もし、ある人が、お金を借りたことで、相手(貸してくれた人)に対して「当然のことだ」としか思わないなら、恥の居場所がおかしくなります。

借りたのが「당연히 (dang-yeonhi,naturally)  当然 (Of course)」なら、返すのは自分にとって損でしかありません。

借りた時点でプラスマイナスゼロ、すなわち当然だから、返す分、マイナスになるわけです。

 

 この理屈だと、貸してくれた人は、それを返せと言わないのが、両者(借りた人と貸した人)の関係を維持するもっとも「공정 (gongjeong) 公正 (fairness)」な方法になります。

ここでいう「関係 (Relationship) 관계 (gwangye,relation)」という言葉、後で繰り返して出てきますので、ぜひ覚えておいてください。

 

 韓国社会では、この関係を

「정이 많다 (jeong-i manhda,情が多い)

情に厚い (Affectionate, compassionate) 」関係、

言わば「恥の無い」関係だと信じる人が、大勢います。

 

このゆがんだ「당연(dang-yeon)当然(of course)

と「공정(gongjeong)公正(fairness)」の同一視は、韓国社会で蔓延しています。

俗に言う裏の世界の人、法の死角で生きる人、そういう人たちだけの話ではありません。

 

 実は、普通に韓国では金銭的に余裕がある人でも、なぜか借りたお金を返さない人は大勢います。

それを「悪いこと」と考えず、「当然のこと(関係として公正なこと)」と考えているからです。

 

「情」など人間関係に関わる感情を持ち出し、相手の権利をねじ伏せることが多いのは、その行為に一切の罪悪感を持っていない、すなわちそういうことを当然で公正だと思う人が多いわけです。

社会がそういう人たちを増やしたのか、そういう人たちが増えたからそういう社会になったのか、それともその両方か、どちらにせよ、実に気まずい話です。

 

「우리(uli,ウリ,Us)意識」の根幹になにがあるのか

 

직장인 80% "사람 싫어 회사 떠난다"...업무보다 인간관계 더 힘들어 ...

 

会社員の81%は「仕事vs人」の退社により影響を与えることは、「人」

(http://www.gonewss.co.kr)

 

 だから、韓国社会では、「貸したお金を返せ」と言ったせいで、相手(借りた人)が信じていた「공정 (gongjeong) 公正 (fairness) な関係」=「대등 (daedeung) 対等 (Equality) な関係」が壊れてしまうという、笑うに笑えないシチュエーションも多発します。

 

お金を借りて返さないでいる関係が「공정 (gongjeong) 公正 (fairness)」=「대등 (daedeung) 対等 (Equality)」な関係だったのに、相手から「返せ!」と言われたから、急に上下関係になり、自分(借りた人)が『아래(下,below)(lower level of hierarchy)』になってしまうわけです。

 

 そして、それは情のない、とても恥ずかしいことであり、その恥は借りた人が自分の中から見いだすのではなく、返せと主張した人によって「かかされた」ものになります。

 

すなわち公正で対等な関係は、自分のミスで壊れたのではなく、薄情な他人によって壊されたことになるわけです。

 

 ここでいう「公正な関係」または「当為さ」とやらが、韓国人の信じる「우리(uli,ウリ,Us)(私たち)」たる共同体意識の根幹です。

 

私は、こう思っています。

そうした世界でいう「공정 (gongjeong) 公正 (fairness)」など、もはやお金の借り貸しという約束ではありません。

 

そうした世界の「공정 (gongjeong) 公正 (fairness)」はある種の拘束です。』

 

 なぜ「絆 (Kizuna, ties, bonds)」の韓国語が存在しないのか、少し分かる気もします。

 

絆と約束は、平等や対等の関係でこそ自然に存在できます。』

拘束や情は、上下の関係でこそ自然に存在できます。』

 

 

 

☆用語解説

絆 (Kizuna, ties, bonds)の韓国語

google翻訳で日本語では정 (jeong,チョン) 英語ではtablet

多くの人は「인연 (in-yeon,イニョン)  = 縁 (fate, chance, true destiny)」と訳しています。

 

 

부끄럽다(bukkeuleobda)

一番ベーシックに恥ずかしい時に使う

恥ずかしい、照れる、面目ない,照れる時や面目ない場合も使う。

 

 

쑥스럽다(ssugseuleobda)

照れくさい、恥ずかしい、気恥ずかしい,褒められた

くすぐったい恥ずかしさを表現する時の恥ずかしさ。

 

창피하다(changpihada)

失敗した時など恥をかいて小っ恥ずかしい時使う

恥ずかしい,非標準語でもよく使われる。