なぜ韓国人は借りたお金を返さないのか
韓国人による日韓比較論
https://bunshun.jp/articles/-/37345
シンシアリー 2020/05/13
金持ちが貸付金を使えば返済ない理由[不動産財テク]
2019/11/29
https://www.youtube.com/watch?v=JGpliYnTduk
他人から金を借りた人間が貸してくれた相手に居丈高に振る舞い、返済を求められると「返す必要はない」と開き直る……
そんなあべこべな状況が韓国では常態化しているという。
「確かに金は借りたけれども、すでに『정(jeong)』『情(Jō,feelings)』で支払っているから、この上金まで支払うのは公正ではない」
というのがその言い分だ。
『정(jeong)』『情(Jō,feelings)』とは何か?
それは著者の言葉を借りるなら、우리(uli,ウリ,Us)(=自分の親しい間柄の人間)に対してかける「ウザい」までの優しさ、親愛の情を表す。
それは決して無償のものではなく、『정(jeong)』『情(Jō,feelings)』をかけられたなら必ず対価(Taika = in exchange for, compensation for)が発生する。
そのもっとも分かりやすい例が、「借金を返さない」ことだというのだ。
韓国に生まれ育ちながら韓国文化へのアイロニカルな言説を隠さないシンシアリー氏の著書『なぜ韓国人は借りたお金を返さないのか 韓国人による日韓比較論』(扶桑社)より一部を引用し、韓国人の倫理観について知る。
◇◇◇
他人のお金を借りて返さない人が偉そうにしている韓国社会
©iStock.com
韓国人は、우리(uli,ウリ,Us)の範囲にいる人に対しては、何が何でも徹底的に関わろうとします。
韓国人はこれを「情が溢れる、ほほえましい、愛情深い、愛情に満ちた」という意味で(정겹다(jeong-gyeobda))「ジョンギョプタ」と言います。
정겹다(jeong-gyeobda、ジョンギョプタ)は、『정(jeong)』『情(Jō,feelings)』と「겹(gyeob,ギョプ,fold)」の組み合わせで、겹(gyeob,ギョプ,fold)は重なる、多重,重ね、重なり、重になっているという意味です。
韓国では(정겹다(jeong-gyeobda,ジョンギョプタ)を日本語にする際に「多情多感」「親しい」「優しい」などとしますが、私に訳せというなら「ウザい(Uzai = Annoying,Bug,Get on (someone’s) nerves)」あたりがいいでしょう。
韓国人が日本人を
「차가워요(chagawoyo) 冷たい(Attitude is cold, Cold attitude, To be cold to someone)」と評する大きな要因です。
同じグループ内に入った(たとえば同じ会社、同じ部署に入った)のに、なんで私をもっと構ってくれないのか、というのです。
これもまた日本側のネット上のネタで、
韓国を「かまってちゃん(Kamattechan=attention seeker, look-at-me (guy/girl))」と呼ぶ人が多いですが、それも大して間違ってないわけです。
ただ、その多重の情は、決して『공짜(gongjja,ゴンチャ)』「タダ(Tada),無料(For free, No charge, Complimentary)」ではありません。
いずれ、かならず何かの「대까(daekka)対価(Taika)」を要求されることになります。
その対価の概念のもっとも一般的な表れ方が、「借りたお金を返さない」です。
情をすでに払っておいたから、返さないのが公正だというのです。
書いていて悲しくなることですが、私をはじめ、本当に大勢の韓国社会の人々が、この「공정(gongjeong)公正(fairness)」にやられました。
「経済分野の道徳性の回復を急ぐべきです。
いつからか、私たちの社会には、他人のお金を借りて返さない人のほうが、ずっと偉そうにしています。
借りたお金を自分の権利だと認識しているのです」
「借りたお金を返さない人のほうがもっと豊かに暮らせる社会では、そういう人たちを狙った犯罪が多発することになります」
「資本主義経済の根幹は、自由意志による契約です。
契約はお互いの信頼を必要とします。
どんな理由があろうと、契約を履行しない人が増えれば、資本主義経済は崩れるしかありません」
1992年9月17日、ソウル地方検察庁の経済関連担当となった、部長検事の就任演説の一部です(『毎日経済』/同日)。
当時、そう大きな話題になったわけではありませんが、一部のマスコミは、この演説に注目しました。
「やはり、まだまだ借りたお金を返さない人が多い。
だからあえてあのような演説をしたのだ」、と。
演説文の「契約をちゃんと履行しない人」というのも、前後の内容からして、お金をちゃんと返さない人というニュアンスでした。
韓国の諺
「돈은 앉아서 주고 서서 받는다(don-eun anj-aseo jugo seoseo badneunda)」
(Money sits and gives and stands)
「お金は、座って(貸して)やり、立って(返して)もらう
(Sit and lend money, stand and return to receive money)」
お金は、他人に貸すことは容易でも返し受けることは難しいという言葉。
最近は韓国のマスコミも「韓国人の~(何かの問題点)」というような記事を書かなくなりましたが、80年代、いや90年代までは、
「韓国人は~だから、~を直すべきだ」
とする社会批判記事が結構ありました。
いわば社会改革キャンペーン的な記事でしたが、その中に欠かさず出てくるものが、「親しい仲でも借りたお金はちゃんと返すべきだ」
でした。
「保証人になるな」という内容が、いつもセットで載っていました。
この部長検事も、同じことを指摘していたのです。
もともと韓国では、「우리(uli,ウリ,Us)」の『정(jeong)』『情(Jō,feelings)』をお金で確認する方法が二つありました。
一つは、お金を貸してくれること。
もう一つは、銀行など金融機関からお金を借りる時に「保証人」(韓国では総称として連帯保証人といいます)になってくれること。
「自分の方が下(lower level of hierarchy)」
だと示してはじめて金が返ってくる
副作用が多すぎて、韓国の連帯保証人制度は2008年から廃止されました。
「親しい仲」(というウザさ(Uzai))の人からお金を貸してくれと言われること自体がかなり苦しいものではありますが、問題は、返してもらえないことです。
日本では「借りる時の地蔵顔、返す時の閻魔顔」とも言いますが、韓国には「お金は、座ってやり、立ってもらう,돈은 앉아서 주고 서서 받는다(don-eun anj-aseo jugo seoseo badneunda)」という諺があります。
ここで言う「座る」や「立つ」は、「上下関係」のことです。
위(上,above)(Upper level of hierarchy)の立場の人が座り、下(lower level of hierarchy)の立場の人は立っていないといけません。
すなわち、お金を貸す時には貸す人が 위(上,above)(Upper level of hierarchy)ですが、返してもらう時には、むしろ貸した人のほうが아래(下,below)(lower level of hierarchy)になってしまう、という意味です。
日韓両方の諺は、一見、同じ内容に見えます。
どこの国でも、借りたお金を返す時には、誰もがいい顔はしないものなのでしょうか。
ただ、日本の「返す時の閻魔顔」の場合は、「不機嫌そうだけど、返す」のニュアンスがありますが、韓国の「お金は、座ってやり」の場合は「『相手に아래(下,below)(lower level of hierarchy)になってもらう』という相応の対価が得られないと、返さない」ニュアンスがあることに、お気づきでしょうか。
この差は、致命的です。
ちゃんと返してくれるなら、相手の顔が閻魔大王の顔だろうがトランプ大統領の顔だろうが、別にいいでしょう。
韓国の諺に含まれている「座る・立つ」『 위(上,above)(Upper level of hierarchy)・아래(下,below)(lower level of hierarchy)』の意味は、貸したお金を返してもらうのはそんなにも難しいことだ、という普通の解釈もできます。
でも、よく読んでみると、その真の意味は「対価の要求」です。
お金を借りた人が、貸してくれた人に対して、
「私がお金を返すだけでは、公正(fairness)ではない。
お前が『아래(下,below)(lower level of hierarchy)』であることを示せ」
と要求しているわけです。
「9回(お金を)貸してやっても、10回目に貸してやらないと恨まれる」
韓国で何か大きな事故、事案が起きると、私はブログを更新するために、ニュースだけでなく、韓国側の個人ブログなども回って情報を収集することになります。
その際に偶然見つけたものですが、あるブロガーが
「お金は座って貸して、土下座(Dogeza = to apologize sincerely)して返してもらえる」
と書いていました。
例の諺の変形です。
そのブロガーさんの個人経験ですので詳しくは書きませんが、自分が貸したお金なのに、自分が徹底的に相手より「下(lower level of hierarchy)」にならないと返してもらえない、というのです。
それでもコメント欄では
「それでも返してもらえたからまだマシ(It is better)ですよ」
というコメントがいくつか付いていました。
ただ、本文をよく読んでみたら、まだ返してもらったのかどうかハッキリとは書いていませんでした。
『정(jeong)』『情(Jō,feelings)』のこともあって、韓国では、銀行からではなく、知り合いからお金を借りることが普通にあります。
データはありません。そう言われています。
そして、実際、私の周辺の大勢の人たちが、知り合いからお金を借りていました。
また、同じ人に何度も借りる人も多く、諺というほどではありませんが、
「9回(お金を)貸してやっても、10回目に貸してやらないと恨まれる」
とも言われています。
借りたお金を返さない人が多い件で、韓国のネットで格言のように出回っている画像があります。
「お金を借りて返さない人の心理」
「돈은 앉아서 주고 서서 받는다」
(don-eul billyeo dollyeojuji anhneun salam-ui simli)
というもので、オンライン講座で有名なある講師が話した内容の、字幕付きキャプチャーです。
そこには、
「借りた人は、借りたお金を自分のものだと思ってしまう。
だから、返す行為を、『奪われる』と思ってしまう」
となっています。
奪われるというのは自分が損をするわけですから、この指摘は、先の「相応の対価」(相手に下(lower level of hierarchy)になってもらう)と同じ考え方だと見ていいでしょう。
借りたお金はすでに
『정(jeong)』『情(Jō,feelings)』
で支払ったから返す必要はない
対価というのは、それをもらわないかぎり「公正(fairness)」にはなれないという意味でもあります。
その側面から、平等、またはニュートラルについて考えてみるのはどうでしょうか。
「返す」は、貸し借りの関係をニュートラルに戻す行為です。
AがBにお金を貸したと仮定して、単純に債務関係だけを考えると、BはAからお金を借りた時点でマイナスで、Aにそれを返したことでAとBの関係はプラスマイナス・ゼロになれるわけです。
なのに、返す時にBがAに対価を要求するとなると、それはニュートラルが崩壊してしまいます。
そう考えると、韓国社会は、「両方が対等な関係で事柄を決める」(借りたなら、返さないとニュートラルに戻れない)をうまく認識できないでいる、とも言えましょう。韓国人の「公正(fairness)」に対する認識が、そのまま表れているわけです。
では、さすがに韓国人全員とは書きたくないですが、社会問題となるほど大勢の韓国人が、いったいなぜニュートラルを認識できないのでしょうか。
お金は借りたら返すべきものだとする極めて基本的なことを知らないでいるのでしょうか。