「国家不渡りの日」と「1997試練(換亂)」の真実
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‘국가 부도의 날’과 1997년환란(換亂)의진실
「1997年の試練」のリプレイ(復棋)
1997年11月初めから現れ始めた一時外貨流動性不足が中旬以降、外国為替危機で通貨危機試練に転換され、ついに国家不渡りの危機にまで発達して韓半島を襲った通貨危機試練の進行過程を振り返ってみると、まるで台風や山火事とよく似ているという気がする。
南太平洋上空で発達した台風の目が最初に生じる場合は、小型だったが、徐々に大型で、超大型で勢力を育て、韓半島を強打し貫通する台風の進行過程が試練とと似ているからだ。
自然にまたは失火(実話)で生まれた小さな火種が初期消火に失敗し野火に広がり、手に負えなくなって,すべての山を飲み込んで焼く大型山火事で広がる様子も通貨危機試練と非常に似ている。
1997年の通貨危機試練の歴史的展開は概ね
外貨流動性不足が発生する国内外の政治経済、社会環境が造成されている通貨危機試練前兆(前兆)機(1997.1.23.-10.22)、
香港事態以後、流動性不足深刻化で、外国為替危機が発生して(起)
通貨危機試練に(承)、
国家不渡りにまで発展して(転)
がIMFと米国の助けを借りて奇跡的に国家不渡りと試練の危機から抜け出す(結)
起承転結(起承轉結)の通貨危機試練期(1997.10.23.-12.24)、
そして最後のIMF協定の履行のための経済改革と構造調整、借入金の返済の苦難の通貨危機試練を克服(克服)機(1997.12.25.-2001.8.23。)
3段階で構成されている。
私は、今回の記事では、前の早期の前兆期と克服期に対する部分は除いて、通貨危機試練期の展開過程全体だけ客観的にリプレイしてみようと努力した。
何よりも映画国家不渡りの日の歴史的事実の歪曲と無責任な観客(国民)扇動が度を超えた気がして、歴史の客観的実体を明らかにしてみるという考えに急いで文章を始めて見たら準備があまりなっていなかった。
克服期は 金大中(Kim Tae-jung,김대중) 政府から本格的に推進されたことが大部分という点で新たに資料収集のための時間が必要だった。
早期の前兆期の部分は、
「なぜ、1997年外貨流動性不足が起こり、どのように通貨危機に発展することになったのか?」という質問と連携した、1997年の外国為替危機の発生原因と性格を規定する韓国経済の構造、制度、政策などに関連したなっていて、金泳三(Kim Young-sam,김영삼)政府5年とそれ以前の経済政策と外国為替・金融政策全般(前半)の詳細な分析が必要である。
特に1988年のIMF8祖国卒業、
1989年にGATTBOP卒業、
1993年のウルグアイラウンド(UR)貿易交渉妥結と、
1995年WTO体制発足、
1996年OECD加盟など至るグローバル開放・ グローバル化とこれに対応するための私達の経済改革政策全体とこれに対し連携した問題であるため、
これについても、多くのデータ検討のための時間が必要で次に機会に先送りすることにした。
使用可能な外貨準備高の増減動向から見た1997年の通貨危機試練の起承転結
この記事の最後のまとめをどうするか悩んでいたある日、私は意外に金仁浩(김인호,KimInho,キム・インホ)市場経済研究院理事長(当時大統領経済首席秘書官)の電話を受けた。
金仁浩(김인호,KimInhoo)理事長は、これまで連載された7本の記事を全て読んだとして,しかし二つの残念な課題部分があるとした。
一つは、私が使った通貨危機試練初期の利用可能な外貨準備高統計の数字が間違ってたのですぐに正したら良いという指摘であり、他の一つは、やはり為替危機の初期の「IMFだってぐずぐず対応する論」に対することだった。
そして金仁浩(김인호,KimInho)理事長は、韓国銀行が作成した通貨危機試練期の「使用可能な外貨準備高の日次統計資料(1997.11.1.-1998.1.8)」
を送信してくれた。
不足している文章を読んで、統計の間違った利用に対する指摘と貴重な資料まで送って正せるようにして下さった金仁浩(김인호,KimInho)理事長に深く感謝申し上げる。
金仁浩(김인호,KimInho)理事長は私の文(寄稿文4)に
「11月7日現在285億ドルで3日ぶりに130億ドルが流出したものである。」
という一節が誤っていると指摘してくれた。
金仁浩(김인호,KimInho)理事長は送った統計資料によると、11月7日の利用可能な外貨準備高は203.6億ドルであり、3日後(11.10)の保有高は195.4億ドルで、8.2億ドルが減少したこと、この部分は、統計利用に勘違いがあったようだ。
非常に誤った統計数字を根拠に姜慶植(KangGyeongsig,강경식,カン・ギョンシク)副総理と金仁浩(김인호,KimInho)経済首席の当時の歩みについて誤った評価をして名誉を傷つけた部分について心からお詫び申し上げる。
そして特に「IMFだってぐずぐず対応する論」と関連金仁浩(김인호,KimInh)理事長は
「IMF緊急資金要請問題が最初に公式化された時点である11月7日以降、7日後ぶりの11月14日、政府次元でIMF行を決定し、
10日後の11月に16日カムドシュIMF総裁との交渉が行われたことをめぐり、ぐずぐず対応すると断定するのは適切ではないない」
とした。
この問題は、次の中から再度議論する。
<上の表>は、1997年に通貨危機期の起承転結4期により利用可能外貨準備高毎日増減を分けて再調整したものである。
毎日の統計情報を起承転結に沿って区分して再調整しておいてみると利用可能な外貨準備高が起承転結に沿って揺れ動く姿がそのまま鮮明に表れている。
非常に興味深いのは、これまでの記事で指摘した通り主要な出来事の前後で数が大幅に変動するものであった。
その数は、単純な数字を超え、当時、政府と政策関係者の政策決定と執行機関、政治家の発言などこれに対応する市場での国内外の企業や銀行、総合金融会社、海外投資家の意思決定や行動などの心理的な相互作用の総合的な結果を反映する数字という気がした。
だから起承転結に沿って変化する数字について行けば、いつ外国為替危機が通貨危機に、国家不渡りの危機にまで拡大深化されたかを調べることができるという気がした。
(継続)
チェヤンブ前大統領農林海洋首席秘書官