本日は昔話です。
約10年ほど前に英国オックスフォード大学大学院で学んでいたときのこと。
所属していていたカレッジの先生に「日本に精通したゲストが撮影のために来るから是非日本人としてお茶会に立ち会ってほしい」とお話をいただき、お茶会へ。
そこにいたのは、ベアテ・シロタ・ゴードンさんでした。彼女は日本国憲法作成に携わった当時唯一の女性。
お茶会は彼女と私のほぼ一対一・・。
既にお歳を召されかなり手元がおぼつかなくなってきていたが、今般津田塾大学で依頼された撮影で、こちらのカレッジに来たとのことだった。
せっかくの貴重な機会なので、当時唯一の女性として日本国憲法作成に携わったときのことを聞いてみた。
彼女からは、当時日本が焼け野原になった後だったから、図書館も何も残っていなくて、色々と大変だった。「ここに図書館があったわよ!」と唯一焼け残った図書館を探し、そこから世界中の憲法を参考に、日本の憲法を作った・・と言っていた。
男女の平等を定めた24項。これは彼女が作成した項目。
ロシア人の彼女は、戦前日本で幼少期を過ごした際に、日本の女性の置かれた立場を見て心を痛めていた。その後、アメリカに渡り、戦後処理の際に日本に来たのだが、。日本を知る彼女だからこそ、まさにできたこと。
私が彼女に「日本国憲法作成に携わったってすごいですね。しかも唯一の女性としてどうでしたか?」と言うと、彼女は、
「そんなことないわよ。私はたまたまそこにいただけなの。」
と言っていた。
「たまたま」・・・
でも、その「たまたま」そこに居合わせるためには、また日本の女性の置かれた立場を知り、日本を知り、日本語を話し、英語も話す、そのような彼女でないとできなかったこと。
たまたまそこにいたのは、たまたまではなく、恐らく必然であり、そんな彼女だからこそ白羽の矢が立ったのだと感じた。
女性が輝く世の中を実現したいと思っていた私にとっては、とても素敵な思い出深い出会いとなった。
・・・その後2012年12月、アフリカにいた時に、実家の父が新聞の載っていたとして送ってくれた記事で、彼女が亡くなられたと知った。
彼女の冥福をお祈りすると共に、生きた歴史の証人とお会いできたことを光栄に思った。
…今の日本は彼女が描いた形になっていっているのだろうか、。
…今の日本の原型を作った憲法、そして男女平等の項、。
引き続き女性、そして皆が生き生きと活躍できる社会を期待してます🍀
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