子どもの自由 | 大阪 岸和田 モンテッソーリ幼児教室「ラポム」 0才からはじめるモンテッソーリ教育  発達の教室 言葉の遅れ 

大阪 岸和田 モンテッソーリ幼児教室「ラポム」 0才からはじめるモンテッソーリ教育  発達の教室 言葉の遅れ 

0才からはじめるモンテッソーリ教育
自分で考え、自立する子どもに。
『できる』をふやし笑顔に。
モンテッソーリ教室
大阪 岸和田 幼児教室「ラポム」主宰 
モンテッソーリ教師の
西口ゆかこです。

私は訓練という言葉は苦手です。


広辞苑では、


実際にある事を行なって習熟させること

一定の目標に到達させるための実践的教育活動。訓育・徳育と同義にも用い、また技術的・身体的な場合にも用いる。


と書かれています。


「させる教育、させられる教育」は

これからの子どもには、うけいれられないようになるでしょう。




園や学校教育は

子どもの心を大切にといいながら、

添削、訂正をします。


触らないで、走らないで

と禁止をします。


モンテッソーリ教師は、子どもの心には寄り添うけれどそれ以上ふみこみません。

自由とは

何をしても良いというということではなく、自分の行動について考え責任をもつ。


その力をつけるために幼児教育はあるのだということ。


一昔前の教育は、指導する側からは必要だった技術でしょう。

子どもは元々、自由を願いますから、時代とともに子どもの発達に沿う方法を模索していかなければならない時にきたようです。



今の教育現場は大変なことだと思います。

昨年からのコロナ感染拡大防止、対策も引き続き、年間行事の見直しもあります。


そんな場所でも平気な子、しんどくなる子

のびのびする子。


普段は変化に対応することが苦手な子であっても、楽しそうだったりします。



対応に追われて緩い部分を子どもは感じとっているのかもしれません。隙間にできた自由。


子どもにとっての自由は、大人の心配をよそに自分を育てるためのものですから、止めたり、注意する言葉をグッとのみこみ、見守ってみてください。


意外な子どもの発見につながるかもしれませんよ