◼まずは初めましての方へ☆
【このブログはシェア、リブログ、転載大歓迎です☆】
まずは、
恒例の皆さんにお知らせを☆
本日22日22時半~
第2回目のラジオ、
『荒川祐二のていうか、神さまって何?』
の放送です☆
下記のURLから、
どうぞ22時半からご視聴ください☆
そして今日の大分での講演会&神社ツアーも、
おかげさまで大盛況☆
主催者さん、スタッフさん、
来てくださった皆さんに、
心より感謝致します☆
移動中での、
今日のお話☆
ス「お疲れさん」
あ「そっちの濃い薄いの話じゃない。
そして頭も濃いわ」
ス「(頭も濃いってなんやねん。笑)
で、今回の九州ツアーでは、
なにか新しい発見はあったか?」
あ「新しい発見…ですか…。
う~ん、毎日たくさんの人との有り難いご縁は、
頂けていますが、
『発見』という意味だと…、
『八幡宮』?」
ス「ほう、八幡宮。
なして?」
あ「いや、今日までの福岡と大分の神社ツアーでまわらせて頂いた、
箱崎宮と宇佐神宮。
その両方のご祭神が『八幡神』だったんですよね。
思えば、今まで古事記由来の神さまばかりで、
『八幡宮』ってノーマークだったなと思って。
こんなにも日本中に数があるのに…」
ス「こんだけたくさんの方に見られながら、
堂々と八幡宮のことを知らんと言えるお前の頭も、
どうかと思うけどな…
………って?」
…。
………。
…………。
……………。
頼朝「ガーハハハ!!」
頼朝「呼んだか!?呼んだか!?
俺を呼んだか!?!?
ガハハハハハハ!!!!」
あ&ス「イエ…タブン…、
ボクラハ…ヨンデナイトオモイマス…」
頼朝「いや!呼んだやろ!!呼んだやろ!!
なぁ呼んだやろ!!このハゲ!!ハゲ!!
ハゲコンビ!!」
あ&ス「(なんやねんこいつ…うっとうしいわ…)
はい、呼びました…もうそれでいいです…」
頼朝「で、何の用や?」
あ&ス「(ほんまになんやねん、こいつ…)」
ス「(おい…めんどくさいから何でもいいから、質問せい…。
お前のフィルターを通して、
こんな風に出した責任を取れ)」
あ「えぇぇぇぇ…。
…いや…実はさっきまで僕ら、
『八幡宮』の話をしていて…」
頼朝「八幡宮!?八幡宮!?
八幡宮のことなら俺に任せろ!!
ガハハハハハハ!!!!」
あ&ス「(なんでこんなにテンション高いねん…)
もう俺たちだけやと、めんどくさいから…。
…ミッチー!!!!」
(菅原道真公ことミッチー)「どうされました?」
ス「いや、八幡宮の話しててんけど、
ちょっとややこしいのが割り込んできて、
話が進まんくてな…」
道「ややこしいのって…」
頼朝「だれがややこしいのじゃ!!
おぅ!?八幡宮を全国に広めたのは、
『俺、俺、俺!!』やぞ!!!」
道「まぁ確かに、
あながち間違いではないですね…。
源氏と平家が信仰したことにより、
『武家が信仰する神の象徴』として、
全国に爆発的に広まったのが、
『八幡神』ですから…。
その数、約2万社。
現代に於いては多少の変動はあるとはいえ、
この数は稲荷神に次いで、
『第二位』と言われています」
頼朝「『第二位』!!
『第二位』!!!!
ガハハハハハハ!!!!」
あ&ス「別にお前が『第二位』なわけちゃうやろ」
頼朝「ビクッ!!!」
あ「(もう…変な神ばっかり…)
…そもそも、その『八幡神』ってなぁに?」
道「『八幡神』…と言っても、
一概には言えないのですが、
主には『応神天皇、神功皇后、比売神(ひめがみ)』の三柱の神々を総称して、
『八幡神』と言います」
あ「で、それがなぜ、
『武家が信仰する神の象徴』になったわけ?」
道「まず有名な逸話が、
『八幡神』の一柱である、
応神天皇の母君である神功皇后が、
赤子を身ごもっているときに、
三韓征伐(※仲哀天皇の時代に、神功皇后が新羅出兵を行い、朝鮮半島の広い地域を服属下においたとされる戦争を指す)を成し遂げたことから、
その武運にあやかろうという所からと言われています」
あ「なるほど…赤子を身ごもりながら…すごいな…」
頼朝「やろ!?やろ!?!?
凄いやろ!?!?」
あ&ス「別にお前がやったことちゃうがな」
頼朝「ビクゥッ!!!!」
道「ちなみにその戦争の最中に、
産気づいたのを我慢し、
産み落としそうになるのを股間に石を挟んだ状態で戦ったという、
有名な逸話が残っています。
この時、生まれたのが応神天皇です」
あ「じ、神功皇后、す、凄すぎる…。
男以上に男らしい…」
頼朝「やろ!?や…」
あ&ス「お前ちゃうぞ」
道「その逸話から武運の他に、
『安産、子育て』のご利益があると言われており、
また100歳まで生きたということから、
『長寿』のご利益。
そして戦争の際、
日本で初めて『方位による災い除け』を行ったことから、
そのようなご利益もありますね」
あ「すげぇ…全然知らなかった…」
道「そしてその神功皇后の子である、
『応神天皇』。
こちらはその三韓征伐の後に、
日本の国に三韓の文化を取り入れ、
帰化人の流入なども含めて国家の体制を整えたことから、
国家安泰、発展の神ともされています」
あ「なるほど…。
あと最後の比売神(ひめがみ)というのは…?」
道「実は『八幡神』と言われる多くの場合、
応神天皇と神功皇后は祀られているのですが、
最後の一柱は比売神(ひめがみ)であったり、
武内宿禰尊や玉依姫命、
中には先程出た仲哀天皇であったりと、
統一されていません。
それがまたこの『八幡神』という神の、
謎を深めている原因でもあるのですが」
ス「まぁとにもかくにも、
これだけ全国に祀られている『八幡』という神にも関わらず、
実は知られていないことの方が多い。
好奇心をくすぐる話よな」
道「当然今日私が話した、
『八幡神』の話もほんの触り程度のものです。
これでぜひ、
ご興味を持たれたなら、
ご自身でより深めて調べられてください。
そこにはきっと、
まだ見ぬ神の姿と魅力がありますから」
あ「それを手っ取り早く、
ミッチーやスサノオさんが、
教えてくれることは…?」
ス「いつも言ってるけど、
それはない。
俺ら神が教えたら、
それは『神教』やがな。
この日本の神は『神道』。
『道とは自分で求めるものであり、
自分で深めて、
答えを出していくものである』。
そのヒントとなる言葉は与えたとしても、
決して答えは与えん。
だから俺にしても、
道真にしても『こう言われている』と言って、
自分の頭で考える余地を残した、
言葉しか使わない」
あ「は~い(笑)
バカなこと言ってないで、
甘えず精進します(笑)
でも最後にひとつだけ、
聞いていいですか?」
ス&道「?」
あ「なぜ『八幡(はちまん)』?
その言葉の起源は?」
道「神功皇后自体が旗(幡)を、
神が降りる依り代としていたこと。
そして神道に於ける数が多いこと、
無限の総称である、
『八』を組み合わせたことから、
『八幡』とは言われていますね。
後は頼朝の祖先である源義家が、
石清水八幡宮で元服した時に、
『八幡太郎』と称したことからとも言われていますね」
頼朝「…え?…そ、そうなん?」
あ&ス&道「お前は知っとけや!!!!」
―――――――――――――
※2017年10月18日発売!荒川祐二最新刊 『神訳 古事記』のAmazonでのご購入はこちらから☆
―――――――――――――
↓↓↓↓↓
◼『荒川祐二オフィシャルLINE@』始めました☆
※IDの場合は、@arakawayuji
※LINE@だけの八百万の神々によるお悩み相談や皆さんからの質問コーナー、無料絶景神社画像(簡単に保存出来る版)、神さま言葉の画像のプレゼントなどなど…をお届けします♪
↑↑↑↑↑
―――――――――――――
―――――――――――――