新約聖書 ルカによる福音書 8章5~8節
「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ」

大勢の群衆が集まって来た時、イエス・キリストはたとえ話をされました。
冒頭の「種がまかれる話」です。

「この話ってどんな意味があるの? 種って何の種?」

弟子たちは意味が分からないのでイエスにたずねました。
イエスは説明されました。

「種は神の言葉である」(11節)。

「種」は「神様からの言葉(メッセージ)」…

イエスは続けて言われました。

「道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである」(12~15節)

この話によると「神様のことば」は「種」なので、「熟して実になって」はじめて価値が出て来ます。

「実が熟す」まで種を大切に育てる…

(その2に つづく)