旧約聖書 イザヤ書 40章31節
「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」


前回、祈って下さいとお願いしました。

「どんなことも益になる!」「すべては感謝!」と信じてはいても、やはりマイナスの出来事が続くと、その苦しみから抜け出られないのではないか… そんなマイナスの気分になります。
私は、幾分そうなってました。
ですから、神様の愛と助けと救いを祈ってくださるようにお願いしました。

すぐに応援メッセージが届き始めました。

励まされました。

「祈られている…」

みんな、生きて生活する中で様々な困難や問題を抱えています。
みんな限界のあるもろくて弱い存在。

そんな人たちが、自分たちの命を創造し、無限に愛し、いつも一緒にいて神様の宝物として生きられるように導き救い続けて下さっている神様に祈ってくださる・・・

無限の愛にあふれた全能の神様。

イエス・キリストが命がけで届けて下さったメッセージは、永遠にブレることのない神様の愛。

どこでどんな状態にあっても、そこからこの神様を信じ、神様の救いを“待ち望む”ものは、必ず“新しい力”を与えられ、問題の真っ只中で神様の救いを体験します。

祈られて一日目、神様は、困難な人間関係に確かに『平和』の芽を出させて下さいました。

わたしは、世界の76億の人の中では、ちっぽけな一人の人間。
しかし、神様は、「かけがえのない存在」として一人の私を大切にし、私のために働いて下さっています。

感謝します。

私も心を込めてあなたのことを応援して祈っています。

40分ほど歩いて通勤しながら祈っています。

神様を待ち望み、新しい“力”をもらって“ワシのように高く昇っていきましょう。

全知全能の愛の神様への信頼の翼を大きく拡げて。

「あなたたちは、奴隷の家、エジプトから出たこの日を記念しなさい。主が力強い御手をもって、あなたたちをそこから導き出されたからである。」
   (出エジプト記 13章3節 新共同訳)
新約聖書 ルカによる福音書 10章3~9節
「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。」

イエス・キリストが弟子たち(72人)を『神の国』のメッセージを告げさせるために旅に送り出したことがあります。
二人ずつ、36組が送り出されました。

その際、イエスは何を伝えたら良いのか明瞭に伝えました。

「財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。」

神様に賭けていく旅に関し、まるで神様の見ていない所で問題が起こるかのように自衛手段(お金、必需品など)を持って行くなと伝えました。
まっすぐに目的の場所に行き、まず宣言する。

「この家に平和があるように」

ここで重要なポイントは、「平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。」

・・・

平和の子がいるなら、平和はその人にとどまる。

でも…
いなければ・・・

「いないこと」があるのです。

「キレる」という言葉があります。
最近、みんな「キレる」ことが多いように思います。

私が一緒に仕事をさせてもらっている人も怒鳴りはしませんが、よく怒る方で、ナカナカつらい日を過ごしています。

私はもの覚えが悪くなっているので一生懸命努力をしているのですが、やはり覚えられないこともかなり出てきます。
一方で、彼は一回やったことはきっちり覚えていてもらわないと困るというタイプの人。

その結果、どうしても怒られたりダメ出しされたりすることが多くなります。
毎日二人で仕事ですから、どうにも・・・

家で妻に「昔の私みたいなものかな」と言うと、
思いがけない言葉が返ってきました。

「あなたほどではないと思うよ・・・」

ひえ~~~~~~っ

「何かでキレたら、そのあと30分は文句言われてたから…」

確かに・・・

「キレてしまう地雷がどこにあるか分からない。なくても、勝手に地雷を爆発させていた…」

耳が痛い限り。

それを妻や子供は20年も私からやられていたのです。
ほんとに嫌でつらかっただろうと思いますが、もう時間は戻りません。

妻から聞かれました。

「あなたはどうしてそんなに怒ってたの?」

答えは簡単。

「自分は正しくて、まわりの人間が悪く、その人たちのせいで自分は嫌な思いをしなくてはならないと思いこんでいたから。」

いつも自分が“正しい”と思っていた。
その“正しい”自分にイヤな思いをさせる妻や子供は“悪い”。

ひどいものです。
超自己中心的なものの考え方。

私の家族の中で「平和の子」でなかったのは、私だけ。

その結果、妻と子供たちはずっと平和の関係が続いています。

「もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。」

10年前に神様から「(妻がとことん心傷ついてしまったのは)お前のせいだ」と言われて私の方向転換が始まりました。

自分は正しいと思いこんでしました。
だから、自分が変わる気なんてこれっぽっちもありませんでした。

神様にできないことはありません。

あれだけ「自分は正しい」「自分だけがこんなにつらい思いをしている」と思いこんでいた私に「自分が間違っていたのか…」と思わせてくれたのですから。

そして、『主の平和』が私の上にもとどまってくれるようになりました。

どんなことも、『イエス・キリストの平和』を心に置きながら対処するなら、『平和』がいつも小さな芽を出し、必ず成長していきます。

「義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。」(ヤコブの手紙 3章18節)

まかれた種は必ず実を結びます。

『神の国:平和』は必ず大きく成長すると信じて、今週も怒られてもダメ出しされても『平和』の道を進んで行きたいと思います。

祈って応援お願いします。
私も神様の宝物のあなたのために祈っています。

感謝。
旧約聖書 エレミヤ書 36章1~3節
「ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの第四年に、次の言葉が主からエレミヤに臨んだ。『巻物を取り、わたしがヨシヤの時代から今日に至るまで、イスラエルとユダ、および諸国について、あなたに語ってきた言葉を残らず書き記しなさい。ユダの家は、わたしがくだそうと考えているすべての災いを聞いて、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの罪と咎を赦す。』」

2600年ほど前のイスラエル。
民の心は神様(愛)を離れ、自己中心的な思いに流れていました。
自分の都合に合わせてご利益(りやく)の神々を仰いで礼拝したりしていました。
全能の愛の神様と一緒に生きようとせず、人間的力や知恵やお金に頼ろうとしていました。

そんな時、神様はエレミヤを預言者として立てて民に厳しいメッセージを伝えました。

「悪を離れないでいるならば、破滅が訪れる」

しかし、この言葉には永遠に変わらない神様の愛とあわれみと招きがあります。

冒頭の聖書の言葉の最後にこう書かれています。

「ユダの家は、わたしがくだそうと考えているすべての災いを聞いて、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの罪と咎を赦す。」

「わたしは彼らの罪ととがをゆるす!」

神様は、愚かで罪深い人間との和解(関係回復)をいつも願い求めておられます。

厳しい言葉を伝えるのは、「罪(自己中心的な生き方)から方向転換して神様と一緒に生き直す」ように人間にさせるため。

そのために神様はエレミヤに厳しいけれども愛とゆるしに満ちた言葉を民に伝えさせました。

私たちもいつも招かれています。
神様の宝物として生き直すように。

本来、私たちみんな神様の宝物なのですから。

私たちの言動が、まわりの人、そして自分自身をいつも自己中心から愛へと方向転換させるきっかけとされていきますように。

みんな、神様の宝物としてお互いを大切にして生きられますように。