新約聖書 コリントの信徒への手紙1 2章1~2節 新共同訳
「兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。」

使徒パウロはとても優れた人でした。
優秀で言葉もたくみで、議論したら負けないタイプ。
自分が正しい、神様の側にいる、正しいことを行えない者はダメ! と思っていたので、正しく行動できない者を徹底的に迫害(いじめ)しました。

その人の人生がどうなろうと知ったことではありません。

ところが、彼は復活したイエス・キリストに会って自分の間違いを教えられました。

命を創造された方は、どんな命もかけがえのない存在として愛しておられ、人が間違った方向に進んでいたら無限の愛を注ぎ続け、その人が正しい(愛の)生き方に変わるようにかかわり続けてくださっていることを教えられました。

取り返しのつかないひどいことを行ってしまった自分…
情けなくてみじめで仕方のない自分をも受け入れてくれたイエス・キリスト…

何をしてきて、どんな状態になっていても、イエス・キリストは神様の無限の愛を注いでくださいました。
なのに、自分はそんな神様のメッセージを受け入れられないありとあらゆる人から拒否され、拷問され、十字架にかけられて殺されました。

30歳そこそこで!

やりたいこと、行きたいところ、会いたい人たち…

そんな希望は、あらゆる人間の罪によって粉砕されました。

仲間からも見捨てられ、誰もそばにいてくれない状態でした。
ただ、自分が殺されても、きっといつか神様がすべての人を救ってくださると信じて最後の叫びをあげて殺されました。

そして、イエス様は神様に復活させられ、今、イエス様に従おうとするすべての人に寄り添って励まし続けてくれています。

自分のしたいこと、奇跡が起こること、癒しが起こること…
確かにそんなことも起こってほしい。

でも、やっぱり、イエス様が命懸けで届けてくださった神様の愛のメッセージに比べたら、みんなかすんでしまいます!

わたしも、十字架につけられてみじめで情けない死を遂げたイエス・キリストこそ、私のついていく方と心に決めて進んでいます。

あなたに神様の愛が届いてほしい。

あなたは、神様の掛け替えのない宝物!

宝物として、愛されて、愛されて、愛して生きてください!

心から応援しています。