新約聖書 ヨハネによる福音書 15章4~5節
「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」

イエス・キリストのメッセージです。

「つながっていなさい」というギリシア語には、「とどまる、そこにいつづける」という意味があります。
「イエス・キリストの中にとどまっていなさい」ということです。

イエスは言われます。
「わたしが父のおきてを守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしのおきてを守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる」(10節)

イエス・キリストのおきてを守ってイエスの愛にとどまっているなら、どうなるのでしょう?

「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである」(11節)

「神のおきて」を守ることがイエス・キリストには喜びでした。そして、その喜びを私たちも体験することが約束されています。

では、「イエス・キリストのおきて」って何でしょう?

「わたしがあなたがたを愛したように、たがいに愛し合いなさい。これが私のおきてである」(12節)

「愛し合うこと」です。

イエス・キリストは、どんな人も神様の宝物として大切にされました。
まったく差別はありません。
まったくブレがありません。
徹底的に一人ひとりの人を大切にされました。

徹底していますから、大切にされていない誰かがいたら、その人をおさえつけているもの(権力、病、お金、思いこみ、差別など)には反発されました。

(その2に つづく)