新約聖書 使徒言行録 2章8節
「どうして私たちは、めいめいが生れた故郷の言葉を聞くのだろうか?」

イエス・キリストは、処刑された3日後に復活しました。
40日にわたって弟子たちの前に現われた後、彼らに言われました。

「父(神)の約束されたものを待ちなさい」(1章4節)

「父の約束されたもの」とは、聖霊(神の霊)のことです。
弟子たちは言われたように一緒に祈って待っていました。
するとその日が来ました。

「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が別れ別れに現われ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」

100人余りの人たちが色々な言葉で話しだしました。
エルサレムに礼拝に来ていた外国の人たちがこれを聞いて驚きました。
自分の良く理解できる言葉が聞こえて来ただけでなく、彼らが話していた内容に驚きました。

「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業(わざ)を語っているのを聞こうとは!」(2章11節)

言葉や文化が違うと思いを分かち合うことがなかなか難しくなります。
言葉が同じでも、考え方や感じ方が違って理解し合えないこともあります。

それぞれの自己チュウな言葉がぶつかり合ったり反発しあったりするわけです。
聖霊に満たされると、「相手に通じる言葉」が話せます。
満たされるコツは、静まることです。

「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46篇10節 口語訳)

「静まって」を新共同訳は「力を捨てよ」と訳しています。
英語訳では「stop fighting 戦いをやめよ」となっています。

自分の言いたい事ではなく、神が伝えようとしている言葉を話すことができます。
それを話すと、神の宝物どうしで言葉が通じます。

だれとでも、いつでも体験できます。
あなたは神が用いようとしておられる神の宝物です。