観た映画の数。

映画23本。

DVD5本。

上半期合計28本。

目標の30本を目前にして・・・・・・

『ゼア・ウィルビー・ブラッド』『痛いほど君が好きなのに』『パリ恋人達の二日間』など

観ようと思って観なかったのもちらほら。

レンタルで観ないで返した『世界』とか。

反省はとりあえずいっぱいあるが印象に残った映画を何本か。


『ミスター・ロンリー』

期待しないで観たからかこれは非常によかった。

尼さんのジャンプとか映画的で素晴らしいシーンがたくさん。

まるでゴダール。


『接吻』

ああ、これはもうヤバイです。

熱くて冷たい。

刺さる。


『パリ、テキサス』

ヴェンダースの映画をスクリーンで観るたび、

スクリーンで映画を観なければいけないと思う。


『ノーカントリー』

少しアルトマンっぽい?

今までのコーエンとは一味違う。


『ぐるりのこと。』

たった二人で生きるということの美しさがそこにあると思う。



年間60本観れるように頑張ります。


ぐるりのこと。/橋口亮輔






橋口監督6年ぶりの新作。

作品の完成度は非常に高い。

しかし圧倒的に世界が閉じている。

主人公を演じるリリー・フランキーの職業法廷画家は

世界と繋がる事を必要としそれによって機能するのに、スクリーンと世界が接続していない。

だがこの映画に関してはそれでいいのかもしれないとも思う。

確かに世界は閉じていてランドスケープも感じられない。

だがその閉じた世界に一人で引籠もらず『二人』でいる事こそが重要ではないだろうか。

『二人』/『世界』という関係。

それは夏目漱石の『門』にも通じると思う。

世間からは隔絶されて
金銭的にも精神的にも不安や不満を矜持して
ただ日々がだらだら続いていくだけだとしても
二人だけのコミューンを持って一緒に居られるなら
それはそれでとても幸せな事だ。

きっと。



ONCE ダブリンの街角で/ジョン・カーニー





冒頭のギターケースを盗まれるシーンから

掃除機を引き摺って二人でランチを食べに行くシーンまではとてもいい。

映画としても悪くはないと思う。

だが、全体的には何かが足りない。

出来のよいミュージッククリップを観ているような気持ちになる。

ストーリーが『ビフォア・サンライズ』に似ている分、それがより明確になってしまう。

『ビフォア・サンライズ』のような奇跡はなかなか起きないから、奇跡なのか。

でもそんな奇跡に出会う為に映画を観ているのだ。

胸に突き刺さって一生消えない傷ができるような映画が観たい。

アイム・ノット・ゼア/トッド・へインズ






6人の俳優が時代ごとに変容していくボブ・ディランを演じていく。

しかし、ボブ・ディラン本人はこの映画に登場しない。

本人の不在を中心に6つのキャラクターが円を描くように廻り

その中心をディランの歌が埋め尽くし、

音響(son)と映像(image)の対等な融合、

Sonimageがフィルムの進行と共に実証されていく。

確かにこのフィルムにはディラン本人は映っていない。

だがそれはカメラが捉えていないだけだ。

フィルムから流れる彼の歌こそが本人であり“7人目”のディランなのだ。


アイム・ノット・ゼア特集ページ
http://e-days.cc/cinema/features/just_like_a_movie/imnotthere/index.html

ノーカントリー/ジョエル&イーサン・コーエン





札束を握って逃げる逃亡者、追う凄腕の殺し屋、そして保安官。

まさにオールド・ハリウッド!

コーエン兄弟お得意の素材だから

いつも通りスタンダードに料理するのかと思ったらいい意味で裏切ってくれた。

スクリーンに漲る緊張感とは裏腹に映画には決定的なシーンが映し出されない。

殺人者が逃亡者を殺す決定的シーンは映らず、

スクリーンには殺害された逃亡者の死体だけが転がる。

保安官VS殺し屋は実現されないまま、保安官は引退して事件は終焉へと向かう。

そこにあるのは絶対的なVanity(空虚)だ。

最初は漠然としていたVanityは物語が進行していくほど肥大して

フィルム全体を飲み込んで収斂していく。

(その構造が『ゾディアック』に非常に似ている点は

現在のハリウッド映画を考える上で非常に注目すべき点だ)

ラストシーンで事故に巻き込まれた殺し屋が

目撃した子供達へ自分の存在を口止めするシーン、

「ここには誰もいなかったんだ・・・・・・」

という台詞はスクリーンを観ている私達に投げつけられた言葉かもしれない。