韓総裁のメッセージ「蕩減復帰、救援摂理歴史の中心は初臨の独り娘、真の母です。」
に対し「復帰摂理の中心は神様です。」という記事を書きました。
論点は「復帰摂理の中心」は「神様」か「韓総裁」かです。
しかし、peaceさんはコメントに
「摂理の中心は神様です」といったデマを吹聴して回っている郭グループの皆様方ですが、その論拠はどこにもありません。
と的外れなことを述べ、更に「論拠はどこにもありません。」と勝手な主張をしていました。
論拠は原理講論で示しました。
その後20ターン位しました。
笑わせたいお父さんブログ記事「総序 心身が 一つになってこそ 幸福」をpeace氏はリブログし自身のブログで
『では、「心身が一つとなって幸福」とはどういう話になりますか。
統一原理を解かれた「真の父母様が不一致だ」となれば、この原理も灰となって霧散していくことになります。』
『いくら原理講論のみ言を笑わせたいお父さんがが紹介されたとしても、この地上に実体がなければ「棚の上の牡丹餅」でしかありません。』
と、何とも独創的で身勝手な理論展開で、結論ありきの自論を書いていました。
peace氏に対し批判記事「「個人の受け止め方を素直に書いている」だけなのに。」を書きました。当選、辛辣なコメントが来るのではと思っていましたが、来ませんでした。
最近は「にくいNikuくん」のブログ記事に関心があるようで、頻繁にコメントをしていて忙しかったのかもしれません。
そこで、「にくいNikuくん」のブログのコメントを拝借します。
peace氏のコメント(赤字)で
「『独生女論』は非原理集団の方々がお母様を貶めるための”俗語”であり、理論そのものは存在しません。」
「独生女論」は韓総裁の語った論の造語(俗語でなく造語のほうが適切かと)だと思いますが、一応、えらい先生方が考えた理論はありますよ、それが「夢と現実」ブログで紹介された『父母位相論』です。
「VISION2025勝利のための神韓国牧会者 真の父母論特別教育」2月23日~3月7日
でも紹介した「真の父母論」です。
なので理論そのものはも存在します。
「理論そのものは存在しません。」とは先生方やGoサインを出した韓総裁に失礼だと思います。
「あるとすれば、文総裁が元祖『独生女論』です。」
理論はないとしつつ、「文総裁の独生女論」とは?なんぞや?
そして、文師の御言を紹介しています。
「お母様を選ぶにおいては、すべての条件が合わなければなりません。」
peace氏自ら「お母様を選ぶ」と紹介しているのです。
でも、韓総裁は「私がお父様を選んだ」と言っていて、これが文師の御言と違うのです。
peace氏のコメントに対しブログ主「にくいNickくん」氏は
「ところで、私の意見のどこにどのように
反対されているのか
文章を読んでも全く分かりません。
ポイントを明確に書いて下さると
助かります。
よろしくお願いします。」
そうなんです、peace氏のコメントは難解なのです。
peace氏のコメント
>1990年に入って公式の場で宣布されたのが「メシヤ=真の父母=再臨主」でした。お母様の位置もお父様の後ろを付いて回るところから横に並ぶようになりました。
「ひとり子が出てきたのに、ひとり子が一人で暮らしたら大変なことです。ひとり娘がいなければなりません。それで、ひとり娘を探して、神様を中心として、ひとり子とひとり娘が互いに好む場で結婚しなければならないのです。」
このみ言を否定してまでお父様の生涯路程で「ひとり娘」との出会いはなかったと断言される【家庭連合信徒】は居られないはずです。
ン~、文師と韓総裁の出会いは否定していないし、文師を独り子、韓総裁を独り娘と呼ぶことを否定いているのでもありません。
「独生女、独り娘は韓総裁のみが唯一である」ということが、違うと言っているのが解りませんかね・・。しかも韓総裁が文師を選んだとしていることが納得できないということが。
そして、文師の第1、第2のお母様摂理は、失敗を前提としているのではないので、その時は「独り娘」として第1、第2のお母様も存在していました。結果は残念ですが、失敗となりました。それはあくまでも結果論です。
細かい事を言えば「メシヤ=真の父母=再臨主」も韓総裁のメッセージで紐解けば「韓総裁は初臨」で再臨は「原罪のある夫文師」の事を指しますので、peace氏が示した上記の公式も韓総裁のお言葉からすれば成り立たないのです。
文師の「メシア観」と韓総裁の「メシア観」も実は違うのです。
peace氏のコメント
「み言」は印刷物となればそこで形として停止しますが、「摂理」は動いています。「み言」のみに固執している限りは思考も停止しているのと同じです。
「実体」以前の「真の父母」み言の不足だと思います。
「御言に固執してはいけない」と冒頭言いつつ、最後は「御言の不足」と締めていいます。
「御言に固執するな」と「御言を勉強しろ」は方向の違います。
矛盾していると思いませんか。
のコメントに至っては・・
「お父様=再臨主」と信じておられるようですが、マラキ書と同様に「完成した女性」があなたは発見されていないのに、どうして「お父様=再臨主」と言えますか。私は2000年前の律法学者にもなります。その確証を教えてください。」
「お父様=再臨主」と信じておられるようですが、」これだとpeace氏は信じていないのか。ともとられます。
peace氏の信じている立ち位置から『独り娘である韓総裁と結婚して初めて「再臨主」となれるのだから、文師単独で「再臨主」となりえるのか』ということを問うてるのでしょう。
しかし、マラキ書や律法学者のくだりは余計かなって思います。
peace氏の信じている立ち位置からすれば、つまり韓総裁を主軸として考える立場であれば、上記のよう問をするのも理解はできます。
しかし、そもそもの考えた方が逆なのです。
立ち位置が違うのです。
文師がメシアであり、復帰摂理の結実として信じている立場です。
どこまでいったも文師が主軸なのです。
復帰摂理はメシアを迎える為の基台作りとして流れてきました、メシアを迎える為の基台とは信仰基台と実体基台です。原理講論に書いている通りです。
その文師を中止として、第1のお母様と成婚したという事実、第2のお母様もいたとう事実。
「どうして「お父様=再臨主」と言えますか。」という問い自体が頓珍漢な問なのです。
復帰歴史が韓総裁の為にあったとする認識なら「どうして「お父様=再臨主」と言えますか。」という発想になることは理解できます。
しかし、復帰歴史は失ったアダムの代わりの1人の男性のメシアを迎える為に織りなされてきたとうのが文師の説いた統一原理です。
根本が違うので、考え方や組み立て方がpeace氏とは違うという事を理解ていもらえれば、もう少し嚙み合った交流ができると思います。
cosmosさんのコメントも紹介しておきます。
『以前Nickさんが2,30年前のみ言を引用したことが記事でありましたが、Pさんは「古い!」と言いましたよね。なのにご自分では「私は2000年前の律法学者にもなります」とは、そりゃぬか漬けどころか、腐って跡形もなくなり、どこのみ言か、もっと分かりませんが、矛盾しすぎて、大笑いしました。』
もう一つ面白いコメントがありました。
peace氏
「存在しない「独生女”論”」をあなたが「父母位相”論”」という言葉に置き換えただけであって・・・」
対し「にくい Nickくん」氏の返信が
>peaceさん
存在しない、『父母位相論』という面白いお話を有難うございます。
・・・理解は出来ないのですが・・・涙
日本からも教会長、女性部長などなどが清平に行って
何度も『父母位相論』の講義を受けてるんですけど・・・
天心苑祈祷会でも、『父母位相論』の書籍から文章が
映し出されたりしてるんですけど・・・
何故、存在しないのかなあ~分かりませんです。
ちなみに、自称ルポライターさんと同一人物ですか?
自称ルポさんも太田朝久講師の「真の父母論」を
紹介してますよね・・・。
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ちなみに
peace氏と自称ルポライターさんは同一人物です。
peace氏のコメントは難解で、独りよがりで矛盾する文章が多いけれど、ブログ村に対する思いやその熱量には感心しています。