月なのかと思いましたが、ライトのようですね・・・
北海道の下のほうにある、森町かどこかの、桜まつりの公園と思います。
写真、ありがとうございます。
私は夕方、新千歳空港まで行ってきました。
なぜか蜃気楼みたいに・・・。
広々とした大地を撮りたかったのですが、運転中だったので、
あきらめました・・・。
お昼は、教会の礼拝でした。
教会長が、韓国に行ってきた報告などもされましたね。
『独生女論』という言葉が嫌いな人もおられるようです。
私がこの名称を使い始める時、自分のブログで、
>『하늘 섭리로 본 참부모님의 위상과 가치
>天の摂理から見た 真の父母様の位相と価値』
>という書籍名です。
>
>・・・
>
>『独生女論』を『真の父母論』とも呼んだりしています。
>便宜上、『独生女論』を使っていきたいと思います。
と書いて説明しました。
もともとの書籍名が長いなと感じたので、短く表現したかったのも
あるのですけど、別の呼び方を考えようと思います。
『父母位相論』にします・・・、とにかく、短いのが好きなので・・・
次からは、
『父母位相論』を読む 7
になりますね・・・。
『独生女論』・・・良かったんだけどなあ・・・
『父母位相論』より一文字短いし・・・、何の話かも明確だしね・・・
『父母位相論』か、堅苦しくて、難しそうなイメージですね・・・。
まあ、いいか・・・。
もし、アダムとエバが堕落していなかったなら、
今日のような高度な科学文明社会も短い期間のうちに
実現していたわけです。
それが、堕落して・・・、
堕落を知的な面からみると、「無知」に陥ったと言います。
内的無知、外的無知に陥ってしまったわけです。
無知は死の影であり、
無知からは何の情緒も生じないということです。
私のブログへのコメントで、
再臨主は、私はメシヤだ!と自称している人たち数十人の中から、
神様が選別して決めたのだという意見を聞きました・・・。
家庭連合の教会員の方だと思います。
私は、再臨主は唯一で、誕生から神様が働かれたと考えております・・・。
同じ、家庭連合の教会員の間でも、こんなに再臨主観が違うのですね・・・
再臨主の妻となる女性についても、
再臨主が信仰の基台がある女性たちの中から選べるという考えと、
神様がただ一人の女性を誕生させる、
という考えの両方があり、どちらが正しいのか明確になっておりません・・・。
根本的な部分で、まだ、無知に陥っている私達のようですね・・・。
再臨主に関しても、
イエス様の使命を継承しただけなのだ、とその価値を矮小化しようとする主張も『父母位相論』から出てきていますし、
それとは別に、
再臨とは、イエス様の失敗を蕩減し、イエス様の失敗による神様のハンの心情、
イエス様自身のハンの心情までも蕩減、解放する大きくて、偉大な勝利を
なされたわけで、さらに、素晴らしく、偉大なのが、再臨である!
という見方もできるわけです・・・。
おそらく、オモニ(韓鶴子 真のお母様:以下 オモニ)は、アボジ(文鮮明ムン ソンミョン 真のお父様:以下 アボジ)を高めることを心から願っておられるので、
再臨の価値が、初臨のそれよりも、はるかに大きく、偉大で、素晴らしいということに、心から同意されると私は思います。
主の栄光を何よりも願われている、聖霊の実体であられるのですから・・・。
また、妻のなかの妻、世界で一番見本となる妻が、真のお母様だと思います。
自分のこと、自分の栄光など、つゆほども願わず、考えず、
ただ、夫の栄光、夫の喜びを一番にそれだけを願う・・・
美しい心で生きておられると思います・・・。
アボジが高められ、アボジの威信が高まることが、オモニの一番の願いであると思います。
話がそれたような・・・。
我々が、今一度、確認し、無知から脱却し、明確にしなければならないことは、
アボジは、神様と共に歩まれてきたということに対する確信ではないでしょうか?
1945年に、キリスト教の基盤の上に立ち、勝利して、真の父母として顕現なされようとしていたのは、神様の第一の願いがそこにあったからです。
そうなっていれば、最初のご婦人が真の母になっていたでしょう。
それが、神様の願いでもあったということです。
この事実から目を背けると無知から脱却はできないと思います。
人々を無知から知へと解放すべき我々なのですから・・・、
まずは、我々自身が、真実を直視できる者たちにならないと・・・
お話にならないような気もします・・・。
さて、朝だ、明るくなってきました・・・寝ようかな?