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カリフォルニア・ガール

「サイレント・ジョー」(2001年)でエドガー賞を受賞したT・ジェファーソン・パーカーが本作(2004年)で2度目のエドガー賞を受賞した。

この賞は、詳しくはいろいろサイトを検索していただければわかるが、ミステリ界では最も権威のある賞である。(参考:http://www.ne.jp/asahi/mystery/data/AW/MM/MWA_F.html
古くはレイモンド・チャンドラー、マーガレット・ミラーなど、またドナルド・E・ウェストレイク、ディック・フランシス、フレデリック・フォーサイスなどなどそうそうたるメンバーが受賞しているが、2回以上受賞したのは私が知るかぎりD・フランシスについで2人目ということになる。

ぬうむ-カリフォルニア・ガール

確かに、評論家の言っているとおり60年代のカリフォルニアを背景に、兄弟の絆、家族の崩壊、男女の愛憎を情感豊かに描き出す感動作なのではあるが、個人的には読むのがつらかった。特に前半は。

まず、主要な登場人物が多い。それぞれの人物描写が細かく全員の性格などを理解して、覚えることに努力が必要となる。何回もページを戻って確認する作業が必要だった。これは単に私の記憶力が衰えたからではないと思う。「ラグナ・ヒート」「渇き」「サイレント・ジョー」など確実によくなってきたのに手間取ってしまった。


ただ、時間をとれる読者にとっては、特に50代、60代の方にとってはその時代背景(特に背後に流れる音楽)も楽しく読める作品であることは間違いないと思う。感動する(かもしれない)ミステリを読みたい方は、秋の夜長にどうだろうか。


【T・ジェファーソン・パーカー】
ロサンジェルス生まれ。オレンジ群の公立高校を卒業後、1976年にカリフォルニア大学アーヴィン校で英文学の学士号を取得。78年から新聞記者として働き、85年に作家デビュー。「サイレント・ジョー」以降も話題作を発表し続け、いま最も注目される作家である。現在はカリフォルニア州フォールブルックで暮らしている。


○翻訳された著書
 「ラグナ・ヒート」(1985)
 「流れついた街」(1988)
 「パシフィック・ビート」(1991)
 「渇き」(1996)
 「凍る夏」(1993)
 「レッド・ライト」(2000)
 「サイレント・ジョー」(2001)
 「ブラック・ウォーター」(2002)
 「ブルー・アワー」(2002)
 「コールド・ロード」(2003)
 「カリフォルニア・ガール」(2004)

確信から不安へ~残り5分の一喜一憂

さて、日本時間で本日朝3時半から行なわれたWカップアジア地区最終予選の初戦、敵地でのバーレーン戦を観ました。テレビ観戦ですが。


まずは、私の予想+希望と一番違ったのは、2トップだったこと。達也が入って、当然中盤が減る。遠藤が、ガンバでも慣れているボランチに下がって憲剛がスタートメンバーから外れた。あとバックでは右のウッチーと左の阿部が先発だったこと。


さて試合は、序盤は互角だったが、すぐに日本がボールを持つ時間が多くなる。ロングボールを放り込んでくる作戦のバーレーンに対してボールの出所に対するすばやいチェックが功を奏した。日本が押し気味にゲームを進め、FKから俊輔が、PKで遠藤が得点を決め2-0で前半を終了。


さあ問題は、後半の守備だ。そんな中相手2番の守備の選手が2枚目のイエローで退場した。攻撃と前からの守備を活性化するために寿人を投入(巻じゃなかったね)。これで一人少ないバーレーンを守備を減らせない状況に追い込んだ・・・つもりだった。残り5分というところで途中交代で入った憲剛が決定的といえる3点目を決めた。これで勝利を確信した。


が、しかし、である。すでにご承知のとおりタイムアップまでに(バーレーンから見て)右サイドからフリーになった選手が入れたクロスがゴール前左にいた選手に入り、疲労のため反応が鈍くなったウッチーを難なくかわして1点を返す。松井の変わりに入った憲剛がサイドの守備をせず、ボランチとしての定位置である中央に入ってしまったため、相手右サイドを自由にしてしまった。一番消耗するサイドバックの交代を考えていなかった(考えなくてもいいケースもあるが、今回は考えるべきだった)。次の反省点にすれば、まぁいいだろう。が、3-1で終わらなかった。相手のロングをキーパーにバックパスのつもりだったのがGKの位置や動きを見誤ってオウンゴールにしてしまった。連携が悪かった。


3点の差、相手が一人少ない、ボランチのリフレシュのため長谷部を今野に変えた。あと5分。評論家たちも、監督も選手もみんな言ってるけど、みんながもう「勝った」と思った。一転して不安がよぎる。「またか」と。
結果として、ロスタイムは踏ん張って守り抜き、日本が3-2で勝ったが、監督・選手など反省すべきは大いに反省して欲しい。


さて、最終予選は2位までに入るか、3位でグループ2の3位と対戦~勝ってオセアニア1位のニュージーランドとの対戦で勝てばW杯に出場できる。個人的には、後者でもいい。W杯の切符が手に入れば。が、グループ1にはオーストラリアと今まで日本が一度も勝ったことのない、そして今絶好調のカタールがいる。つまりひとつでも取りこぼすと3位にも入れない可能性がある。世界ランクでは確かに35位でグループで一番だが、こういう大会では(特にサッカーでは)何が起こるかわからないし、そもそもこの順位にも疑問がある。ちなみに、オーストラリアは39位、ウズベキスタンは59位、バーレーンは66位、カタールは81位。


次のウズベキスタン戦(10月15日埼玉スタジアム)では、今回の反省を充分生かした、我々も安心して観ていられる試合になって欲しい。

「音楽と映像、どっちが好き?」

音楽と映像、どっちが好き? ブログネタ:音楽と映像、どっちが好き? 参加中

若いとき(学生時代)は、見たい映像情報が少なかったというのもありレコード(CDじゃないよ)をよく聞いていた。だから、好きとか嫌いという問題ではなかった。まぁ、音楽は小学校の頃から大好きだったんだけどね。

仕事をしているときは、休みの日は結構スポーツ(特にサッカー)、映画を観るのが好きでどっちが優先するかというと、放送/放映時間を自分では選べないので映像のほうが中心で音楽を聴く時間はそれ以外となった。

今は、・・・。AV関係の機材もある程度揃ったので、DVDの購入量がこの3~4年は増えている。その分映画館に行かなくなったが、週1本は必ず映画を見るし、たまたまユーロやオリンピックがあったのでTVでスポーツ観戦する機会が増えた。

こんな感じで映像に接する条件がよくなり時間も増えたが、基本的には音楽好きなのでこの答えは「音楽」となるね。いつでも聴けるから映像を見る時間との対比という点では少なくなってきているかもしれないが、移動中にMP3プレーヤなんかで聴きたくないし・・・。

ジェイムズ・クラムリー

ハヤカワ文庫の『さらば甘き口づけ』を読んだのはちょうど20年前のことだった。それまでにもいわ ゆるハメット=チャンドラー=ロス・マクといったハード・ボイルド小説の巨匠の作品は押さえていたが、その後の作家というとロバート・B・パーカーにしてもローレンス・ブロックにしても何か今一感があった。特に、パーカーのスペンサー・シリーズではスーザンとホークが出てくるようになってからまったく軟弱小説になってしまった。

そんなブロックだけが生きがいとなっていたある日、本屋でこんなタイトルの文庫本が目に入った。

ぬうむ-さらば甘き口づけ

『さらば甘き口づけ』

酔いどれ私立探偵が主人公なのは毎度おなじみのパターンである。だが、最初の依頼があったときから、いや、多分最初の1行からちょっと違うぞと感じた。そうだ、香りが違うのだ。3巨匠後のネオ・ハードボイルドの作家たちの中でもシチュエーションは単純だが、主人公の生きざまだけでなく他の登場人物の人物描写が精緻で生き生きしている。チャンドラーへのオマージュと思える場面などもあり、読者を喜ばせる手法にも優れている。
読後感も「あ~、よかった~」である。


発行順は逆になったが、続いて『酔いどれの誇り』を一気に読んだ。これも傑作だ。
ただ、その後は『ダンシング・ベア』まで5年、『友よ、戦いの果てに』までは10年も待たされてしまった。これらはすべて優れたハードボイルドであり、クラムリーの書く内容もだんだん過激と言っていいほどハードになってくる。そしてシュグルーとミロとそれまで別々のシリーズの主人公であった探偵が『明日なき二人』で共演することになった。これにはまいった。しばらくは本屋で見つめるだけで買えなかった。問題作である。しかし、クラムリーにいつも飢えていたわたしは約一月後に買って再びクラムリー・ワールドを堪能してしまった。憂いが吹っ飛んだ。

今から4月前に『ファイナル・カントリー』を読了した。前作(『明日なき二人』)から5年も待たされ、ますます過激になり、還暦を迎えたミロもボロボロになってしまったが、傑作だ。


クラムリーは、最初の1行を書くのに1年、最初の1章を書くのにさらに1年をかけ、さらには気に入らなければ何度も書き直すと言われている。30年間の執筆歴の中で長編がたった7作しかない。1939年にテキサス州スリーリヴァーズに生まれ、70才になろうとしている。ぬうむ-ファイナル・カントリー
あと1作未訳の長編(『The Right Madness』2005)があるが、近年体調もよくないらしい。ファンとしては、健康に留意してこれからもなるべく多くの作品を出してほしいものだ。

最後に、まだ読んでいないが興味を持たれた方へ。
読み始めると一気に読了してしまう可能性があるが、そこはじっと我慢して一行一行に込められた作者の魂を感じながら、じっくり読んでほしい。


○今までに日本で翻訳された主な書籍
『さらば甘き口づけ』 The Last Good Kiss (1978) シュグルー(スルー)物
『酔いどれの誇り』 The Wrong Case (1975) ミロ物
『ダンシング・ベア』 Dancing Bear (1983) ミロ物
『友よ、戦いの果てに』 The Mexican Tree Duck (1993) シュグルー物
『明日なき二人』 Bordersnakes (1996) ミロとシュグルー
『ファイナル・カントリー』 The Final Country (2001) ミロ物

【メモ】お墓の話

さて、今回は宗教抜きのお墓の話をしよう。


(1)お墓の歴史
お墓は、日本でも確かに昔からあったが、明治時代までのお寺と神社の複雑な関係などいろいろ事情があったため、現在のような形の墓地というのは明治時代頃が始まりになる。
明治7年以降公営墓地(青山・谷中・雑司が谷など)ができはじめ、都心だったため需要が高く、いっぱいになると大正12年に多磨霊園を作ることになり、さらには、八柱霊園~小平霊園と郊外に広がっていくことになった。

明治以降は一般人でも墓地を欲しがったためにかなり大掛かりに土地の開発がされてきた。


昭和23年に「墓地、埋葬等に関する法律」ができ、それまではほとんどが「土葬」(死体を土中に葬ること=「埋葬」)だったのに地区によっては土葬が禁じられ、「火葬」(死体を葬るために焼くことをいい、焼骨を墳墓に納めることを「埋蔵」という)しなければならなくなった。土葬が許可されている地区ではどちらか選べるが、都会ではほとんどが「土葬」を禁じている。

墓地のおける場所については、現在は、許可を受けた公営霊園と民間霊園、そして寺院墓地の3種類があり、基本的には個人で墓地を作ることはできない。


(2)手に入れる方法は?
その家族・家系代々の墓地があればいいが、分家(というのも古いが)のために墓地がないなどの場合は買わなければならない。ここでまず注意しなくてはいけないのは、墓地の敷地そのものの所有権を得るという契約ではないということ。「墓地として永代にわたって使用する権利」を買うことになる。だから支払うのは、代金ではなくて永代使用料になる。また、霊園等の全体も含む管理料を通常は年に1回払うことになる。

ひどく大雑把に言ってしまえば、3~4平米程度で以下のような金額になる。ただし、都心だともっと高いし、田舎だと安い。考え方は、普通の住宅と同じ。
霊園
        永代使用料   年間墓地管理料
公営霊園    100万円     2,000円
境内地墓地  200万円    10,000円
寺院の霊園  150万円     6,000円


《注意》
・公営霊園は、条件が厳しい(居住要件、遺骨の有無など)。

 境内地の墓地は少なく、かつ檀家優先。
・公営霊園は、どんな宗派でもOK。寺院経営の墓地は、

 その宗派に限る。
・公営霊園は、石材店を選べる。寺院経営の墓地は、提携

 している石材店に限る。
                  ・・・ことなど。


(3)建墓の費用
墓を建てる費用は、結論からいうと100万円から300万円というところ。
ここ20年くらい前から、中国産の石を輸入している業者が多い。50センチ四方くらいの真四角な石を組み合わせて造るのだが、中国産だと原価1個あたり1万円以下。10個使ったとしても原価10万円以下+手数料、文字のデザイン料+工事費で100万円とは、安いかな?さらに、安い石だと(中国産に多い)半年も経たないうちに表面に油が浮いてきたりすることもある。「坊主丸儲け」という言葉があるが、石材店も水商売並みの利益率がある。冠婚葬祭関連業には誰もあまり文句言わないからね。


公営霊園であれば、石材店の指定はないので、見積を3~4社から取ったほうがいい。そして金額だけでなく、アフターサービスについてもしっかり見定めよう。


寺院墓地や民間霊園だと、ちょっと事情が違ってくる。石材店は競争相手がいないから、値下げをしない(シロート相手には、さもまけたようなフリはするが・・・)。ほぼ言い値で決まってしまう。

よって、条件さえあえば、公営霊園を強く勧める。もし条件が揃っていなければ、待っている方が賢明。
待っているうちに、いろいろ調べるといい。


(4)散骨について
散骨とは、焼骨を細かく粉末状にして海や山など故人が好きだった場所などに撒くことをいう。

これに関わってくる法律といえば「墓地、埋葬等に関する法律」というのが一般的だが、この法律では埋蔵は墳墓にしなさいということを規定しているだけで、散骨についての規定がない。したがって、ここでは、違法とはいえない。このことについては、非公式ながら厚生労働省も同法の適用を受けないとしている。
さらに、刑法190条に規定する遺骨遺棄罪にあたるかどうかについても非公式ながら、法務省は「節度をもって」すれば違法ではないとしている。


しかし、当たり前といえば当たり前であるが、他人の土地、他人が管理する場所には、所有者または管理者の許可が必要となり、これをしないと刑法第130条「住居侵入罪(ほとんど実例がない)」、廃棄物の処理及び清掃に関する法律第16条「不法投棄」として罰せられる可能性がある。
また、市町村条例で禁止しているところもまれにある。
例:北海道長沼町「長沼町さわやか環境づくり条例」第8条 何人も、墓地以外の場所で焼骨を散布してはならない。


※焼骨のすべてを散骨すると、あとで後悔することになる可能性があるので、遺族・特に親しかった人の了解を得た方がいい。


《追加情報(2009.1.10追記)》
埼玉県秩父市では、「秩父市環境保全条例」の改正により平成20年12月18日から「墓地以外の場所で、原則、散骨(焼骨を一定の場所にまくこと)をしてはならない。」ことになりました。