ジェイムズ・クラムリー | ぬうむ

ジェイムズ・クラムリー

ハヤカワ文庫の『さらば甘き口づけ』を読んだのはちょうど20年前のことだった。それまでにもいわ ゆるハメット=チャンドラー=ロス・マクといったハード・ボイルド小説の巨匠の作品は押さえていたが、その後の作家というとロバート・B・パーカーにしてもローレンス・ブロックにしても何か今一感があった。特に、パーカーのスペンサー・シリーズではスーザンとホークが出てくるようになってからまったく軟弱小説になってしまった。

そんなブロックだけが生きがいとなっていたある日、本屋でこんなタイトルの文庫本が目に入った。

ぬうむ-さらば甘き口づけ

『さらば甘き口づけ』

酔いどれ私立探偵が主人公なのは毎度おなじみのパターンである。だが、最初の依頼があったときから、いや、多分最初の1行からちょっと違うぞと感じた。そうだ、香りが違うのだ。3巨匠後のネオ・ハードボイルドの作家たちの中でもシチュエーションは単純だが、主人公の生きざまだけでなく他の登場人物の人物描写が精緻で生き生きしている。チャンドラーへのオマージュと思える場面などもあり、読者を喜ばせる手法にも優れている。
読後感も「あ~、よかった~」である。


発行順は逆になったが、続いて『酔いどれの誇り』を一気に読んだ。これも傑作だ。
ただ、その後は『ダンシング・ベア』まで5年、『友よ、戦いの果てに』までは10年も待たされてしまった。これらはすべて優れたハードボイルドであり、クラムリーの書く内容もだんだん過激と言っていいほどハードになってくる。そしてシュグルーとミロとそれまで別々のシリーズの主人公であった探偵が『明日なき二人』で共演することになった。これにはまいった。しばらくは本屋で見つめるだけで買えなかった。問題作である。しかし、クラムリーにいつも飢えていたわたしは約一月後に買って再びクラムリー・ワールドを堪能してしまった。憂いが吹っ飛んだ。

今から4月前に『ファイナル・カントリー』を読了した。前作(『明日なき二人』)から5年も待たされ、ますます過激になり、還暦を迎えたミロもボロボロになってしまったが、傑作だ。


クラムリーは、最初の1行を書くのに1年、最初の1章を書くのにさらに1年をかけ、さらには気に入らなければ何度も書き直すと言われている。30年間の執筆歴の中で長編がたった7作しかない。1939年にテキサス州スリーリヴァーズに生まれ、70才になろうとしている。ぬうむ-ファイナル・カントリー
あと1作未訳の長編(『The Right Madness』2005)があるが、近年体調もよくないらしい。ファンとしては、健康に留意してこれからもなるべく多くの作品を出してほしいものだ。

最後に、まだ読んでいないが興味を持たれた方へ。
読み始めると一気に読了してしまう可能性があるが、そこはじっと我慢して一行一行に込められた作者の魂を感じながら、じっくり読んでほしい。


○今までに日本で翻訳された主な書籍
『さらば甘き口づけ』 The Last Good Kiss (1978) シュグルー(スルー)物
『酔いどれの誇り』 The Wrong Case (1975) ミロ物
『ダンシング・ベア』 Dancing Bear (1983) ミロ物
『友よ、戦いの果てに』 The Mexican Tree Duck (1993) シュグルー物
『明日なき二人』 Bordersnakes (1996) ミロとシュグルー
『ファイナル・カントリー』 The Final Country (2001) ミロ物