MyStoryを書き綴っています。

これまでのStoryを見逃した方はぜひこちらも♡
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MyStory①粘り強さとチャレンジ精神を生んだ幼少期「噛みつかれないか否か」基準が形成された時
MyStory②「楽しみは自分で作る」が親のポリシーだと知った中学時代。受け継がれた自由軸の精神
MyStory③「魅力」と「美的」という言葉への恐怖からの闇。低迷高校時代からくすぶっていた憧れ
MyStory④マイケル・ジャクソンの優しさは本物だと知った夏。一期一会だからこそ一期永遠
MyStory⑤凄腕起業家ビジネスマンが運営するハイブリッドNGOで学んだ多角的視点と価値の創造
MyStory⑥政治と経済とコミュニティの駆け引きで世界が動く:国際エイズ会議で見た世界の縮図
MyStory⑦新規顧客開拓の営業愛。自作アタックリストで湾岸4か国での開拓劇。準備9割本番1割



鉄鋼メーカーで石油用鉄パイプの継ぎ手(曲目)という
1か国1~2社ぐらいしか適したお客様がいない
とてもニッチで地味な
まだ当時は男性がほとんどだった業界と地域で、
生まれたての営業部で新規開拓営業を経験したのは
本当に貴重な経験だった。


鉄鋼でも偽物が出始め
同じロゴのものが建設など絶対に売らない場所に売られていると噂を聞いた。
もし石油用のプロジェクトに偽物が入ってきて割れたりしたら大変だ。
偽物の調査をしに工業地帯に行っては、

写真を撮り、ドバイの弁護士に相談に行った。
「顔のわかる格好でそんなことを見て回ったら、すぐに殺されるよ」
と怒られたりしたゲッソリ


そんな経験も、すごく貴重だ。



ただ、工場のキャパに達したら、
もちろんだが新規開拓は終わる。
誰でもかれでも買える商品でも金額でもない。


そして、いわゆるルート営業という
自分の獲得したお客様に何度も会って
こちらが欲しい量の注文を出してもらえるように
お願いして回ることと
部の売上が会社が欲しい額を上回ることを
維持する事が仕事となった。


自分の開拓したお客様たちだから
それなりに楽しかった。
が、心のどこかで


「私じゃなくてもできる」


と、ふと思ってしまった。

そう、ふと。


そうなると、以前の心の炎がとても小さくなった。
たぶん、私の資質と適正から

工場に最大の貢献ができる役割が終わった、

と自分で悟った。

そして、正しいキャリアモデルがいなかった
というのもとても大きかった。


当時、「営業部長」という役割をもらっていた。
そして入力作業をしてくれるスタッフが営業部に増えた。
新しい営業プレイヤーの採用面接をしたりもしていた。



でも、私は「部長」というのは何をする役割の人なのか、

というのがわからないまま、
自分の大切なお客さんに注文をお願いして
ジムにもお願いして
売上をそろえて報告していた。

電話ひとつで注文がとれるジムは
別に私の憧れの仕事人ではなく
営業プレイヤーの時と実質何も変わらなかった。
ただ少し余分な仕事が増えただけに感じた。

 


今思えば、

いつも提案をしに行ったり給料を上げてほしいとお願いしたり
ギャバクラに一緒に連れて行ってもらったりする会長に
「部長に求めている役割は何ですか?」
と単純に聞けば違ったかもしれない。



さらにトドメとなったのが、
中東でお世話になっていた専門商社の社長から
iPodを「プレゼント」ともらったことだった。


しょうもないかもしれないが、
この時に私のココロがなぜかポキッと折れた

以前冗談で
「iPodくださいよ~」と言ったことがあった。
それをお覚えていてくれて
プレゼントしてくれた。



だけど、私の心は喜びでない感じを感じた。
自分の力を正しくない方向に使った

と思ってしまった。


「欲しい」と言ったら
人が動いて用意してくれた。


もし私が「金塊がほしい」と言ったら
金塊を準備されたのだろうか。



今考えるとただのプレゼントだったと思う。
それまでに接待もされている。



しかし、
支配されたと感じたのか
支配したと感じたのかわからないが、
これを続けたくないと思ってしまった。



その頃、会長から慰労のために
「どこか好きなところに行ってこい、旅費を出してやる」
と言ってもらい、


ではチベットに行きます!!!
と言って、


本当に行くことにしたキラキラ



砂漠は見た。
海は見た。

世界の天井を見てみたい!


私の脳みそはいつでも単純。

一番高い街って、どんなの?



「え?チベット?!ほんとに?!」

会長は大笑いしていたが、
真面目にお休みをもらった。



確か年末だった。



成都に飛び、普通のパン屋さんにも普通の道にも人だかり。
中国の人の多さに圧倒されながら


(成都のパン屋さん。人多くない?!これが普通・・・

 


(成都のお寺の庭。お茶飲んでる人多くない?!!

耳かきおじさんが回ってくる面白い商売の町


経済とは人口だと理解しながら数日歩き、
ゲストハウスでチベットへの行き方を調べ、
チベットに行った。

 


うろ覚えだが、
冬だったので特別な許可を取らなくても行くことができた。



チベットの首都ラサは標高4000メートルに近く、
南国のタイで想像するよりはるかに寒くて
最初の日の日没後に道ですれ違った日本人のご夫婦に、
服装を心配されてマフラーをいただいたのを覚えている。



成都で聞いたチベットでの公安(警察)の外国人への取り締まりは
大変厳しいと聞いていたが、
これも冬だったからか
公安(警察)の人自体あまり見ることはなかった。


目に入るみんながとても素朴な暮らしぶりで、
時々ヤク(大きな牛?!)がいたり、
民族衣装を着た子どもたちが遊んでいたり、
昼間からお寺でお酒を飲んで
陽気に楽しんでるおじさんたちがたくさんいた。


マニと呼ばれる道具を手に持って回すと
お経を1回読んだことになるらしく、
みんな手にマニを持ちグルグルと回していた。
そして、五体投地で這うように
寺の周りをまわっている人たちがいた。



あまりにも素朴なその場所では
「生きる」ということに飾りがなく
人はなんで生まれて死ぬのかということを
悩まないのかなと思ってしまうほどだった。




お経をたくさん唱えることが
本当にこの人たちの幸せなんだな、と
少し驚きながら
では、私の幸せはなんだろう、と考えを巡らせた。



調子に乗ってお寺のおじさんたちにお酒をもらってワイワイしていたら、
翌日は高山病に。
脳みそが膨らんだような気持になり
熊にでもなったように部屋の中を行ったり来たりしたが、
現地の旅行業をしている四駆の運転手さんに
「頭痛止めを飲めば治るよ」
と言われて飲んだら、あっという間に良くなった。


高山病ではなかったのかもなチュー



観光ローシーズンだったので、
ツアーはあまり盛んでなく
四駆の運転手さんにいろんな場所に連れて行ってもらった。



チベットで自然の中に行くと
とにかく静か。
山には草も木も生えていない。
鳥もほとんど飛んでいない。
湖も水面が動かない。
初めて体験する静けさだった。



そして大晦日だったかお正月だったかの夜。
ラサのお寺に行ってみた。
夜も人がいっぱいいて
たくさんのお香が焚かれ
祈るように五体投地をしていた。


上を見ると
手の届きそうなところで
満点の星が輝いていた。




みんなは何を祈っているのだろう。
世界のどんなことを知っていて
どんなことを知らないのだろう。


そして、なぜ地面に身を這わせてまで
お経を読み続けるのだろう。



私は、このまま鉄を売り続けるのはやめよう、と思った。



その決意をするだけで精一杯なぐらい
酸素は薄くて
星が近くて
人が何かにすがるように
次の人生はもっと良くなるように
と願っているような
何とも言えないエネルギーと

人々の現世への「諦め」という心を感じていた。

 

 

 



(私個人が抱いた感想です。みんなすごく幸せだったのかもしれない.

いや、幸せそうだった。)

 

 

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