はじめましてのご挨拶に変えて

MyStoryを書き綴っています。

これまでのStoryを見逃した方はぜひこちらも♡
↓ ↓ ↓

MyStory①粘り強さとチャレンジ精神を生んだ幼少期「噛みつかれないか否か」基準が形成された時
MyStory②「楽しみは自分で作る」が親のポリシーだと知った中学時代。受け継がれた自由軸の精神





高校時代は、今もつながる

ステキな友だちに出会えた場だったけど、
当時、実は私の中ではちょっと辛い時期だった。



「国際教養科」というワクワクする名前の専門コースに入り、
行ってみると9割が女子!!
60人中男子は6人ビックリマーク(←当時女子たちには「V6」と呼ばれていましたチュー

まさにキラキラ”ほぼ”女子高ライフが始まった。



私は、その環境に適応するのがとても難しかった。

 

 

みんなすごくいい子たちだし優しいし、

「国際教養科」なんていう

変わった専門コースに入ってくるぐらいだから

本当に好奇心旺盛。

 

いろんなことに前向きで興味津々の子たちが集まっていた。


髪の毛の色も規定がないし

私服登校OKで自由な校風だったから、

いろんなセンスが露わになっていて、

もちろん、近所にあった小学校や中学校では出会わないような

オシャレな子やかわいい子がたくさんキラキラ
同じ中学だった子たちもすぐにぐっとオシャレになった。
 

 

私はひどく自信がなくなった。



自信がなくなっていて

男女がバランスよくいる「普通科」が同じ校舎にあるというのに

友だち開拓もしなかった。



当時はわからなかったけど、

実は私にはみんながまぶしすぎた。


 

そう、私は当時はわからなかった。
 

 

自信がなくなり、楽しみ切れなかった。



まぁまぁ面白いことを言ったり、強気でいたから友だちはいた。


だけど、小5で初めて授業中に手を挙げた時のように

やりたいことを「ハイやりたい!」

と言う勇気がなく、

なんとなく中学からの友だちにも置いて行かれたような気分になって

一人で滅入っていた。



実は、この「キラキラとまぶしい子たちへの憧れ」っていうのは、

ずーっとずーっと自分で気づいていなくて、

というより、たぶん

フタをして、

ないことにしていた。


私のキャラじゃない。
私は気にしてない。




だけど、自分が納得できるほどのオシャレになったり

自分の容姿に

すごく自信のある状態にならないのに、

やっぱりキラキラとオシャレを楽しみ

美しくしている子たちがまぶしくて、

心の奥底で

実は憧れがあったってことに、

 

 

 

 

アラフォーである今、

年末年始のノート活動で初めて気が付いたニヤニヤ



これまで、

自分の価値観を表す言葉を選ぶ価値観ワークでも、

「魅力(身体的な魅力を保つ」とか

「美的(身のまわりの美しいものを味わう)」という言葉を

選んだことはなかった。

 

 


これまで選んできた言葉たちが偽りではなく、

それらも大切だけど、

「魅力」や「美的」という言葉を大切にしたいという気持ちがあるのに、

それらを選ぶのは自分はふさわしくない、

と勝手にラベリングしていた。



「正直」

 

 

これも私が大切にしている価値観。

なのに、知らず知らずに

自分の気持ちにはフタをして

正直に慣れていなかった。



一生これだけが大事というわけじゃない。

 


だけど、高校生のころから大切にしたかったのに

私にはふさわしくないとフタをして、

自信までも無くしていたから、

 

 

楽しそうにキャーキャーと盛り上がる

女性の集団が苦手だったことに気が付いた。

 

 


高校時代を振り返って、

思わぬ発見をした。

 

 

 

今年は

「魅力」と「美的」という、私にはとても勇気のいる言葉たちを

自分の大切にする価値観に入れてみようと思う。

 

 

 

思わぬ方向に進んだ高校時代の振り返り。

 

ぜひみなさんも、暗黒だったな~っていう時代のことを掘り下げてみてくださいね!

新しい自分の価値観に出会えるかもキラキラ

 

 

次回は夢のニューヨークでのビックリ体験!お楽しみに~★