第八 暗夜の駿馬。
さて蜘手の方は、頼豪院の呪法が破れ、月若が快気した事を聞いて、大いに力を落とし、この上はどんな計略でもって彼らを消すべきかと、道犬を呼んで密談すると、悪賢い道犬は、少しも屈せず、再びまた一つの計略を考えて、蜘手の方に耳元でささやくと、蜘手の方はよくよく聞いて「これはすごい妙計である」と喜び、偽って重病を装って、とても苦しそうにすれば、判官貞国はたいへん驚いて、道犬を呼んで医療について相談すると、道犬が言うには「奥方の様子をうかがうと、ただごとではないです。まさしく邪祟(じゃすい・邪悪なもののたたり)の仕業と思われ、たとえ耆婆扁鵲(ぎば⦅印度の名医⦆へんじゃく⦅中国の名医⦆・世にもまれな名医)の神方(不可思議な方法)であっても、薬の力をもってしても救ってさしあげるのは叶わないでしょう。近頃京都より下ってきた頼豪院という修験者は、安倍晴明の金烏玉兎(きんうぎょくと・太陽と月または歳月や時間。金烏は太陽に棲むとされた3本足の烏、玉兎は太陰⦅月⦆に棲むとされた兎)の神書(簠簋内伝⦅ほきないでん⦆とも言う)を家に伝え、卜筮(ぼくぜい・占い)に優れた者であるので、彼を呼んで占わせてお聞きになって欲しい。幸いただいま私の家に参っております」貞国はこれを聞き「それを急いで呼びなさい」と言うと道犬は「謹んで」と、やがて私宅に言い使わした。
頼豪院は額の傷がようやく治り、再び道犬の奸計に組みしたが、呼び出しに応じて、貞国の目の前に出てきた。
身長が高く眼の中が光り、斬髪が縮れて螺髪(らほつ・仏様の髪形)のようで兜巾(ときん・修験道の山伏がかぶる小さな布製のずきん)篠懸(すずかけ・修験道の行者山伏が衣の上に着る麻の法衣)に、紅紗(赤い薄衣)の衣を着て、最多角の念珠(いらたかのねんじゅ・平形金珠と同じ)を袖にくるんで持ち、中啓の扇(末広の扇)を握り、周囲を光り輝く金を張り付けた広い座敷に、堂々と座る様子はまさにどんな悪魔でも降伏(こうぶく・神仏の力で悪魔や敵を押さえて従わせること)ができる骨柄(骨相から受ける人柄の感じ)である。
貞国はまず初めて会った挨拶を終わって、奥方の病状を告げて卜筮(ぼくぜい・うらない)を願うと、頼豪院はうやうやしく卦(易経の図形⚊陽⦅剛⦆と⚋陰⦅柔⦆の2種類を3つ組み合せて占う)を敷いて下して、考えを教えて言った「奥方の御病気は、まったく呪詛する者があって、苦しめさせているのに疑いはありません。今から四五日過ぎれば、御命は危ういでしょう。もし疑わしく思うのでしたら、御寝所の庭の中の、艮(うしとら・北東)の隅の土の中を三尺を掘らせてみれば、はっきりするでしょう」と言う。
貞国は半信半疑ながら、側に使える者に命じると、側に使える者達はそこへ行って、土中を掘ってみると、果たして一合(180ml)の白木の箱を見つけて持っ来て、貞国に渡した。
貞国はこれを開けて見ると、なかに大小二つの藁人形があって、隙間もなく釘を打っていた。
貞国は大いに驚いて、頼豪院の言葉を奇妙であるとして「これは呪詛に疑いないが、他に何もないので、誰の仕業なのか判断できない」と言うと頼豪院は膝を進めて「およそ呪詛の法には願いを書いていなければ、叶うことはない、その箱をこちらえ」と言って箱を取り上げて、じっくりと見て、やがて扇の尻で、箱の底を突き抜くと、二重の底になっていて、その中から、一通の願いを書いた書面が出てきた。
貞国がこれを開いて見ると、蜘手の方と花形丸の二人を呪詛する願いの文で、銀杏の前と月若と二人の願い主の名があった。しかも銀杏の前の自筆で書いてあるので、疑うことができそうにもない。
貞国はたちまち怒りが心の中に起こり、顔色が変わって、しばらくものも言わなかったが、まず頼豪院に呪詛を払い除く呪法たのんで、蜘手の方の病床に壇をかざって、厄払の法を呪し、あの藁人形の釘を抜いて、護摩の火中に投げ入れて、焼捨てた。
こうして蜘手の方はいろいろと病気が癒えたよう見せて、貞国に向かって言ったのは「私は特に以前より銀杏の前母子を実の娘実の孫とかわいがって、どうか桂之助の勘当を許して下さるか、そうでなければ月若を家督にしてくださるようにと、それのみ前から強く願っていたのに、彼らはかえって私を継母と忌み嫌い、もし花形丸が家督になるのではと、先に疑って、私たち親子を呪い殺そうと計ったのでしょう。美しい顔をして心は鬼よりもなを恐ろしいです。乞い願いますには、私たち親子とはやく別れてくださって、尼法師にでもしてください。我々がこうしていると、ついには彼らの生霊に取り殺されますでしょう。どうしてそのように私たち親子を忌み嫌うのでしょうか、情けない銀杏の前よ」と言って、涙を滝のように流した。
このとき花形丸は年すでに十六歳、いまだに角髪(つのがみ・成人前の髪型)であったが、母の悪い性質とは全く似ないで、気持ちが正しく生まれていた。もとより母の野望を知らず、この日子細を聞いて大いに嘆いて息をつき「このような凶事が出てくるのは、皆これは自分の誤りだ。檀弓篇(だんきゅうへん・中国で書かれた礼に関する書⦅礼記⦆の中の一篇)に、昆弟(兄弟)の子は、なを己が子の如しと言っています。私は月若に対して、鄧伯道(とうはくどう・中国の古事、自分の子供より死んだ兄の子供⦅甥⦆を優先して助けた)のような志がないためです」と深く悲しんだ。
判官貞国は蜘手の方の恨みの言葉、花形丸の道理の多い言葉を聞いて、銀杏の前母子を益々憎み、親を呪詛する大罪人、しばらくの間も助けておくことができないと、黒星眼平(くろぼしがんぺい)という者を呼び出して「銀杏の前と月若二人の首を討って来い」と命じると、蜘手の方道犬とは顔を見合わせてうまくやった思いながら、これを止めたが、貞国は聞き入れなかった。
花形丸は殊更に言葉を尽くして止めたが、カッとなりやすく短気の貞国は、少しも大目にみることはなければ、もとより道犬一味の黒星眼平は、迷惑顔で、その場をさって、君命といっても、母子の首を討つと言えば、名古屋父子は簡単に渡さないだろう。その時は彼らも共に討ち取ろうと思いながら、四五十人荒々しい男たちを引き連れて、平群の館にいそいで行った。
この事はすぐに下屋敷に聞こえたので、名古屋父子は大いに驚いて、三郎左衛門は山三郎に向かって「これは確実に不破道犬の奸計で、姫君に濡れ衣を着せて、御母子を消そうと計ったに疑いない。討っ手が向かって来る前に、自分は急いで上屋敷に行って、一命にかえても申し開きをして、御命を救ってさしあげる」と忙しく礼服を着に着替えて、縁先に馬を引かせてひらりと飛び乗って、共の者がそろう間も遅いと心が急いて、鹿蔵という下部(しもべ)に提灯を持たせ、走り出ようとすると、三郎左衛門の刀が鞘ばしり(鞘がゆるくて、身体をかがめたりしたとき、刀身がひとりでに鞘から抜け出ること)したので、山三郎は気にかかって、轡(くつわ・馬の口につけ、手綱を取り付ける金具)の頬にすがりついて「父上、手抜かりは無いないと思いますが、道犬は悪知恵の多い者なので、必ず彼の計略に落ちて一緒に罪を受けないように、一言の言葉でも気をつけて話してください」と言えば、三郎左衛門はうなずいて「それはわかった。かならず気遣う事はない。このような内乱の時は、御側近い者達にも油断できないので、ただ御二方を良く守護しなさい」と言い捨てて、一鞭あてて、飛ぶように走っていった。
山三郎は身を伸びあがらせて、姿が見える間は見送ったが、ちょうどねぐらに戻る夕暮れの烏が、たいへん悲しそうに鳴くのを聞き「こう烏鳴きが悪いのは、御二方の身の上か、父上の身の上か、どちらであっても、たいへん心配だ」と吐息をはいて、胸を痛めるだけであった。これが一生の別れとは、後に思い知らされる。
ここにまた不破伴左衛門重勝は、先年に若殿の命令とは言いながら、名古屋山三郎に草履で顔を打たれたのを深く恨みに思って、笹野蟹蔵、藻屑三平、土子泥助、犬上雁八達四人の者と相談して、毎夜平群の館の近辺をうろついて、山三郎を付け狙っていたが、この夜は宵闇で空が曇って星も見えず、物の形も分からない暗い夜であったが、三左衛門は鹿蔵に提灯を持たせて、馬を飛ばせて急いで来るのを、伴左衛門達五人の者は、三本傘の紋のついた提灯を見て、山三郎に疑いないと思い、物陰より一同に躍り出て、まず提灯をハッシと切り落とせば、鹿蔵は飛び下がり、腰の刀に手をかけて、何者であるかと眼を凝らして見た。
三郎左衛門は馬を留めて「これは辻斬りのくせ者か、盗賊の仕業か」と言いながら肩衣をはねのけて、一刀を抜きながら馬より飛び降りる隙もなく、伴左衛門が斬りつける白刃の稲妻が目の前に閃くと、老人の年功と知恵のある三郎左衛門は、馬の陰に身を避けて、伴左衛門の刀は無駄に鐙(あぶみ・足をのせる馬具)にハッシと切りつけて、火花が散った。
闇夜で木立の茂った所なので、一寸先も見えず、藻屑三平と土子泥助は、馬の足音をたよりに、前後より斬りつけると、目当てが違って、思わず二人は同士打ちにちょうと打ち合わせた刀の下をくぐり抜けて三郎左衛門は、払い斬りに刀で斬ると、犬上雁八の鼻先が光って、胸がひやりとしてのけぞった。
伴左衛門はこの時を逃すといつ恨みをはらすのかと思いながら、息をこらえて様子を見ると、三平、泥助、雁八達も、あたりを探って立ち回り、あるいは互いに同士打ちして怪我をして、あるいは木立に切りつけて気をいらつかせた。
三郎左衛門は、今夜に迫っている大事を抱えている身なので、好んで戦う気持ちはなく、早くこの場を逃れなければと気がせいても、四人の者に囲まれてしかたなく、うかがい澄まして斬りつけた刀は、三平の片耳を削ぎ、二の太刀で雁八の小指を切り落としたので、二人は怖気づいて働くことができなかった。
さて泥助の探り寄った刀の切先が、三郎左衛門の刀にちょうどぶつかり合って、たがいにここだと思いながら、丁々発止と打ち合った。
伴左衛門はその太刀の音をたより、抜き足して背後から勢いを込めて斬りつけた刀は、誤ることなく三郎左衛門の肩先を七八寸(21cm~24cm)斬りこんだ。痛手に屈しない強気であっても、さすがに老人なのでたじたじとよろめく所を、つづけて左の脇腹を深く切り込むと、三左衛門は堪えられず一声「あっ」と叫んで、尻餅をついてどっと倒れた。
伴左衛門は髻をつかんでねじ伏せ「これは伴左衛門重勝である。どうだ山三郎、お前は君命とは言いながら、先年私を辱めた恨み、骨髄に通って忘れられない。今その仇を報いるぞ」と言ってふところより物に包んだ草履の片方を取り出し「これは先年お前が私を辱めた上草履だ。肝と魂に応えろ」と言いながら、連打を続けると三郎左衛門は苦しそうに息をついて「お前らは、辻斬りか強盗かと思ていたが、さては伴左衛門であったか、自分は三郎左衛門である」と言う声を聞いて、さては人違いをしたかと、伴左衛門達の皆は驚いいた。
三郎左衛門は刀にすがって立ち上がり「せがれに仇を報くうにしても、騙し討ちとは卑怯な奴だ。私は年老いても、名乗り合っての勝負であれば、おまえらごときの鼠達は、数十人来ても、物の数とは思わないが、闇打ちされるとは、武運が尽きた身の終わりは、死ぬ命は惜しくないが、ただ心残りは御二方の安否を聞かないで終わってしまう悲しさよ」と言いながら、よろめいてふらふらと歩くのを伴左衛門はじっと見、ガバッと蹴り倒して「山三郎と思っていたのだが、運の尽きた老いぼれめ、山三郎でないのは残念だが、お前を殺してもまた、こちらに都合の良いことになることもある。むだなことは言わずに早く死ね」と憎そうに罵りながら滅多斬りにすれば、三平、泥助、雁八達も、三郎左衛門の苦痛の声をたどって側に寄って、ズダズダに斬りつけて、なますの様にしてしまった。
ちょうど寺々の鐘を打つのが交ざり合って、諸行無常と告げ渡り、田の蛙が鳴きだして、たいへん哀れを感じさせた。
下部の鹿蔵は笹野蟹蔵と渡り合って、深い田の中に踏み込んで、互いに呼吸する息を探って戦い、双方軽い傷を負うが、鹿蔵は三左衛門と伴左衛門が言い合う声を離れていて聞いて「さては、こいつらは恨みにより、人違いして、すでに御主人を殺したのか」と仰天し、蟹蔵は放って、主人の声がする方を探して行こうするのを、三平、雁八はそうはさせないと立ちふさがり、二人は同時に斬りかかった。
鹿蔵はこれをちょうと受け止め、さらに行こうとした時、雨雲が晴れて、満月の光が明るく輝き出て、木の間を洩れた光で明るくなったので、鹿蔵は五人の顔を見ると、伴左衛門をはじめ四人の者は、皆知っている者達である。五人の者達も鹿蔵は以前より見知っていた下部(しもべ) なので、生かしておいては後日に厄介になると、皆で取り囲んで、切先をそろえて斬りかかった。
勢いが盛んな鹿蔵も雙拳四手(そうけんししゅ・二つの拳と四つの手、1対2)で適わなく、ほぼ危なく見えてきた所に、三郎左衛門が乗っていた馬が、一声いなないて暴れだし、五人の者を踏み倒したり、蹴り倒したりすると、狼狽えて動くことができないように見えた。
鹿蔵は夢中になって、命の限りに刀を振り回し、四方八方斬り回った。
五人の者は一方は暴れる馬に蹴散らされ、一方は鹿蔵の死に物狂いに斬りたてられ、遂に敵うことができず、はや足で駆けだして逃げだすと、鹿蔵は「主人の敵を逃がしてやらない」と呼びながら、韋駄天走り(非常に速く走ること)に追いかけた。
この時向こう側から黒星眼平が四五十人の荒々しい男達を引き連れて、高提灯(卵形をした大きな提灯)を前に立てて、行列を連ねて、辺りを払って足速く進んできた。
鹿蔵はこれを素早く見て、確実にこれは上屋敷の討手だろう、戻って急いで報告するべきか、彼らを追って仇を報いるかと、心は二つで身は一つ、行っては思案し、戻っては躊躇し、同じ場所を幾度か、行ったり戻ったり手間取った。
黒星眼平は時を移さず、平群の館に急いで出向き「これは大殿の厳命を受けて、銀杏の前殿と月若殿の、母子の御首をいただく為に出向いたのである。名古屋父子は何処にいるのか、はやくお二人を渡しなさい」と声高らか呼ぶと「やっ!一大事だ」と邸中は大騒ぎになり、名古屋山三郎は走り出て「その件は先ほど当館に告げる者があったので、父三郎左衛門が御助命を願う為、先ほど上屋敷に参りましたので、父が帰りますまで、猶予ください」と言い終わらせず「いやいや厳命なので少しも待つことはできない。もし命令に背くなら、自分が奥へ踏み込んで御首を討つべし、返答はどうだ」と言う。
山三郎は「このうえは是非に及ばない。自分は命ある限りは、御二方を渡すこと、決してゆるさない」と言いながら、素早く身支度して、それと言うなら斬り死にする勢いである。
眼平は嘲笑って「大殿の仰せに背く不忠者、まず彼を討ち取れ」と命令すると、大勢一度に乱入し、山三郎を取り囲み、火花を散らして戦った。
こちらは多勢、山三郎はただ一人と言っても、忠義の鋭い太刀先に斬りまくられ、ごちゃごちゃに崩れて大庭までさっと引き、その間に山三郎は奥の建物にいそいで行って、姫君と若君に向かって「「父のよい知らせを受けるまでは、一旦館を御立ち退いて下さい」と言うと、月若の乳母の柏木という者、女ながらも頼みがいがある者で「私は若君を預かって逃げて行きます。山三郎殿は姫君を守護して、御立ち退きいたしてください」と、いそがしく身支度して若君を背負い、薙刀を小脇に抱えて、裏門より逃れて行った。
山三郎は姫君を背負って、続いて逃れ出ようとしたが、早くも裏門に討手の兵が回ってきて遮ってので、山三郎は「しやものしやものし(前出)」と呼びながら、多勢の中を切り開いて、生駒山の方に逃げて行った。
〇(原著者の解説)道犬の奸計を仔細に探ると、偽筆の達人に頼んで、銀杏の前の筆跡を見せて、偽の書面を書かせて、一味の者を使い、予め庭の中に埋めておいたと聞いた。
山三郎は姫を背負って逃れて行き、生駒山のふもとの辻堂において、危難に合うことは、次の巻を読んで知るべし。
【図は立命館大学ARC古典籍ポータルデータベース hayBK02-0004 より】
修験者頼豪院、不破道犬にたのまれ、妖術を施して毒鼠と化し、月若を殺さんと近づきたるが、名古屋山三郎が手裏剣に額を打たれて、真の姿を現し修法破る。