第六 因果の小蛇。
こうして、南無左衛門の家族は無事に過ごしていたが、ある日、南無左衛門が耕しに出かけると、草むらの中から、長さ三尺(約90cm)ほどの蛇がでてきて蛙をくわえて、ちょうど飲み込もうとする。
南無左衛門はこれを見て、蛙を助けたく思い「いいか蛇よ、お前、私の為に蛙をゆるしてくれ。そうであればお前に私の娘をお前に与えてやるぞ」と言うと、蛇はこの言葉を聞き入れたように蛙を放して、もとの草の深い所に隠れて入っていった。
さて、農業を終わって家に帰ると、その日の夜半の頃、娘の楓が突然発熱して苦しみ、声高くうめいたので、両親は驚いて目を覚まし、いそいで抱き起して見れば、怪しいことに、小蛇が楓の腹に巻き付き、かま首を立てて、舌を出して蠢く様子は、恐ろしいと言うのも愚かである。(恐ろしいと言う言葉では表現できないほどの状態である)
磯菜はこれを見て身の毛がよだち、泣き声で「早く取り捨ててやってよ」と言う。
南無左衛門は言った「私が昼頃に蛇が蛙を呑むのをみて助けたくて、もし蛙を放せは私の娘を与えてやると言ったが、この蛇は私の冗談を本当だと思って来たのに疑いない。冗談は言うものじゃない。およそ蛇は欲情が深いものと聞くが、眼の前にこのような奇怪をみる不思議さよ」と言いながら蛇を引き離して畚(ふご・竹や藁で編んだかご)の中に入れて抱えて行き、大江山の谷底に捨てて帰ったが、その次の夜、再び楓が発熱して苦しみ、いつの間にかまた蛇がきて、腹に巻き付くのは前と同じであった。
南無左衛門はますます怪しんで、こうなれば殺すべきと思い、蛇は頭に魂がある。しっかりと頭を砕かなければ生き返るものだと以前より聞いたので、その蛇を取り離して、平な石の上に置き、斧の峰でもって頭を微塵に打ち砕くと、血潮がサッと飛び散って、そばにいた栗太郎の顔にかかると同時に「あっ」と叫んで倒れた。
南無左衛門は蛇を捨てて抱き起すと、栗太郎の両眼に、蛇の血がしみ通ったようすで、痛みが耐え難いとうめき叫んだ。
磯菜もいそいでそばに寄って介抱すると、しばらくしてようやく泣き止んだが、両眼は開くことができず、見る見る瞼が大きくはれ上がった。
南無左衛門は死んだ蛇を抱えて行き、遠い所に捨てて帰ったが、まだ帰りつかない先に蛇はまた来て巻き付くのは前と同じであった。
南無左衛門は気をいらつかせて、今度は焼き殺そうと、火中に投げ入れたが、しばらくして火中を飛び出して、また巻き付いた。
このようにいろいろと取り捨てようとしたが、蛇の怨念が深くて少しも離れず、結局どうしようもなくてそのままにしておいたが、ただ腹に巻き付いているだけで、別に害になる事もなく、楓も始めの頃は自分の身の事なので恐ろしく思っていたが、その後は蛇に慣れて親しんで、前世の因果とあきらめ、かえって愛しく思う気持ちが深くなり、蛇もよく馴れて、食事の時になれば、懐よりかま首を出してものを食べた。
さて栗太郎は蛇の血の毒気が両眼に入って眼病となり、ついに生まれついてではない盲目となった。
磯菜は左に楓を置いて、右に栗太郎を置いて、二人につくづく願いながら言うのは「かわいそうな子供の状態で、情けないです神仏よ、楓は世にも稀にない容姿で美麗に生まれて、たとえ女御更衣(にょうご、こうい・天皇の寝所に奉仕する女官)になっても、恥ずかしくない容姿なのに妖怪に見込まれて、人と付き合えない身となり、栗太郎は生まれながら気品があって、気立てもよく賢いのに、思いもよらず盲目となるひどさです。ことさら姉弟ともに孝道深いものなのに、なぜこのように不幸なのでしょうか。どの様な前世の因果で、この災いが重なる事なのか」と、悲嘆の涙に声をつまらせれば、姉弟の子供は慌てふためいて、左右より取りついて、背をさすり、一緒に涙を流しながら介抱するのは、たいへん悲しい姿であった。
南無左衛門は目をしきりに瞬きして「自分がつくづく思うには、藤波の怨念が子供達を悩ませ、我々夫婦に思いをさせて、恨みを報いるのに疑いない。彼女は何の罪もなくして殺されたのであれば、深く恨むのも当然である。三代の恩を受けた主君の為にしたことであれば、たとえ子供達を取り殺されても悔やむことはない。磯菜嘆くな。私は少しも悲しくない」と、歎きを胸に押し隠して言えば、姉弟の子供も達も口をそろえて「父上の言うことはもっともです。忠義の為にしたその事の報いと聞けば、たとえ私達の身がどれほどの辛い目を見ても、少しも嫌がりません。母上よ深く歎きなさって、また病を引き出さないでください」と、年に似合わない利発な言葉に、孝心深い健気さに、大丈夫(逞しい男)の南無左衛門も、胸がひしと押し塞がり、思わずこぼれる涙を拳で拭って、歎きを見せない武士の気質の心の中が思いやられて、さらに哀れである。
こうしてまたしばらく月日を送くったが、栗太郎は盲目なので、一生を過ごす世渡りのためには、琵琶を学ばせ、琵琶法師にすれば、後々高い地位に進み、貴人の側近くに召し抱えられる事もないことではない。せめては生涯安穏の計画をさせてやろうと思いつき、頭を剃らさせて名を文弥とかえ、磯菜と京に行かせて、そのころ音曲で名高く聞こえた、沢角検校(さわつのけんぎょう)の下につてを求めて母子共に奉公させて、ひたすら琵琶を学ばせた。
第七 呪詛の毒鼠(どくそ)。
さて、大和の国の佐々木の館においては、判官貞国は、息子の桂之助を勘当した後、銀杏の前と月若の母子を、平群の下屋敷に移らせ、名古屋三郎左衛門、同じく山三郎父子を守り役として付けておいた。
さて、桂之助の継母である蜘手の方というのは、性格が悪くて、以前より桂之助夫婦をにくみ、どうにかして桂之助を消して、実子の花形丸を家督(かとく・あととり)にしたいと思っていたが、思いもよらず桂之助が勘当の身となったので、心中ひそかに喜び、もしまた月若が家督になることも考えると、なんとかして、あの母子を消してしまおうとたくらんだ。
そうとは言っても彼らには、忠臣の名古屋父子が付き添っていて、すこしも警戒心をゆるめないので、どうすることも出来ず過ごしていたが、不破道犬は悪賢い知恵が深いので、蜘手の方の心底悪意のある事を見抜いて、これは自分の大望を成功させる良い機会だと思い、ある時蜘手の方に近づき、好意が深いように言いつくろって、探ってみると、はたして月若母子を消して、花形丸を家督にしたい望みなので、道犬は「そうであるなら何事も、私に任せてください。良いように計らいましょう」と請け合うと、蜘手の方は大いに喜んだ。
こうして道犬と蜘手の方は密談し、先に月若を呪詛することを決め、そのころよく呪詛の法を学んで体得した、頼豪院*という修験者を密かに招き、謝礼を多く与えて頼むと、貪欲なの者なので、すぐに請け合い、密室に閉じこもって呪法にとりかかった。
そうしているうちに平群の下屋敷には、銀杏の前と月若母子二人は移り住み、名古屋父子はこれを守護していたが、月若は今年すでに十一歳になっていた。ところが月若は突然に病にかかって伏して、寝食が正常ではなく、次第に痩せ衰えて、良医を選び霊薬を与えてもなお効き目がなく、たまたま眠っても恐れ怯えることが度々である。
ことさら怪しむべきは、深夜になれば看病の男女は意識しないうちに眠りこんでしまい、鼠が多く出てきて病床を飛び回る。
その後、昼でも出て来て人を恐れなくなり、しだいしだいに充満して、月若の髪に食らいつき、肉をも食い破り、頭に毒の腫物ができて痛みが耐えられず、気力が日を追ってに衰えていった。
銀杏の前が嘆き悲しむことは普通ではなく、神社仏閣に願い、名僧知識(徳の高い高僧)に加持祈祷を願っても、妖鼠は逃げることなはなく、ますます異常な事だけが多かった。
三郎左衛門は息子の山三郎に向かって言ったのは「私が以前に酉陽雑俎(ゆうようざっそ・中国唐代に怪異記事を集録した書物)を見たが、人が夜寝ると理由なくして髻(もとどり)を失うのものは鼠の妖怪だ。また鼠は人や牛馬に取り付くことがあって昼夜離れず、どうすることもできないという。若君の御容態を見ると、その書物に書いてある所の、通常の妖鼠と同じではない。疑われるのは呪詛する者がいて、障礙(しょうげ・魔物などが妨げること)をしていると思われる。お前は気を付けて怪異の出所を見つけなさい」と言うと、山三郎も「自分もその様に思います」と、今までとは別の気持ちで、寝殿の周囲に眼を配って守護した。
さてある夜丑三つ(午前二時から二時半)の頃、銀杏の前をはじめ、御手医者(おんていしゃ・おかかえの医者)、乳母腰元等も意識しないうちに眠気が生じると、不思議にも丈が抜群に大きい鼠が渡り廊下より歩いて来る。形は普通の鼠と変わらないと言っても、その大きさは犬のようで、物凄い有様である。
「なんとも怪しい」と山三郎は、刀を持って頬杖をつき、瞬きせず見ていると、その鼠は勢いをつけて、若君の病床近くに飛んできた。山三郎はすぐに立ち上がり刀を抜いて、待ち受けてチョウと切ると、妖鼠は素早く身を跳躍させて刀を避け、明かりとりの障子をけ破って、庭の上に走り出て築地(ついぢ・泥土を積み上げて築いた塀)の上に飛び上った。山三郎は追いかけて出て、手早く小柄を抜き取って、ハッシと投げると誤らずに、鼠の額にズバッと突き刺さり、鮮血がたらたらと流れてるが、たちまち一筋の煙のような妖気が立ち上り、頼豪院の姿がぼんやりと現れた。
山三郎はまさしく怪しい曲者と思いながら、躍り上がって真っ二つに切りつける。頼豪院はひらりと身を避け平形金珠(いらたかじゅず・珠が平たく角張った数珠、修験者が用いる)を揉んで、呪文を唱えると、すぐさま暴風が起こって、庭の樹木の木の葉を散らし、池の水を巻き上げ、寝殿が大きく震動して、ガラガラと鳴り響き、今にも崩れろかと思われた。
その時若君の声がして「ああ!ああ!」と叫びなされば、大勢の声がして泣き悲しんで騒々しい。
聞くに堪えない山三郎は、あそこも気使い、こちらも去れず、再び刀を振って切ろうとしたが、頼豪院は口から数十の鼠を吐き、その鼠は山三郎に飛び掛かり、五体がすくんで動かれず「なんと悔しい残念」と言いながら、また切りつければ、たちまちに頼豪院の形が消え失せて、ただ雲霧が閉じ塞がったようで、ものの形も分からない庭の上に、ただ一人山三郎、拳を握り、歯ぎしりしながら、虚空をにらんで立っていた。
頼豪院は危うく身を逃れたと言っても、山三郎の忠義一途に精神を込めた手裏剣の傷が治らず、呪詛の法たちまちに破れたので、いつの間にか若君の病は日を追って途絶えて行って危うかった命を保った。
(美少女の楓ちゃんは妖蛇に憑りつかれましたが、それを可愛がってしまうのがいじらしい、異類婚姻譚の類型と思われます{訳者})
☆(訳者の注)
*三井寺の僧侶頼豪は怨念を抱えて死に、怨霊が巨大な鼠(鉄鼠)になったという伝説をもとにしている。
月岡芳年「新形三十六怪撰・三井寺頼豪阿闍利悪念鼠と変ずる図」
【図は立命館大学ARC古典籍ポータルデータベース hayBK02-0004 より】
藤波が怨恨、小蛇となりて、南無右衛門が娘楓がはらにまとひつく。
佐々木桂之助の若君月若、妖鼠の所為にて奇病をわづらふ。
名古屋山三郎、若君の寝殿に宿待し、妖鼠に手裏剣を打つ。
俄に暴風起て寝殿鳴動す。
【国立国会図書館デジタルコレクション 明19・2 刊行版より】