第九 辻堂の危難。
こうして山三郎は、銀杏の前を背負って、生駒山を越えて、河内の国に逃げ延びようと、東のふもと、竹林寺近いあたりまで逃げてきたが、追手達は松明(たいまつ)を振って照らして、すぐ近くまで追い付いてきたので、姫君に間違いがある事を心配して、そばにあった辻堂の中に降ろして置いて引き返して、追手の多勢と向かい合って、しばらく戦ったが、追手達は山三郎の勇ましい勢いを恐れて、秋の木の葉が散るように、四方に乱れて逃げ去った。
山三郎は今は安心だと思い、辻堂に帰ってみると、これはどうしたことか銀杏の前は居なかった。月の光によく見ると、堂の上の塵(ちり)の中に足跡がある。さては追手達の計略で、自分が戦っている間に、姫君を奪い去ったに疑いない。
姫君を奪われて、何の面目があるものかと心を決めて刀を取り直して、もう少しで腹に突き立てようとした時に、下部(しもべ)の鹿蔵が、全身血で朱に染まりながら走って来て、この有様を見てあわてて押し止めて、大息ついてから、不破伴左衛門、笹野蟹蔵、藻屑三平、土子泥助、犬上雁八達五人の者を話し、草履打ちの恨みにより、ひと違いで、三郎左衛門が殺された仔細を、涙を流しながら話すと、山三郎は大変驚いて、怒ったり悲しんだり、涙が滝のように降って落ち、しばらく言葉も出なかった。
ややあって言ったのは「今日は何という酷い日か、御館の騒動といい、姫君を奪い取られ、それだけでなく、伴左衛門は自分を殺そうとして、誤って父上を殺した事、思えば自分が手を下して、父上を殺したも同然である。死んでも死にきれない今夜の事態だ。一つは姫を取り戻して奸臣(かんしん・邪悪な⦅悪だくみをする⦆家来)達を滅ぼし、二つは伴左衛門ら五人の者を討ち取って、父上の霊前に手向け、冥途の恨みを晴らさなければ、忠孝(主君への忠義と、親への孝行)の道が完全ではない。今は二つも三つも欲しい命だ。それにしても父上の遺体を手に入れて、せめて仮の葬儀をしよう。そこえ案内してくれ鹿蔵」といって、すでに立って出て行こうした所に、このあたりの百姓と達と思われるが、松明を前に立て、戸板の上に死体をのせ、蓑(みの)を掛けて掲げていて「見れば由緒ありそうな武士に見えるが、惨たらしく殺された事である。衣服、大小の刀、懐中の物、提げていた物など、そのままあるので、盗人の仕業とは思われない。すこしでも早く郡司(郡の行政を行った役人)に聞こえて我々の過失にならないように、急げ急げ」と口々に言ながら来た。
山三郎は立ち寄って「こちらに思い当たる事があるので、その死骸を見せてくれないか」と言いながら蓑を取ってみれば、無残にも三郎左衛門、ズタズタにきざまれて、脇腹より内臓が乱れて飛び出して、鮮血が戸板に流れていた。山三郎は一目みて、悲嘆の涙にむせ返り、地面にどっと倒れ伏した。
鹿蔵は百姓たちに向かって「この死体は当国の佐々木殿の身内で、三郎左衛門という人である。ここにいる人は、つまりその息子なので、この死骸はこの方に渡しなさい、少しもお前達の落ち度になる事はない」と言うと、百姓たちは死骸の紋所と、山三郎の衣服の紋所が同じ三本傘なのを見て、それでは相違ないだろうと安心して、郡司の前に持ち出すより、ここで事件を済ませたほうが、自分達も都合がよいと納得して、死骸を渡して帰って行った。
こうして山三郎は、嘆いても戻らないことなので、鹿蔵にそのあたりの流水を汲み取らせて死骸を清め、後日改めて埋葬するまては、しばらくここに隠そうと、辻堂の板敷を取り除けて、床の下を深く掘り、死骸を埋めて元のようにして置き、香炉の灰を捨てて水を手向け、本尊の石仏に向かって「南無宝珠地蔵菩薩、悪趣((死後におもむく苦悩の世界)の苦患(くげん・死後、地獄道に落ちて受ける苦しみ)を救って下さい」と念じながら、なおも涙は止まらなかった。
この時、三郎左衛門が持っていた刀は代々伝わった左文字の刀(左文字派の刀工が作った刀)、二千五百貫(重量なら1貫が3.75kgとすると9375kg、金銭の単位?)の折り紙つきの名作であるが、せめてもの形見と取り収めて、その他身に着けていた物を鹿蔵に持たせれば、鹿蔵が言うには「弟の猿二郎の事ですが、勤めを辞めた後、河内の国に住んでいるので、一旦その地へ行きましょう」という所へ、三郎左衛門の乗っていた馬が一生懸命に走ってきて、山三郎の前に頭を垂れて涙を流すので、山三郎はその有様をみて胸がふさがって、「お前は父上の秘蔵であり、私がいる所を慕って来て、愁傷の様子は人にも勝る振舞だ」と、たてがみを撫でながら言うには「昔、呉の孫堅は薫卓と戦って不利になり、馬から落ちて草の中に伏せた。多くの軍は分散していてその居所を知らず。突然その馬は 軍陣に帰って、軍人を導いて、草の中に来て孫堅を助けたと聞く。お前はそれにも勝っているぞ」と言えば、鹿蔵も落涙して「動物ですら主人の恩を思って、このように愁い悲しむのに、人として生まれてどうして大きな恩を思わない事ができるか。伴左衛門達を、たとえ空に道があって登り、地下に門があって入っても、自分の一念の誠意を以って探し出し、御本懐を遂げさせて差し上げます」と、その馬の平首(馬の首の側面)を撫でまわし、「人と動物の隔てはあるが、自分もお前も仲間で、主人の恩を受けたのは同然なのだが、自分はお前に劣っている。飢えてはいないか、飢えているだろう」と、その辺の草を取って与え、水なども与えたりしていたわった。
山三郎は「幸いにも父上の形見のこの馬、これに乗って逃れて行こう」と、ひらりと乗ると、鹿蔵は辺りの枯れ枝を拾って、火打ち袋を取り出し、火を灯して松明として、先に立って生駒山にさしかかり、有名な暗がり峠の難所も、以前から様子を知っていたので、口綱を取って馬を導いて、河内の国へ急いだ。
第十 夢幻の落葉。
それはさておき、ここにまた、六字南無右衛門は、佐々木の館の事が気になって、旅商人に扮装して、一つの荷持つを担いで、人目を避けながら、笠で深々と顔を覆って、大和の国に来たが、宿を探して遅れて夜に入額田部村を過ぎて、柏木(かしわず)の森の辺りを通っていると、木陰に人のうめく声が、たいへん苦しそうに聞こえるので、怪しく思いながら立ち寄り、提灯を差し出して見ると、いわくのありそうな女が、むら鹿の子(模様)の小袖を、も裾(衣類の裾)を高く引き上げて、たすきを結んで、けげしく(意味不明・勇ましいの意味か?)装っているが、黒髪を振り乱して、多くの痛手を負って、鮮血が滴り流れて、全身朱(あけ)に染まって、うつ伏に倒れて、息も絶え絶えであった。
そばにある薙刀を見れば、銀の蛭巻き(前出)で、梨地(細かい粒々状の突起のある塗装仕上がり)に、倚懸目結(よせかけめゆい・紋所)を金銀の粉で散らばせている。これは佐々木家の家紋なので、さらに怪しく思い、女を抱き起して顔を見ればこれはなんと、月若の乳母の柏木であった。
南無右衛門は大変驚いて持っていた気付け薬などを与えて、いろいろと介抱すると、ようやく目を開き「あなたは佐々良三八郎殿ではないですか」と言う。
南無右衛門は言った「あなたはどんな事で、この痛手を負い、ここに倒れているのですか、その理由を詳しく話して下さい」と言う。
柏木は苦しそうに息をついて「今夜の御館での騒動をこれこれの事で、姫君と若君の御命が危いので、姫君は山三郎が守護して逃れて行って、自分は若君を助けて立ち去ったが、
途中で追手の大勢に取り囲まれて、もう少しで若君を奪い取られようとしたので、命の限り戦い、ようやく追手を斬り散らして、若君の御身を何事もなく、ここまで逃げ延びたが、心はあせりにあせるのですが、多くの深手で歩けなくなって、ここに倒れて意識が無くなり、あなたの介抱になったのも気がつきませんでした。あなたが先年、藤波を殺して立ち退かれた事は、実は若殿の放蕩の根を絶とうと、忠義の為にした事は、奥様の磯菜殿からの便りで、始めて知って、以前より姫君若君にも、あなたの誠意を聞かせてあげて、機会があれば戻られると思っていた甲斐もなく、この度の大変な事です。そうではありますが、ここであなたと会ったのは、いまだに若君の御運が尽きていない所です。私はこの深手では、とても持たない命なので、なんとか、あなたは若君をかくまって、再び世に出して下さい」と泣きながら話すうちにも、大変苦しげであった。
南無右衛門は委細を聞いて十分驚いて「して若君はどこにいますか」と、問われて柏木は辺りを見回し、月若がいないのを見て仰天して、がっくりと落ち込んで、場所の名も柏木である森の雫と消え失せた。
この時、森の茂みの中から、追手の数人が若君の口に猿ぐつわをかけ、小脇に挟んで走り出て「やあやあ佐々良三八郎、お前は長谷部雲六と共謀して、百蟹の巻物を奪い、藤波を殺して逃げ去った大罪人、ここで見つけたのは天が与えたのだ。若君を奪ったうえに、お前を捕えたら、両手に美味い食べ物を持ったようだ。さっさと手を合わせて、縛りを受けろ。もし手向かいすれば、すぐに若君を刺し殺すぞ。返事はどうだ」と呼ばわれて、南無右衛門はいそいで、地面に跪き「この場所で、あなた達に見つかるとは、自分の運命が尽きた。どうして手向かいをしますか。さあ早く縄をかけなさい」と手を合わせると、追手の者達は口々に「さすがの三八郎、覚悟のようすは感心である」と、すでに縄をかけようとした油断を見澄まして、南無右衛門はツッと立ち上がって一人を蹴り倒して、若君を奪い返して背後に囲って、仁王立ちに立ったのは、気持ちがよい形勢であった。
追手の者達はこれを見て、騙された悔しさに「それっ!打ち取れ」と叫びながら、切先をそろえて斬りかかった。
南無右衛門は素早く杖に仕込んだ刀を抜いて向かい合って、隙間もなく切り立てれば、追手の多数は敵にし難く、春雨にうたれた蝶のように身をすぼめて逃げ去った。
南無右衛門は今は心配ないと、若君の前に膝まづいて「人目を避けるため、この辺りを立ち退く間、少しの間御気恥ずかしくはありましょうが、この中に御身を隠して下さい」と月若を荷物の中に抱き入れて、柏木の遺体は、その辺の近い流れに沈めて水葬し、また追手が来ない間にと、足を速めて去り、丹波をめざして帰った。
【図は立命館大学ARC古典籍ポータルデータベース hayBK02-0004 より】
名古屋山三郎、銀杏の前を扶けて、館をおちきたり、姫を追手にうばはれて腹をきらんとするを、しもべ鹿蔵とどめて三郎左衛門が闇打ちになりたることを告しらす。
【新日本古典籍総合データベースより】
月若の乳母、柏木、若君を守護しておちきたり、追手とたゝかひて深手をおふ。
【国立国会図書館デジタルコレクション 明19・2 刊行版より】