1990年中国の旅 その3 敦煌 | 五郎のブログ

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桃源郷は山の彼方にあります

敦煌の街中 ロバと自転車が運搬や移動の手段であった

 

 

後ろの家に按装各种汽車孤型風塔玻玏と書いているような看板がある。
按装 設置する
各种 さまざま
汽車 自動車
孤型風塔 どんな物なのか不明
玻玏  七宝、宝石など

 

飯館(飯屋)車修理屋など並んでいる。

 

右の建物は飛天展銷廰と書いているようにみえる
飛天は天女、展銷は展示即売、廰(庁)は役所を意味するが家とか部屋の意味もある。
天女を展示即売する家とは興味がある。

 

理修舗

 

なんと書いているか判別できないが、とにかく何かやってる家

 
夜の街、ストロボを使わなかったので手振れした
 
並木道

 

畑からみた鳴沙山

 

畑にいた子供達、リボンを付けている少女がいるのは、外国人が写真撮影しているので、おめかしして来たのかもしれない。

 

駐駱駝場

 

駱駝に乗って鳴沙山に向かう
私は徒歩であった。

 

鳴沙山

 

鳴沙山から見た月牙泉

月牙泉

 

鳴沙山から見た敦煌の街

 

莫高窟

 

九層楼

入口の門 石室宝蔵と書いてるようだ。

この辺りまでで撮影機材は持ち込み禁止で、預かりとなった記憶がある。
莫高窟の中は素晴らしかった。

タクラマカン砂漠 鳴沙山は細かい砂であったが、ことらは礫(れき)の様であった。
場所によって砂の質が違うようだ。

烽火台(狼煙台)だいぶ古い、漢代か?

明代は石造りだがこの時代は煉瓦で造られたようだ.
長城の跡があちこちに残っているらしいが、四輪駆動車でないと行けない場所らしい。

 

飛行場に佐川急便の車が駐車していた。こんな所まで宅配していた。

というのは冗談で、このころ佐川急便は中古トラック3000台を寄贈した。

その一台がこの車。日中友好の頃が懐かしい。

国内を移動するのにチャーターした飛行機。
敦煌から北京に向かう途中、蘭州で給油と食事で降りた。
食堂では操縦士、副操縦しなど搭乗員も一緒であったが、皆、啤酒を飲んでいた。
飛行中、操縦士、副操縦が頻繁に厠所(便所)に行くのには不安を感じた。