カバンの上の親子ザル
2011・1・20~長野・山ノ内町~
ほんの少し、雪がちらつき始めた地獄谷野猿公苑。川沿いから上がってきた親子のニホンザルが橋の近くに置いてあったカメラバッグを見つけた。風を避けるように、背中から降ろした子ザルを胸の中に抱くと、ヒョイッとバッグの上に乗っかり、子ザルがお乳を吸い始めた。安心しきったような子ザルの表情がとっても優しい。約15分後、バッグの持ち主のヨーロピアンが戻ってくると“Oh, monkeys on my bag…”と頭を抱えて、うなり声。困り顔で近づいていくと、母ザルが「キ~ッ!!!」と大きな鳴き声を上げ、敵意むき出しになった。当地のサルは温泉に入ることで有名だが、すべてが一斉に入るわけではない。よっぽど、バッグの上の居心地がよかったのかもね。授乳タイムが終わると、何事もなかったかのように川沿いに下りていった。
雪と温泉とおサルさん
2011・1・19~長野・山ノ内町~
いっしょに入りたくなった。おサルさんが雪景色のど真ん中にある温泉につかることで有名な地獄谷野猿公苑にやってきた。上林温泉街から雪道を約30分歩くと、遠くに白~い湯気が見えてきた。お顔が真っ赤のおサルさんが同じような体勢で岩辺に上半身を乗せて、腕を伸ばして、目を閉じて…。のぼせているんじゃないかと心配するぐらいの、気持ちよさそうな表情を浮かべていた。すっかり人間慣れしていて、近づいてもまったく逃げず、警戒心を見せない。グッと寄ってみると、左端のおサルさんが左手を挙げて「きょう、ワシはプライベートで湯に入りに来とるんじゃ。ジャマせんといてくれるか。写真はNGじゃ!!」とでも言いたげな目でにらんできた。周りを見渡せば、日本人よりも欧米人のほうが多い。彼らの間では「スノーモンキー」と呼んでいるらしい。この日はパラパラ雪だったが、吹雪になれば、もっと多くのおサルさんが冷えた体を温めに、入りにくるのかな??
あれから16年…。
2011・1・17~兵庫・神戸市~
あの阪神淡路大震災の発生から、ちょうど16年。神戸市役所そばの東遊園地で開催された「1・17のつどい」に参加した。午前5時46分を伝える時報が鳴り響くと、大勢の遺族や被災者、市民らが「1995 1・17」の形に並べられた約1万本の竹灯ろうを囲んで手を合わせ、黙とうした。運命の時間が近づくと、泣いている人、グッと涙をこらえている人が視界に入った。震災当日、僕は学生で愛媛・松山市に住んでいた。大きな被害はなかったのだが、炎が上がり、建物が倒壊した神戸の街を映し出すテレビニュースを見て、しばらく言葉を失ったのを鮮明に覚えている。家族、友人、知人を一瞬にして亡くし、つらい日々を乗り越えてきた被災者の気持ちを理解することなんて、こんな僕にできるわけがない。でも、ほんの少しでもいいから、鎮魂の祈りをささげることで悲しみ、痛みを分かち合うことができれば…。そんなことを願いながら、これまでも「1・17」を迎えてきた。震災を知らない幼い子どもたちが「祈り」「夢」「希望」などの言葉が書かれた竹灯ろうの前で手を合わせる姿を見て、胸が熱くなった。この事実を決して風化させてはいけないとあらためて感じた。


