Mr. Right  Miss Right

Mr. Right (その人にとって理想の男性 結婚相手)Miss Right は女性で同じ意味。

Kate is getting discouraged. She’s been waiting over thirty years for Mr. Right to come along.(ケイトは、だんだん希望をなくしてきている。理想の結婚相手を30年以上待ち続けているのだ)

Right は正しいという意味だから、正しい、本当の相手と結婚するという意味かな?

 

 2024年現在は結婚した3組に1組は離婚しているという調査結果がでているが、2018年に作成されたNHKのテレビ小説「まんぷく」の再放送を毎朝見ていて、このドラマのモデルになった日清食品の創業者安藤百福氏夫妻は、まさにこのMr. Right とMiss Right の結婚だったようだ。

様々な困難を乗り越えて発明に没頭する夫を明るく頼もしく支えた妻。現在の生活に必需品と言っていいほど定着したインスタントラーメンや、カップ麺は、この人の斬新なアイデアと不屈の闘いの上で作り出されたのだなと感慨深くドラマに見入った。

 この御夫婦のように相性も良く支え合える夫婦もいれば、憎しみ合いながら暮らしている夫婦もいるのだろう。

 

 暇さえあればテレビでドラマを見ている私の楽しみは、またまた再放送のドラマであるが、2016年に作られたドラマ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」だった。イッキ見テレビという企画で毎日2話ずつ放映されるので、一週間待たずに済むので助かる。脚本の坂元裕二氏は、第76回カンヌ映画祭で「怪物」という作品で脚本賞を獲った脚本家。彼の作品は会話が洒落ていて、人生の機微をこんなふうに表現できるんだ!と感心しきり。

 幼馴じみに恋焦がれていても叶わない女の子に「たとえばオセロで言えば、数は少ないけど四隅はしっかりおさえているんだよ。同じ古里なんだから」と傍で励ます男の子は、ずっと片思いしているその少女に想いを寄せていたり,,,,また主人公の音という女性に、彼女が別な男性をずっと好きでいるのを薄々感じていながら「一番好きな人と結婚できなくても、二番目三番目に好きな人と幸せになっている例はいくらでもあるよ」とプロポーズをする社長の息子もいる。

 一番好きな人とは結婚しない方が良いなんて若い頃によく聞いたなあ…なんて思いながら午後のコーヒーを楽しむ至福の時だ。

 こんなふうな台詞もあった。恋人同士を見て「あの二人似合っているね」と幼馴じみを好きな少女が恋人と二人でいる彼を見て、傍らの友人につぶやくと「そうかな、恋人同士には本当に好き合って付き合っている人たちと別れ方がわからないで付き合っている人たちがいる」と応える。

 

 Love conquers all. (愛はすべてを克服する)

 Shared joy is a double joy ; shared sorrow is half a sorrow. (喜びを分かち合うことは2倍の喜び。悲しみを分け持つことは半分の悲しみ)スエーデンのことわざ

 

 さてさて、あなたはどっちのことわざが自分に合うと思いますか?

Out of sight, out of mind. (去る者は日々に疎し)

Absence makes love grow fonder. (不在は愛をより強くする)

 

 

 

masculinist

 masculinist は男権主義者・男性優位主義者でありfeminist フェミニストとは対局の語。

50年以上前にフェミニストという言葉を初めて耳にしたとき、私は女性を大切にする男性のことをいう表現だと勘違いした。元来フェミニズムは女性解放と性差別の撤廃が基本になっていて、近来は自分らしく生きることにまで語義が拡大されているようだ。男性にも女性にもフェミニストという言葉は使える。

 

 2024年2月16日のNHKテレビ「ドキュランドへようこそ」という番組でアメリカの俳優ジョニー・デップの裁判を取り上げていた。彼と彼の妻アンバー・ハードの、いわゆる離婚裁判だ。有名俳優というので世間を騒がせたようだが、妻は夫が暴力をふるう、夫は妻も暴力をふるうという泥沼裁判である。夫婦というのはどちらか一方だけが悪いとは私は思わないが、特筆すべきはSNSで妻のアンバーに対する一般の人たちの嫌がらせが執拗に有り、フェイク画像や書き込みがあふれ、それは目を覆いたくなるような一方的に彼女を悪者にしている内容であった。結局敏腕弁護士の力もあり、ジョニー・デップが勝利し、心に傷を負ったアンバーはスペインで暮らすことを選択したという内容の番組だった。驚いたのはアメリカの同性である女性たちの熾烈な嫌がらせだった。これはフランスのテレビ局が主に作成した番組であった。

 またこのころ女性に対するオンラインハラスメントについて本を出版したばかりだったニナ・ジャンコウイッツはバイデン政権でネット上の偽情報や嫌がらせ対策を協議する委員会の委員長に就任したが、その役職のせいでオンライン攻撃にさらされ、政治的リスクを恐れ、わずか3週間で委員会の活動を休止した。政府もソーシャルメデイア運営側も女性蔑視や、女性憎悪をあおるオンライン攻撃を取り締まることは難しいらしい。

 今回初めて知った英語、こういう行為をdoxxingというらしい。

 

 ちなみにジェンダー平等が叫ばれる現在ジェンダーギャップ指数(平たく言えば男女平等指数)は1位アイスランド2位ノルウエー3位フィンランド4位ニュージーランド。フランスは15位、米国は27位。日本は過去最低の125位と2023年の調査では出ている。

国際婦人デー(毎年3月8日)には、今年パリのエッフェル塔に「私たち女性の体は私たちのもの」とライトアップされたそう。

 

 また2004年にフェイスブックを発明し、現在はメタのCEOであるマーク・ザッカーバーグなど大手SNS5社を2024年1月31日に召喚し、アメリカ公聴会で、SNS上で被害に遭って自殺した子どもの親たちに謝罪させたというニュースがテレビやニューヨークタイムズで報道された。

世界中の人々が実に便利につながることが可能になったSNS。凶器にもなりうるこの

道具の課題は実に大きい。

かつてオスカー・ワイルドが言った皮肉がジョニー・デップの結婚にあてはまる。

Marriage is the best way to end a beautiful friendship.(結婚は美しい友情に終止符をうつ最高の方法である。

 

right

right は形容詞で(正しい・適切な・右の)などという意味。名詞で(右)の他に(権利)という意味が有る。All right. で「いいよ、了解した」などとよく聞く表現。”We need more money for the rent and….” “All right already! So you want me to rob a bank?” 「もっとお金が必要なのよ。家賃でしょ、それに…」「もういい加減にしろ!おまえ俺に銀行強盗でもしてほしいのか?」なんてalready がつくと、かなり腹立たしい気分が表せる。

 

 2024年はまさに自民党の政治資金パーテイ裏金事件が表面化。もういい加減にしてくれ!と叫びたい気分だが、ここまでの騒ぎになりながら、岸田総理は自分の政治資金パーテイをやめる気はなく、「延期のお知らせ」なる手紙を関係各所に配布している。しかも党内調査もすると国会で答弁しながら、自民党所属の全国会議員に配布したアンケートの質問が、たった2つ。以下↓

                                               

派閥による政治資金パーテイに関し、本来、議員側の支部・関係政治団体の政治資金収支報告書に記載するべきであった収入の記載漏れがありましたか、ありませんでしたか。以下回答欄の該当する方を○で囲んでください。

解答欄:   なかった       あった

上記で「あった」に○をされた場合、過去5年間の記載漏れ金額(不記載額)を下記にご記入ください。

平成30年  令和元年   令和2年   令和3年   令和4年     計

 

                                                      

これだけである。あきれてものが言えない。

 私が年に3~4回繰り返し見る映画がある。テレビの録画に保存してあるので好きな時に見られる。

The Post (邦題ペンタゴン・ペーパーズ・最高機密文書)2017年制作 1945年~1967年までのベトナム戦争の機密文書をニューヨークタイムズと一緒にスクープしたワシントンポスト紙の闘いの経緯をサスペンス感たっぷりに見事に再現したスピルバーグ監督の作品。10万の兵力を追加しても改善しないアメリカの戦力、6年も前に勝てないとわかっていながらベトナム戦争を続けているアメリカ。これを発表すればニクソン大統領にワシントンポスト社及び系列テレビも潰されるという危機感に葛藤しながら、編集長が言う。”If we don’t publish, we will lose, the country will lose and Nixon wins. The only way to reserve the right to publish is to publish.”(もし掲載しなければ、我々は負ける。憲法も負ける。ニクソンが勝つ。報道の自由を守るのは報道しかない)と。この決意の凄さを日本の三大新聞も持って欲しいものだ。面白いのは、この映画のエンディングに映る真っ暗闇のビルの窓に映る懐中電灯の光だ。実は、これはワシントンD.C.にあるウオーターゲート・ビルの民主党本部に盗聴器を仕掛けに入った5人で、警備員に見つかり、警察に捕まる。これがニクソン再選を企むウオーターゲート事件の始まりであり、報道が勝利し、ニクソン大統領は大統領としては初めての退陣に追い込まれる。これを映画にしたのがAll the President’s Men(邦題大統領の陰謀)でありthe right of press(報道の権利)the freedom of press(報道の自由)を守ることの大切さを描いている。

Freedom is a light for which many men have died in darkness.(自由は、暗黒の中で多くの人間が求めてきた光である)   George Washington

 

 

 

slide

 slide(なめらかに滑る・滑らせる)名詞は滑走、すべり台など。

また悪化する状況を、なるがままに放置するという意味もある。

I haven’t done my taxes yet. I’ve been so busy with my work that I’ve let everything else slide.

(まだ納税手続きをしていない。仕事でとても忙しくて、他のことは全部ほったらかしにしていた)などと、今の自民党の派閥議員が裏金問題について言い訳しているような例文もある。

 

 SLIDING DOORS という1997年アメリカとイギリス制作の映画を久しぶりに見た。

グウイネス・パトロウ主演の映画。彼女ヘレンは広告代理店のエグゼクティブであり、作家志望の男と同棲している。ある朝、会議に遅刻していくと首を言い渡され、仕方なく帰宅する途中の地下鉄で乗ろうとしたドアが寸前で閉まって乗れなかった場合と、かろうじて乗れた場合の二通りの彼女の運命を描いていて面白い。乗れた時にヘレンにしつこく隣の席の男が話かけてくる。応えるのが面倒な彼女が言ったセリフを前回見たときには Sorry, I’m bad at composition.(ごめんなさい。私会話が苦手なの)とcomposition(作文)を使っていたとばかり思っていたが、今回見直すと、

Sorry, I’m not good at….とヘレンが言うと、その男がConstructing sentences(文章を組みたてることが)という風に言っていた。何という勘違いだったろう。他の映画とごちゃまぜになっていたのか?

 

 ところで、こんなふうに二通りの別な人生になる生き方を想うとき、思い出すエッセイがある。私の大好きな沢木耕太郎氏の「ポーカー・フェース」というエッセイ集の中に、沢木氏が渋谷の道玄坂で呑んでいるときに、カウンターの隣の席に座っている若い男の人が、世の中には自分に似た人が一人や二人いるという話から、自分がとても恵まれた家庭に育ち、一流大学を出、一流の会社に勤めていて、心優しい妻との間に女の子と男の子の二人の子供に恵まれ、これ以上ないという幸せな人生を送っていると話す。しかしこの広い地球に私と瓜二つの人物がいて、彼がおよそ不幸という不幸を引き受けてくれているのではないか、私は私Aであり、どこかに私Bがいる。私がこんなに幸せでいられるのも、私Bが不幸せをすべて引き受けて苦しい日常を生きているからに違いない。自分と自分によく似た誰かとは、幸と不幸の見えないシーソーに乗っていて、一方が上になると他方が下になる。そして最終的には二人の幸せと不幸の総量が同じになり、バランスが取れるようになる。私はこれから、どんどん幸せを失っていくのだと思う。私は頻繁に、どこからか落ちたり、溺れたり、どこかにぶつかったり、切ったりする痛みを覚えるようになりました。もし幸と不幸のバランスが取れないまま私Bに死なれてしまったら、私はひどい罰を受けなくてはなりません。と沢木氏に真剣に語ったという。

 

 物心ついたときから、辛酸なめ子さんだった私は、この話を読んだとき、なぜか、ほっとした。

それは、私Aが悲しんだり、辛い思いをしていたときに、私Bは、ニコニコ楽しく笑って生きていたんだと思うと、なぜか報われた気がしたのだ

 

survive

 survive(人や生物が生き残る・生き延びる) survivor(生存者・遺族)

気楽な表現で “I hear the doctor took you off alcohol.” “Yeah. It’ll be tough, but I’ll survive.”(「医者にお酒を止められたって?」「ああ、きついだろうけど、アルコールなしでも何とかやっていけるよ」)のような軽い言い方でも使われる。また配偶者を亡くした人もsurvivorと言うのは面白い。

 

 最近よく、sexual harassment and violence (セクハラや性暴力)を乗り越えて生きてきた人にsurvivorを使うのは、まさにピッタリの表現だと思う。性犯罪は魂の殺人だと思うからだ。実際の被害以外に周囲からの誹謗中傷まで乗り越えなければならないのだから。2015年に元TBSの記者山口敬之からレイプされたことを勇気を持って告発した伊藤詩織さん、2022年に自衛隊の同僚たちから受けたセクハラを様々な困難の中、告発した五野井里奈さんたちの勇気、それ以降次々と自分の性被害を告白して立ち上がってきた女性たちに心から敬意を表したい。

 

 2022年制作の映画 「SHE SAID (その名を暴け)」は、アメリカ合衆国の元映画プロデューサーハーヴェイ・ワインスタインの長年にわたる性加害を、ニューヨーク・タイムズの若い女性記者2人が根気強い取材によって、彼の罪を暴き、2020年に彼が裁判で23年の刑を言い渡された事実に基づいた映画である。

トランプ元大統領も過去の自分のセクハラをlocker room talk ロッカールーム・トーク(公の場にふさわしくない下ネタ)に過ぎないと逃げたが、女性が泣き寝入りせずに Me Too運動が起きてきたことはとても嬉しい。

 

 また女性だけが性被害に遭うわけではないことを、やはりねばり強く取材して、それまでタブーとされてきた教会の聖職者による性加害を暴いて大スクープをした、ボストン・グローブ社による出来事を基に2015年制作、アカデミー作品賞に輝いた SPOTLIGHTという映画もある。

世界中の教会で、それまで黙認されてきた男子、女子問わず、子どもたちに対して牧師たちが行ってきた性加害。pray(祈り)ではなくprey(餌食)になることを教えられてきて、成長後に精神に異常をきたした人、自殺した人など数しれない被害者たちに光をあてた取材であった。その映画のエンドロールに、性加害を行っていた教会の名前が次々と載っているのを見ると、何万人という被害者がいたことを知り、慄然とする。

 

 日本でも、ジャニー喜多川による性加害を知りながら、軽視したり無視してきたマスコミの罪は重い。よりによってイギリスの新聞が取り上げるまで、臭いものに蓋をしてきた日本の報道機関は、これらの映画に学んで欲しい。 

What took you so long?(今まで何をしてきたの?)と声を大にして言いたい。

 

 

 

condolence

普通、condolencesと複数形で使い哀悼、悔み、慰めの言葉。Please accept my sincerest condolences.(心からお悔やみも王仕上げます)。などと丁寧な例文が辞書には載っているが、直接相手に”Condolences”とだけ言うのを聞いたことがある。I’m very sorry for your loss.も同じ意味。欧米人はよくカードを送り合うのでカードに”My deepest condolences to your family.”などと書く。

 

 2024年の幕開けは1日から能登半島大震災、2日は羽田空港航空機事故などと天災、人災が相次いだ。私も12年前に東日本大震災を経験し、地震と津波が襲った夜は冷たい職場の床に段ボール一枚敷いて寒さに震えて夜明けを待ったことを、まざまざと思い出した。そして3月11日その日の昼間、卒業生が第一志望の大学に合格した喜びを満面の笑みを浮かべて報告に来て、帰宅した石巻で津波に襲われ亡くなったことを思い出し、辛い正月を過ごした。

 

 能登の被災者のニュースを見ていると、崩壊した家屋の下で救助を待つ家族に、為すすべもなく妻と娘を亡くしたという男性がインタビューに応えていた。40年ほど前に母親大会で、広島の原爆で、やはり倒壊した家の下敷きになって火事の火の手から娘を救えずに自分だけ逃げてしまったという母親が身をよじって話してくれたことも思い出し、愛する家族や友人との離別は、突然訪れるものだということ、中でも目の前で助けることもできなかったというのは、とても言葉にはできない一生の苦しみであろうと思う。

 

 また、離別の苦しみの別な形である近畿財務局の元職員、赤木俊夫氏の自死について1月9日にミヤギテレビが「仰天ニュース」で50分以上特集を組んでいたのは、まさに驚きであった。この番組は、娯楽番組と思っていたのだ。街頭インタビューで何人かに「赤木ファイルをご存知ですか?」とインタビューしていたが全員わからないと応えていた。確かに毎日のように森友学園問題をテレビが取り上げていたのは6年前。2018年のことだ。

 

 事の発端は2,016年に大阪豊中市が国有地を市の公園にしたくて購入希望を出し、金額を査定したところ、あまりに高額なので、その土地の52%にあたる部分を14億円で購入するしかなかった。番組では航空写真で、その土地を映していたが、その隣の48%の土地を学校法人森友学園が8億円も値引きしてもらい、豊中市の10分の1の値段1億3400万円で購入していた。その森友学園の名誉校長が当時の総理大臣安倍晋三夫人安倍昭恵氏だったのだ。

 それを国会で追求されると安倍晋三は「私や妻が関係していたことになれば、総理大臣も国会議員も辞める」と平然と答えたために、答弁とつじつまが合うように決済文書の書き換えが2017年2月26日から、つまり嘘を正当化するための改ざんが300箇所にも及ぶよう、当時近畿財務局の職員赤木俊夫氏に命じられた。財務局理財局のトップ佐川宣寿氏が国会で野党に追求されても、のらりくらりと、はぐらかし嘘の答弁を繰り返し、国税局のトップにまで上り詰めた。私は、心を病んで自死するしかなかった赤木氏に深く同情し平然と政治を私物化している安倍晋三に腹が立ち,2021年8月25日に仙台で行われた「赤木ファイルを読む」という講演会に行った。夫婦仲がとても良かった赤木雅子さんの心情を思うと当時ニューヨークタイムズ紙では、安倍晋三をヒットラーと喩えていたのに、追求しきれなかった日本のジャーナリズムを、残念に思った。また独裁者を意のままにさせている日本国民にも失望していた。赤木俊夫氏の死も災害に襲われたようなものだ。改ざんのすべてを書き残した赤木ファイルは赤木俊夫氏の魂の叫びだ。

災害で愛する人を喪った人たちに心から哀悼の意を表したい。

There is no greater sadness than remembering happy days past.(過去の幸せな日々を思い出すほど悲しいことはない)

 

 

 

 

pity

pity (…に対する哀れみ・同情)。 sympathy が対等の立場での同情に比べて憐れむ感はある。

また残念だという時も使う。What a pity! =I’m very sorry to hear that. (それは残念ですね!)のように使うが、またpity には動詞もあるので、私はよくPity me.(同情してよ)みたいに愚痴ったり甘えたりするときに使う。

 

 2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、まだまだ終息の気配もない。また2023年にはイスラム組織ハマスが10月7日にイスラエルを攻撃し1200人余りの死者を出し、200人に近い兵士や女性、子どもを含む民間人を拉致しガザ地域へ連行した。それによりイスラエルのガザ攻撃(空爆)が始まりお互いに激しい戦いが続いている。根深い宗教戦争については、私は不勉強で、何も言えないが、どの戦争であっても、どちらの軍にしても子を喪う親が出てくるのだから、それは心から気の毒に思う。

 

 戦後30年か40年経ったころだと思うが、朝日歌壇に戦争で息子を亡くした母親の歌が載ったことがあって、作者のお名前は憶えていないが

「若者も混じり踊れるふるさとの祭太鼓よ還れ征きし子」という切ない歌を忘れられない。戦争という理不尽な出来事で亡くした子どものことは何十年経っても忘れられないのだ。ちなみに戦争で死んだという時はdiedと言わないで was killed(殺された)というのだ。いじめで子どもが自殺してしまった親御さんもきっと同じ思いだろう。

 

 また病気で我が子を喪う親御さんの気持ちも切なすぎる。歌人の近藤芳美氏編纂の朝日歌壇に載った一般人の歌を集めた「無名者の歌」という本がある。その中で、病気でわが子を喪う父親の歌が切ない。靴職人の父親の歌だ。

「やがて死ぬ娘にてあれど生業の靴つくりやり枕べに置く」

 

 私がカナダにショートステイした時に、そこのホストマザーは一人息子をバイク事故で亡くした人だった。彼女の家で、やはり子どもを亡くした親たちの grief work の集まりが持たれていた。みんな一様に暗い顔をしていて私は胸が痛んだ。しかしひとりひとりの顔の悲しみの層が、ほんの少しずつ違うような気もした。日にち薬という言葉があるが、それのせいかもしれない。

 If I had not lost my son, I would not be such a compassionate person now.

(もし私が我が子を喪っていなければ、今こんなふうに思いやりのある人間にはなっていないだろう)とホストマザーは言った。compassion (思いやり、あわれみ)

 

 あの日を思うと、ロシアにしてもウクライナにしても、パレスチナにしてもイスラエルにしても子どもを喪った親の思いは同じだと思う。ましてや戦争ほど理不尽で悔しいことはない。

Older men declare war, but it’s the youth who must fight and die!  Herbert Hoover

(老人は戦争を宣言する。しかし実際に戦って死ぬのは、若者たちだ!)ハーバート・フーバー

2024年は、世界から悲しい思いをする親御さんが、一人でも減りますように。

 

crisis

 2023年に、その年を最も象徴する漢字が“税”であったのに対し、もし英語1語で表せと言われたら、crisis(危機) だという気がする。

1年1か月前に赤旗日曜版が自民党主要派閥をめぐる政治資金パーテイの裏金疑惑をスクープし、神戸学院大学の上脇博之教授と相談し、東京地検に刑事告発した。ようやく12月になり捜査が始まった後、ぞくぞくと安倍派と二階派に強制捜査の手が入り、4閣僚5副大臣の更迭が決定された。

これは、まさに自民党全体をゆるがす構造汚職と言ってもいい。「政治とカネ」の問題は、政治資金パーテイや企業団体献金を全面禁止すれば良いのにと思うのだが…。議員数と選挙の得票数で、国民一人ひとり、赤ちゃんからお年寄りまで250円ずつ血税を集めて、政党にカネを配る政党交付金があるのだから。ちなみに2023年の政党交付金の主な内訳は以下のとおりである。

自民党 159億1000万円 立憲民主党 68億3200万円 日本維新 33億5100万円

公明党 28億6900万円 共産党は受け取り拒否。

 

私たち国民は、もっと自分たちの血税がどう使われているかに敏感になるべきだ。

 

 さてcrisis (危機)は、たとえば Our country is in an economic crisis. (わが国は経済危機に陥っている)のような使い方をするが、私が最も好きな名言の一つに

When written in Chinese Characters, crisis is composed of two words ; one is  ‘danger’ and the other is ‘opportunity’.( クライシスは漢字で書くと2つの語から成る。一つは危険の゚危’もう1つは好機の゚機’である)つまりcrisis (危機)は確かに危ないという意味も持つが、またそれはチャンスでもある、ということ。

 

 昔、職場訪問という研修があったとき、すでに不景気の時代であったが、80歳過ぎの実業家2人が、「こういう時こそチャンスだ」と胸を弾ませて対談していたことを思い出す。

どん底の時こそ、こういう至言を思い出したい。もう一つ好きなことわざがある。

Every cloud has a silver lining.(どんな雲にも輝く裏がある;苦あれば楽あり)

 

 2023年12月は、また驚くべきニュースが駆け巡った。ダイハツが全ての車の生産を中止すると発表したのだ。点検体制に不正があったらしい。一時的な決定なのかもしれないが、新車の契約にお金を払ってしまった人たちが、いつ納車されるのか?と不安になっている姿が映し出されていた。私はダイハツの社員だけでなく、部品を収めている子会社、孫会社など、日本中の中小企業の人たちが何千人も何万人も、年の瀬に震えているかと思うと気の毒でならない。

 

 当事者でないから、そんな無責任なことを言う、と思われるかもしれないが、命を大切にこの危機を乗り越えていただきたいと切に願い、迫害で若い命を奪われた、アンネ・フランクの言葉を送りたい。

Think of all the beauty that’s still left in and around you and be happy.(あなたのまわりにまだ残っているすべての美しいものを、思い浮かべなさい。そして幸福になりなさい )

 

Serendipity

 この多分聞きなれない言葉はserendipity(思わぬ発見をする才能、掘り出し物を見つける才能)として英語の辞書にも載っているが、ニューヨークのSerendipity3は、マリリン・モーローや、グレース・ケリー、トム・クルーズやニコール・キッドマンなどセレブにも70年近くも人気のカフェである。日本でも明治神宮前駅で降りると日本店があるらしい。

クリスマスになると、このセレンディピティという言葉が思い出される。それはSerendipity というキュートな映画を忘れられないからだ。

 

まずは、serendipityという語の本来の語を説明したい。学問の世界でも広く使われていて、例えばコロンブスは大半の人が地球は平らだと信じていた時代に地球は丸いと確信し、それまでの常識に反して西に航路をとり、アメリカ大陸を発見した。アレキサンダー・フレミングというスコットランド生まれの細菌学者(ペニシリンを発見し、ノーベル生理・医学賞を受賞した)は、実験中のペトリ皿に誤ってカビが入ってしまったのを単なるミスとせず、その中でブドウ球菌が死んでいくのを見逃さなかったからこそ、ペニシリン発見に至った。セレンディピティとは、ただ待っていれば降って湧いてくるものではない。自らの努力によって蓄積した知識や、積極的に起こした行動によって生まれる偶然と、そのチャンスを生かすことのできる能力があってこそ手に入れられるものなのだという。

 

 Serendipity という映画はクリスマスプレゼントに手袋を買おうとした若い男女が偶然同じ手袋を掴もうとしたが、その手袋は、その1組しか、あいにく店には無かった…という出逢い方をする。

 

結局サラという英国娘が、その手袋を買い、ジョナサンという、その生粋のアメリカ人男性とセレンディピテイというカフェでコーヒーを飲むことに。そのまま付き合いが始まるのかな?と思いきや、二人は再会できそうもない自己紹介のやり方をする。サラはジョナサンに5ドル札とピンク色のペンを渡し、「ここにあなたの名前と電話番号を書いて」と言い、受け取ると道路を渡って売店からその5ドル紙幣で1本のキャンデイを買ってくる。そして去り際に「あの紙幣が私の元に戻ってきたらあなたに電話することができるわ。受話器の向こう側で私の声を聞いたら、その時あなたは運命を信じるでしょう?」と言う。そしてサラはジョナサンに「自分の持っている本に自分の名前と電話番号を書くわ。そして明日の朝一番に古本屋にこの本を売るわ」と言い、その古本屋は教えない。さて二人は再会できるだろうか?携帯電話がある時代ではなかったからこそのドラマである。

 

セレンディピティの店でのサラの台詞がいい。

I don’t really believe in accidents. I think fate’s behind everything. I think we make our own decisions. But….fate sends signs and how we read them decides whether we’re happy or not.

(私は偶然を本気で信じているわけではないわ。私はあらゆるものの背後に運命が働いていると思うの。私たちは自分自身で選択するのだと思う。でも運命がサインを送ってくる。そしてそれをどう読み取るかによって、私たちは幸せか、そうでないかが決まるんだわ)

 あなたは、運命の人に出逢いましたか?

 

freedom

 freedom(自由)はfree(自由な)の名詞。同じ自由という意味のlibertyは、以前の拘束状態を暗示し、現在の開放状態に重きを置いた消極的な自由を表す。freedom of the press (報道・出版の自由)が、2023年世界報道の自由度ランキング(180カ国中)では、日本は68位である。ちなみに1位はノルウェイ、179位が中国、180位は北朝鮮。G7の中では日本は最下位。日本政府と大企業は、日常的に主要メデイアの経営に圧力をかけているという報告。

 

 2023年は、そういう意味で飛躍的な変化があった年だと思う。ジャニー喜多川氏による性加害問題などは何十年も前から、訴えがあったにも拘わらず、やっと新聞テレビ雑誌などで取り上げられるようになった。そして12月になって、やっと安倍派の政治資金パーテイにおける政治資金規制法違反問題が浮上。過去5年間で5億円以上にもなる裏金・隠し金問題。これなどは1年1ヶ月も前に赤旗がスクープしていて東京地検に提訴までされていたのに、やっとマスコミが騒ぎ出したというわけだ。

 

 元外務大臣の田中眞紀子氏の話が面白い。

「11年ぶりに永田町の土を踏みました。空気が相変わらず淀んでいるし、きな臭いし、最近の“答弁を差し控えさせていただきます”という疑惑議員たち。差し控えるということは、やましいから答えられないということでしょう?国民は、そんなにバカじゃない。そういうすっとぼけた言葉の使い方をしちゃダメ!一度でも言ったら即議員辞めてもらいます」。

 

 私は長年、日本の報道の自由度に疑問を持っていたので、その種の講演には、よく足を運んでいた。こういう事態を招いたのは、実は選挙に行かない国民、憲法で保障されている“人権”の大切さに気づき、闘わなければいけなかったのに、傍観者を決め込んでいたり、無関心でいた我々の問題でもあると思うのだ。

 

 12月現在、50人もの検事を国内から集め、本格捜査に乗り出したようだが、2020年に、東京高検検事長だった黒川弘務氏が安倍元総理のお友達だったために、彼の定年延長を閣議決定し、検事総長にしようとする動きがあったが、それが実現していたら、今回の疑惑議員の一斉捜査などは、実現できなかっただろうと思うと、背筋が寒くなる。

 

 新日本婦人の会や、母連の会員が12月8日の太平洋戦争開戦日に、日本のいくつかの高校の近くで、高校生に戦争中の赤紙を配布する。私も手渡そうとする高校生が「大丈夫です」と言って受け取らないことが多いのを大変危惧してやまない。そんなにのんびりしていると、徴兵制で持っていかれる恐れがあるのに!今はタモリ氏曰くの“新しい戦前”なのだからと思うのだ。

We never know the worth of water till the well is dry. (井戸の水がかれるまで、水の価値はわからないもの)イギリスの格言

 失ってから初めてfreedomの価値に気づいても遅い。