pity

pity (…に対する哀れみ・同情)。 sympathy が対等の立場での同情に比べて憐れむ感はある。

また残念だという時も使う。What a pity! =I’m very sorry to hear that. (それは残念ですね!)のように使うが、またpity には動詞もあるので、私はよくPity me.(同情してよ)みたいに愚痴ったり甘えたりするときに使う。

 

 2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、まだまだ終息の気配もない。また2023年にはイスラム組織ハマスが10月7日にイスラエルを攻撃し1200人余りの死者を出し、200人に近い兵士や女性、子どもを含む民間人を拉致しガザ地域へ連行した。それによりイスラエルのガザ攻撃(空爆)が始まりお互いに激しい戦いが続いている。根深い宗教戦争については、私は不勉強で、何も言えないが、どの戦争であっても、どちらの軍にしても子を喪う親が出てくるのだから、それは心から気の毒に思う。

 

 戦後30年か40年経ったころだと思うが、朝日歌壇に戦争で息子を亡くした母親の歌が載ったことがあって、作者のお名前は憶えていないが

「若者も混じり踊れるふるさとの祭太鼓よ還れ征きし子」という切ない歌を忘れられない。戦争という理不尽な出来事で亡くした子どものことは何十年経っても忘れられないのだ。ちなみに戦争で死んだという時はdiedと言わないで was killed(殺された)というのだ。いじめで子どもが自殺してしまった親御さんもきっと同じ思いだろう。

 

 また病気で我が子を喪う親御さんの気持ちも切なすぎる。歌人の近藤芳美氏編纂の朝日歌壇に載った一般人の歌を集めた「無名者の歌」という本がある。その中で、病気でわが子を喪う父親の歌が切ない。靴職人の父親の歌だ。

「やがて死ぬ娘にてあれど生業の靴つくりやり枕べに置く」

 

 私がカナダにショートステイした時に、そこのホストマザーは一人息子をバイク事故で亡くした人だった。彼女の家で、やはり子どもを亡くした親たちの grief work の集まりが持たれていた。みんな一様に暗い顔をしていて私は胸が痛んだ。しかしひとりひとりの顔の悲しみの層が、ほんの少しずつ違うような気もした。日にち薬という言葉があるが、それのせいかもしれない。

 If I had not lost my son, I would not be such a compassionate person now.

(もし私が我が子を喪っていなければ、今こんなふうに思いやりのある人間にはなっていないだろう)とホストマザーは言った。compassion (思いやり、あわれみ)

 

 あの日を思うと、ロシアにしてもウクライナにしても、パレスチナにしてもイスラエルにしても子どもを喪った親の思いは同じだと思う。ましてや戦争ほど理不尽で悔しいことはない。

Older men declare war, but it’s the youth who must fight and die!  Herbert Hoover

(老人は戦争を宣言する。しかし実際に戦って死ぬのは、若者たちだ!)ハーバート・フーバー

2024年は、世界から悲しい思いをする親御さんが、一人でも減りますように。