オーストラリアでヨガ講師をしている

佐々木はるかです。

 

 

 

 

多民族国家の環境の中で

ハタヨーガを指導しながら、

 

 

インドの学校を通して

 

クリシュナマチャリア伝統における

哲学を学んでいます。

 

 

 

 

シュラッダーのヨガスクールでは、

 

 

インド国立グジャラートアーユルヴェーダ大学を卒業された

アーユルヴェーダドクターの

亀森奈緒子さん、

 

 

 

 

そして同じ大学の後輩にあたる、

現在現役で学士課程で学びを続けるMiyuuさんからも

 

WSや講座をしてもらっています。

 

 

 

 

 

お二人のインタビューは画像をクリック。

 

 

 

 

以前行われたWSから

 

興味深いなと思ったアーユルヴェーダの話を。

 

 

 

 

 

 

2種類のオージャスについて。

 

 

 

 

 

アーユルヴェーダ 大学医学生&ドクターによる

アーユルヴェーダ 生理学&薬理学WSが始まりました。

 

 

 

(受講されている皆さま、

 

土曜日はお疲れ様でした!)

 

 

 

 

それを受けて感じたこと。

 

 

 

 

私たちの体の中で、栄養素が、

 

 

 

 

体液▶︎血液組織▶︎筋肉組織▶︎脂肪組織▶︎骨組織

▶︎骨髄組織▶︎生殖細胞

 

 

 

 

 

の順番で消化生成がうまく行われた時、

 

 

私たちの最も大きな活力の元であるオージャスが

 

作られるそうです。

 

 

 

さらに、オージャスには2つ種類があるそうです。

 

 

 

 

 

 

    

①パラ

 

身体の中心に、8滴(!!)、存在する。

黄色っぽく、かつ赤みがありギーのような色味。

味は蜂蜜のようで、香りは炒めたお米のよう。

 

 

②アパラ

 

片手いっぱい分ほどの量、全身に存在する。

7つの身体組織(ダートゥ)の

純粋なエッセンス(特に生殖細胞)で、

免疫、活力、生命力を与え、心身ともに活動的にする。

 

 

 

 

面白いです。。。

パラは8滴、とか、こういう不思議な理論にいつも

 

惹かれてしまいます。

 

アムリタとか。

 

 

 

 

 

おそらく、

 

プラナマヤコーシャの次元に存在してる

ものかなと予想してるのですが、

 

色もあり、香りもある。

 

 

 

 

パンチャプラーナに関しても、

 

ウパニシャッドの中に

 

各プラーナの色の記述があるのですが、

 

目には見えないものに色が付いている不思議さに、

 

いつも心惹かれてワクワクします。

 

 

 

 

 

 

 

 

最近、
(オーストラリアの)周りの友人たちが、



数日間キチャリーのみを


食べる断食をしてるんだけど、



私も一緒に
そのうち
やってみようかと思います。



多分昔から、
少々エキストリームなことが好きで、


最近は
スートラネティも
ヴァマナダウティも、

おうちで
やっています。



いつか、
ヴァストラダウティ
(布を飲むやつ)、
やってみたい気持ちもあり。



ハタヨーガには
ビックリするような
プラクティスも多いけれど、

アーユルヴェーダには
どんなのが
あるんだろう?🤔



ギーとか
ゴクゴク飲むよね??
 

 

ヒルで血液吸ったり?

 

 

 

不思議だなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

オーストラリアでヨガ講師をしている

佐々木はるかです。

 

 

 

 

多民族国家の環境の中で

ハタヨーガを指導しながら、

 

 

インドの学校を通して

 

クリシュナマチャリア伝統における

哲学を学んでいます。

 

 

 

その中で数年前に書き留めたこと。

今日はこちらでシェアを。

 

 

 

 



ヨガは、
伝統的に、


口伝でした。

 




小さい頃から
スートラやシュローカを
唱えて音をまず覚え、


大きくなって
哲学が理解できる歳になったら


その意味を
学びます。


テキストなんて、ない。



クリシュナマチャリアの
伝統を
受け継いだ、

今の私が講義を受けている学校は、

まず教科書がない。

 

 

資料もほぼない。


パワポもほぼない。



(参考文献としての
課題図書はあり。)



日本の教育を受けて
育った私は、

 

これは効率的ではないぞと感じて、


テキスト作れとか
パワポ作れとか

言ったりしましたが笑、

 




それは
自分自身がこれまで育ってきた環境に

起因する感覚だよなあと、


諦めて(言い方。笑)
はや半年。



講義の中で
先生が話す内容を、

もうとにかく、
ひたすらに、


耳で拾った瞬間に
ノートに書いていきます。

 

 

 




英語とサンスクリット語が

ごちゃごちゃに混じる中で、

 

なんとか上手に

ノートを取れるようになってきた気がする。

 

 

 

 

 



一度言ったことは
2度目は聞くな、

が日本社会だと
思うんだけど、


先生からは
一度で覚えて理解するのは
不可能だから、


何回も何回も、
教えるから、

一生かけて
向き合いなさい

と言われてます。




てか、ほんとに
手が痛いんよね。

筆圧強めなのが
ジワジワと追い討ちを
かけてくる笑


軽く握りたくても
手がすぐ
本気出してくる。

 

聴き逃すまいと思うとますます、力んじゃったりしてね。

 




図やサンスクリット語も
多いので、

パソコンで
手打ちすることも
出来ず。

 

 

でもこうやって

自らの手で書いていく作業こそが、

 

自分で哲学と向き合い、

単語の意味や音を刻み、

 

 

自分の糧になるんだろうと

ひしひしと感じる最近です。

 

 

自分のノートがそれくらい、

今は大好きなんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

オーストラリアでヨガ講師をしている

 

佐々木はるかです。

 

 

 

“Gratitude Journal”

(グラティチュードジャーナル)


“感謝の日記”
という
コンセプトが、

浸透し始めた
最近だけど、


“Gratitude Jar”

(グラティチュードジャー)


ってのを初めて見たのは、

どこでだったんだろう?

 

 





2015年頃に、

 

祈りとか感謝とか、

そういうものが持つパワーについて

調べていたのは、

 

確かそういうドキュメンタリーを

たまたま見たからだったんだけど、

 

 

 

こちらオーストラリアの小学校で働いてた時に、

クラスに1つ大きなジャーが

置いてある教室があって、

 

先生や子供達が、

 

 

小さな紙切れに

いろんな感謝を書いて入れてたのを見た。

 

 

 


その年が終わる時に、
ジャーを開けて、

ひとつずつ
感謝を読んで
思い返す。


“Gratitude Jar”

 

 

 

 

 

多分それが、

初めてそういうジャーのことを知った

きっかけだったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

私もそれに触発されて、

 

自分のリビングに1つジャーを置き、

和洋紙の裏に

何かあっては書いて貯めていたのを、

 

 

オンライン上で

グループでやったらどうなるのかなと

思ったことがあった。

 



そしてあれはいつだろ?

 

 

 

2020年のとある朝、


完全なる思いつきで、
インスタストーリーに
“感謝”を
募集したら、


とても沢山
集まったから、

ストーリーハイライトに
みんなの感謝、

貯めていくことにしまして。




名付けて、


“Virtual gratitude jar”
バーチャルグラティチュードジャー






その週は勝手に、
Gratitude week
と名付けて、


みんなで一緒に
感謝のプラクティスをした。


私のジャーに感謝を
書き込んでくれるのも
嬉しかったし、


自分のストーリーにジャーを
作ってもる人も確かいたなあ。

 

 

 

 

そういうことを思い返しながら、

また少しそのプラクティスと

疎遠になったりして。

 

 

 

 

大学のヨガクラスに来ている

ベトナム人の女の子たちが、

 

 

寝る前にその日の10の感謝を

日記に書いて、

 

それをSNSにアップする。

 

 

 

という、とてもキラキラ眩しいことを

長年続けているのを見てきて、

 

 

よし。私もやろうかなと。

良い刺激を受けました。

 

 

10個ずつ、

小さいことも大きいことも。

 

 

 

日本語だったり英語だったり、

その日の気分で綴っています。

 

 

最近はPCに文字を残すことが多いけど、

 

やっぱりいいな、紙媒体。