神宮の杜から -2ページ目

神宮の杜から

名古屋・京都・奈良のこと、その他日常のこといろいろ。
…だったのが、最近はほぼ育児日記。ぼちぼち更新。


「発掘調査から見えてきた飛鳥京跡苑池のすがた」と題したウォーキング&講演の定例会でした。


昔、飛鳥京跡をテーマにした定例会でも現地で説明を聞いたことがありますが、田んぼだらけで何にもないところだし、イメージがしづらくてイマイチ興味がわかない…


ということで、「苑池」と聞くと「いや、いいっす(笑)」とスルーし続けてきたのですが、とうとうその苑池と向き合うときがきたか…!という気持ちで今回の定例会に挑みました(なんて大げさな)。


午前中は現地を訪ねて事前散策。

今回も、講師の先生が同行です。

鈴木一議先生は、苑池の調査を担当されており、どんなホットなニュースが聞けるのかと期待しつつバスに乗り込みました。


甘樫丘で下車し、そこから徒歩で苑池に向かいました。


曇りの予報だったのに、出発時には太陽燦々のピーカン晴れに。

さすがにこの暑い中では、歩いている人もまばらでした。


苑池に着き、つい昨日まで発掘されていた場所を前に、図面をみながら先生の説明を真面目に聞くと、大体の位置関係や大きさがなんとなくではありますが、掴むことができました。

発掘調査の裏話なんかが聞けるのも、楽しみのひとつですね。


この苑池のあたりは、私の中では飛鳥を南北に分ける中途半端な位置にあるように感じられ、飛鳥全体のなかで苑池というものをどう捉えたらいいのかわかりにくい、というのも、苦手意識を持っていた理由のひとつでした。

それがちょっと薄れたような気がした瞬間でした。


暑さから逃れるように入った休憩舎で、一息つきながらパネル展示を見て学習する人、担当された先生から直々にお話を伺えるということで、炎天下で先生に熱心に質問する人…それぞれに理解を深めている様子でした。


飛鳥京跡を通って講演会場の飛鳥資料館(=涼しいところ)へ急ぎます(笑)


確かにウォーキングには暑い日でしたが、私はそれほど苦にはなりませんでした。

なぜなら、飛鳥だから(爆) 


資料館の講堂で昼食の後、午後からはたっぷり時間をとっての講演会。


1999年に始まり第11次まで行われている飛鳥京跡苑池の発掘調査について、第1次~4次調査を第1期、それ以降を第2期とし、それぞれの回の調査がどういった目的で実施され、どのような成果があったのかが、数多くの画像とともに丁寧に説明されました。


周辺の地形や池自体の高低差、護岸や石敷きの状態、飛鳥川の氾濫の跡、北池と南池の性格の違いetc…それぞれ具体的に解説され、苑池の全体像が明確になっていく過程がよくわかりました。


ですが、まだ詳細が不明なままになっていることもあるようです。


南池の導水施設の構成や北池の構造の解明、木簡が水路に流れ込む経路、建物の方位の振れ、柱間が四間である理由などが、今後の課題として残っているそうです。


今までは、「飛鳥京苑池から~が出た」と聞いても「いや、いいっすw」でしたが、それらが解明されるのが楽しみになりました。

是非ともこのホットな気持ちが冷める前に、そんなニュースを聞きたいものです(笑)


来年には飛鳥京苑池が復元されるそうで、それはそれで早く見てみたい気もしますが、今のこの景観をしっかり覚えておかなければ…檜隈周辺といい、どんどん飛鳥の風景が変わっていってしまうも何だかなぁと思ってしまいますねぇ;



飛鳥京苑池に関する話が締めくくられた後、最新の飛鳥発掘情報として小山田遺跡についてのお話もありました。


この遺跡が話題になっていた頃は、家事育児でいっぱいいっぱいで、飛鳥がまるで外国のようになっていた時期でして、私のリアクションも「なにそれ」「どこそれ」「知らん」で終わっていたというね(爆)


定例会で小山田遺跡が引き合いに出されることがあっても「???」だったので、ちょうどよいタイミングでした。



充実した気分を抱えて名古屋に戻ると、坊は意外にもお利口だったという…!!


↓↓かくのごときイヤイヤ攻撃の大変さを旦那もわかってくれるだろうという大いなる期待に反してorz

 

なぜだ…ガクリ






うちの息子は割と聞き分けの良い方で、私が「〜しよっか」「〜行こっか」と言えば素直について来るし、いわゆるイヤイヤ期はないのかなー、それとも気づいてないだけかな、なんて思っていたのですが。

先週、2歳7か月になった翌日に突然!「魔の2歳児」と化しました。

1日目は「なんか機嫌悪いなー」、2日目は「最近おかしくない?」、3日目になってようやく「これって2歳のイヤイヤ?」と気付き…

最初は「ヤダ!」「いるの!!」「おかあさんこっち!」にまともに付き合い、最終的には私もキレて怒鳴って時には手もあげ(ちょっと頭をぺちっとする程度ですよ)修羅場になっていましたが、これがイヤイヤ期と気づいてからは、ヤツが泣き叫び始めたらひたすらスルー、という対応にしています。

そういう反応が出るタイミングというのも大体パターンが決まっていて、出かける時、食事が終わる時、別の場所に行くとき(帰る時も)、寝る時、というのがほとんど。

次の行動に移るのに戸惑っているだけで、「いる!(欲しい)」や「したい」に本気の意味がないのですよね。
自分でもどうして泣いているのか分かってないっぽいぐらい、それはもう激しい泣き方なのでね。
外を見ながら「お外見るの!」、欲しいものを手に持ったまま「いるの!」ですから、手のつけようがありません(笑)

実際、うんうんそうだねーと同調しつつ強引に抱っこしてその場から動かせば、少し経つとケロっとして、「いるの〜いるの〜って泣いとったもんね」と冷静に振り返ってますからね…
(翌日以降にもそういうことを言うので、我を忘れて泣き喚いてるのかと思っていたけど意外と冷静なんだ…と驚き)

それが分かってきたので、ある程度はイライラせずに心に余裕を持って対応できるんですが、その代わりに「部屋が散らかっても気にしない」「ご飯を残されても怒らない」「少し寝る時間が遅くなっても大目にみる」などの妥協も必要なわけで、こっちの方がストレスだったりします;
日々の生活に関しては、計画性を持ってキッチリとかつ効率的にやらねば気が済まないところがあるもんで;

育児=育自、というだけあって、母の忍耐力も鍛えられますな…

けど、第一次反抗期と言われるこういう時期がないと、大きくなってからもっと大変になる(キレやすい子になる、大人になっても社会に順応できない)らしいので、それなら今だけちょっと我慢した方が断然いいです。


9月からは、母と離れて幼稚園で過ごす練習も始めるつもり。
1学期は、親子参加の未就園児教室に行っていたのですが、来年の入園に備えて2学期からは子供だけのクラスに行かせてみようかなと。週一だけですが。

絶対泣きまくるな…

という不安を先生に漏らしたところ、「大丈夫です!」と自信たっぷりに言い切ってくれたので、先生と我が子を信じて送り出すしかない(笑)

イヤでも来年からは毎日幼稚園生活だからね…
彼にとっては人生で初めての試練とも言えましょう(笑)
でも、これから小中高と集団生活は避けられないから、耐えていただくしかない。

そういう私は、もう一度小学校から集団生活やり直せといわれたら、余命宣告されたほうがマシなくらいイヤです(爆)
思い出すだけで頭痛がするわ…

自分の子にはお友達と楽しく学校生活を送って欲しい。
ちゃんと馴染めるかしら…
イヤイヤ期より何より、今はそのことが一番の不安だったりします(^_^;)








第56回定例会が無事に終わりました。


歩くと暑い夏日でしたが、ウォーキングするには気持ちの良い晴天でした。


今回は、学生さんたちの参加もあり、50人超の大所帯!


久しぶりに飛鳥の王道ともいえるコースを歩いて、「あ~飛鳥だ~ぽけ~」と幸せに浸りながら歩けました。


かつての定例会で、飛鳥宮跡をぐるぐる回りながら3期にわたる宮の姿について説明を聞いたなぁ、とか、甘樫丘東麓遺跡や飛鳥寺西方遺跡で発掘調査が行われたときは見に来たなぁ、とか、歩きながら思い出しましたよ…

いやぁ、ほんっと楽しかった…そういうことができた頃は!(爆)


関西を離れ、さらに子どもが生まれてからは、すっかり本気モードの考古系の話からは遠ざかっておりましたが(笑)、最近ちょっとずつリハビリを始めてます。


両槻会は、その道の専門の先生のお話を直に聞けるので、せっかくそのような機会に恵まれているのだから、学べることは少しでも多く学び取りたいし、そのためにはある程度の知識も必要なので。


ただ、それも中途半端だとかえって苦痛ですが(正直そう感じることもありましたよ;)、ハマってしまうと結構楽しいもんです。


今は、当然ながら家事育児が最優先の生活なので、自分の時間を取ろうと思ったら睡眠を削るしかないのが辛いところですが、今までのように飛鳥を楽しむためにも勉強はしていこうと思います。


話は定例会に戻りますが、ウォーキング後半で、見慣れない建物が現れました。


おぉ、噂のあれか…!と思いつつ向かった先は飛鳥京跡苑池。


何やらこの辺に新しい施設ができたらしいとは聞いていたけど…中に入ると、真新しい木の香が心地よい休憩所(?)になっていました。


苑池に関するパネルと資料があったようですが、座り込んだら立ち上がる気力もなく、結局スルー(笑)


実をいうと、この飛鳥京苑池、何となく苦手意識があって敬遠してたんですけど、次回の定例会は苑池遺構の講演会なので、とりあえずそこでもらった資料をあとで読んでみたら意外といけそうだったので、ちゃんと勉強することにします(笑)



そういえば、今回の定例会と関係ないですが、実は私、竹田道が好きなんですわ。

何で?と訊かれると明確な答えはないのですけど、八釣から甘樫丘を眺めつつ飛鳥に入るというあの雰囲気が、なんとなく好き。


新田部皇子(親王っていわなきゃいけないんだっけ)の邸宅があったかも?というのも理由のひとつかもしれない〈笑)


新田部皇子邸といえば、唐招提寺行きたいなぁ…

ド迫力千手観音を愛でるのもいいけど、癒し系NO.1のあのお寺で無条件に癒されたい。

癒されに行くんだから、当然子どもナシで!

(永井先生の『氷輪』読もうかな?永井作品、昔はよく読んでたなぁ…特に『北条政子』が好きだった)


なぜか飛鳥の定例会の話が、鑑真和上の癒し寺の話になってしまいましたが、これからもディープな飛鳥を両槻会で追いかけていきたいですー


(眠くてわけわからなくなってきた)





バルデスVS菅野の投手戦。

まったくよぉ…全然点が入れせんがぁ~

明日早いんだで、はよ帰りたいんだけど!

9回表はなんとか抑えたで次でビシエドのHRでサヨナラ勝ちしてくれ!

頼むで延長戦とかやめてちょ~よ…




巨人戦!

なんと一塁側フィールドシート!!
すげぇ…真ん前!

中日勝ったら選手とハイタッチできるぞ☆
勝ってくださいお願いします…

てか、ボロ負けだけはやめてちょーよ;

ちなみに昇竜レプリカユニフォーム付き♪
(坊は高橋ユニフォームで^^)

あ、明日の両槻会に着て行こうかしら♪
そして阪神ファンの袋叩きに遭う(笑)

そういえば、熱田神宮で「酔笑人神事」があったんだった!と思い出したのは、5月4日夜(22時ぐらい?)でした。

しかーし、神事は19時から。

時すでに遅しガクリ


…来年こそorz


(酔笑人神事とは、天武天皇の御世に、それまで皇居にあった御神体の草薙神剣が神宮に還座された際に、神宮関係者が喜びのあまり大笑いしたという故事を伝える神事です)


5日は、奈良で尼寺廃寺の講座があったようで前々から気になっていたのです。

尼寺廃寺については、一時期すごく興味をもったことがあり、しかも最近になって学習館がオープンしたというではないですか。


この日は珍しく特に予定がなかったので、行っちゃおうかな~どうしようかな~と思案していたのですが、21日に両槻会もあるし、さすがに「…奈良行っていい?」とは言いにくい状況なので、諦めました(笑)。


別にダメと言われたことはないし、99%の確率でいいよと言ってくれるとは思うのですが、やはりそこは専業主婦の身…度々一人で遊びに行くのは気がひけるしね;


以前、定例会でも同遺跡をテーマにした回が2度もあったのに、そのときも引越しやハネムーンと重なって参加できず…何か、好きなのに縁がないなぁ;


京都に住んでたころなら、「学習館?今度の週末行ってみよ!」「講演会?聴いとかなきゃ」「飲み会?参加しますとも♪」なんて、ぴゅっと行ってたのに^^;

時間もお金も自由に使えたあの頃が懐かしい…お金は今でも自由に使ってるけど


で、結局、家族で愛知牧場へ行きました。


坊は、やぎさんに餌をやったりして楽しそうでしたよ。




あとは、曼荼羅寺へ藤を見に行ったり、百貨店で鉄道模型展を見たり、サイクリングしたり公園で遊んだり、あつた朔日市に行ったり、恵那銀の森へドライブしたり、実家へ行ったり、BBQをしたり…という感じで過ごしました。



曼荼羅寺の藤まつりは、旦那がバイクで出かけた日に母と息子と3人で行きました。

牡丹や紫蘭なども咲いててきれいだった♪


そういえば、このすぐ近くに村久野の音楽寺(遺跡)があるんだけど、母親と坊を連れていくには厳しいので行きませんでした…男依ゆかりの地。





鉄道模型展は、プラレールや電車が大好きな坊に見せてあげようと。

はやぶさだの、こまちだの、よく知っておられます;

でも、一番ハマっていたのはなぜか「バス」のコーナー。食いついて離れませんでした;


子連れも多かったですが、大人の男の人も多く、若者から年配の人まで楽しそうにジオラマに見入っていました。

やっぱ男子っていつまでたってもこういうのが好きなのね…

私にはわからん;



庄内緑地でのBBQ。

お父さんがせっせと焼いた肉を、次から次へと平らげる坊(笑)



どんどん持ってこんかーいナイフとフォーク



そんな毎日の中、男子2人が寝静まった後、美濃の古代寺院や瓦についてちょろっとかじり始めました…が、基本的なことを忘れすぎていて、躓きながらリハビリしてるという感じですわ;







先月行った鬼の道のパンフレットを、もういいかなと思って処分しようとしたら、坊がすかさず「いる!」というので、どうせすぐにぐちゃぐちゃにするだろうと予想しつつも与えたところ、意外にも毎日のように眺めては 「おにがわら!!」と叫んでいらっしゃいます(笑)

他にも
「ここおかあさんといった!」だの
「おにさんにすわった」(←鬼のベンチがあった)だの
「これ かんのんさん なーむー」だのと「なかなか分かってるじゃん」と思うようなことを言ったかと思えば
「おにがわら だっこする」
などと訳のわからんこともおっしゃっています。

いやはや、2歳児の口から「鬼瓦」という単語が飛び出すとは…(←誰が仕込んだのだ)

ちなみに、鬼瓦と並んで最近よく彼が発する名詞に
「じこくてん」
「こうもくてん」
というのがあります…

よく行く近所のお寺の境内にある、毘沙門天像の前での我ら母子の会話↓

子: あ、これは~なんだろ?

母: これはねぇ、毘沙門天。おうちに広目天と増長天がいるでしょ(←仏ガチャでゲットしたフィギュア)。お友達なの。あと持国天と4人合わせて四天王っていうの。四天王のお友達といるときは多聞天っていうんだけど、ひとりになると毘沙門天になるの。わかった??

子: わかった!!

母: じゃぁ、言ってみ?

子: こうもくてんと、おともだち!

母: (…まぁこれだけわかりゃ2歳としては上出来)

そんな感じの今日この頃(笑)

天気がよくて暖かかった日、ふと高浜の鬼みちを歩きたくなって、息子を連れて2人で名鉄の「あかいでんしゃ」(笑)に乗って行ってきました。




高浜港駅で下車すると、「ニコニコ鬼広場」で巨大な鬼瓦がお出迎え。








猫ちゃんやら新幹線のモニュメントもありました。


持って行ったプラレールの新幹線と「いっしょ!」とはりきって乗るも、お手持ちの新幹線が裏だよ…;








信号を渡ると、鬼道のコースガイドの前に鬼のベンチがたくさんありました。


一個一個違った顔。









瓦の切り通しや、常滑のような土管坂を通って、住宅街の中をてろてろ歩いていくと、10分ほどでかわら美術館に到着。


エントランス前には瓦のポストや瓦の鯱(?)があります。

















「瓦文様とやきものの美」という企画展をやっていました。




事前リサーチ不足で、常設展は見ることができずちょっとへこむorz


どっちかというと常設展の方が見たかった;




大陸や半島の瓦や焼き物に始まり、日本の古代(白鳳ぐらいからだったかな)~近世に至るまでの瓦が展示されていました。




中は誰もいなかったのですが、子供が気になってゆっくりできずパパッと見ただけで終了~^^;


でも、今の私にはこれだけでも満足♪


美術館の前にある公園でお弁当を食べたあと、途中にあった和菓子屋さんでお土産を買ったり、塩前寺~蓮乗院を巡って、コースをショートカットして駅に着きました。




烏天狗の留蓋飾り(塩前寺)↓







竜宮城の世界みたいな飾り瓦たち(蓮乗院)↓






















三州瓦の生産地というだけあって、道の途中には鬼瓦工場や瓦製作所がたくさんありました。




お散歩日和で息子と2人楽しいときを過ごしました(坊は楽しくなかったかもしれんが〈笑〉)




…が、このあと悲惨なことに;




帰りの電車の中で、異様な疲労感に襲われ、「そんなに疲れるほど歩いたか?」と不思議だったのですが、時間が経つに連れて明らかにだるくなってきた!




やばい熱があるかも!と、何とかよろよろと帰宅。


体温を測ると38度くらいありました。




そういえば、朝から少し喉が痛くて、だんだん声が出にくくなっていたんですわ;




あまりにだるかったので、30分ぐらい横になって、少しはマシになった(気がした)ので、荷物や洗濯物の片付け、晩ご飯の準備などをして、もう今日は早めに子どもを寝かせて自分も寝よう!と決意。




旦那も今日は仕事が立て込んでて遅くなると言っていたので、そんなときに早く帰ってきてというのも悪いし、何とか自力で乗り切ろう!と、ご飯を食べさせ、お風呂に入れるまでの間休憩していると、突然手足と顔面が痺れてきた!




そのうちに手が硬直して動かなくなってしまい、呼吸もしんどくなってきたので、「意識があるうちに病院!」と、一瞬119番しようとしてすぐに思いなおし(野次馬とかきたらイヤだ〈笑〉)、とりあえず動かない手をどうにか駆使してタクシーを呼びました。


支度をしている間になんとか手は少しずつ復活して、タクシー到着の連絡があった直後、このタイミングで坊が下痢を発症!


マジか~!と必死にお尻をふいてパンツを換え、そういえば夜中に咳き込むことも多いしついでに診てもらおう!と坊の保険証も用意。




いつもの病院が夜間休診だったので、とりあえず思いついた別の総合病院へ。




私は咽頭炎、坊は胃腸炎という診断。インフルは2人とも陰性でした。


でも熱は39度ぐらいまで上がってましたorz


(痺れは予想通り水分不足、とのこと…でも食欲もないし喉が痛くて飲食が辛いし)




しかし、熱のある体で一人で子どもを連れて知らない(しかも薄暗い)病院をさすらうって、ほんと心細いし辛い;




薬を出してもらって、帰りはバスで帰宅。21時ごろで帰宅ラッシュなのか混んでいたのですが、親切なサラリーマンが席を譲ってくれたので有難く座らせてもらいました(あんなところで子ども抱っこして立っとれん)。




家にいるときも、病院でも、坊はわりとお利口におとなしくしててくれたので、今日は一日振り回してゴメンね、お利口しててくれたから助かったよ、と何度も謝りながら帰宅し、かなり眠そうだったので今さらお風呂に入れるのもかわいそうと思い、体を拭いてパジャマに着替えさせていると、またまた手が攣って硬直~!




そんなときにも坊は動き回るし、こっちは手が動かないわ声は出ないわ寒気はするわ頭痛はするわで、もうどうしようもなくてぼろぼろ泣きながら必死に着替えさせていると、ようやく旦那が帰ってきました。




最初は、駆け寄った坊に「ただいま~♪まだ起きとったか~」と、私など目に入っていない様子でしたがむかっ、泣きながら状況を説明すると驚いて(そうだわな、目の前で私の手が固まってるんだもん)、連絡しなかったことを怒り、あとは何もせんでいいから寝とれ、と言ってくれたので、ようやくちょっとは楽になりました。




翌日もまだ熱は下がりきっていなかったのですが、坊の夜中の咳がまた気になったのと、小児科は原則翌日受診といわれていたので、もういちど病院に連れて行き受診してきました。




昨日は夜間にありがちな若い研修医で、喉は赤くないし大丈夫と言っていたのに、ちゃんとした(?)小児科の先生にもう一度診てもらったところ「喉が赤くなってますね」って…orz




咳止めの粉薬と気管支拡張テープを出してもらってきました。




帰りに、スーパーと薬局(薬をもらいに)に寄ったため、普段なら余裕で徒歩圏内の距離も、微熱のある体には非常~に長い道のりに感じたのでした…




昨年末あたりから、いとも簡単に体調を崩すようになってしまい、健康にはとりわけ自信があったのにすっかり自信喪失してしまいましたorz


(旦那にも、もう年なんだから無理するなとか、栄養不足だとか散々言われましたが、その通りなので言い返せない)






それにしても、発症したのが帰り道で助かった;


行きの電車とかだったらもっと悲惨だったよ…少し迷ったけど、最後のコースをカットして正解だったわ!!


でも、鬼みち自体は、とても楽しいお散歩タイムでした♪

土曜日は、今年初の両槻会第54回定例会でした。




寒くなるだろうな~と思っていたのですが、意外にもピッカピカの晴天で、日差しの中歩いていると暑さを感じるくらいの、絶好のウォーキング日和となりました。




名古屋駅7時30分発の近鉄に乗り、集合場所の畝傍御陵前駅まで2時間。


すでに他のスタッフさんたちは到着されていました汗




参加者がそろい、10時に駅前を出発。


最初の目的地は、本薬師寺跡。


両槻会では何度も見学した、おなじみの場所であります。








藤原宮の瓦が改笵されて使用されていたり、藤原京条坊との関係から、藤原京の造営や造瓦と密接な関係にある遺跡です。




中門の位置に立って、当時の伽藍と道路を想像するにはちょうどよい所で、私も好きな場所のひとつです。




次は、日高山瓦窯。


藤原宮にもっとも近い官営の造瓦所で、登窯と平窯が併存しています。








宮の主要建物が完成した頃には廃絶し、瓦笵は高台・峰寺瓦窯へ移動したそうです。




この高台・峰寺瓦窯は、藤原宮の瓦窯の中で最大規模を誇る瓦窯群で、各地の笵を集約したメジャーな瓦窯だったそうですが、すいません、初めて聞きましたよそんな瓦窯…


藤原宮造営当初から最終段階まで、もっとも長く操業しており、ここの系統の瓦が、中枢建物の軒を飾っていたんだそうです。




ちなみに、日高山瓦窯のジオラマが、後で見学する奈良文化財研究所藤原宮跡資料室でみることができました。いや~細かいところまでよく作られてましたわ。




どんどん進みます。


朱雀大路から耳成山。








朱雀門跡。









空が高いわ~。







そして、これまたおなじみの藤原宮跡資料室を見学。




ここで、先生から瓦作りの技法などの説明がありましたが、粘土紐技法やら粘土板技法やらがあって、前者が大陸由来の新技法、後者が既存の技法であることも、初めて知りました。


数年前、あれだけ瓦瓦言ってて何を勉強しとったん?と思われそうですが、作るところまでははっきり言って興味なかったし(笑)




あとで早速、瓦の展示室で先生を捕まえて、ちゃっかり見分け方を教えてもらいました(笑)




久しぶりに本物の瓦をじっくり見て、その前でももさんたちとマニアック話をして(というより私はもうマニアとはいえないレベルに成り下がっているためほとんどきいてただけ)、すごく楽しかったです。


瓦をみて「懐かしい…」と呟いてしまうあたり、いかに瓦から遠ざかっていたかが自分でもよくわかりましたよ…




資料室を出て、大官大寺跡へ。


飛鳥には、大きな建物がなく田畑だらけなので、当時の建造物が脳内で再現しやすいのがよいところ。


塔の高さを香具山と比べて想像してみたり、伽藍の広さはまぁ一目瞭然ですが、創建瓦もまた大官大寺式と呼ばれる大きく立派なものでしたね。




そんなこんなで目的地の飛鳥資料館に到着。




ランチタイムを経て、午後からは「都城の造営と造瓦」と題した講演会です。






本薬師寺の発掘調査の結果、その下層から条坊跡が確認されたことから、藤原京の条坊に則って寺が建立されたということや、瓦の文様や笵の傷み具合から分かる伽藍の建立順序が具体的に説明されました。

また、藤原宮の先行条坊側溝には瓦が含まれているけれども先々行条坊にはないこと、運河下層から大和産の瓦が出土していることなどを、史料に記載された都城の造営年代とあわせて鑑みると、天武天皇末年から宮の瓦生産が開始されたことがわかるのだということでした。

瓦窯同士の関連性や、瓦笵の移動や工人の移動など、いろんな要素が絡んでいて複雑なため、一度聴いただけでは完全に理解できない部分もありますが、豊富な発掘調査図面や現場写真、瓦の写真を見ながら聞くことができて、おおよそのイメージをつかむことができました。

レジュメには、生産瓦窯と生産年代を軸に、藤原宮の造営過程が瓦の文様とともにわかりやすい表にしてあって、これも年表とあわせて見ると造瓦の変遷がよくわかっていいなぁと思いました。

じっくり復習すれば面白いだろうなぁ~とは思うのですが、今の生活では、なかなか…ねぇ(笑)

講師の石田先生は私と同年代の女性ですが、話すのがとても上手で、知識も豊富で頭の回転も速いなぁと思わせる内容でした。

わかりやすく伝えるのは難しい、なんて謙遜されていましたが、あっちこっちに飛んでしまう多くの要素を理路整然と説明されていて、聴き手の予備知識さえ充分にあればストンと理解できる講演だったと思います。

帝塚山の講座でもう一度聴きたいのですが、これも無理そうで残念です>_<
京都にいた頃なら絶対行ったのにorz

久しぶりに飛鳥の空気や風景、それに瓦にどっぷり浸れて、楽しい1日でした。