土曜日は、今年初の両槻会第54回定例会でした。
寒くなるだろうな~と思っていたのですが、意外にもピッカピカの晴天で、日差しの中歩いていると暑さを感じるくらいの、絶好のウォーキング日和となりました。
名古屋駅7時30分発の近鉄に乗り、集合場所の畝傍御陵前駅まで2時間。
すでに他のスタッフさんたちは到着されていました
参加者がそろい、10時に駅前を出発。
最初の目的地は、本薬師寺跡。
両槻会では何度も見学した、おなじみの場所であります。
藤原宮の瓦が改笵されて使用されていたり、藤原京条坊との関係から、藤原京の造営や造瓦と密接な関係にある遺跡です。
中門の位置に立って、当時の伽藍と道路を想像するにはちょうどよい所で、私も好きな場所のひとつです。
次は、日高山瓦窯。
藤原宮にもっとも近い官営の造瓦所で、登窯と平窯が併存しています。
宮の主要建物が完成した頃には廃絶し、瓦笵は高台・峰寺瓦窯へ移動したそうです。
この高台・峰寺瓦窯は、藤原宮の瓦窯の中で最大規模を誇る瓦窯群で、各地の笵を集約したメジャーな瓦窯だったそうですが、すいません、初めて聞きましたよそんな瓦窯…
藤原宮造営当初から最終段階まで、もっとも長く操業しており、ここの系統の瓦が、中枢建物の軒を飾っていたんだそうです。
ちなみに、日高山瓦窯のジオラマが、後で見学する奈良文化財研究所藤原宮跡資料室でみることができました。いや~細かいところまでよく作られてましたわ。
どんどん進みます。
朱雀大路から耳成山。
朱雀門跡。
そして、これまたおなじみの藤原宮跡資料室を見学。
ここで、先生から瓦作りの技法などの説明がありましたが、粘土紐技法やら粘土板技法やらがあって、前者が大陸由来の新技法、後者が既存の技法であることも、初めて知りました。
数年前、あれだけ瓦瓦言ってて何を勉強しとったん?と思われそうですが、作るところまでははっきり言って興味なかったし(笑)
あとで早速、瓦の展示室で先生を捕まえて、ちゃっかり見分け方を教えてもらいました(笑)
久しぶりに本物の瓦をじっくり見て、その前でももさんたちとマニアック話をして(というより私はもうマニアとはいえないレベルに成り下がっているためほとんどきいてただけ)、すごく楽しかったです。
瓦をみて「懐かしい…」と呟いてしまうあたり、いかに瓦から遠ざかっていたかが自分でもよくわかりましたよ…
資料室を出て、大官大寺跡へ。
飛鳥には、大きな建物がなく田畑だらけなので、当時の建造物が脳内で再現しやすいのがよいところ。
塔の高さを香具山と比べて想像してみたり、伽藍の広さはまぁ一目瞭然ですが、創建瓦もまた大官大寺式と呼ばれる大きく立派なものでしたね。
そんなこんなで目的地の飛鳥資料館に到着。
ランチタイムを経て、午後からは「都城の造営と造瓦」と題した講演会です。
本薬師寺の発掘調査の結果、その下層から条坊跡が確認されたことから、藤原京の条坊に則って寺が建立されたということや、瓦の文様や笵の傷み具合から分かる伽藍の建立順序が具体的に説明されました。
また、藤原宮の先行条坊側溝には瓦が含まれているけれども先々行条坊にはないこと、運河下層から大和産の瓦が出土していることなどを、史料に記載された都城の造営年代とあわせて鑑みると、天武天皇末年から宮の瓦生産が開始されたことがわかるのだということでした。
瓦窯同士の関連性や、瓦笵の移動や工人の移動など、いろんな要素が絡んでいて複雑なため、一度聴いただけでは完全に理解できない部分もありますが、豊富な発掘調査図面や現場写真、瓦の写真を見ながら聞くことができて、おおよそのイメージをつかむことができました。
レジュメには、生産瓦窯と生産年代を軸に、藤原宮の造営過程が瓦の文様とともにわかりやすい表にしてあって、これも年表とあわせて見ると造瓦の変遷がよくわかっていいなぁと思いました。
じっくり復習すれば面白いだろうなぁ~とは思うのですが、今の生活では、なかなか…ねぇ(笑)
講師の石田先生は私と同年代の女性ですが、話すのがとても上手で、知識も豊富で頭の回転も速いなぁと思わせる内容でした。
わかりやすく伝えるのは難しい、なんて謙遜されていましたが、あっちこっちに飛んでしまう多くの要素を理路整然と説明されていて、聴き手の予備知識さえ充分にあればストンと理解できる講演だったと思います。
帝塚山の講座でもう一度聴きたいのですが、これも無理そうで残念です>_<
京都にいた頃なら絶対行ったのにorz
久しぶりに飛鳥の空気や風景、それに瓦にどっぷり浸れて、楽しい1日でした。